凄惨たる魔王の黙示録〜目覚めると勇者になっていた魔王は、斯くして世界を救う。

第９話 王の謁見

　その通路には真っ赤な絨毯が敷かれてあった。

　所々に散りばめられた繊細な刺繍が華やかさを際立てている。

　床、柱、天井、白い大理石でできたその全てが、視界一面にまばゆい明るさを映していた。

　黄金でできた鎧人形。幻獣を模した大理石像。初代皇帝を象（かたど）った胸像。

　横目に入る壁際に等間隔に置かれた彫刻品の数々も、埃一つなく輝きを放っている。

　頭の中ではただの置物だと理解しているが、その高級感漂う佇まいにアルキュミー達は気圧されてしまいそうになる。

　しかしそんな中、我が物顔で堂々と歩く人物がいた。

　その人物は、歩く度に煌めく銀髪をふわりと揺らす。

　時折、前髪から覗かせる澄んだ蒼い瞳は、さながら宝石のようだ。

　丁寧に磨かれたばかりの白金の鎧に身を包んだその人物の名は、テネブリス。

　自信に満ちた表情を一切変える事なく、真っ赤に染まる絨毯を歩いていく。

　しばらく道なりに進んで行くと、豪華に装飾された扉が目に入った。

　その前には二名の近衛兵が、微動だにする事なく立っている。

　まるで扉を守るように立つその様が、この先に目的の人物がいる事を示していた。

　アルキュミーが身なりを気にしながら、入室の伺いを近衛兵に伝える。

「勇者ルクルースとその仲間、アルキュミー、フェルム、クラルス、以上四名。皇帝陛下へ謁見に参りました」

　その言葉に、近衛兵は黙って頷く。

　そして見事なまでにタイミングを揃えて、両扉が音もたてずゆっくりと開かれる。

　そこから見える光景は壮観だった。

　玉座まで続く燃え盛るような真っ赤な絨毯。それを挟むように、甲冑鎧（プレートアーマー）に身を包んだ帝国兵士団が腰に手を当て規則正しく整列している。

　側壁には色とりどりのタペストリーが飾られ、無機質な空間を鮮やかに彩っていた。

　目に映る荘厳な雰囲気の謁見の間。その最奥にある玉座に、皇帝らしき人物が鷹揚に座している。

　するとその人物は、渋くもどこか威厳のある声で入室を許可した。

「入るがよい」

　その言葉を合図にアルキュミー達は前へ進む。

　しかし何故か、既に前方を歩く人物がいる事に気付く。

　――勇者の姿をした人物（テネブリス）だ。

　歩幅を合わせようと、アルキュミー達は慌てて早歩きになる。するとあっという間に、玉座の下まで着いてしまった。

　アルキュミーは緊張と焦燥で、顔を上げられない。しかし皇帝陛下の眼前、失礼があってはならない。

　アルキュミー達は皇帝に対する敬意を表する為に、仰々しく跪いた。

　だがここで異変に気付く。

　そしてアルキュミーの美しく白い顔が、一気に青ざめる。

　隣にいるはずのテネブリスが跪いていないのだ。

　見上げると、悠然とした態度で腕を組み、仁王立ちまでしている。

　ハッとしたアルキュミーは、顔を引きつらせながらテネブリスに詰め寄った。

「ちょ、ちょっと！　いくら記憶がないからって礼儀まで忘れたの！？」

「ふん……相手が皇帝だろうが誰だろうが、私は魔王だ。何か問題でも？」

「なっっ！？　おい、ルクルース！　皇帝陛下に対してそんな口の聞き方……」

「よい」

　焦るフェルムとアルキュミーに対して、玉座から声が掛かる。

　そこには煌びやかな衣装を見に付けた白髪の初老が、テネブリス達を見下すかのように玉座に鎮座していた。その横には、側近であろう真っ白の全身鎧（フルプレート）を着た人物が静かに佇んでいる。

　皇帝――フェイエン＝ファン＝ラドノーアは、見事に蓄えた髭を指先でなぞりながら言葉を続けた。

「勇者ルクルース。魔王との戦いの後、記憶がないと聞いた。それは真（まこと）か？」

「確かに、勇者としての記憶は私にはない。しかし、それは私が魔王であるからだ」

「魔王……？」

「わざわざ名乗らねば分からないのか？　ふん、まぁよい……心して聞け。私こそが凄惨たる魔王、テネブリス＝ドゥクス＝グラヴィオールである」

　威風堂々たる態度で告げた声が、謁見の間に響く。

　それと同時に沈黙が訪れ、帝国兵士団が小剣（ショートソード）を構える金属音だけが耳に届く。

　皇帝陛下に対し、この勇者は何を言っているのか。

　帝国兵士団は命令とあらば、即座にその首を切る準備は出来ている。

　逆賊か、謀反か、それとも気が狂ったか。

　平然とした態度を崩さない勇者の姿をした人物に向ける視線は、どれも訝（いぶか）しいものだ。

　しばらく呆気に取られていたフェイエンは、目をぱちくりさせ言葉を詰まらせた。

　その様子を察したアルキュミーが、すかさず助け舟を出す。

「せ、僭越ながら申し上げます。現在、ルクルースは恐らく、チュウニビョウという遠い辺境に伝わる重い病を患っている可能性があります。この失礼極まりない言動もそのチュウニビョウが原因かと、神官クラルスと共に現在調査している次第でございます」

