恋は当たって砕けよ

がんざき りゅう

恋は当たって砕けよ

 エリハさんとのデートは今日で3回目。

 まだ『好きです。つきあってください』と告白していないけど二人きりのデートに3回も付き合ってくれるなら十分に脈ありと思っていいよね・・・多分。

 エリハさんはボクと同じ会社に勤める一つ下の後輩だ。新人研修を終えたばかりのエリハさんと少し仕事が回せるようになったボクが、急遽立ち上げられたプロジェクトチームにそろって配属されたのが半年前。出会ったときから、ボクはエリハさんに心惹かれた。

 洗車したてのセダンタイプの格安中古車を運転して待ち合わせ場所である駅のロータリーにエリハさんを迎えに行く。


「おはようごさいまーす」


 茶色のマウンテンパーカーと黒のスキニーパンツ、紺のスニーカーの出で立ちで現れたエリハさん。

 爽やかさと華やかさのバランスよい香りと一緒に助手席に乗り込んできた。

 じつは、今日のデートには二つの目的があった。「好きです。ボクと付き合ってください」と告白してエリハさんを彼女にすること。

 ボクの趣味を知ってもらうこと。

 できればその趣味を理解してほしいと思っている。ボクの趣味はとってもマイナーで女性にはほとんど人気がない。そればかりか、あからさまに毛嫌いする人もいるくらいだ。もし、趣味の分類を生業とする研究者がいるならオタクというカテゴリーに推薦状付きで入れてもらえる趣味だと断言できる。

 だから、ボクの趣味についてはエリハさんにも職場の仲間にもずっと内緒にしてきた。でも、この趣味を内緒にしたままエリハさんとお付き合いをするのは失礼だと思う。

 この趣味もエリハさんも大切にしたいボクは、これからある場所にエリハさんを連れて行き、そこで二つの目的を果たすのだ。

 エリハさんには今日のデートの行き先を教えていない。下心があると疑われても不思議ではないシチュエーションだ。さすがにエリハさんも気になるのか、好奇心いっぱいの目をして尋ねてきた。


「今日は山さんにとって大事なところに連れて行ってくれるとのことでしたが、それはどこなのでしょう? ヒントぐらいほしいです」


 誰もがボクのことを山さんと名字を短くしただけのあだ名で呼ぶ。エリハさんもそう。


「目的地は高速に乗って3つ目のインターで降りたところにあります」

「えーっ、ヒントはそれだけですか。ちょっと意地悪です」


 子供みたいにすねるエリハさん。かわいいのでもう一つヒントを出して差し上げましょう。


「では、もう一つヒントです。“ら”で始まるところです」

「ら、ら、ら・・・ラブホテル!」

「ち、ち、ちがいます!」


 ごめんなさい。ボクのヒント、最悪でした。あ~、エリハさんも顔を真っ赤にして下向いちゃってます。今日の目的地はそこではありません。安心してください。ちょっと気まずい雰囲気になっちゃいました。話題を変えましょう。

 そういえばエリハさんの趣味について聞いたことがなかったと今さらながら気がついた。


「ところでエリハさん、趣味はないの?」

「うーん、今は仕事に慣れるのに精一杯。昔、やっていたことがあるにはありますが・・・」


 なんかエリハさんはこの話題に触れてほしくないみたいだ。少し困った顔をしている。エリハさんが実はBL漫画が三度の飯よりも好きなんですと告白してきてもボクは大丈夫ですよ。

 インターチェンジを降りて5分ほど走ると目的地の駐車場に着いた。


「ここは・・・」


 エリハさんはつぶらな瞳をパチクリさせて周りを見回した。

 入り口に『ラジコンアリーナ』とこじゃれた文字の看板、100台は駐められる広い駐車場の隣に体育館よりも一回り大きい倉庫のようなカラフルな色の建物が二棟連なっている。その屋内にはオフロードやドリフト、ツーリングと3つのカテゴリーのラジコンカーを走らせることができるエアコン完備のサーキット場が整備されている。

 そう、ボクの趣味はラジコンなのだ。


「ラジコンサーキット場です。ラジコンって知ってます? 公園など小さな子供が遊んでいるものとは違うものです。オモチャというよりホビーという言葉がピッタリな感じなんですけど・・・興味ないですよね」


 ボクの問いかけにエリハさんの反応はなかった。むしろ少しムッとした表情になった。

 デートの先行きに暗雲が立ちこめてきたようだ。

 デートにはあまりふさわしくない場所であろうことはわかっていた。

 だからこそ、ラジコンサーキットの建物はもちろん、トイレもきれいで、併設されているラジコンショップも品揃えが充実しているここを選んだのだ。メジャーなスポーツ同様にラジコン界にも日本選手権や世界選手権があることをほとんどの人は知らないと思うけど、このサーキットはこれまで何度もその会場になった由緒正しい場所でもある。

