第17話 闇に潜む気配

 目の前で突然起こった同胞の死。

 生き残ったヘルハウンドは目を疑った。


 種族クラススキル――共鳴ハウリングで、肉体を強化した不可避の突撃。同胞のその一撃に続いて、追撃を行うつもりだった。

 ところが同胞はあまりにもあっけなく殺された。その一撃を見舞う事もなく、ただその場に佇んでいただけの勇者によって殺された。


 恐怖と怒りでヘルハウンドは身を震わせる。死んだ同胞の事は、もう意識からは消えていた。

 ただ目の前の勇者のなりをした人間を殺す。その事だけを思い四肢に力を込める。


 しかし、対する人間はそんな事などお構いなしに、散歩をするかのようにゆっくりと歩きながら一歩、二歩と距離を詰めてくる。

 その表情かおには、余裕のこもった憎らしい笑みをも浮かべている。


 そして目が合った瞬間、ヘルハウンドは自身の意識に反して動き出す。

 考えるよりも先に、己の肉体が目の前の人間を喰らってやろうと駆け出したのだ。

 意識と肉体の乖離、それはまるで時の流れが緩やかになったようにすら感じた。


 動き出した体は、矢の如く一直線に標的へ向かう。

 脚には無数の血管が浮き出ている。そこから伸びる凶器のような爪が、人間の首元に届こうとしたその時、ヘルハウンドの視界は黒く染まった。


 そして悟る。己も、同胞の後を追ったのだと。




 * * *



「ふん……あっけないものだ。所詮は肉弾戦しかできぬ只の犬め」


 テネブリスはそう言い捨て、血に濡れた漆黒の魔剣を振り払った。

 刃先に付着していたヘルハウンドの鮮血が、勢いよく地面に飛び散る。


 テネブリスの足元には、首を斬り落とされたヘルハウンドが地面に倒れている。

 地面にはまだ新しい赤黒い血が、どくどくと染み渡っている。

 その無残な亡骸に向かって、吐き捨てるように呟く。


「いくら脚が早かろうが、この魔法にはあらがえぬか」


 人位魔法――遅延ドルミート

 この魔法が展開された領域に於いてのみ、魔法防御力のない者は体感する時間の流れが三分の一にまで遅延される。


 ヘルハウンドがテネブリスの歩き出した姿を見た時には、既に魔法が発動されていた。

 目に入る光景も遅延され、もはや驚異的な俊足も意味を成さない。

 ヘルハウンドが駆け出そうとした時には、既にその首元に漆黒の魔剣は振り下ろされようとしていたのである。

 最期、自身の死でさえ遅れて感じた事だろう。


(フフフ……懐かしき魔力の感覚……しかし、まだ足りぬ。魔王と呼ぶには程遠い……)


 ロサ森林に着いてから、三体のヘルハウンドを屠った。

 目覚めた時に比べると、身に宿す魔力は遥かに増えている。

 しかし凄惨たる魔王として君臨していた時と比べると、雲泥うんでいの差だ。

 テネブリスは客観的に見て、現在いまの自身の魔力は上級魔族に僅かに劣る程度と見ている。


 そして、ふん、と小さく鼻息を吐き出すと、黒に染まる退魔の剣を鞘に納めた。

 その時、脳裏に懐かしき記憶が蘇る。


(思えば……勇者ルクルースも、最初はじめは貧弱で弱々しかったな……)


 アルビオン帝国で代々、勇者となる一族に生まれた勇者ルクルース。

 父である先代の勇者亡き後、勇者を引き継いだルクルースだったがその実力は当初、特に目立ったものではなかった。歴代の勇者で一番平凡なる才覚だ、と誰しもが声を揃えた。

 ところが次々と魔族を討伐していくうちに、彼の秘めたる才能はめきめきと頭角を現すようになる。彼の持つ、勇者として最高峰とも言える職業ジョブスキルによって。

 やがて、祖父の生まれ変わりとも称されたその実力は、魔王テネブリスに匹敵するとも言われるまでに成長を遂げていた。


(ふん……皮肉なものだ。かつての奴と、同じ軌跡を辿ろうとしているとはな……)


 だが目指す場所が違う。

 凄惨たる魔王として再臨する為に。

 ――そして、或るべき決着を着ける為に。


 テネブリスは冷酷な微笑を浮かべながら、二体の魔族の亡骸が残る地を後にした。

 数歩、アルキュミー達がいる方角へ歩そうとした時、それに気づく。

 クラルスの魔法によって知覚強化された恩恵で、ようやく気付いた気配。


(視られている……?)


 ヘルハウンドとは違う、魔族と断定できない不気味な視線。

 しかしそれは一瞬で消える。

 勘付かれた事を察知したか、あるいは気のせいか


 テネブリスは辺りを伺う。しかし何もない。あるのは不気味なほどの静けさだけだった。


(ふん……目障りな)


 テネブリスは苛立ちながら、再び歩き出した。



 * * *



「さすがにまずいわね……」


 クラルスを後ろに庇い、アルキュミーは焦燥していた。

 玉のような白い肌には、一筋の汗が流れている。

 この場にいるヘルハウンドは二体。

 即ち、テネブリス達と別れてから未だに状況に変化はない。


 反面、アルキュミーとクラルスには疲労の色が見える。

 俊足で駆け回りながら攻撃の隙を与えないヘルハウンドに対し、前衛のいないアルキュミー達はなかなか攻撃の糸口を見つけられないでいた。


 このままでは体力ばかりが消耗する。アルキュミーは、この状況を打破するきっかけを探る。


(このままじゃ埒が明かないわね……クラルスはこういった相手には不向きだし、私がなんとかしないと……)


 アルキュミーはスタッフをぎゅっと握りしめた。

 スタッフの先端には、拳ほどの大きさの赤い鉱石が、金色の金具によって取り付けられている。単なる装飾ではなく、魔装具と呼ばれる高級品だ。

 その赤い鉱石はアルキュミーの持つ魔力に反応するように、輝きを放つ。


 その時、暗闇の向こうから人影が近づいてくるのに気付いた。

 その人影は、大剣バスターソードのような物を背負っている。


(……! あれは……!)


 徐々に明らかになるその姿に、アルキュミー達の表情は段々と明るくなる。

 そしてヘルハウンドの背後に迫ったその人物は、開口一番、声を荒げる。


「おい、犬ども! お前らの相手は俺だ!!」


 黒々とした短髪を掻き上げた褐色の肌。頬には傷跡を残している男――その名はフェルム。

 暗闇に目立つ真紅の部分鎧を纏ったその剣士は、その言葉と共に大剣バスターソードを構えた。

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