第30話 妃たち
サーリアが窓の外を何気なく眺めていると、そこをふっとなにかが横切った。
不審に思い窓際に近づき下を覗き込むと、濃緑の瞳と目が合う。
「まあ、殿下。そんなところでなにを?」
「あの……」
もじもじと落ち着かなく手を組んだり離したりしながら、なにかを言いたげにするヴィスティがそこにいた。
「どうぞお入りになって」
しかし少女は首を横に振ると、サーリアの申し出を断る。
「月の君のお部屋には、もう入らないほうがいいと思うの」
「……そうですか」
一言そう返す。叱られはしなかっただろうが、彼女なりに考えたのだろう。無理強いはできなかった。
「あのね」
ヴィスティは意を決したように、サーリアを見つめて言った。
「おめでとうって言いにきたの」
「わざわざ?」
「うん、それにね、お父さまの御子なら私の兄弟でしょう? 会いたくなったの」
「まあ、殿下でしたの!」
ベスタがサーリアの後ろから声を上げる。サーリアが窓の外に向かって喋っているのを見て不審に思ったのだろう。
「どうなさったのです? そんなところで」
ベスタの姿を見ると、ヴィスティは瞳を伏せてしまう。今まで母親がわりにヴィスティの躾をしてきた女性だから、叱られるとでも思ったのだろう。
サーリアはそれを汲んで、ベスタに言った。
「殿下は私にお祝いの言葉をくださったの。それに、ご兄弟ですもの」
「ああ、そうですわよね」
ベスタも今気付いたかのように口元に手を当てた。
今まで、母親が違うからか、また二人の妃があまりにも対照的だったためか、ヴィスティの兄弟が産まれるという感覚から皆が遠ざかっていた。
正室の子と側室の子。しかも二人の妃は今、対立関係にあると言っていい。
父親が同じといえども、その二人の子が仲良く遊ぶなどと、誰も想像だにしていなかった。
ヴィスティ以外は。
「殿下、どうでしょう。王妃殿下には内緒にしておいて差し上げますから、どうぞお入りになって」
「でも」
サーリアの二度目の申し出を聞いて、ヴィスティは上目遣いにベスタを見た。
ベスタはため息をついて、一人の侍女を呼ぶ。
「なんでございましょう」
「部屋の外で見張りをして、誰か来たらすぐに知らせてちょうだい」
「かしこまりました」
言われた侍女は深く礼をし、退室していく。
ベスタはそれを見送ると、腰に手を当て、窓の外に向かって言った。
「今回は特別ですよ」
「ありがとう!」
弾んだ声が窓の外からしたかと思うと、窓枠に小さな手が掛かった。
「殿下! 王女たる者がはしたない! ちゃんと入り口からお入りくださいませ!」
慌てたようにそう言うベスタの言葉に、サーリアは苦笑するしかないのだった。
◇
「弟かしら、妹かしら?」
ヴィスティは恐る恐る、サーリアのお腹に向かって手を伸ばして、そっと触れてくる。
「殿下、お腹が大きくなるのはまだまだ先のことですのよ」
「でも、ここにいるのでしょう?」
そう言って首を傾げる。
身近な者が妊娠したことなどないのだろう。不思議なものを見るように、じっとお腹を見つめている。
「ええ、そのようですわ。もう少しすれば動き出したりもするのでしょう」
サーリア自身も、自分が妊娠していることに疑心暗鬼のままなのだ。実際のところ、ヴィスティとなんら変わりない疑問を持っているようなものなのだ。
お腹が大きくなれば、現実感が伴うようになるのだろうか。
「弟だったらいいな」
「なぜです?」
「お父さまが喜ぶから」
サーリアの疑問にヴィスティはそう答える。
その答えに微笑ましいような、寂しいような、そんな複雑な想いを抱いたのはサーリアだけだったか。
「殿下自身は、どちらだと嬉しいのです?」
「う……ん、どちらでもいいけれど。兄弟なんて初めてだから、よくわからないわ」
「そうですか。私は……」
急に黙り込んでしまったサーリアを見上げてヴィスティが首を傾げる。
「月の君?」
「いえ、なんでも。ただ健康に産まれてくれればそれで」
違う。
男だといい、と思っている。
そうすれば国母となり、エルフィ国民の安寧が保障される。その後、サーリアは死ぬことができる。
それが、契約なのだから。
利用するために懐妊した。その事実は変わらない。
言うなれば、アダルベラス王に子どもを売るも同然なのだ。そう思った。
◇
その日、王妃の部屋に急な客があった。侍女たちも慌しくその来訪者を迎える準備を始める。
出迎える王妃もざっと身なりを確認して、その者を迎えた。
「陛下、今宵は王室にいらっしゃるのではなかったのですか?」
もう整えられている金髪を、それでもまだ不満とばかりに手で押さえつけながら慌てて言う王妃とは対照的に、レーヴィスは悠然と応えた。
「その予定だったのだが、思いの外早く片付いたのでな、我が妻の顔を見にきた」
「まあ」
その言葉に、セレスは頬を染める。
目の前には愛しい人の姿がある。それがなによりも嬉しかった。
時間の空いたとき、側室の元ではなく、セレスの元にやって来たことが。
それが、打算に基づいたものとしても。
「なんだ、来てはいけないのか?」
そう微笑んで言われれば、首を横に振る以外になにができよう。
「嬉しゅうございます。さあ、どうぞお掛けになって」
椅子を指し示し、そして自らもそのすぐ横に椅子を寄せ、腰掛ける。
その行動がレーヴィスを多少不快にさせたことには気付かない。
「そなたには寂しい想いをさせている。しかし私も立場上、中々動けなくて」
「いいえ、いいえ陛下。わたくしは仮にも王妃にございます。陛下がお忙しいのは百も承知。わたくしはいつでも陛下のお邪魔にならぬように見守るのが務めでございますれば」
レーヴィスはただ、微笑みを顔に貼りつかせたまま、その言葉を黙って聞いている。
「もちろん陛下に会えぬ日は寂しゅうございますが、わたくしはそれでも充分。こうしてわたくしの元へ安らぎに来てくださるのですもの」
一瞬の間があって、男は言う。
「そう言ってもらえるとありがたい」
そしてその白い手首をそっと握る。それから手の甲に唇を寄せた。
「私も寂しく思うときがある」
そんな風に優しく言われると、もうなにも言えなくなってしまう。
言いたいことは山のようにある。
しかし、その些細な不満たちを並べ立て、二人きりの時間が失われてしまうなら、それは胸の奥にしまってしまうのが一番なのだ。
彼女はそれを経験の中で学んだ。
「陛下、今度、遠乗りに出掛けませんこと?」
「遠乗り?」
「ええ、以前わたくしに馬を贈ってくださったでしょう? あの馬は本当に良い馬です。ここのところ乗っておりませんもの。ぜひ、ご一緒に」
「そうか、そうだな。では時間を作ろう。すぐには無理かもしれないが」
そう言ってこちらに微笑みかけてくる。
ああ、言って良かった!
なんて楽しみなことだろう。
「陛下、今宵はずっとこちらにいらっしゃるのでしょう?」
「もちろん」
とまどいがちにそう言う妃に、レーヴィスは笑顔で答えた。
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