 でも、ここを選んだ最大で本当の理由はボクのホームサーキットだからだった。ボクはラジコンを1年前に始めてからというもの、2週間に1回くらいここに来て10分の1電動ツーリングカーというカテゴリーのラジコンカーを走らせている。

 ボディーは原則として市販されている自動車限定とし、バッテリーとモーターで走るラジコンだ。ボクはまだまだ未熟なので時速40キロくらいの速度で走るストッククラスと呼ばれるレースにでるのが精一杯、だけどもっと過激で早いクラスは時速100キロを超える。

 不安を抱えたままボクは車から降りてトランクを開けた。中からラジコンカーと充電器など諸々入っているキャスター付きのキャリングバッグをよいしょっと引っ張り出す。エリハさんも車を降りてきて、ラジコンカーを操縦するプロポが入った黒のポリエステルのバックを無言のまま持ってくれた。

 中に何が入っているんですか?と聞いてこないところがさらに不安にさせる。しかしながら、プロポバッグを持つエリハさんの姿は妙に様になっていてカッコいい。

 ラジコンセット一式を持ってボクとエリハさんは受付も兼ねているショップに入った。平日で、しかも開店した直後ということもあってどうやらボク達が最初のお客みたい。

 お店のカウンター横にある作業用テーブルで顔を寄せてラジコンの組み立て作業中のサーキット場オーナー、通称“オヤジさん”は入って来たボク達に気づかない。ボクはオヤジさんに声をかける。


「オヤジさん、走らせに来たよ。3時間コースね」

「おおっ、これはこれは久しぶり」


 顔を上げたオヤジさんの視線はボクが予想していたとおり最初にエリハさん、次にボクに向けられた。オヤジさんもボクが可愛らしい女性同伴で来るなんて思ってなかっただろうから、当然な反応といえる。

 ボクはオヤジさんに軽く会釈するとすぐ後ろにいたエリハさんは声に出して挨拶した。


「こんにちは」


 こんな場所でもちゃんと挨拶できる人はそういない。さすがエリハさん、素敵です。

 声をかけられたオヤジさんもニコニコ顔で元気に挨拶を返した。


「はいっ、コンニチハー」


 さすがバツイチ中年オヤジ、エリハさんの可憐な姿にメロメロにされちゃいましたか。

 オヤジさんはよいしょと立ち上がるとカウンターまで来てボクから一人分の走行料を受け取り、差し出したメンバーズカードの有効期限を形式的に確認するとカードを返した。


「手ぶらで来たあの子は山さんの彼女かい?」


 オヤジさんはいつの間にかボクから少し離れてずらりと並んだラジコンキットの箱を眺めているエリハさんに目をやり質問してきた。


「いや、まだ彼女ではないけど彼女にしたい子なんだ。じつはこれから告白するつもり」


 ボクはエリハさんに聞こえないように小声で答えた。


「ここで・・・かい!?」

「そのつもりだけど、だめかな」

「だめじゃないけど、相手が相手だけになあ。山さん、あんた度胸あるなあ。俺にはできん。まあ、山さんならお似合いだとは思うけど」


 けなしているのか誉めているのかよくわからんオヤジさんの言葉にとりあえずボクは応援してねとお願いして荷物を転がしサーキット場に向かった。

 エリハさんもついてきて、ショップを出るときにオヤジさんにペコリと頭を下げた。どんなときでも相手を気遣うエリハさん、素敵です。

 オンロードのサーキット場はバスケットボールコート程の広さの中に2メートル幅のカーペットコースがくねくねと入り込んで描かれており、その一辺には階段で上がる操縦台、残りの3辺の周りにはピット作業用のテーブルがいくつも並べられている。

 ボクがテーブルに工具や充電器などの機材を並べている間、エリハさんは無言のまま口を少しとがらせて向かいの席に座っていた。

 やっぱり、ラジコンが趣味の男性は嫌いなのでしょうか? でもこれが偽りのないボクなのです。

 準備も完了した。バッテリーも充電してきてあるのですぐにでも走らせることができる。だけどその前にやらねばならぬことがあった。ボクは大きく深呼吸してから覚悟を決め、姿勢を正してエリハさんと改めて向き合う。エリハさんも少し緊張した表情でボクを見つめ返した。


「エリハさん、ボクはエリハさんのことが好きです。ラジコンが趣味のボクですが、良かったらボクの彼女になってください」


 少し間が空いた。お互い次の言葉が出てこない。

 そんな状況を気にもしてないオヤジさんがボクたちのいるテーブルまでのこのことやってきた。手にはオヤジさんがレースで使っているラジコンカーとプロポがあった。


「山さん、どう? 愛の告白うまくいった? 多分これが必要だろうと思って持って来ちゃったよ。バッテリーはちゃんと充電済みだよ」


 ボクとエリハさんは同時にオヤジさんの顔を見て、そして二人で顔を見合わせた。いつの間にかエリハさんの瞳は子供が念願のおもちゃを買ってもらったときのようにキラキラしていた。


