動物園にて、ハンターと老黒獅子

佐波尾

動物園にて、ハンターと老黒獅子

 ジャパリパーク、カントーエリアのセントラル前駅周辺は、各エリアへのツアーに向かうバスの停留所や、ジャパリランドと呼ばれる世界最大の遊園地などに通ずるルートが山ほどある。プラットホームからエスカレーターで改札口に向かうと、この不思議な島を満喫しようとやって来た、夥しい数の観光客がごった返しており、出口に向かうのも一苦労だ。

 そのハンター、自身がフレンズだと気づかれないように、ドラゴンのような鱗のついた大きな尻尾を消したり、縦長瞳孔の琥珀色の鋭い瞳を隠すために、サングラスを着用するも、なにぶん長身で深緑の髪を持ち、そして衣服の上からも見てとれるほど筋骨隆々であるが故に、衆目を集めるのは避けようのないことだった。

 なんとかして駅を出て、動物園に向かうバスの停留所に着き、程々の行列ができている最後尾に立ったが、前にいる観光客たちは彼女の姿を見るやいなや、顔をすぐさま前に向き、こちらを見る者は一人もいない。しかし、彼女にとってそれは慣れた光景であり、この恵まれた強靭な肉体と生来の威圧感がゆえ仕方あるまいと諦めていたので、特段気にする素振りを見せずに、バスが来るのを待っている間、外部から取り寄せた恋愛小説を大きなリュックから取り出し、昨晩まで読み進めていたところを開き、周囲のことなど忘れ、読書に耽る。

 彼女はこんな外見ではあるが、心は案外乙女であり、趣味は料理と読書で、本当は積極的に体を動かすことを好まない異色のハンターなのだが、その巨躯に加え、寡黙で控えめな性格が災いし、いつの間にかフレンズたちからは最強・最恐・最凶の称号を冠されてしまい、旧友やハンターの後輩を除けば、彼女に近づこうとする者は減ってしまった。しょんぼりとしながら、いつしか自分にもこの恋愛小説の主人公のような、甘酸っぱい恋ができるのだろうかと悶々するが、まずフレンズには恋愛や結婚など認められていないことに気づいて落胆する。

 停留所についてから5分ほどが経つとバスが到着し、列が前へと進んで中に入り、天井に当たらぬように少し背中を丸めるが、この姿勢は辛く、毎度ながら長身は大変だと心で嘆きバスは出発、10分ほど人工物がまったくない大平原を進んでいき、巨大な壁に囲まれた動物園の入園ゲートにたどり着き降りて、券売所にて料金を払ってチケットを買うが、パンフレットは受け取らず、そのまま中へと進んで行った。

 何故かというと、この動物園ができてから20年、いやその前身である動物保護施設ができた25年前からずっと、彼女は月に1回は必ず訪れるようにしているので、広大な動物園でありながら、ありとあらゆる情報は頭の中に入っており、ほとんどの飼育員や獣医とも顔馴染みであるほど、ここが親しみのある場所だからだ。

 さあ、どうしてフレンズでハンターである彼女が、動物園にやって来たか。

 それは単に珍しい動物たちを見物したいがためではない。

 まず、動物園というものはフレンズとは相容れない空間であり、フレンズたちがそこに展示されている動物たちの姿を見ると、自身の存在に疑問を抱くようになるのが普通で、アイデンティティの揺らぎといったものが発生し不安に陥るため、ほとんどの者が訪れやしないし、実際、彼女以外にフレンズの姿は見えない。だが、彼女はもうそのような心配もないほどにフレンズとして長く生き、今年で30を迎え、フレンズの中では最高齢であり、この島にパークができる前、島に人間が来る前からフレンズだったのだ。既に自身が獣、人間、フレンズなど疑問を抱くことなどバカバカしいと感じ、急速に発展し人間社会のようになっていくパークを受け入れ、楽しみ、フレンズたちや人々が平和に暮らせるように、脅威を徹底的に排除する、暗躍の存在として生きると誓っていた。

 

 だが、時として、昔を偲びたくなることもある。

 

 かつて何もなかった自然で友たちとともに駆け回ったこと、まだ自身を獣だと思って川の中に棲んでいたこと、謎が多かった島を調査隊の者たちとともに探検したこと……ここに来ると童心に帰り、数々の思い出が蘇ってくるのだ。

 

 ――――そして、亡くなった友たちのことも。

 

 彼女の行き先は決まっており、巨大な園内をすいすいと進んでいき、猫科エリアに入っていくと、ベンチで休憩中の中年飼育員の男が彼女に気づき、座ったまま会釈して、手で隣に座るように促した。


「〇〇さん、最近よくお目にかかりますなぁ、今月でもう5回目ですよ。まあ、そりゃあそうですよね……」

 

 男は缶コーヒーを飲みながら、どこか寂しそうな様子で呟く。


「ええ、もう長くないと思うので……できれば最後くらいはと……」

 

