もう一つのエピローグ いつかの日に

「勇者様、ありがとうございます」

「魔物を倒してくださり、とても助かりました」

「このご恩は忘れません!」


 どこの街や村へ行っても、そうやって大袈裟なほど感謝された。

 魔物の中には強い奴もいたし、怪我をすることだってあった。けれど死ぬような傷を負うことはなかったし、怪我をしても聖女が治してくれるという安心感もあった。

「なんか、大したことない魔物だったのにすごい歓待よね」

「今回のとか、全然強くなかったもんね」

 一緒に魔王討伐の旅をしている聖女や賢者が、移動する度に受ける高待遇に対してそう呟いた。

 最初は、当たり前だと思っていた。チヤホヤされて普通に調子に乗っていたのだと今なら思う。勇者である俺も、みんなも。

 けれどどこに行っても、大袈裟なほどの感謝は変わらなかった。

 どこに行ってもの中には、裕福ではない村も含まれる。

 作物が魔物の被害にあって、今日食べるものにも困っている村もあった。大人より優遇されて食べ物をもらっているという子供でさえ、一日の食事の回数は一度きりという状況がしばらく続いているような場所だった。

 厄介な魔物を倒したことで数日後には支援物資が国から届くだろうとは言ってはいたけれど、細々とどうにか食い繋いできた村に残った僅かな食料のほとんどを、笑顔で俺たちに差し出していた。親を魔物に殺されたという子供も、子供を魔物に殺されたという親も何人もいて、みんな泣きながらお礼を伝えてきた。

 みんな痩せていて顔色も悪いのに、食料を差し出してもてなすのは当たり前だとは、流石に誰も思えなかった。そのあたりから俺も含めて、みんなの意識は変わってきたと思う。その時には魔王討伐とは関係ない、食べられる、俺たちにとっては弱い魔物を狩って村人へと渡した。それでまた大袈裟に感謝されてしまったけれど。

 これまでゲームをしているような、遊び気分で旅をしている気持ちでいた。

 けれど実際に、魔物によって人は殺されている。俺たちにとっては弱くても、村人にとってはそうではなかったのだから。

 いくら日本にいた頃では有り得ないくらいに軽々と剣で戦えたって、俺は俺で、この異世界でのこともどうしようもなく現実だったことに気が付くと、急に怖くなった。


 勇者である俺でさえ、怪我をする。

 魔物がいる世界で育った人たちや、冒険者、騎士だって怪我をするし、死ぬことだってある。

 それなら、無能だったら?

「…………壱弦」

 随分久しぶりにその名前を口にした。

 あいつは、どうなったんだろうか。死んでしまったのだろうか。右も左もわからない異世界に、たった一人で放り出されて。

 戦う術なんてない。勇者である俺だって、召喚された国でそれなりに練習してから旅立っても、怪我はしている。喧嘩さえしたことのない壱弦が戦えるはずもない。

「…………」

 謝って済むようなことじゃない。謝る相手もここにはいない。

 どうして、あんなことをしていたんだろうか。


 子供の頃、家が近所だったからたまたま知り合って、よく遊ぶようになった。

 月立壱弦。幼なじみ、という関係性になるだろう。少しどんくさくて、ぼんやりしていて、いつもへらへら笑っていて、真っ直ぐな目で俺の後をくっついて歩いてくる奴だった。

 仲は良かった。思い返せば恥でしかないけど、俺は昔からガキ大将みたいな嫌な奴だった。そんな俺を相手に壱弦は何でかいつもよく笑って、一緒に遊んでくれたから。

 小学生になってしばらくも、そうしてよく遊んでいた。

 けれどその頃うちの両親がずっと喧嘩をしていて、離婚をするだのしないだの、そんな話をいつもしていて。子供心にそれは他の家の人には言ってはいけないことだと思って、壱弦にも言ってはいない。良い子にしていればいつか終わる。あの頃みたいに仲良しの両親になる。きっとそうなるとどうにか思い込んで、それを忘れるように勉強もしたし、外でもよく遊んだ。

