第28話 解決策

「気をつけていたつもりだったのだがな」


 その夜レーヴィスが訪れ、サーリアの話を聞くと深いため息とともにそうつぶやいた。


「けれど、事は起こってしまいました」

「そうだな」


 そう言うと、また大きくため息をつく。

 珍しく眉根を寄せて考え込んでいる。憎まれ口の一つも出てこない。


 侍女たちは言った。

 陽の君を陛下が罰することができましょうか、と。

 アダルベラスとオルラーフ。

 無駄な争いを避けるため、王族同士で婚姻関係を結ぶ、といつかレーヴィスが言った。

 つまり逆を言えば、いつ争いが起きてもおかしくない関係性ということだ。

 そして今現在どちらの力が強いのかと言えば、オルラーフなのだろう。それはそうだ。アダルベラスは今、干ばつに苦しんでいる。

 だからオルラーフの王女であったセレスを罰することができない。


 そこで、ふと思う。

 この人は、なぜサーリアにセレスについての話をしたのか。

 話をしようではないか、と言った。後のためにも知っておいたほうがいいだろう、と言った。

 考え込んでいるレーヴィスをじっと見つめる。


 エルフィでは誰も、サーリアになにも言わなかった。アダルベラスから親書が届いたということすら。サーリア自身のことなのに。

 考えるがいい、と彼は言う。

 それはある意味、彼にとって正義ではないのか。

 誰かに決めさせるのではなく、自分で考えろ、と。意思を持った一人の人間として。


 サーリアはふるふると首を振った。

 いや。それこそ考えすぎかもしれない。

 結局自分はいくら考えたって、この後宮に閉じ込められてなにもできないままではないか。


「しかしそなたも大したものだ」

「え?」


 ふと声を掛けられ、顔を上げる。

 レーヴィスは感心したように、まじまじとサーリアを見つめてくる。


「ずいぶんと冷静だったようだ。普通は侍女たちと一緒になって騒ぎ立てるものだろう」

「一度棄てた命だからかもしれません」

「なるほど」


 そう言ってそれ以上はなにも訊いてこなかった。


「ああ、警備の者を何人か寄越す。こちらに届けられる荷物もすべて確認させよう。解決策とは言えないだろうが、なにもないよりましだろう」

「ええ」


 サーリアはその返答にうなずいた。その様子を見て、レーヴィスは口の端を上げる。


「どうせ、万全な解決策など期待していなかったのだろう?」

「え?」

「私の耳に入れられればそれでいい、と思っているのだろう」

「ご慧眼恐れ入りますわ」

「そなたほどではない」


 頬杖をついて、つまらなそうにそう言う。

 レーヴィスの言う通りだった。とにかくレーヴィスの耳に入れる。

 それでいい。あとは彼の態度次第だ。


「できる限り頻繁に、王妃殿下の元にお通いください。こちらは棄て置いていただいて構いませんわ。それでこちらの安全が保証されましょう」

「つまらぬことだ。我が妃ほどでなくとも、もう少し嫉妬してくれてもいいものを」


 そう言って彼は肩をすくめたのだった。


          ◇


 ヒルダは苛々としながら報告を待っていた。

 部屋から出て廊下に立って、側室が住んでいる宮の方角を眺める。


 側室の様子は人の出入りから判断するしかない。

 側室が入宮するときに何人か侍女を募集していたから、オルラーフの息がかかった貴族から紹介させて間者を送り込もうとしたのだが、ことごとく失敗に終わった。


 要は、アダルベラス王はオルラーフをまったく信用していない。


 はあ、とため息が漏れる。

 だいたい私はあの男が気に入らない、と思う。


 セレスが輿入れしたときに、彼はにこやかに相対していた。傍からは完璧な対応に見えただろう。

 実際、セレスは舞い上がっていたようだった。


 だがヒルダが知る限り、セレスに初めて会った男は違う反応を見せたものだった。

 頬を紅潮させて、大事な宝物を扱うように、うやうやしく接する。美しいセレスに気後れする男だっていたものだった。それは国内でも国外でも一緒だった。


 年若い王など、どうせ傀儡に決まっている。

 セレスに夢中になって、オルラーフの血を引く世継ぎをもうけ、いずれはその力を掌握する。

 オルラーフの重臣たちはそれを狙っていたように思う。


 ところが蓋を開けてみれば、まったくの逆だ。

 夢中になっているのはセレスのほうで、世継ぎは生まれず、間者を送り込むことさえままならない。


