第35話


         ※


 女の子と手を繋いで歩くなんて、一体何年ぶりだろう。まあ、かつての相手も愛奈であったことは変わりない。僕の交友関係は狭かったから。

 車道を走る自動車も、歩道沿いの桜並木も、小川を越えるための短い橋も、存在は認識できるけれど、特に意識はしない。いや、できない。


 それだけ、『手を繋いで歩く』ことの意味合いは重要で、昔とは大きく異なっていた。

 幼少期はじゃれあっているだけだったかもしれないが、今は――この世に二人といない、大切な人の手を握っているのだ。


 僕たちは学校を出てから、ずっと手を繋いでいた。その背景に僕の『不安』があったことは否めない。しかし、僕は背水の陣で臨む覚悟だった。

 父を説得し、家庭を振り返るように考え直させ、母と復縁させる。


 母は僕が勝手に会いに行っても、嫌な顔せず迎えてくれるし、父も放任主義的とはいえ、僕を大事にしてくれていることは分かっている。二人の接点は、やはりこの『僕』なのだ。


「それじゃあ、優孝はこれからお父さんと相談するんだね?」

「相談じゃない。交渉と説得」

「まあ、何でもいいけど、気張らないでね。自分の人生を幸せにするのは、ただいい子ちゃんぶってるだけの人じゃない。多少反抗してでも、自分の希望を言葉にできる。そんな勇気ある人なんだ」


 そう言って、愛奈は僕の手を一際強く握りしめた。


「明日の朝さ、優孝のこと、迎えに来てもいい?」

「もちろん。是非頼むよ」


 すると愛奈は、空いている片方の手を口元に遣りながら一言。


「そういう馬鹿みたいに素直なところ、あたしは好きだよ」

「やっと言ってくれたね、僕のことが好き、って」

「あっ」


 さっと赤面し、しかし反論のしようもなく俯く愛奈。正直、こんなに可愛らしい存在がいていいのかと、ロクに信じてもいない神様に問いかけたくなった。


 するとちょうど、僕たちは僕の家の前に到着したところだった。


「じゃあね、優孝。少しは頑張りなよ?」

「もちろん。僕にだって、一生添い遂げたい人ができたんだ。ベストを尽くすよ」

「むぐっ!」

「ど、どしたの愛奈? 突然首を押さえて……」

「い、いや……。やっぱりあんたの空気を読めないところ、完全には治ってないんだなあと思って」

「そう?」


 愛奈は首を縦に振りながら、それでも笑顔を作ってみせた。


「あたし、応援してるからね」


 そう言って微笑む愛奈。その瞳に吸い込まれそうになりながらも、僕は大きく頷いた。


「それじゃあ、明日の朝に」

「うん。何時になるか、後であたしから連絡するから」


 僕たちは互いに頷き合って、その場で別れた。

 僕はそっと、愛奈が握ってくれていた手を見つめる。


「……よし」


 そして、家の玄関前に立った。ドアノブに触れる。確かに、鍵は開いていた。

 ゆっくりと引き開け、『ただいま』と一言。


「おう、優孝。おかえり。しばらく家を空けてしまってすまなかっ――」

「父さん」

「ん? どうした、血相を変えて」

「大事な話があるんだ」


 そう。これは僕が、僕一人で立ち向かわなければならない問題なのだ。

 僕はもう一度、愛奈と繋いでいた自分の左手をぎゅっと握りしめた。


 そうだ。立ち向かうのは僕一人かもしれない。でも、応援席には愛奈がいる。秀平も凛々子も、ハネコだっている。僕は、独りぼっちじゃない。


「父さん、あのさ、母さんのことなんだけど――」


 片峰優孝、十五歳。人生史上最も重要な交渉が、今幕を開けた。


 THE END

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

She Loves You...Absolutely 岩井喬 @i1g37310

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