― 真名 ―

ブリル・バーナード

うしろのしょうめんだぁ~れ?

 


 夕暮れの公園。幼い頃の私の周りを友達がグルグルと回っている。楽しげに歌いながら。



『かーごめ かーごめ かーごのなーかの とーりは』


『いついつでやーる』


『よあけのばんに』


『つーるとかーめがすーべった』


『うしろのしょうめんだぁ~れ?』



 私は背後に立った友達の名前を予想して言い、勢いよく後ろを振り向いた。



 △▽▽△



「―――はっ!?」


 私、春崎はるさきはなは飛び起きた。目の前に広がるのは夕暮れの公園ではなく、朝の日差しが眩しい自分の部屋。

 お母さんがカーテンを開けに来たのだろう。直射日光が網膜に突き刺さる。

 うぅ……眩しい。


「はぁ……夢か。またあの夢。ここ最近いつもいつも同じ」


 小さい頃の記憶。『かごめかごめ』で遊んでいた懐かしい過去。

 いつも同じ夢で、いつも同じ場所で目が覚める。

 歌を歌い終わって、私が名前を言い、振り向くところ。


「思い出せない……後ろに居たのは誰だろう? 私は誰の名前を呼んだの?」


 遊んでいたのは確か三人。胡桃くるみちゃんと彩夏あやかちゃんとあともう一人は……?

 全然思い出せない。誰だったっけ?

 ベッドの上で、う~ん、と悩んでいると、突然、部屋のドアが開いた。お母さんだ。


「花! いつまで寝てるの! 遅刻するよ!」

「えっ……? ふぎゃっ!?」


 時計を確認し、針があり得ない角度を示していることを二度確認した私は、尻尾を踏まれた猫のような悲鳴を上げてベッドから飛び降りた。

 ヤバい! ヤバいヤバいヤバい! 遅刻するぅ~!

 私は慌ててパジャマを脱ぎ捨て、高校の制服を引っ掴んだ。



 △▽△▽



 ガヤガヤと賑わう朝の教室。

 疲れた。何とか間に合った。朝の全力疾走はキツイ。ぐはぁ……。

 あぁ。急いでたから下着の上下一緒じゃなかったなぁ。まあいいか。見せる人いないし。


「おっす。朝から疲れてるなぁ! 今日も寝坊で全力疾走か?」


 机に突っ伏していると、元気な声が頭上から降ってきた。


「うぅ……そうなの、胡桃ちゃぁ~ん! 家代わってぇ~」

「やだ! 学校に近いっていいよ~。徒歩三分。めっちゃラク!」

「う゛ら゛や゛ま゛じ い゛」


 彼女は私の幼馴染の矢車やぐるま胡桃ちゃん。サバサバした性格で、いつも元気で明るい。

 この高校の目と鼻の先に住む羨ましい人でもある。ぜひ養って欲しい。


「……花。最近どうしたの? 寝坊が多い」


 怠そうにぼんやりと目が半開きの小柄な女の子がいつの間にか私の隣に立っていた。

 天道てんどう彩夏ちゃん。私のもう一人の幼馴染。


「おっは。彩夏ちゃん。最近ちょっと夢が悪くてね」


 でも、あの夢を見始めてから寝た気がしない。

 ちゃんと毎日寝ているはずなのに睡眠不足中。

 浅い眠りを繰り返しているのかな? ふぁ~あ。ねむねむ……。

 欠伸の途中で、ガチっと両肩を痛いくらいに捕まれた。


「……詳しく教えて! 夢は何かの予兆。気になる!」

「出た出た。彩夏のオカルト好き」

「あわわわ! 近い近い近い! 彩夏ちゃん顔近い!」


 その時、スピーカーからチャイムの音が鳴り、担任の先生が教室に入ってきた。


「先生来たよ! 休み時間にちゃんと話すから!」

「……むぅ。絶対。約束」

「ほらほら彩夏、着席するぞ~」

「……絶対の絶対!」


 小柄な彩夏ちゃんが胡桃ちゃんに引きずられていった。

 親猫に首根っこを咥えられて運ばれていく姿を連想。ちょっと癒された。

 今日の連絡をダラダラと喋る先生の言葉を聞き流す。

 眠くて頭が重い。脳が働かない。眠くて眠くてたまらない。欠伸も止まらない。

 あっ……視界がぼやけてきた。だんだんと暗くなっていく……。


 ―――私の意識はそこで途切れた。



 △▽△▽



 夕暮れの公園。三人の友達が私のグルグルと回っている。



『かーごめ かーごめ かーごのなーかの とーりは』


『いついつでやーる』


『よあけのばんに』


『つーるとかーめがすーべった』


『うしろのしょうめんだぁ~れ?』



 誰だろう? 私の後ろにいるのは誰なんだろう?