 『月立さんとこの子みたいな、良い子だったら良かったのに』

 両親の喧嘩の最中、そんな言葉を聞いた。

 その言葉を聞いた時、俺は壱弦が許せないと思った。……見当違いな怒りだ。壱弦は何も悪くないし、言ったのは両親だ。

 結局両親は離婚しなかったし、俺にそれを聞かれていたことも知らないまま、ずっとしこりが残った状態で年月が過ぎることになった。

 そして俺はあの見当違いな怒りを抱いたすぐ後、それを迷うことなく壱弦へとぶつけてしまった。壱弦はわけがわからない、と思っただろう。昨日まであんなに仲良く遊んでいたのに、急に怒って睨んでくるのだから。

 きょとんとした壱弦の幼い顔を、今でも忘れられないでいる。

 馬鹿な俺はそのまま何年も何年も、引っ込みがつかなくなったこともあって、壱弦をいないもののように扱ったし、思い出したように時々ちょっかいを出して壱弦が一人きりでいる姿を見ては自尊心を満たしていた。

 本当に、最低な奴だ。

 壱弦は何も言わなくなったし、怒らなかった。時が経つにつれて子供の頃のように笑わなくなった。無表情でいるからといって、傷付いていないはずがないのに。

 そんな簡単なことにも気付けずにいた、だから俺は馬鹿なんだ。


 魔王を倒したら、壱弦を探しに行こう。無事がどうかわからなくても、どれほど時間が掛かっても。

 いつしかそう思うようになった。

 出来るだけ多くの魔物を倒して、そうして戦っていくうちに、ついに魔王も倒した。

 俺たちを召喚したあの国に戻ったら関係者に話を聞いて、どうにか探そう。

 けれど体が光って、薄れていく。

 元の世界へ帰ろうとしているのだと、感じる。もう役目は果たしたとでもいうように。

 まだ壱弦を探していないのに……——。











 ……天井、だ。白い。自分の部屋じゃない。

 そう思って頭を動かすと、そこはどうやら病院のベッドのようだった。左足にギプスがあるし、動かそうとすると痛いから、怪我をしているのだろうと思った。

 そうだ、修学旅行。その飛行機の中だった。

 急に揺れがひどくなって、それから……思い出そうとすると頭痛がする。

「……壱弦……?」

 飛行機の事故、だと思う。そのことを考えると、浮かんでくるのは血まみれの壱弦の姿だった。

「俺を、庇った……?」

 じわじわと思い出す。

 事故の直前、俺は壱弦に絡んでいた。先生が後方の生徒の様子を見に行っている間にいつものように悪口を言い、何も言わずに俯く姿ににやにや笑って。それなのに、伸ばされた両手は迷うことなく。

「なんで、俺を……」

 襲ってきたのは、夥しいほどの後悔だった。




 俺は片足の骨折が最も大きな怪我で、あとは大したことはなかった。

 頭や内臓も問題ないか色々検査する為に入院はしたけど、骨折と擦り傷だけだった。

 幸いにもあの飛行機の事故で、死者は出ていない。

 クラスメイトの中にはまだ意識を取り戻さない人はいる。けれど命に別状はなく、そのうちに目覚めるだろうとみんな言われたそうだ。勿論きちんと目を覚ますまでは、しっかり無事だとは言えないけれど。