「山さんにお返事する前に二つ条件があります。受けてくださいますか?」


 そう言われたらボクは受けるしかありません。


「わかりました。その二つの条件とはなんですか?」

「その・・・一つは、今すぐ山さんとわたしでラジコンレースの勝負がしたいです。わたしはオヤジさんのクルマを借ります。ところでレースの準備はすぐできますよね?」


 そう言ってエリハさんはオヤジさんに尋ねた。


「そういうことなら大歓迎だ。2分で準備するよ。5分間の周回レース1回勝負でいいよね」


 オヤジさんはニヤニヤしながら承諾してくれた。


「オヤジさんありがとう。山さん、もう一つの条件は操縦台に上がった時に話しますね」


 エリハさんはそう言ってオヤジさんからプロポを受け取るとボクの返事を確認することなく操縦台に小走りに向かった。

 ボクはまだエリハさんにプロポの使い方を説明していないことに気がついた。オヤジさんの大事なプロポだから、変に設定とかいじられてもかわいそうなので動かす前にちゃんと説明しておかなくてはいけない。

 オヤジさんに自分のラジコンカーを急いで渡す。


「車出し、お願い」


 車出しとはコース上にラジコンカーを置くことだ。

 ボクは急いでマイプロポを持ってエリハさんのあとを追いかけた。

 エリハさんはすでに操縦台の真ん中に陣取っていた。僕が近づくとニカッと爽やかな笑顔を向けてきた。ところでエリハさん、ボクが勇気を振り絞った告白はどうなっちゃうのでしょうか? そんなボクの心配をよそにエリハさんは話しかけてきた。


「二つ目の条件は、このレースでわたしが勝ったら、山さんの彼女としてお付き合いします。さっきの申し出やっぱなしは無しですからね」


 エリハさんが手にしているプロポから軽快な電子音のメロディーが流れる。初めて触るプロポなのに電源の入れ方がよくわかったなあと感心している・・・場合じゃありません! エリハさんは自分が勝ったらボクの彼女になるって言っているけれど、それって彼女になってもらうためには、ボクが負けることが絶対条件ということですよね。だってエリハさんが勝つことはあり得ませんよ。確かに腕はまだまだ未熟だけと、初めてラジコンを操縦する人に負けるはずはありません。ボクが手加減してわざと負けると思ってますか? つまり、これってボクとのお付き合いは絶対に嫌だと遠まわしに言ってるんですよね。やはりそうですよね。ボクだけ想いが空回りしていたんですね。ああ、告白しなきゃよかった。帰りの車の中は気まずい雰囲気で嫌だなあ、辛いなあ。

 エリハさんの横に並んだボクは肩を落とした。プロポの使い方を説明する気もとっくに喪失していた。仕方なしに自分のプロポの電源を入れる。

 中級者のボクならば、エリハさんに負けることはない。ラジコンは経験値の高い人が勝つものだ。仮にボクがわざと負けてエリハさんが彼女になってくれたとしても速攻で別れを切り出されるのが目に見えている。それに付き合ってもらうためにわざと負けるボクなんてエリハさんの彼として相応しくない。


「おーい、山さーん」


 ボクを呼ぶ声が操縦台の下から聞こえてきた。声の主はボクとエリハさんが運転する車出しをしてくれたオヤジさんだった。絶賛落ち込み中のボクは頭を出してのそっと覗き込む。オヤジさんは、これから始まる勝負が楽しみでしょうがないという顔をしていてちょっと癪に障る。


「山さん、一つアドバイス! その子は高校生の時に10分の1電動ツーリングカーの日本選手権で三位になったこともあるウチの元常連さんだよ。お父さんももちろんラジコンマニア」


 ボクはすぐに顔を上げた。タイム計測用ポンダーの動作確認のため動き始めたエリハさんのラジコンカーを目で追いう。エリハさんが操縦するラジコンカーはコース壁面に一度もぶつかることなく、あっという間に一周してスタートラインにピタリと停止した。なんてこった!


「オヤジさん、それまったくアドバイスになってませんよ!」


 オヤジさんのインパクト絶大な助言のせいでインコーナーに設置してある薄い円盤状のオレンジ色のパイロンに二度も乗り上げたボクのラジコンカーもようやくスタートラインにたどり着き、エリハさんの横に並んだ。

 スタートのシグナル音を待つ二人。


「わたしも山さんのことが好きでした」


 視線をラジコンカーに向けたままエリハさんがボクにだけ聞こえるように囁いた。

 これってボクが負けることが確定事項なのでしょうか?

 これって喜ぶべきことなのでしょうか?


「まったく勝てる気がしないんですけど」


 ボクは可愛らしくも真剣な表情をしたエリハさんの輪郭を視線でなぞりながらオヤジさんに届くように声のボリュームを上げてぼやいてみせた。でも、オヤジさんにはボクの顔がにやけっぱなしなのはお見通しだったに違いなかった。

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