第29話 王者
まったく陛下もあの側室にお弱くていらっしゃる。
そんなことを思いながらゲイツは後宮の方角へと歩を進める。
実際のところ、中々足が進まなかった。
エルフィ王を斬ったことは後悔などしていない。いやむしろ、武勲として誇らしく思えている。
しかしあのときの王女の……あの、感情をなにもかも無くしたような表情……そして、王の首に向けられた微笑み。
あれを思い出すと今でもぞっとする。
完璧な彫像。侍女たちの間では、当初はそう言われていたらしい。今では限られた者には微笑みかけることもあると言うが……。
あれは、魔性だ。感情というものをあの瞬間に棄てた、魔性の者。
決して『神に愛でられし乙女』と呼ばれる者ではない。そう思えた。
ふと、足を止める。視界に美しい光景が飛び込んできたのだ。
それは一幅の絵画を思わせた。
銀色に輝く髪が風になびき、そのたおやかな身体に木漏れ日は降り注ぐ。
彼女は周りの自然とともに柔らかな日差しの中で、芸術のように存在していた。
しばらく言葉を無くして見つめていると、その絵画の中の美女は、ふと右手を空に伸ばした。
するとどうしたことか。白い羽を持つ小鳥が巣から羽ばたき、その細い指を止まり木とするではないか。
それはまるで、夢の中の出来事のようだった。
ふと小鳥はそこにいるゲイツの気配に気付いたのか、飛び立つ。
そして美女はゆっくりとこちらに振り向いたのだ。
「ご足労願いまして申し訳ありません」
そう言って軽く会釈する。
その声にゲイツは現実に引き戻され、彼女の元へ歩み寄る。
「……あの」
咄嗟に言葉が出ない。
どうしたものかと思っていると、サーリアが自分の座っている椅子のすぐ横を指し示した。
「どうぞお座りになって」
「いや、それはご辞退申し上げます」
「そう」
妃の一人であるサーリアの隣に、たとえ将軍といえども座れるはずがなかった。
サーリアもそれは理解したようで、無理強いしてくることはなかった。
「では手短に申し上げます」
彼女の凛とした声がゲイツの耳に響いた。
「私の知りたいことはただ一つ。エルフィの民は安寧に暮らしておりましょうか?」
その質問が来るであろうことは王から聞かされて知っていた。答えはすでに用意されている。
「もちろんにございます。我々は駐屯しておりますが、目的は支配ではなく統治。もとより恐怖による支配をするつもりは毛頭ございませぬ。それは叛乱を引き起こす元になりますれば。それに国母となるサーリアさまの故郷、我々が無下に扱うことなどできますまい」
すらすらとゲイツの口から述べられる口上を聞くと、サーリアはすっと立ち上がる。
そしてこちらに振り向くと、背筋を伸ばして言った。
「その言葉に偽りはあるまいな?」
ゲイツの身体がびくり、と震えた。
妙な威圧感があった。なにかが忍び寄ってくるような、そんな違和感を覚える。
空気が、変わった。今しがた、空気が変わった。
切り替わったのだ。今、サーリアは自分自身を切り替えた。それがわかった。
王者がそこに立っている。
「未来の国母たるこの私に忠誠を誓うといい。もう一度聞く。その言葉は真か」
その深い海色の瞳がゲイツをじっと見つめている。
「は、あの、エルフィ国民は元々が穏やかな気性のためか、兵士と談笑する姿を随所に見られるほどでして。しかも商魂たくましく、商売人などは兵士相手に繁盛しているようです。かくいう私も気に入った店があり、そこの店主に先日も、姫さまはご息災かと訊かれまして」
私はなにをべらべら喋っているのだ、と焦る。
意思とは裏腹に口をついて出てくる言葉たち。まるで弁明しているかのようだ。
落ち着け。落ち着かなければ。
「よろしい」
サーリアはゲイツの話を聞くと、満足げにうなずいた。
「ともかく将軍たるあなたがそのように感じているのなら良うございました。陛下もエルフィの民の安寧は保障すると申されておりましたし、恐怖による支配はするつもりがないというその言葉、信じましょう」
「感謝します」
そう言って頭を下げてから、にわかに屈辱感に襲われる。
たとえ未来の国母とはいえ、自分から見れば小娘にしか過ぎないこの女性に、はずみで頭を下げることになろうとは。
なんたる屈辱。なんたる敗北感。
どんな戦であろうとも、こんな思いにかられたことなどただの一度もなかった。勇猛と言われる自分に頭を下げさせるなどと。
ゲイツは再び頭を上げる。
そしてそこに、この世で最も美しい瞳を見た。
冴え冴えとした月の光のような、視線。
「あなたの働きに期待しております」
サーリアがそう囁く。魅惑的な、声。
知っているのだ、と思った。この女性は自分の美貌がどれほどの効果をもたらすか、知っていて演出しているのだ。
そしてゲイツはその美貌に魅入り、抗えない。
「……御意のままに」
全身から冷や汗が流れ出るような感覚がした。
「退がりなさい。今日のことを感謝します。また呼ぶこともありましょう」
ゲイツは礼をすると踵を返す。
アダルベラス王たるレーヴィスの前でも、ここまでの威圧感を覚えたことはない。
彼女の傍から離れることに安堵した。
それから、最も彼女に伝えてはならない事柄を舌に乗せなかったことに。
やはり、あれは魔性の者なのだ。
その思いがゲイツの胸に刻み込まれた出来事であった。
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