第16話 凄惨たる一撃

 漆黒の剣を向けられた二体のヘルハウンドは、本能的に目の前の勇者を獲物ではなく強敵として認識を改めた。


 大剣バスターソードを持った男がこの場を離れた途端、勇者が放つ威圧感は禍々しさを増していったのだ。それに加え、勇者としては似つかわしくない冷酷過ぎる笑みを常に貼り付かせている。

 その異様さは、魔族の身を持ってしても不気味なものだった。


 勇者の圧に押され、数的有利なこの状況であるにもかかわらずヘルハウンドは動けない。

 動いた瞬間、自分達のどちらかが死ぬ。そんな直感が働いた。


 かねてより聞かされていた勇者の偉業。そして人ならざる強さ。

 あの凄惨たる魔王に匹敵したと言われる人間だ。ヘルハウンドのような中級魔族が束になってかかっても、勝てる見込みは薄い。


 その勇者に対して、ヘルハウンド達は戦いを挑んでいる。

 先刻までは襲う側の立場だった。それが今や、逆転している。

 そう、目の前の勇者に狩られようとしているのだ。


 そんな事はあってはならない。

 ヘルハウンド、別名――地獄の猟犬。

 仮にも猟犬と言われる魔族が、人間に狩られるなどあってはならない。

 種族の、いや魔族の恥だ。


 意を決したヘルハウンドは、白く輝く牙をむき出しにして脚に力を込める。

 種族クラススキル――共鳴ハウリングで強化された四肢。この筋力から生み出される突進は、並の人間では目で追う事もできない。


 筋肉で膨らんだ脚をバネのように使い、一気に跳躍する。

 驚くべき初速で、勇者の姿をした強敵目掛けて飛び込んだ。

 人間には不可避の突撃。防御するにしても、強化された強靭な肉体を正面から受ければ深刻なダメージは免れない。


 勇者と言えども所詮は人間、種族的な限界はあるものだ。

 一撃さえ与えられれば、後はこちらの方が数的有利だろう。時間をかけてなぶり殺せばいい。


 そんな事を、敵に飛び込む刹那、考えた。


 しかしその考えは、まさしく一瞬で崩れ去る。


 渾身の一撃が届く前に、ヘルハウンドの命が終わったからだ。




 * * *




 テネブリスは、漆黒の剣をヘルハウンドに向けたまま策を練っていた。


(二体一……複数体が相手なら、魔法の方が効果的か……しかし、人位魔法では心許ない……)


 テネブリスがそう思うには理由があった。


 人位魔法とは、主に人間が行使する魔法だ。大きく二つに区別され、下級は汎用魔法、上級は戦闘魔法に分類される。


 下級の人位魔法では消費される魔力量は少ないが、行使対象の魔力量が大きいと大して効果を成さない場合が多い。

 逆に上級の人位魔法では、消費する魔力量は大きいが行使対象の魔力量に関係なく、術者の魔力量の応じて効果や威力が比例する。

 一般的には、人位魔法は魔力量が膨大な魔法使い等の専用職が主に扱っているのがほとんどだ。


 加えて、勇者や神官などの聖なる魔力の加護を受けている者は、聖位せいい魔法と呼ばれる専用魔法が行使できる。

 あいにく今のテネブリスは、姿こそ勇者そのものだが、加護を受けていないらしく聖位魔法は扱えない。


 反対に、高位の魔族や闇の勢力ゼノザーレが使う魔法が、霊位れいい魔法だ。

 人位魔法とは一線を画す効果を持ち、影響を与える規模も広範囲のものが多い。反面、魔法の行使には多くの魔力を消費する。

 魔王であった頃のテネブリスは、霊位魔法を特に好んで使用していた。


 そして、一部の限られた才を持つ者だけが使える魔法が、天位てんい魔法。

 その威力と規模は人位魔法を遥かに凌駕する。


 その更に上には、世界で数える程しか使用できる者がいないとされる神位しんい魔法と呼ばれるものがある。

 テネブリスは、この神位魔法を扱える数少ない者だった。

 他を圧倒する魔法の使い手、それが凄惨たる魔王として畏怖されていた所以ゆえんでもある。



 つまるところ、現在のテネブリスは使用できる魔法が極端に限られているのだ。

 威力も乏しく、扱い慣れていない人位魔法。

 消費魔力が多く、現在持っている魔力では一度か二度しか使えぬ霊位魔法。


 そしてテネブリスは、後者を選択した。

 テネブリスの周囲に、暗く重厚な魔力が沸き立つ。


(今の私では、この程度の魔法が限界だが……)


 ヘルハウンドの一体が攻撃態勢を取ろうとしているのを見計らい、テネブリスは静かに魔法を詠唱する。


「霊位魔法――平穏なる死モーリス・モルス


 この魔法を発動して三秒の間、テネブリスは動く事が出来ない、その代わり、魔法行使者に殺意を持って近付いた者に対して等しく死を与えるという、凶悪なカウンター魔法だ。

 テネブリスは、向かってこい、とばかりに不敵な笑みを浮かべて敵を待ち受ける。


 その思惑通り、ヘルハウンドは渾身の一撃を見舞おうと正面から突撃してきた。

 あまりに思い通りの敵の行動に、心の中の笑いが止まらない。


 凄まじい速さで突撃してきたヘルハウンドは、丁度テネブリスの足元でその生命を終わらせた。


 冷笑を浮かべ、傷一つない綺麗な亡骸を見下す。

 そして、我が身に宿っていく魔力を、両手を掲げ天を仰ぐように感じる。


(ほう、今までの魔力より幾分か潤沢だな……という事は……)


 ゴブリンやオーガのような基礎魔力の低い魔族を殺しても、得られた魔力は微々たるものだった。

 しかし、中級魔族であるヘルハウンドを殺して得られた魔力はその倍近い。


 この事から、テネブリスは一つの可能性に辿り着く。


 ――殺した魔族の強さによって、得られる魔力が増える。


「フフフ……やはりここへ来たのは有意義だった。あとはバフォメットへの足掛かりのみ……さて、派手にやるとするか」


 テネブリスがここへ来たのは、魔力を取り戻す事の他にもう一つ理由があった。それは、バフォメットへと繋がる足掛かり。

 この森にがいる事はわかっている。ヘルハウンドが出てきたのが何よりの証拠だ。

 ここで派手にヘルハウンドを蹴散らす事で、向こうから動かざるを得ない状況にする。それがテネブリスの狙いだった。



 ヘルハウンドは同胞の不可解な死を理解できず、まだその場を動く事ができていない。その様子は、テネブリスに対して物怖じしているように見える。

 絶対的強者による、獲物を捉える視線。それを全身に受けたヘルハウンドは、身体をぎょっと固めるばかりだ。

 そして、その絶対的強者は口を開く。


「さぁ、私の為にその命を差し出せ。フフフ……フハハハハハハ!!」


 テネブリスのよこしまな笑い声が、闇夜に森林に広がった。



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