 三人目の彼女のはず。でも、名前が思い出せない。あれっ……顔も思い出せない?



『ねぇ……名前……』



 背後から声がした。可愛らしい女の子の声。でも、消えそうな儚い声。



『ねぇ……私の名前は……? 私はだぁれでしょう……?』


「貴女の名前は……」



 全然思い出せず、モヤモヤする。あまりにもどかしくて、私は振り返ってしまった。


 そして私は見た。


 白いワンピースを着たその少女を。懐かしいその少女の顔を。



 ―――そして何故か、ペンでぐちゃぐちゃと塗りつぶしたように、その顔だけが認識できなかった。



 △▽△▽



「―――誰っ!?」


 ハッと目覚めた私は、勢いよく立ち上がった。ガタンと椅子が後ろへと飛び出し、後ろの席の机にぶつかって音を立てる。


「ビックリしたぁ! 誰って、あたしだけど?」

「えっ?」


 目の前に立ってたのは目を丸くした胡桃ちゃん。手を中途半端に伸ばしかけて固まっていた。

 一体どういう状況?


「……花。もう昼休み。お弁当の時間」

「嘘っ!?」


 もう昼休み!?

 覚えているのは朝の朝礼まで。午前中の授業はどこに行った!?


「いやー驚いた。起こそうとしたら急に飛び起きるんだもん」

「ごめんね、胡桃ちゃん。また夢を見てたの」

「……花。約束。夢の内容を教えて」

「う、うん」


 会話に割り込む彩夏ちゃんの目が見開かれていたからちょっと驚いた。

 朝からずっと気になってたのかな?

 また始まった、と胡桃ちゃんは呆れ顔。

 まあ、彩夏ちゃんがオカルト好きでテンションが上がるのは昔からだから慣れっこだ。

 私はぽつりぽつりと夢の内容を説明し始めた。


「―――というわけ」

「へぇー。そう言えば昔『かごめかごめ』で遊んでいたなぁ。懐かしい。でも、私たち三人だったろ? 確率は二分の一だったし」


 パクリと卵焼きを頬張る胡桃ちゃん。

 やっぱりそうだよね。私たち三人で遊んでいたよねぇ。四人じゃなかったはず。

 ずっと無言で聞いていた彩夏ちゃんがようやく口を開く。


「……花。その子の名前は絶対に呼んじゃダメ。見るのも危険。次は絶対に振り向かないで」

「う、うん。わかった」


 彩夏ちゃんの見開かれた目があまりに真剣なので、思わずのけ反った。ちょっと怖い。


「気にするなって。幽霊とか妖怪とか怪異とか、所詮オカルト。存在なんかしない。ただの夢だ」

「……そんなことない。見えないから存在してないとは言えない。これ常識」

「えーっと、どゆこと?」

「……目に見えないから存在していないとは証明できない。見えないだけ。観測できないだけ。認識できないだけ。本当は目の前に存在するかもしれないのに。そして、ある方法を使えば存在が証明される可能性がある。その可能性を全て否定しない限り、存在していないとは言えない」


 ほうほう。なるほどなるほど?


「あぁー。ブラックホールみたいなものか?」

「……そんな感じ。ブラックホールは目に見えないけど、エックス線を使えば観測出来る。オカルトも同じ。今は目に見えない。でも、いつか存在が証明されるかもしれない」


 ふむふむ。何となく彩夏ちゃんが言いたいことはわかった気がする。

 オカルトは存在すると仮定して、それで、何故夢の女の子の名前を呼んだり姿を見たりしちゃいけないの?


