第44話 王妃との会話

「失礼致します」


 侍女がお茶の入った碗をセレスの前に置いた。少し、手が震えていた。

 サーリアにはわかった。この部屋が殺気だっていることが。

 無理もない。あんな状況を目の当たりにしたのだから。

 そして、皆が疑っている。この、優しく微笑む美しい女性を。


「サーリア殿。お身体のほうは?」

「ええ……私は変わりなく」

「それは重畳」


 そう言って王妃は碗を手に取り、一口お茶を飲むと、また碗を机上に戻す。


 わけがわからない。いったいなんのためにやって来たのか。


 セレス付きの侍女も、どうして彼女がここを訪れたのかわかっていないのか、落ち着かない様子でセレスを見つめている。


「ちゃんとあなたとお話するのはこれが初めてだわね」


 セレスはにっこりと笑って言う。

 以前、ヴィスティを彼女が追ってきたときのものは、会話とも呼べないものだった。


「ご挨拶が遅れまして」

「ええ、本当に。本来ならば、あなたが正室たるわたくしに足を運ぶべきではなかったかしら?」


 だが、決して正室のいる宮には行くなと言われていたのだ。しかしそんなことを彼女に言っても仕方ない。

 サーリアは素直に頭を下げた。

 できればここは穏便に済ませて、自室に帰っていただきたい。


「申し訳ありません」

「まあ、仕方ないのかしらねえ。あなた、とても小さな国の王女でしたものね。そういう勝手がわからないのかもしれないわ」


 そう言って、ほほ、と笑う。

 まさか嫌味を言いに来たのだろうか。

 いやそれは楽観的に過ぎる。

 毒物まで使用した彼女が、そんなことで気が済むわけがない。


 早く、早く来て。そして侍女たちを守って。


「……そうね、こうして最初からお話して、ちゃんと対決していれば、こうはならなかったかもしれないわね」


 セレスは目を伏せて、つぶやくようにそう言った。


「ところで」


 王妃はさきほど口を付けた碗に、手だけを添えた。


「わたくし、こういう立場にいるからかしら、いつの間にか人の心を読むのが得意になってしまいましたの」

「はあ……」

「だから、わかります。わたくしを悪し様に言う侍女も」


 そう言って、ちらりとサーリアの侍女たちのほうへ視線を移す。侍女たちはそれを受け、視線を落としてしまった。


「それから、あなたの心の中も」

「え?」


 言われて、セレスの目を見る。

 彼女は微笑んでいた。

 けれど、その微笑がなぜか怖かった。背筋が凍るほどに。


「あなた、いうなれば略奪されて来たのでしょう? なぜ、おとなしくしているの?」

「それは……」


 サーリアが返事に窮して黙り込むのを見ると、得たりとばかりにセレスはうなずき、続ける。


「わたくしにはわかります。だってわたくしはアダルベラス国民ではないもの。アダルベラス国民が敬う王の妃の地位は、それは魅力的ではあるけれど、彼らが思うほど、ありがたいものでもないってことが」


 その言葉に、侍女たちが視線を交差させたのが目の端に見えた。

 彼女たちが想像もしていなかっただろう、妃たちの本音。


「ましてやエルフィは女王が存在する国。アダルベラス王の側室であるよりも、エルフィ女王であることを、あなたは望んでいたでしょう?」


 サーリアにはなにも言えなかった。確かにこの女性は彼女の心の中を読んでいるのかもしれない、と思った。

 セレスは畳み掛けるようにさらに続ける。


「なにが目的? なにと引き換え?」

「そんな……」

「なにかを得るためにその身体を差し出したなら、それは商売女がしていることとなんら変わらないのではなくて?」

「王妃殿下!」


 その言葉に弾かれたように、顔を真っ赤にしてパメラが叫んだ。


「いくらなんでもお言葉が過ぎましてよ!」


 パメラの言葉にセレスは微笑む。


「お気を悪くされて?」

「いえ……」

「ねえ、わたくしは陛下を愛しているけれど、あなたは愛していないのでしょう?」


 彼女はさきほどから手を添えたままだった碗を握り締める。そしてそのままそれを割った。誰のものなのか、短い悲鳴が上がる。

 セレスは痛みすら感じないのか、血の滴る自分の白い手をじっと眺めていた。


「死んでくださる?」


 詠うように、ふと言った。その言葉に一瞬、部屋の中が静寂に包まれる。

 しかし彼女はその静寂に構うことなく身を屈めたかと思うと、護身用のものなのか、足元から懐剣を取り出したのだ。


「王妃殿下!」

「お静まりくださいませ!」


 部屋の中にいた侍女という侍女が、一斉にサーリアに駆け寄った。

 侍女に腕を掴まれ、席から立たされる。そして数人の侍女たちがサーリアを庇うように前に立ちはだかった。


「ねえ、あなたなんか要らない。だから、死んでよ」


 セレスはそう言ってゆっくりと立ち上がり、サーリアのほうへ歩み寄る。


「妃殿下!」


 セレスの侍女が後ろから彼女を抱きかかえるように制したが、たおやかな彼女からは想像もできない強い力で侍女を撥ね退ける。


 さきほど傷つけた手の平で懐剣を握り締めているためか、鮮血が滴り落ちていた。

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