 壱弦とは事故の後、会っていない。

 俺を庇ったせいで怪我が酷かったらしい壱弦は、ずっと面会謝絶になっていた。

 その後いつの間にか退院していて、そしてそのまま学校を辞めていた。先生が言うには、海外に行くことにしたそうだとか。

 そうやって、時間は過ぎていった。




「あら……?」

 大学の長期休みに帰省をしていたら、街中でそう声が聞こえた。聞き覚えのある声のような気がして振り返る。

 そこにいたのは小柄で、人の良さそうな女性。見覚えのある顔立ちだった。

「…………壱弦、の、お母さん……ですか?」

「まあまあ、やっぱり!小さく頃よく遊んでくれていたわよね」

 記憶の中より随分年を重ねている。当たり前か。顔を合わせたのなんて、もう随分前のことだから。

 母子だからやっぱり、壱弦と似ている。

「今、大学生?」

「はい。休みの間、実家に帰ってきていて……」

「そうなのね。壱弦もね、ちょうど今帰ってきているのよ〜」

「そう、なんですか?」

「ええ」

 にっこりと柔らかい笑顔で、壱弦のお母さんは笑った。

 そうか、壱弦は今この街にいるのか。

 でも俺は、壱弦にずっとひどいことをしてきた。その事実はどれほどの時間が経っても変わることはない。

 なんて言葉を返したらいいのか、わからなかった。

「可愛いお嫁さんも連れてきていてねえ」

「えっ……結婚、したんですか?」

「そうなのよ!しかもものすごい美人で!日本語はね、勉強しているんだけどすごく上手に話すのよ」

「……そうなんですね」

 たくさん、考えた。あの事故の後から、自分がしてきたことに関して。

 壱弦が今幸せに過ごしているからといって、自分のしたことが許されるわけじゃない。

 ああ、でも、幸せに過ごしてくれているのなら良かった。

「会っていく?」

 やさしく、問い掛ける声。

 壱弦のお母さんはきっと、俺がしてきたことを少なからず知っているのだろう。

「……いえ。元気なら、それで。もし良かったら、おめでとうって伝えてください」

 そう話して、会いに行くことはしないで別れた。

 謝ったところで、壱弦にとってはどうにもならない。謝ることで俺の罪悪感がほんの少し軽くなるだけだ。

 それなら直接謝りに行くことは、きっとない方が良いのだろう。

 くすぶったままのこの痛みを、後悔を、俺は忘れない。






 あの飛行機の事故の後、順次みんな目を覚まし回復して退院した。ただ、中々意識が戻らないクラスメイトもいた。

 それでも一年も経てば、一人を残して意識を取り戻した。

 その目を覚さない最後の一人は眠っているだけのように見えていて、今にも目を覚ますのではないかと思うのに中々目覚めなかった。そして事故からおよそ四年後にようやく意識を取り戻した。

 その人が今目の前にいる、女の子。三坂柚だ。彼女が目覚めてから一ヶ月経った今、病室で面会させてもらっている。

 ずっと眠っていた三坂さんが体を起こしてベッドに座っていること、きちんと目が合うこと、そのことに感動する。ちゃんと動いているのだと。

 お見舞いの時に三坂さんのご両親ともよく顔を合わせていたから、良かったなと思った。

「あのね、お母さんからよくお見舞いに来てくれていたって聞いたの。ありがとう」

「いや、心配だったから。目覚めて良かったよ。三坂さんで最後だったから」

「ふふ、四年も寝ていたなんて今でも信じられないなあ」

 くすくすと楽しげに笑う。

 三坂さんはクラスの中で、随分大人しい方だったと思う。きちんと話したこともなかったし、印象も薄かった。こんな風に人懐っこく話して笑ったことに、少し驚く。

「長い夢を見ていた気がするんだけど、全然思い出せないなあ。残念」

「それは随分、壮大な夢だったんだろうね」

 目が覚めて四年も経っていたら、もっと動揺したり悲観したりしないだろうかとも思ったけれど。そうではなく、受け入れて笑っているようで何よりだった。

「……ねえ。どうして、お見舞いに来てくれていたの?その、事故の前も特に話したこともなかったし……」

「三坂さんだけじゃないよ。入院したり、あとは中々目覚めなかったクラスメイトのところには行ってた。三坂さんは、とびきり長かったけど」

 特に深い理由があるわけじゃなかった。

 俺は比較的軽傷だったから、みんなのところへ行って様子を見たり話し掛けたりしただけだ。片足の骨折だったから、入院していた時もわりと自由に歩き回れたし。

 壱弦のところには、最後まで行けなかったけれど。

「何だか変わったね?前は結構、怖い感じの人かなって思っていたから」

「まあ、四年も経てばね。三坂さんは明るくなった?」

「うん。かな?四年も、楽しい夢を見ていたからかな」

 リハビリは必要だけど、三坂さんはとても元気そうで安心した。


 三坂さんは無事に目を覚ました。けれど三坂さんの『また来てね』という言葉に感化されて、意識を取り戻してからもお見舞いへと通っている。

 リハビリを終えて退院してからも、ご両親と顔馴染みになったこともあって普通に家へと案内されて、今度はそっちに通うことになった。

 三坂さんは大人しいと思っていたけど、何というか危なっかしい人で、とても手が掛かる。精神年齢的には確かに四歳下になるのかもしれないけど、そういう問題でもない気がする。