「……オカルト。都市伝説。怪談。怪異。その中で有名なのが名前に関すること。『真名まな』は聞いたことあるでしょ? 真の名前。真名。昔は、本名を知られると魂を掌握されて操られると考えられていた。名前とは力。名前とは魂。名前とはその人の存在そのもの」

「「 それで? 」」

「……真名を呼ぶ。それは、非存在だった怪異の存在の確定。怪異が姿を現し、観測され始める。ブラックホールで例えるなら、数式で存在が発見されたということ。だから、絶対に真名を呼んではいけない」

「わ、わかった」


 いまいちピンとこないけど、真名を呼んではいけない。心に刻みつけました。


「じゃあさ、見てはいけないのはなんでだ?」

「……それは簡単。見ること、それすなわち観測。存在の認識。真名を呼ぶことよりも遥かに存在の証明と言える。見ただけで呪われるという怪異は沢山ある。だから、見ちゃダメ」


 な、なるほど。そりゃそうだね。当たり前か。

 見ただけで呪われるオカルト話は私でも聞いたことある。

 絶対に見ません。ダメ絶対!

 そうなると、午前中に見た夢は滅茶苦茶危険だったのでは?


「……真名を呼んではいけない。存在を見てはいけない。この二つだけは絶対に守って―――」



 △▽△▽



 放課後。クラスメイトは部活に行ったり、帰ったりして数人しか残っていない。

 その数人の中におしゃべり中の私たち三人も含まれていた。

 窓の外は夕暮れで空はオレンジ色に染まっている。夕焼けが綺麗。

 現在時刻は午後4時40分過ぎ。そろそろ帰らなくちゃ。


「花~! 明日は遅刻すんなよ! 日直だぞ」

「うげっ!? 本当だ。すっかり忘れてた」


 黒板の日直の欄には『春崎花』と『矢車胡桃』って書いてある。

 胡桃ちゃんとかぁ。なら良し! もし遅刻したらよろしく頼む、胡桃ちゃん!

 会話を切り上げ、カバンを持つ。そして、二人に敬礼。


「私、春崎花はお先に失礼させていただきます!」

「おー! じゃあな。また明日!」

「……ばいばい。また明日ね」

「じゃあね!」


 靴を履き替えて、部活動の声を聴きながら校門を出る。

 学校から家まで歩いて20分ほど。丁度5時くらいには家に着くかなぁ。

 あぁ……空が綺麗だ。オレンジ色。東の空はもう紫色に近い。

 夕暮れ。黄昏時。逢魔が時。昼と夜が混じり合う時間。

 家まであと少しとなった時、ふと私は気付いた。背後からヒタヒタと足音が聞こえてくることに。


「……えっ?」


 振り向こうとして、慌ててその動作を止めた。

 彩夏ちゃんが言っていたことを思い出したのだ。


『真名を呼んではいけない。見てはいけない』


 寒気がする。冷や汗が流れ出す。心臓がバクバクとうるさい。

 き、気のせいだよね? 人が歩いてるだけだよね?

 私は速度を上げて歩く。すると、足音も速度を上げる。私が走れば、足音も走る。止まれば止まる。


 ―――誰かが私の後をついて来ている。


 もしかしてだけど、怪異じゃないよね? 嘘だよね?

 どうすればいいのか彩夏ちゃんに聞いておけばよかった。

 通行人でありますように! ストーカーでありますように!

 その時、夕方5時のチャイムが鳴る。


『かーごめ かーごめ かーごのなーかの とーりは』


 スピーカーから流れるのは女の子が歌う『かごめかごめ』。夢と同じ歌。

 そうだった。5時のチャイムはこれだった。反響してどこか不気味。

 家は近い。このまま走って帰ろう。

 走りかけたその瞬間、後ろから声をかけられた。


「ねぇ……名前……」


 背筋がゾクッとした。

 かすれて消えそうな女の子の声。

 だってその声は、夢の中のあの子と同じだったから。


「……私の……名前は……?」

「いやぁあああああああああああああああああ!」


 思わず悲鳴を上げて蹲る。怖い怖い怖い怖い怖い怖い!

 誰か助けて! お願い! 誰か……誰かぁ~!