 彼女も俯いて、小声で囁くように言う。

 二人の視線は正面、ガラスの先に注がれていた。


 そこに居るのは、一頭の黒い獅子であるが、非常に老いており、もう自力で動く体力も殆ど残されておらず、保って1ヶ月、早ければ1週間以内にでも亡くなってしまいそうなほどだった。この老獅子は世界最高齢の29才相当のオスであり、メスと結ばれ、多くの子宝に恵まれ、その子たちも孫を生んで一群の帝王として君臨し、以前まではサファリゾーンでは群れを率いて雄々しく大地を闊歩していたが、さすがに老いが積もり、群れに付いて行くのがやっとになり、とうとう群れから引き離されてしまい、動物園のライオンたちが暮らす大きな展示場で保護されることになった。5年前までは大老の如く、同じスペースにいる若い衆、とりわけ幼子の面倒を見ていたが、いよいよそれすらもやる体力がなくなり、一日の大半をその場で眠るように過ごし、餌の時間になったときだけ、衰えて縮こまった身体を持ち上げ、のそのそと歩く。今も、観光客の一人が餌やり体験で、ガラスににくり抜かれた小さな穴から、飛んで肉を挟んで老獅子に渡し、彼女は仕方なさそうに起き上がると、弱々しくそれを牙で柔らかく掴んで引っ張り、緩慢とした動きで食べ始める。

 

 まったく覇気がなく、獅子としては死んだ同然であったが、その瞳には暖かさが籠もっているように、ハンターには見えた。


「幸せに生きた、そんな顔をしているように見えます……」


「ええ、そう言ってくれるように、私たちはこれまで彼女のサポートをしてきたのですから。まあ、それでもほとんどは、フレンズの頃と変わらない王者のような逞しさが、獣に戻っても健在していたおかげですがね」


 その老獅子、かつてはフレンズであり、ハンターの友であった。

 彼女は当時から大人しかったハンターとは異なり、何事にも怯まず、フレンズのみならず調査隊員たちまでも引っ張る、リーダー的な存在であり、ハンターにとっては憧れだったが、あの日に彼女は居なくなった。

 ほとんどのフレンズや人は知らないことだが、25年前に大量のセルリアンが襲来し、島中を覆って多くのフレンズたちが犠牲になることになった出来事があり、獅子も皆を救うべく勇猛果敢、孤軍奮闘で戦い続けた結果、散華する。

 その後、獣に戻ったフレンズたちは一時的に収容されることになったのが、動物保護施設。そしてパーク開園に伴い、動物園へと姿を変貌させ、絶滅種や絶滅危惧種、その他希少な種類の動物たちを見られると謳い、当時の仲間たちが狭いスペースの中に閉じ込められるのを、なんと残酷なことかと彼女は思っていた。

 しかし、パーク開園から月日が経つにつれて、未熟だったハンターにも様々な知識が身についていき、パークの者たちが彼女たちのために尽力し、少しでも状況を良くしようと様々な開発がなされていることをハンターは知っていき、おかげで動物としての生涯を全うし、安らかに旅立つ旧友たちを何人も見てきて、次第に人間に対する感謝の念が生まれてきた。

 

 今ではここに残る友は、視線の先にいる老獅子だけであり、彼女が亡くなれば……


「あっ」


老獅子は目を閉じ、ぐったりと倒れた。

まったく動く様子はない。


「ああ、眠った……ような感じではありませんね」


 飼育員は動じずにペットボトルの中身を空になるまで飲み干し、

 力いっぱいに握りつぶす。

 ハンターはすぐさま全速力で飛び出し、ガラスの前までやってきて老獅子の様態を確かめると、彼女は何とか立ち上がりこちらの方を凝視し、ハンターも何も言わずに隠していた尻尾を出現させ、サングラスを外し琥珀色の瞳を顕にする。沈黙の時間が数秒、数十秒続き、周囲にいた観光客たちは、急に現れた巨体のフレンズに驚愕し、焦ったような表情をしたまま声も発さず、逃げるように遠ざかってしまったが、むしろ彼女たちにとっては好都合であり、おかげでハンターと老獅子は二人っきりになった。彼女たちは微動だにせずに、ただ、互いを見つめるだけで、傍から見れば奇妙な光景であるが、それが彼女たちの最後のやり取りでなのである。

 ベンチからその様子を眺めていた飼育員は、全てを察したかのように微笑み、空になったペットボトルをゴミ箱にバスケの如くシュートし外れるも、清掃中のラッキービーストが堕ちる寸前に見事キャッチすると、今宵は満点の星空が見られるであろうと予想した。

 それから二人は3分間も見つめ合い、終わりが訪れる。

 老獅子は眠るように目を閉じ、足は立つ力を左右前後にゆらりゆらりとしてから、丸くなるように伏すと、もう二度と動くことはなかった。それを確認して、ハンターはベンチのところまで戻ってきたが、目には涙を浮かべており、尻尾は萎れた花のように垂れている。


「彼女とは最後どんなことを話したんですか?」


男は訊くと、彼女は少し黙ってから呟く。


「……あなたの意思は私が受け継いだから、

 もう心配しないでみんなと一緒に見ててね……って」


「そうですか……どうします?このまま見ていきますか?」


「いえ……やらなければいけないことがあるので」


「うん、頑張って。あとは私たちにお任せください」


「ありがとうございます……じゃあ、行ってきます」


 ハンターは尻尾を消し、サングラスを掛け、足早に動物園を出ていくのだった。

 

 


 

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動物園にて、ハンターと老黒獅子 佐波尾 @sabao0428

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