 いつの間にか三坂さんの友人の遠野さんに『柚専用お世話係』と称され、そうやって退院した後もずるずると関係性は引きのばされていったのだった。遠野さんとも三坂さんが眠っている間、時々顔を合わせていたから、当たり前のように一緒にいるようになった。

 とはいえ、大学の長期休みでない時には中々来れなかったけれど。

 そうしたらそれはそれで、交換した連絡先から毎日取り留めのない内容の電話やメールが来る。ご飯が美味しいだとか、空が綺麗だとか、色々な写真と一緒に。


「うーん……」

「どうした、難しい顔して」

 三坂さんは今、受験勉強中だ。

 退院してからは高校に通いだしたから、大学受験の勉強だ。それの手伝いをしている。

 遠野さんは頭は悪くはなかったけれど、教える能力は絶望的だった。その為、俺に白羽の矢がたったのだ。三坂さんの志望大学は学部は違うけど、同じ大学だったこともあって。

「難しい……むり……」

 勉強している場所が三坂さんにとって自分の部屋ということもあって、だらけている。

 二時間くらい集中していたから、気力がなくなるのも無理はない。

「少し休憩しよう。その方が効率も良いし」

 実際、三坂さんは努力家だった。

 元々成績は悪い方ではなかったようだし、本人としては寝て起きたら四年経っていた感覚だから学力も落ちているわけでもない。十分合格範囲圏内だ。とはいえ、不安なものは不安だろう。

「……大学、受かったらわたしの願いごと聞いてくれる?」

 どうやら随分弱気のようだ。

「今更だな。ずっと面倒を見ていたと思っていたけど」

 細々とした願いごとは山ほど聞いてきた。

 勉強を教えてだとか、猫カフェについてきてだとか、限定お菓子入手の為の頭数に入れられたりだとか。こうして考えると、三坂さんは全然大人しくないな。思わず笑ってしまう。

「そうよね。じゃあ合格したら、あなたの家に住ませて」

「…………はい?」

「同棲というやつです」

 何故敬語。いや、そうではなくて。内容がうまく飲み込めずに呆けていると、三坂さんは居心地が悪そうに俯いた。さらりと流れた黒髪の隙間からのぞく耳が、真っ赤に染まっている。

「……俺で良いの?性格、悪いよ。知ってると思うけど」

 高校の、あの飛行機事故の前のこと。同じクラスだったから、話したことはなくても当然知っているだろう。俺がしてきたことを。

「うん。わたしだって、見ないふり、したよ」

 三坂さんは震える手で俺の服を掴んだ。

「あなたが良いの」

「趣味が悪いよ。三坂さん、折角可愛いのに」

 こんな奴じゃなくても、きっともっと良い人がたくさんいるのに。それでも俺が良いと言ってくれたことに、嬉しくなる。

「……ありがとう」

 そんな月並みな言葉しか出てこなかった。それだけで胸がいっぱいになって。

 山ほどの後悔も、そのままずっとここにある。

 それでも俺は三坂さんの言葉がどうしようもなく嬉しくて、だからこそ変わらない過去に痛みがやまない。

 間違えずにいられたら良かった。誠実でいられたら良かった。自分の大切な人にあんな理不尽な怒りをぶつけられたら、とても痛くて悲しいのに。

 だから俺は忘れない。自分のしたことも、すべてがあって今の俺だから。

 もう会うことはないかもしれなくても、俺が傷付けた幼なじみに恥じないようにいたい。もしも、もしもいつか奇跡的に会えたら、せめて真っ直ぐに目を見れるように。



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