第58話 謝罪
サーリアは空を見上げたまま、雨が自分の身体中を濡らすがままになっていたが、ふと馬から降りると、積まれた荷物を下ろした。
中を開けてみれば、奥のほうに小さく畳まれた雨除けの外套が入っている。そのことに口の端を上げた。
やはり彼女たちは優秀だ。
それから横に立つ馬を見上げて語りかけた。
「ありがとう」
その言葉を理解したのか馬は一声嘶くと、サーリアの手を離れオルラーフ軍が撤退していった方角へ走り去ってしまう。
彼女に会えるかどうかはわからない。でも、そうしたがっていたことがわかったから、サーリアは止めなかった。
外套を取り出し、袖を通した。
荷物の中から手拭いを取り、できる限り身体を拭く。
それから、雨宿りできるところに行かなければ、と辺りを見回す。
自分がしでかしたことではあるが、無理をし過ぎた。
雨は恵の雨ではあるけれど、妊娠中の身体に当てるのは、どう考えてもよくない。
馬と入れ替わるように、撤退するオルラーフ軍の中から人々がサーリアに向かって駆け出してきた。
彼らはサーリアの傍までやってくると、息を整え称賛の言葉を浴びせる。
「姫さま、ご無事で!」
「ああ、姫さまのお陰にございます。やはり姫さまは神に愛でられておいでで」
人々はそんなことを口々に唱えながら、彼女を囲んだ。
そして皆が口を揃えて言った。
「さあ、姫さま。エルフィにともに帰りましょう」
「先王亡き今、エルフィ王は姫さまにございます」
「どうか我らをお守りくださいませ」
そう言う彼らにサーリアは微笑む。
「皆、よくやってくれました」
サーリアの言葉に、人々は満足げに笑った。
「いえ、私どもはなにも」
「すべて姫さまのおかげです」
「そんなことはありません。あなた方の決断を、神は見ておられます」
サーリアは彼らの手を入れ替わり立ち替わりに握りながら、彼らを労う。
彼らははしゃいだ様子で、握られた手を自慢し合った。
「さあ姫さま、帰りましょう」
笑顔で言う彼らの言葉に、サーリアはすぐに答えることができなかった。
「そう、ですね……エルフィに……」
サーリアはそう一言言うと、口をつぐんで目を伏せた。
「えっ」
「姫さま?」
「エルフィに帰るのに、なにを躊躇うことがありましょう」
「そうです、姫さま。どうか我らとともに」
彼らの言葉に、サーリアは沈黙で応える。
サーリアの躊躇いは彼らには理解できないだろう。顔を見合わせて首を傾げては、彼女の顔を見つめる。
一人がサーリアのお腹に目を止めると、顔を上げた。
「まさか姫さま、情が移ったなどということはないですよね?」
「え……」
「それでは、死んでいった先王や、兵士たちが浮かばれないではないですか……」
雨は止むことなく、彼らの頭上から降り続いていた。
◇
三人の天使が消えた天空を皆が見つめ、呆然とする中。
レーヴィスは馬を一歩前に進めた。
「陛下?」
その動きに気付いたゲイツが呼び掛ける。
「どちらに?」
「すぐ戻る」
そう言い置いて、馬を走らせはじめた。
どこに向かうつもりかを理解したゲイツは慌てて馬を並進させた。
「なりません、陛下。エルフィ国民にとってみれば、陛下は王女を奪った敵です。危のうございます。どうぞお戻りに」
ゲイツの必死の進言にもレーヴィスは耳を貸さなかった。
「心配なら付いてくるがいい。私は参る」
そう言うと、今度は馬の脇腹を蹴り、一点に向かい疾走させる。ゲイツも急いでそのあとを追った。
◇
背後から近づく馬蹄の響きに気付くと、サーリアは振り向く。
「……陛下」
サーリアのつぶやきを聞き取ると、エルフィ国民たちはにわかにざわつき始めた。
「アダルベラス王!」
「お前が!」
彼らの叫びにも臆することなく彼はサーリアに近づき、その横に馬を止めると鞍上から下りた。
レーヴィスはしばらくサーリアをじっと見つめたあと、ゆっくりと口を開く。
「あれは……、いや。口にするのは無粋か」
そう言って口の端を上げた。
天使たちについてなにか言いたかったように思えた。
「感謝する」
レーヴィスはそう言うと、サーリアの手を取った。
「そなたのお陰で戦にならずに済んだ。何人の命が救われたか」
「いえ」
サーリアは首を横に振って目を伏せた。
なんと言っていいかわからなかったのだ。
しかし。
「なにをしにきた!」
エルフィ国民の中からそんな叫びがしたかと思うと、それは波紋のように広がっていく。
「姫さまはエルフィに帰るのだ!」
「姫さまを返せ!」
飛び交う怒号。罵声。
けれどレーヴィスは彼らのほうに身体を向けると、深く、頭を垂れた。
その行動に罵声を浴びせていたエルフィ国民たちが一瞬にして口をつぐんだ。
「申し訳なかった。アダルベラス国王の名において謝罪する」
そう、言った。
皆、突然のことに戸惑っているのか、顔を見合わせている。
サーリアもその行動に面食らう。
いや、そういえば、彼は悪いと思ったときにはすぐに謝罪を口にする人だった。
後方に馬に乗って待機していたゲイツも、なにもできずにその光景を見守るだけだ。
アダルベラスの頂点に立つ人物の突然のその行動に戸惑い、誰も言葉を発することができなくなっていた。
「勝手な申し出とはわかっている。しかし、彼女は我が国にとっても、もう必要不可欠な人間なのだ。今しばらくでいい、彼女の力をお借りしたい」
そう言って頭を上げると、エルフィ国民を見渡した。
しばらく呆気に取られたように誰もが言葉を失っていたが、一人が声を上げる。
「……勝手な! 姫さまはエルフィにとっても必要なお方なのだ!」
その声に呼応するように人々は口々に叫びだす。
「そうだ、王を殺して姫さまを略奪しておいて」
「そんな勝手な言い分は認めない!」
そして再び彼は罵声に包まれた。
彼は軽く肩をすくめると、サーリアのほうへ向き直る。
「というわけだそうだ。残念だが、もう私にはそなたは止められない」
「え?」
「好きにするがいい」
それだけ言うと彼は瞬く間に馬上の人となり、振り向きもせず、走り去っていった。
「えっ……」
「なんだ……?」
後には呆気にとられたエルフィ国民たちとサーリアが残された。
「陛下!」
慌てて呼び掛けるサーリアの声も、彼にはもう届かないようだった。
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