第31話 愚者の独白

 レーヴィスが即位したのは、十四歳のときだった。

 突然の先王の崩御により、王太子であったレーヴィスがそのまま即位することになった。

 順当で無難な即位だった。


 レーヴィスはまだ結婚もしていなかったから、王位継承権が上位の者は城に残った。

 彼らはいつレーヴィスが失脚するかと、そればかり考えているように見えた。


 まだ子どもだった。

 どうしたらいいのかなど、なにもわからなかった。

 それなりに教育を受けてはいたが、実務となるとやはり違った。


 ただ、わかったことが一つだけあった。

 王宮は腐りきっている。


 後見人と称していろんな人間がレーヴィスの周りに集まってきたが、誰も彼も、アダルベラスのことなど考えていなかった。

 毎日途切れることなく上がって来る陳情書は彼らのところで止まり、レーヴィスのところまでやってこない。


「いえいえ、陛下のお手を煩わせるようなことではありませんから」


 そうやって、どれだけの陳情書が闇に葬られたのか、今となってはわからない。


 明らかにおかしい予算に署名しなければならないことも続いた。

 異を唱えても、鼻で笑われるようなこともあった。


「殿下……いえ、陛下にはまだおわかりにならないでしょうが」

「やはりまだ幼くていらっしゃる」


 そう言って何度も嘲笑された。


 見下されるのは我慢ならない。

 だが、そうされても仕方のない現状が目の前にある。


 何度も何度も吐いた。

 なにもかもが上手くいかなくて、焦燥感だけが募っていく。

 このままでは自分の代で、この国を亡ぼすことになるのではないか。

 それは恐ろしい想像だった。

 考えたくもないが、そうならないよう考えなければ。


 力がいる。

 周りを黙らせるだけの力が。

 傀儡の王のままでいるわけにはいかない。

 まずは軍を掌握しなければ。


 軍が関与する行事には足しげく通った。

 国の予算を軍に回すには重臣たちの了承を得ねばならず、それはままならなかったため、私財も限界まで投入した。

 戦死者が出れば自らが出向き、葬儀に参加し、遺族を手厚く保護した。

 将軍であるゲイツは、情に厚い男だ。

 必ず、必ずこちらの意向を汲み取ってくれると信じた。信じるようにした。


 ある日の軍の式典の最中、ふいにゲイツがレーヴィスの前に立った。


「陛下におかれましては、なにやら思うところがあるご様子」


 顔を上げる。

 なにが言いたいのか見極めなければならない。

 レーヴィスは返事をせず、ただゲイツの顔を見つめた。


「我らの助力が必要というなら、我らは陛下の手となり足となり、働く所存です」


 ゲイツは胸に手を当て、深く腰を折った。最敬礼だ。

 安堵の息を吐きそうになって、それを堪える。


「期待している。アダルベラスのため、命を捧げよ」

「御意のままに」


 ずらりと並んだ兵士たちが将軍に倣い、揃って自分に向かって最敬礼をしたときの光景は、今でも忘れられない。あの感動を言い表す術をレーヴィスは知らない。


 そこからは早かった。

 やはり軍の掌握は間違っていなかった。

 粛清を恐れた貴族たちは黙り込んだ。

 心ひそかにまつりごとに不満を抱いていた者たちが次々と現れ、レーヴィスに忠誠を誓った。


 十九歳のとき、妃を迎えた。

 まずは血筋を確保しなければならないと思ったからだ。

 王位継承権争いなど、今している場合ではない。そんな混乱をこの時期に起こせば、民草を巻き込んだ争いになる。


 相手は決まっていた。幼い頃からオルラーフの王女を迎えることになっていた。

 会ったこともない婚約者。

 けれど政略結婚など、そういうものだ。相手も当然、王女なのだから、それくらいのことはわかっていると思っていた。

 泣き腫らした目で現れたときは、正直、落胆のため息を隠すので精一杯だった。


 だが、オルラーフという後ろ盾を持つ妃は、本当にありがたい存在だった。

 だから彼女を大切に扱った。慈しんだ、と言ってもいい。

 オルラーフ王女を王妃として娶ったという事実は、王としての立場を盤石なものとした。


 そうしてヴィスティは生まれた。

 こんなにも無垢で愛らしい存在がこの世にあるのかと、温かい想いが溢れ出た。

 しかもこの子が自分の血を引いている。そんな奇跡が許されていいのかとすら思った。

 顔を覗かせると笑い、指を差し出すと握り締め、立ち去ろうとすると泣く。

 この子のためならなんだってできると思えた。感動の涙を隠すのに苦労した。

 ヴィスティをこの世に生み出してくれたセレスを愛せるのではないかと思った。

 そうして幸せになれるのではないかと。


 だがセレスは身体を損ねた。

