第21話 陽の君
ひょっこりと部屋の入り口から覗く愛らしい顔に、侍女の一人が気が付いた。
「あら、ヴィスティ殿下。どうぞ遠慮なさらずお入りになって」
「いいの?」
おずおずと言う少女に、侍女の後ろからサーリアが声を掛ける。
「もちろんですわ。歓迎致します」
部屋の主にそう言われたことで安心したのか、ヴィスティはにっこりと微笑むと、部屋の中に入ってくる。
「よかった。歓迎していただいて」
「なにを仰います。この王城は殿下のお父さまのもの。私はお慈悲をいただいてここにいるだけですもの。殿下が遠慮なさることはないのですよ」
多少、自虐的すぎた表現を意識的に使う。しかしその言葉に少女は安堵の表情を見せた。
「ねえ、月の君」
「なんでしょう」
用意された椅子に腰掛けながら、ヴィスティは矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。
「中庭に白い鳥が巣を作ったのをご存知?」
「いいえ?」
「では今度案内して差し上げるわ。とても可愛らしいの。雛もいるようなのだけど、雛は白くないの。ときどき顔を覗かせるのだけれど黒い模様があって、あ、その巣を見つけたのはね、……」
目の前にお茶や茶菓子が出されても、ヴィスティはそれには目もくれず、喋り続ける。
まるで今まで溜め込んだ言葉たちが制御できないまま口から滑り落ちているようだ。
サーリアはただ黙って微笑みながら、会話の端々でうなずくだけだ。けれどヴィスティはそれが嬉しいようだった。
話が一息ついたとき、サーリアは彼女の目の前に置かれた茶菓子を指し示す。
「よろしければ」
ヴィスティはたった今気付いたかのように、嬉しげに笑った。
「いただきます」
小さな手で碗を持ち、喋りすぎて喉が渇いたのか一気に半分まで飲み干した。
それからまた身の回りで起こった小さな事件たちを喋り始める。
文法もなにもあったものではない。ただ、頭に思い浮かんだことを次々と羅列しているだけのようだった。
しかしサーリアはそれを根気強く聞いた。
なぜヴィスティがそんな風に喋るのかわかるような気がしたからだ。
しかし、そんな少女がふと口をつぐむ。視線は入り口のほうに向いていた。
なにごと、とサーリアもそちらに振り向くと、見目麗しい金髪と空色の瞳を持つ女性が、開け放たれたままの入り口の向こうに凛として立ち、ヴィスティのほうを見つめている。
この女性が誰であるか、聞かずともわかった。
「……お母さま」
「こんなところでなにをしているのです」
その声には抑揚がなく、静かに怒りを押さえているような響きがあった。
サーリアは椅子から立ち上がり、頭を垂れる。
「セレス妃殿下でいらっしゃいますね? お初にお目にかかります、陛下にお慈悲をいただいておりますサーリアにございます」
妃はそれをつまらなそうに一瞥してくると、返事もせずにヴィスティに向かって言う。
「姿を見掛けたので追ってみれば……なんてはしたないこと。ヴィスティ、さあ、いらっしゃい」
「……はい、お母さま」
ヴィスティは萎縮した様子で椅子から立ち上がり、侍女たちに軽く会釈して母のほうへ歩く。
サーリアはその様子を見て、口を出した。
「セレス妃殿下、どうぞヴィスティ殿下をお責めにならないでくださいませ。私が無理にこちらにお誘い致しましたの」
「側室殿は黙っていらして」
ぴしゃりと言う。サーリアもさすがにその言葉に眉をひそめた。
「では失礼」
そう言い捨てるとさっさと自室の方角へ歩き出してしまう。
ヴィスティも慌ててその後を追う。そして不安げな瞳で一度振り返った。
サーリアが軽く首を縦に振ってみせると、ヴィスティはほっとしたようにうなずいた。
「いくらなんでも、あの態度はないですわ」
