第39話 魔性の者

 寝所を出ると、皆が一斉にこちらに振り向いた。

 だがなにも言えなかった。大丈夫だ、などと言える状況ではない。

 それを彼女らも感じ取ったのか、また皆が目を伏せてしまう。


「お父さま……」


 ヴィスティがこちらに駆け寄ってきて、また足にすがりつく。身体が小刻みに震えていた。

 かがんで抱き上げると、ヴィスティはぎゅっと首にしがみついてくる。


 セレスの狙いは、サーリアには違いないだろう。

 けれど状況を聞く限り、彼女は娘も一緒に逝っていいと思っていた。

 毒見役がいることも想定はしているのだろう。だからこそ、以前のものと比べて遅効性のものを使用したのだ。もしかしたら思いの外、効果が出るのが早かったのかもしれない。


 いったい何人の犠牲を出すつもりだったのか。

 いずれにせよ、この暴挙を見逃すつもりはない。


「……とにかく、この部屋は危険だ。皆も王宮へ来るといい」


 少なくとも後宮よりは、いくらか安全だろう。だが。


「私は、ここで」


 サーリアは首を横に振って、その申し出を辞退した。


「ベスタが床変わりできないのなら、私はここにおります」

「しかし」

「皆はどうぞ、連れて行って差し上げて。私は残ります」


 サーリアはそう言って頑なに譲ろうとしない。

 とはいえ、主人を残したまま、他の侍女たちが王宮に来るとも思えなかった。

 レーヴィスはため息をつくと、言った。


「わかった。では私がここに来る」

「えっ?」

「いったん王宮に戻ってまた来る」


 腕の中の娘に問う。


「一緒に王宮に来るか?」


 するとヴィスティはふるふると頭を振った。


「私、ベスタの傍にいる」

「そうか」


 もう一度、強く娘を抱き締めて、頭を撫でる。

 レーヴィスはヴィスティを侍女に預けて退室した。


          ◇


 夜になって、レーヴィスは再びサーリアの部屋を訪れる。

 部屋には明かりが灯されていたが、なぜか暗く感じられた。


 サーリアは椅子にも腰掛けず、壁を背もたれにして、膝を抱えて座り込んでいた。

 その視線はじっと寝所のほうを見つめたままだ。


「まだ、出てこないか」


 そう声を掛けると、初めて気が付いたのか、サーリアは顔を上げる。


「ええ」

「そうか。我が姫は」

「疲れたようで、眠ってしまいました。奥の侍女部屋のほうに寝かせております」


 この部屋の奥に、侍女たちの仮眠室がある。サーリアはそちらに目を向けた。


「そうか」


 レーヴィスはそうつぶやくと、サーリアの隣に同じように壁を背もたれに座り込む。


「えっ」

「なんだ」

「陛下はどうぞ、椅子のほうへ」

「堅いことを言うな。それとも嫌か? 嫌なら離れるが」


 そう問われ。サーリアはしばらく考えて、そして首を横に振った。

 レーヴィスはそれを見ると、安心して頭を壁につけた。


「雨が……」


 ぽつりとサーリアが語り始める。


「雨が降りませんわね」

「そうだな」


 サーリアの言葉に、レーヴィスはそれだけ応えた。なにかを語ろうとしているのがわかったから。


「私は、神に愛でられてなどいないのです」


 レーヴィスはなにも言わず、ただ彼女の話を聞いた。

 珍しく弱気な瞳をした彼女が、喋ることで懸命になにかにすがろうとしているように思えた。


「私は、私が微笑みかけた人間が不幸になっていく様を、見つめることしかできない人間なのです。事実、私が微笑みかけた者たちは、ことごとく不幸になっていく。殿下しかり、ベスタや侍女たちしかり。そして、エルフィ国民も。私を愛でているのは、あるいは魔性の者かもしれない」


 サーリアのその言葉に、レーヴィスはゲイツの言葉を思い出す。


『あれは、魔性の者にございます』


 彼はそう主張した。そのとき、将軍ともあろう者が、と一笑に付した。


 神? 魔性? そんなものはいない。そんなものに理由を押し付けたくはない。

 人だ。人が人を狂わせる。


 セレスを狂わせたのは……おそらく自分だ。

 この状況を招いたのは、自分自身に他ならない。

 けれどいったいどうすれば正解だったのか。わからない。


 なにが間違っていたのだろう?

 そう、思う。わざわざ出兵し、王女を略奪し。いくら弱小国相手とはいえ、痛手がなかったといえば嘘になる。

 そこまでして得たものはいったい何だったのか。

 あえて言うならサーリアの懐妊か。しかしこのままだと、それも失いかねない。


「なのに私は、『神に愛でられし乙女』として、一人だけ大切に扱われる。他の何を犠牲にしても、私だけが守られる。そんな価値などないのに」


 すると彼女はこちらに振り向いた。


「陛下くらいですわ、私をそのように扱わないのは」


 そう言って、首を傾げる。

 その言葉に小さく笑った。


「そうでもない」

「え?」

「ときどき、『神に愛でられし乙女』にすがりたいと願うこともある。たとえば、今も」

「今は……私にそのような力があればいいと思います」


 サーリアは膝を抱える手に力を込めた。


「私のせいだわ、なにもかも」


 瞳を伏せて彼女はそう言った。

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