 すぐにでも側室を迎えなければならない。

 けれど彼女の、引いてはオルラーフ王の了承は必要だ。セレスを決して手放してはいけない。

 すぐに側室を迎えろと急かす重臣たちにはうんざりした。

 そんなことはわかっている。

 だが今はできない。少し考えればわかることではないか。

 今、オルラーフの逆鱗に触れるわけにはいかない。国内はまだまだ不安定なのだ。


 なだめすかして、セレスから側室を迎えるよう言わせることが理想だ。

 国の運営の前には、個人の感情など後回しだ。

 王女として育ったセレスにはその道理がわかっているはずだ、と思っていた。


 だがセレスは言った。


「陛下……わたくし、側室だなんて我慢なりません」


 その言葉に、呆然とする。

 いったいなにを言っているのか。

 愛せるのではないかと思った女にそう言われたとき、一気に情がなくなった。


 妻とは夫を支えるものではないのか。彼女自身がそう言った。

 いや、支えなくともいい。せめて邪魔はしないで欲しい。


 けれど、それはあまりにも冷酷ではないか、と思い直す。

 きっと今は彼女も動揺しているのだろう。

 時が彼女を癒してくれれば、きっと冷静になるだろう。

 ところがセレスは、日に日に気性が荒くなっていく。


 六年だ。六年待った。

 もういい加減、自分の感情と折り合いをつけて、世継ぎが産めなくとも王妃としての自分の立場を確立して生きていくことを覚悟してもいい頃だろう。

 なのに彼女はなにをするでもなく、侍女たちにまで嫉妬の炎を燃やして、レーヴィスにべったりと引っ付いてくる。


 うんざりだ。もう、うんざりだ。

 もう、待てない。

 多少強引でも、側室を迎えなければならない。

 十分に誠意は見せた。


 そうしてなんとかやってきたところに、干ばつだ。

 神などいない。

 こんな非情な試練を与える者が神ならば、それこそ救いがない。

 なのにどうして『神に愛でられし乙女』を迎えろ、などという話になるのだ。

 『神に愛でられし乙女』のいる国は天災を知らず美しい、などと言い広めた商人や吟遊詩人を、片っ端から捕まえて斬って棄てたかった。


 だが狂気じみて『神に愛でられし乙女』を求める者たちを、治めることはできなかった。

 力不足、としか言いようがない。

 だからひとまず、エルフィに親書を届けた。

 断られてもいい。王女は病に臥せっている、などなんでもいいから理由をつけて断ってくれるだろう、と思った。


 だが、甘かった。

 エルフィ王は、親書を破り捨てるという最悪の対応をした。 


 エルフィに侵攻し、王女を略奪する。

 選択肢がそれしかなくなった。

 アダルベラスのほうが、どう見ても軍事力はある。だが、干ばつによってなにもかもが不足している。

 絶対に負けられない戦い。エルフィは自然の要塞に囲まれた国だ。舐めてはいけない。

 だから夜襲という戦略を取った。卑怯者と誹られようとも、そうするしかなかった。

 そうしてアダルベラスは戦勝国となった。


 手に入れたはずの『神に愛でられし乙女』が自害しようとしたと聞いたとき、愕然とした。

 またか。

 また、自分のことしか考えない女なのかと思った。

 どう考えても、ここは国のために大人しくしているところだろう。

 自分の王女としての価値を何だと思っているのか。

 エルフィのため、交渉するなりなんなり、できることはいくらでもあるのではないのか。


 その存在が、国中に認められているくせに。

 『神に愛でられし乙女』として敬われているくせに。

 レーヴィスが持っていないものを、いとも簡単に手にしているくせに。


 頭が痛い。吐き気が止まらない。両の足で立つことだけで精一杯だ。

 けれど誰も助けてはくれない。

 次の指示を、と言うだけだ。

 どうして誰も、自分でなにも考えないのかわからない。


 日々、傲慢になっていく。

 だがそれを、悪いことだとは思わない。

 そうでなければ生きてはいけない。

 自分は国王だ。自分の死は国の死にも繋がる。

 またあの腐敗した王宮に戻ってしまう。


 誰か助けてくれ、と叫びたかった。

 だがそれをしたときが、終わりの始まりだ。

 決して弱音を口にしてはいけない。


 だが時に、心に宿る想いがある。

 神に愛でられし乙女。

 彼女にすがってみたくなる。

 幸せになれるという、その微笑みを見てみたい。

 神などいない、と何度も自分に言い聞かせたのに、どうしてそんな想いを抱くのか。


 すなわち自分も、愚かな人間の一人なのだ。

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