「ほう、チュウニビョウ……そんな病があるとは。この世には恐ろしい病もあるものだな……」

　アルキュミーの弁を受け、フェイエンは渋い表情で唸る。

　聞いた事のない病に首を傾げるが、いつもの勇者とはかけ離れた言動を思うと納得せざるを得ない。

「ふん、私がチュウニビョウであるかは別として、私が魔王であるというのは紛れもない事実だ。……そんな事はまあよい。それより皇帝よ、本題に入ろうではないか」

　一体どっちが王なのかわからない程の皇帝とテネブリスのやり取りに、フェルムは顔を地面に向けたまま呆れる。

　おそらくクラルスも同じような事を思ったのだろう。横目に見える美しい顔に苦笑いの表情を浮かべていた。

「……ごほんっ。そうだな。まずは先のオーガの討伐、ご苦労だった」

「いえ……当然の事をしたまでです」

「さて、ここからが本題だ。同盟国であるウルグスに魔族が現れたとの報せが入った。既に相当な被害が出ているとの話もある」

「ほう……」

「そこでお前達にはウルグスへ赴き、魔族の討伐を。そして……勇者との戦いの後、行方知れずとなった魔王テネブリスの情報を集めるのだ。今でこそ姿は見せておらんが、確実に討ち滅ぼしたとは言い難い。もし倒したのであれば、その証拠が必要だ」

　フェイエンが発した言葉に、テネブリスは目を細める。

（ほう……という事は、誰も私が死した姿を見ていないという事になる。つまり私の肉体がまだこの世界のどこかにある可能性も残っている訳だ。いずれにしろ、今の私が置かれている状況を調べるには、この依頼は受けるべきか）

　テネブリスが思考を巡らせている間にも、フェイエンは言葉を続ける。

「そして魔王が不在の今、魔族は恐らく統率する者がおらず混乱しているだろう。その隙を突き、我が帝国は魔族に攻勢を打って出るつもりである。その為には一刻も早い情報収集が必要だ」

「……！　はっ！」

　テネブリス以外の三人は、威勢のいい返事で了承の意を示した。

　しかし対するテネブリスは、目つきを鋭くさせ皇帝を睨みつける。それもそのはず、皇帝直々に宣戦布告をされたようなものだからだ。

　機嫌を損ねたテネブリスは、魔王を彷彿とさせる冷酷な声色で皮肉を浴びせる。

「打って出るとは思い切った事を……それではただの侵略ではないか。これではどちらが敵かわからんな」

「……何！？」

「ふん、気でも触れたか？　皇帝なのだろう？　たかが小言の一つや二つ、聞き流す度量もないのか？」

　もはや謁見とは言えぬ、物々しい雰囲気がこの場を支配していた。

　フェイエンの横で今まで黙って立ち尽くしていた全身鎧の人物が腰に収めていた剣に手をかけようとする。

　しかし、それをフェイエンが片手を上げて制止する。

「……よい。話しはそれだけだ。準備が整い次第、すぐに出立するがよい。必要な物があれば近衛兵に申せ。用意しておく」

「はっ、感謝します。それでは失礼致します」

　アルキュミー達は深く頭を下げ、足早に謁見の間から去っていった。

　――ただ一人、テネブリスだけは変わらず堂々たる足取りだった。

　＊　＊　＊

　静まり返った謁見の間。

　帝国兵士団は全員退室し、この場に残っているのは玉座に座るフェイエンと、その横で直立を崩さない全身鎧（フルプレート）の人物だけだ。

　既に誰もいない赤い絨毯に視線をやり、フェイエンは小声で呟いた。

「いくら記憶が無いとて、全く無礼なものだ。果たして本当に勇者ルクルースなのだろうか…………」

「……それは、どうでしょう」

「お前はどう見る？　シーベンよ」

　皇帝から意見を求められた全身鎧（フルプレート）の人物――シーベンは、兜（ヘルム）越しに低い声で答える。

「姿は間違いなく勇者そのものでしたが……雰囲気はどこか違ったように感じました」

「……そうか」

「どうするおつもりで？」

「何もせんよ……今はな」

「……左様でございますか」

「もう外してよい。帝国兵士団長としての仕事もまだ残っているだろう」

「はっ」

　その場で深く一礼をし、鎧が擦れる音を鳴らしながらシーベンはこの場を去る。

　そして、謁見室に一人残ったフェイエンは独り言のように呟く。

「……しばらく監視を頼んだぞ」

「……御意」

　誰もいないであろうはずの室内から、男の声で返答が聞こえる。

　その声を聞き、フェイエンは玉座を後にした。