月の微笑 ～略奪された王女と独善の王～

第43話 王妃の訪問

「お父さま」

　帰る道すがら、ヴィスティはこちらを見上げて言った。

「私、お話しているのが聞こえたわ。お母さまはやっぱりなにもご存知ないようだった」

　安心したように、胸を撫で下ろしている。

「……そうだな」

　彼女は、ああも恐ろしい存在だっただろうか？

　レーヴィスはヴィスティの手をぎゅっと握り返す。

「ヴィスティ、当分、王宮で暮らそう」

「えっ？」

「私の部屋にいるといい」

「どうして？」

　不安げにそう言う。

　だから努めて明るく返した。

「私がそうして欲しいから。駄目か？」

「でも私、ベスタの傍にいたい……」

　そう言って目を伏せる。

「ベスタはもう大丈夫だ」

「本当？」

「ああ、医師がそう言っていた」

　そう言うと、ほっとしたように息を吐く。

「お父さま、寂しいの？」

「ああ」

　するとヴィスティは、にっこりと笑った。

「わかったわ、お父さま。私が傍にいてあげる」

　ベスタが倒れてしまったことに、寂しがっていると思ったのだろう。

　心優しい娘だ。どうしてあんな酷いことができたのか、理解に苦しむ。

「それは良かった」

　そう言って立ち止まると、ヴィスティを抱き上げる。

「愛しているよ、ヴィスティ」

　娘は返事の代わりに、ぎゅっとこちらに抱きついて、頬をすり寄せてきた。

　　　　　　　　　　◇

「どうなっているのでしょう？」

　二人の姿を見えなくなるまで見送るセレスの背後から、ヒルダが彼女に話し掛けた。

「ベスタさまが倒れられたなんて、お毒見されたのでしょうか。それとも、本当に病で倒れられて、そのままあれは忘れられたのでしょうか」

「前者でしょう」

「でも、陛下のあのご様子では妃殿下を疑ってはいないようですが」

　その言葉を聞くと、セレスはふふ、と笑う。

「わたくしにはわかるわ。だって」

　そう言って、セレスは口をつぐんだ。

「王妃殿下？」

　ヒルダが呼び掛けるのにも応えず、セレスはただ口の端を上げる。

　だって、わたくしはあなたの言葉の一つ一つ、あなたの表情の一つ一つ。今まで何一つ見落としてなどいないもの。

　いつの間にかわたくしはあなたのすべてを理解できるようになってしまった。あなたが今、なにを考えているのかも。

　なのに、わからないの。あなたの愛情を得る術が。

　わたくしはこんなにあなたを愛しているのに。

　あなたはわたくしを切り棄てるおつもりね？

「困ったわねえ」

「は？」

「ということは、側室殿は生きているのねえ」

「は……申し訳ありません」

「出掛けます」

　セレスは一歩を踏み出す。ヒルダは慌てたように背中に声を掛けてきた。

「どちらへ？」

「側室殿のところへ」

　　　　　　　　　　◇

　このままサーリアの部屋で治療を受けるより自室のほうが落ち着くだろうと、数人がかりで寝具ごとベスタを床変わりさせ、ほっと一息ついたところで、その急な客はやってきた。

「陽の君！」

　その姿を見た侍女が声を上げる。そして慌てて口元を押さえ、頭を垂れた。

「失礼致しました」

「よくてよ。急に来て驚いたでしょう。ベスタがこちらで倒れたと聞きましたので、見舞いに来させていただきました」

　そう言って、優雅に笑う。サーリアも慌てて彼女を出迎えるためにその前に立った。

「王妃殿下。わざわざご足労いただいて申し訳ありませんが、ベスタはたった今、床変わり致しまして」

「あら、そう」

　そう言ったまま、だからといって帰る素振りも見せない。

　セレスの後ろに控えている彼女付きの侍女も、不安げな顔をセレスに向けていた。

　サーリアと侍女も顔を見合わせる。

　しかしそこでそうしている以上、何の理由もなく追い返すわけにもいかない。

　だが彼女を、毒を盛ったと思われる王妃を、部屋に入れたくはなかった。

　ためらっているうち、セレスは小首を傾げて問うてくる。

「あら、お茶の一杯も出せないのかしら。正室であるわたくしが来たというのに」

「王妃殿下、たった今、ベスタが床変わりしたと申し上げました。まだ立て込んでおりまして、妃殿下をご招待するような」

「わきまえなさいな」

　サーリアの言葉をひったくり、セレスは言う。

「わたくしが、正室です。わたくしが、この後宮の主ですの。わたくしが側室殿と面会したいと言っているのですから、あなたは首を縦に振りなさい」

　帰る気はまったくなさそうだ。

　ちらりと部屋の隅に控えている侍女に視線をやると、彼女は小さくうなずいた。

　なにが起こってもいいように、助けが必要だ。

　侍女は、セレスとその侍女の視界に入らないように気を付けながら、扉に向かってゆっくりと歩く。

　それを確認すると、サーリアは手の平を部屋の中に向け、言った。

「よろしければ」

「では失礼」

　サーリアの言葉を聞くや否や、セレスはさっと入室してしまう。セレス付きの侍女もついて入ってきた。

　目の端で侍女が扉の外に出たのを見て、サーリアは客間に向かう。

　セレスは客間に通されると椅子に腰掛ける。

　サーリアもそれに向かい合うように座った。