 でも、こういう時に限って周囲には誰もいない。少なくとも、前方には人っ子一人いない。


「名前……名前ぇ……私のなまえぇ……私はだぁれ……?」

「止めて! もしかして胡……二人のどっちかなの!? 怖いから! もう怖すぎるから! ドッキリは止めてぇ~!」

「私の……私の名前……私の名前は……?」


『よあけのばんに』


 チャイムが鳴り続けている。

 私は半狂乱に彩夏ちゃんに教えてもらったことをお経のように呟く。自分に言い聞かせるために。


「真名を呼んではいけない。見てはいけない。真名を呼んではいけない。見てはいけない」

「マ……ナ……? マナ……? まな? ……そう……だ! 思い……出し……た!」


 チャイムの歌が聞こえる。


『つーるとかーめがすーべった』


 突然、背後からはっきりとした女の子の声が聞こえた。


「思い出した思い出した思い出した! マナ! 私の名前は『まな』!」

「えっ……?」


 あまりにも喜ぶ彼女の声を聞いて、私は思わず振り向いてしまった。そして、彼女と目が合った。


「見 タ ネ ?」


 ニヤリと唇を吊り上げて笑う彼女をよく知っていた。私が良く知る人物。毎日毎日見ている顔。


 ―――彼女は、私だった。



 △▽△▽



「なあ彩夏。昼の話なんだけどさ、夢の内容をどう推測する?」


 花が帰った後の教室。胡桃がオカルト本を読む彩夏に問いかけた。

 時刻は丁度5時。外では5時のチャイムが鳴り始めた。

 彼女は本を閉じずに視線だけ上げる。


「……名前を聞かれるという夢。有名なのも多いけど『真名を失う怪異』だと私は推測する」

「真名を失う? だから名前を求めているのか? じゃあ、真名を呼んだら?」

「……説明通り。怪異の存在の確定。怪異が姿を現し、認識できるようになる。見えるようになる」

「もし見ちゃったら?」

「……これも推測だけど、

「入れ替わる?」

「……そう。『かごめかごめ』。あれは後ろの人の名前を呼んで振り返る。もし当たっていたらどうする?」

「鬼が入れ替わる。あっ!」


 彩夏は真剣な表情で頷く。その瞳は不安で揺れている。


「……入れ替わっても周りが気づくなら解決法はいくらでもある、でも、それが周りの人に認識できなかったら? 認識が書き換えられてしまったら?」

「入れ替わったことに誰も気づかない……?」

「……そう。誰にも。存在が観測された怪異が入れ替わり、真名が変わる。新たな怪異として非存在の存在になる。『真名を失う怪異』。存在の消失。見えなくなる。誰かに真名を呼ばれて認識されるまで、入れ替わった本人でさえも自分の名前を忘れるはず」

「それは怖いな」


 ブルッと震える胡桃。心なしか教室の温度がガクッと下がっている気がする。

 5時のチャイムが鳴り続いている。つーるとかーめがすーべった、と。


「っと、そろそろ帰るか。明日日直だし! 花は遅刻しないといいけどな」


 怖い話を強制的に終わらせて、胡桃が大きく伸びをした。彩夏はそれを眺めながらパタンと本を閉じる。




「……ねえ胡桃。?」




 教室の黒板の日直の欄に書かれている名前を指さす。


「……花じゃない。。言い間違い」


 一人は『矢車胡桃』。

 そして、もう一人は『春崎』という名前だった。

 5時のチャイムが鳴り終わる。


 ―――うしろのしょうめんだぁ~れ、と。



 △▽△▽



 5時のチャイムが鳴り終わった。彼女が荷物を持ち直す。



「交代ご苦労様。名前もわからない誰かさん。あっ、消えた」



 交代? それってどういうこと? 目の前の私は何を言っているの?


 名前がわからないってどういうこと? 消えたってどういうこと!?


 私の身体で喋らないで!



「そっか。入れ替わったから名前を失ったのか。だから見えなくなった。なるほどなるほど」



 私はここにいるよ! 目の前にいるよ! ねえってば!



「さて、家に帰るか。



 違う! 貴女あなたの家じゃない! 私の家!


 見て! 私を見て! 私はここにいるよ!


 お父さん! お母さん! 助けて! 胡桃ちゃ~ん! 彩夏ちゃ~ん!


 誰でもいいから助けてよぉ~!


 待って。置いていかないで。それは私の身体! 名前だってちゃんとあるんだから!


 そう……名前……私の名前……私の名前は…………






































 ワタシ ノ ナマエ ッテ ナンダッケ?





<完>

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― 真名 ― ブリル・バーナード @Crohn

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