侍女の一人がサーリアの後ろに立ち、憤慨したように言った。
「これでおわかりいただけたでしょう? 私どもが陽の君を悪し様に言う理由が」
「そうね、少し気の強い方かもしれないわね。殿下が怒られなければいいけれど……」
怒られるとしたら、もうこの部屋には呼ばないほうがいいのかもしれない、と思った。
◇
「我が妃がここに来たとか」
次に来訪してきたとき、レーヴィスは開口一番そう言った。
いつのまにか最初の頃のような堅苦しさは抜け、まるで自室かのようにさっさと椅子に腰掛けてしまう。
侍女たちもただ、邪魔にならぬよう振舞うだけだ。
「ご存知でしたか」
「当事者から聞かされた」
つまらなそうにそう言う。
サーリアは向かいの椅子に腰掛けながら問うた。
「それで、ヴィスティ殿下はいかがなさいまして? ひどく叱られませんでしたこと?」
「いや。妃は姫を叱ったりすることはない」
それは意外なことと、サーリアは首を傾げた。
「叱るほうがまだましだ」
そう言ってレーヴィスは額に手を当て小さく息を吐く。
母は娘に侮蔑したような視線を向け、大きくため息をつくだけ。
これが本当に親子かと疑うほど、彼女らの間に会話はない。
ここに来たときにヴィスティに投げかけた言葉はむしろ珍しいものだったのだ。
『お母さまは、私がお嫌いなの』、というヴィスティの言葉が頭の中に蘇る。
「その分、なるべく姫に構うようにしているのだが、行き届かぬことも多くて」
ときどき、ふと姿を消しては泣きはらした目で帰ってくる。
その姿がまた苛つくのか、妃はため息をつくばかり。
「世継ぎでなくとも、可愛い娘には変わらないと思うのだが」
レーヴィスはそう言って眉を曇らせる。
サーリアだってそう思う。男であろうと女であろうと、自分の子なら無条件に可愛いのではないだろうか。
しかし現実は、そうとは限らない、とささやいてくる。
「女性にはすべて母性本能というものがあるというが。どうだ?」
両肘を机に置き、手を組んで口元を隠してそう言う。覗く濃緑の瞳が面白そうに笑っていた。
「私はまだ出産というものを経験しておりませんので」
「経験していただきたいものだ」
いつのまにか、侍女たちは退がってしまったようだった。
レーヴィスは立ち上がり、サーリアの傍に歩み寄るとふいにその細い手首を掴んで立ち上がらせた。
「なにを……」
「なにを、とはおかしなことを。名実ともに夫婦となったというのに、妻に触れてもいけないのか」
「疲れておりますの。どうか今宵は」
ご容赦を、と言おうとするのを唇で塞がれる。強く抱き締められ、強張っていた身体から力が抜ける。
「今宵は……なんだ?」
唇がようやく離れたとき、低い声で耳元にそうささやかれる。
しかし、サーリアは精一杯の抵抗を試みた。
「……エルフィの民が安寧に暮らしているのならば」
その言葉に興ざめしたように、レーヴィスは腕を解いて肩をすくめると、また腰掛けていた椅子に戻る。
「それが条件だからな。いいだろう。先日、エルフィに駐屯していた兵の一団が戻ってきた。ゲイツ将軍が率いていたが、彼から話を聞くか?」
「将軍……」
父を目の前で斬った、あの男だ。
「嫌ならこちらは構わないが」
「いいえ」
意地悪く言うその言葉に、サーリアは首を横に振った。
「ぜひに話を聞きとうございます」
「ではゲイツにそう伝えておこう。彼も帰国したばかりだから、すぐというわけにはいかないが」
そう言って、腕を上に伸ばして軽く伸びをする。
「お疲れのようですから、どうぞ寝所のほうへ」
サーリアが立ち上がりながらそう言うと、彼は何度か瞬きしたあと、苦笑して答えた。
「今のは別に、催促したわけではないぞ」
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