第10話 出立

 フェイエン皇帝陛下との謁見を終えたテネブリスらは、自室へ戻り出立の準備を行っていた。

 と言っても、準備をするのは数日分の非常食と予備の着替え、それと最低限の生活用品だけ。後は全て戦闘の際に用いる装備品や魔装具、武器などがほとんどを占める。今まで何度か経験してきた遠征の際もそうだが、食事などは基本的に現地調達だ。運が悪ければ何食も食事を抜く事もある。

 そうした忍耐強さも、この国を守護する立場には必要となってくる。


 目的地であるウルグスという国。

 皇帝の口からは同盟国、と呼ばれていたが実の所は帝国の植民地である。

 勇者が不在のこの国を、帝国の勇者が守護するという名目で実効支配しているのが実情だ。

 ウルグスには特にこれといって特産物も資源も広大な国土も持ち合わせていないが、そういう国に対しては過剰な税を徴収する事で折り合いをつけている。

 そうやってアルビオン帝国は領土を拡大し、繁栄を築き上げてきたのだ。


 その国、ウルグスはマグヌス平野から南に下った所に位置しており、到着するまで徒歩で一日はかかる。単純に、行って帰ってくるだけなら徒歩でも特に問題ないが、今回は違う。


 魔族の襲撃を受けている国から満足に物資や食料が調達できるかは怪しい。それに、魔王の動向を調査するという漠然とした依頼が何よりアルキュミー達の頭を悩ませている。

 国を代表する勇者一行として、皇帝を納得させる成果を挙げなければ、おめおめ戻ってくることもできない。

 そのようなことから、長期の出立となる事を見越したアルキュミーは、近衛兵に馬車を用意するよう依頼していた。

 普段用意する準備では物足りないだろうと判断した為だ。


 馬車に乗せる膨大な量の荷物を纏めながら、怪訝な顔をしたアルキュミーはテネブリスに対して口を尖らせた。


「ルクルース……あなた、皇帝陛下に対してよくあそこまで言えたわね。昔のあなたなら考えられないわ……」

「ふん、それはそうだろう。なにせ私は、ルクルースではなく魔王テネブリスなのだから」

「はぁ……魔王の動向の調査だけじゃなく、チュウニビョウに関する情報も調べる必要があるわね」

「あぁ、そうだな。その件は頼むぜ、クラルス」

「えぇ、わかりました」



 * * *



 一足早く準備を終えていたテネブリスは、部屋に飾られている数々の武器を眺める。


 金色に染まった長剣ロングソード

 身の丈ほどもある三叉槍トライデント

 柄に宝石が埋め込まれた短剣ダガー


 聖剣を扱うにも関わらず、多種多様な武器を飾っているのは勇者だからというよりは、ルクルースの個人的な趣味が垣間見える。端の方にはもはや武器とも言えない謎のオブジェが飾られている。

 思わぬ所で勇者の趣味を知ったテネブリスは、ただ腕を組んで唸るのみだった。


(聖剣が使えないとなると……他に何か武器があった方がよいかもしれんな)


 ぐるっと部屋を見渡していると、部屋の隅に置かれているに目がついた。


 その剣はも鞘も、全てが黒かった。おそらくその刀身までも。

 この黒い剣が、魔族にとって忌むべき存在である事をテネブリスは知っていた。


(ほう……この剣……。今の私なら、存外扱えるやもしれぬ……フフ、フフフ……)


 テネブリスはおもむろに、黒に染まる剣を手に取る。そして確かめるようにゆっくりと刀身を露わにさせた。そこから現れたのはやはり、漆黒に染まる刀身であった。

 剣の正体を確信したテネブリスは、柄を強く握りしめ何もない空間を一振りする。


 やはりそうか、と唸るように呟いてからテネブリスは僅かに冷笑する。

 そして手に持った黒い剣と入れ替えるように、腰に収めていた聖剣をその場に投げ捨てた。

 ガランと音を立て、持ち主を失った聖剣が床に転がる。

 その勇者らしからぬ行動に、アルキュミー達は口を大きく開けて吃驚する。


「何を見ている? この剣は私が見つけたのだ、貴様らには渡さんぞ」

「違うわよ! 聖剣を捨ててそんな訳のわからない黒い剣を持ってくつもり!?」

「そうだが? 何か問題でも?」

「いや……勇者が聖剣を持たないのはちょっと……」


 困り果てたアルキュミーに、横からフェルムが口を挟んだ。


「……いや、待てアルキュミー。その剣は確か……そうだ! その剣は、退魔の剣……だったような…………」


 フェルムから剣の名が出たことに、テネブリスは少し感心する。


(ほう、まさかこの剣を知っているとはな……伊達に剣士を名乗ってはいないということか)


「退魔の……剣? それって……」

「いやぁ、記憶が定かじゃないんだが……確か魔族に対して切れ味が増すとかなんとか」

「えっ、そうなの!? そんな凄い剣を……」

「ふん……その場の状況に応じて戦う術を変えるのは当然。それは武器とて同じ事。つまり、勇者だからといって聖剣でしか戦わぬというのは愚かな事だ」


 テネブリスは腕を組みながら熱弁をふるう。

 その言葉に感銘を受けたアルキュミーとクラルスは感嘆の声をあげた。


「ルクルース、そういう事だったのね……!」

「さすがルクルースです……!」


 ふふん、と自慢げに鼻を大きくしたテネブリスは、肝心な事を言っていなかったのを思い出した。

 しかし、改めて言う必要はないと判断する。

 聖剣が使えない、という事など取るに足らぬ事だからだ。

 そう思いながらテネブリスは床に捨てられた聖剣を見つめた。



 * * *



 頭上に広がる雄大な空は、群青と黄昏の濃淡が入り混じっている。

 その景色を頭上に見上げながら、テネブリス達は宮殿から市内へと出る門までやって来た。


 そこへ着くやいなや、数人の兵士が駆けつける。

 すると持ってきた大量の積荷を、兵士達が馬車の荷台にテキパキと積み込み始めた。

 その兵士の中にはどこかで見た無精ひげの男がいる。その男はテネブリス達の顔色を窺うようにチラチラと視線を投げてきた。

 しかし対するテネブリス達は、特に気にも留める事無くただ作業を見守るばかりだ。


「クラルス、ここからウルグスまでどれくらいかかりそう?」

「そうですね……今から出立すると明朝には着くと思います」

「そう……こうしてる間にも被害は増えてるかもしれない。早く行かないと……」


 アルキュミーは焦る気持ちを抑えるように、唇をぎゅっと噛む。

 そんな彼女に、兵士が申し訳なさそうに声を掛けた。


「あの……用意が終わりましたが……」

「え? あ、あぁ、ありがとう。助かったわ。さぁ、早く行きましょう」


 覚悟を決めたような表情でアルキュミー達は馬車に乗り込んでいく。

 最後、一人になったテネブリスは馬車に乗り込む寸前に一人の兵士を見やり、立ち止まった。


「……ご苦労」


 その一言だけをポツリと告げ、テネブリスは颯爽と馬車へ乗り込んだ。

 無精ひげを生やしたその兵士は、白金に輝くその背中を見送る。


 馬のいななきと共に馬車が走り出すと、その場には兵士だけが取り残された。

 そして仕事を終えた兵士は、詰所へと戻っていく。

 夕暮れに染まる薄汚れた面構えは、どこか喜色をたたえていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る