 あの胡散臭い笑顔の裏で、アダルベラス王は何を考えているのかわかったものではない。


 今このアダルベラス城内でセレスの完全な味方と言えるのは、ヒルダを含めた、輿入れのときについてきた侍女三人だけだ。

 その侍女の一人が廊下の向こうから歩いてきた。ヒルダは壁につけていた背中を上げ、そちらに身体を向ける。


「動きがありましたか」


 侍女は近寄ってきて、声をひそめて言った。


「はい。最初は女性医師が、そのあと男性医師が入っていきました」

「男性? では誰か倒れたのは間違いなさそうですね」

「ええ、でも帰りは落ち着いた様子でした」

「ならば倒れたのは側室ではないのでしょう」


 側室が倒れたのなら、もっと騒ぎになっていてもいいだろう。

 そして誰も死んではいない。死んだら遺体が部屋から出てくるはずだ。


 侍女には幾らかの報奨を与えて下がらせる。

 ヒルダも自室に帰る。部屋に入って扉を閉めて、ふう、と安堵の息を漏らした。


「無事だったか……」


 死ねば死んだで構わない。流産したならそれでも。しかしそれは目的ではない。

 おそらく、このことで警戒した王が妃を蔑ろにすることはあるまい。ご機嫌とりに頻繁に訪れるようになるだろう。当面はそれで充分。

 できれば何の証拠もないまま妃が犯人だと騒ぎ立てて欲しかった。そうすれば今度はこちらが被害者の顔をして攻められる。


「そこまで望むのも無理な話か……」


 そうつぶやいて部屋の中ほどにあるソファに座り込んで身を預ける。

 これでいい。王が妃のほうを向いてくれればそれで成功と言っていい。


 今はとにかく、セレスを落ち着かせることだけを考えよう。

 お可哀想な姫さま。オルラーフの誇りである姫さま。

 彼女の悲しい顔などもう見たくはない。


 けれどさすがに世継ぎをもうけないまま、だなんてことは不可能だ。

 アダルベラス王を失脚させたいわけではない。セレスの夫である彼には、国内での力はつけておいてもらいたい。

 アダルベラス王にはただ、セレスを大事にして欲しいと思う。側室よりも、世継ぎよりも。それだけだ。


「あの女は死んだの?」


 ふと、今まで誰の気配もなかった部屋に女の声がして、ヒルダの身体をびくりと震わせる。


 いつ部屋に入ってきて、そしていつ背後に回ったのだろう。

 セレスがヒルダの後ろに立ち、詠うようにそう言った。

 その様子に自分の主とはいえ、背筋が寒くなる。


「……妃殿下」

「死んだの?」

「いいえ」


 そう言って首を横に振り否定すると、セレスは深く落胆のため息を吐いた。

 この計画は、セレスはなにも知らないはずだった。しかしこうして側室の生死を聞くということはなにか勘付いていたということだろう。

 ヒルダは覚悟を決めて立ち上がって言う。


「セレス妃殿下。だいたい、今の側室が亡くなっても次の側室を迎えるだけでございましょう。何人殺しても根本的な解決にはなりませぬ」


 その言葉を聞き、セレスは侮蔑したような視線をヒルダに向けた。


「幼い頃からわたくしを見てきたというのに、なにもわかっていないのね」

「は?」

「陛下が側室を迎えられるのは、もちろんわたくしにとって面白いことではありません」

「ええ……」

「思えば、陛下が侍女や令嬢たちにお優しいのなんて、当たり前のことだったわ。国王ですものね。もう、わたくしったら。その程度で嫉妬などと、わたくし、ずいぶん余裕を失っていたのねえ」


 物憂げにそんなことを言う。


「でも正室たるわたくしが身体を損ねてしまったのですから、側室を迎えられても詮無きことと最近は思うようになったのよ?」


 うふふ、と笑って楽しそうに言う。


「わたくしも大人になったでしょう?」

「え、ええ」


 なんだろう。セレスの様子が……おかしい。


「わたくしが嫌なのは、あの女だから。あの女に死んでいただきたいの。ヒルダならわかってくれると信じていてよ?」


 それだけ言うと、セレスは退室していく。

 彼女の背中を見送ったあと、呆然とその残り香を嗅ぐ。


 今ここにいたのは、本当に自分の主人だっただろうか?


 お可哀想な姫さま。オルラーフの誇りである姫さま。


 今ここにいたのは、本当にヒルダの知るセレスだっただろうか?


 急に寒くなってきたような気がして、ヒルダはぶるっと身体を震わせた。

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