第23話 終末ー3 白染めの友情と黒塗りの絆
結局のところ、やはり俺たちは彼らと同じ人類ではなかった。何の脈絡もなく、ある日突然この地上に現れたに過ぎなかった。レーグルが教えてくれた学者たちも、キリストも、グレゴリウスも、ゴーガンも、ジョブスも縁もゆかりもない人たちだったし、どんな
二○三五年に俺たちの先駆けが地球に降りて、二○四三年に緊急避難用の宇宙機が打ち上げられるまで、このたった八年間が、旧人類と共同してこの星にまともな歴史を刻んだ時間だ。
俺の三つ年下、身体年齢で一九歳になる黒髪の彼女が誰とも知らない亡骸の隣に座ると、地面が飛び上がるような不気味な揺れがした。『最終防衛システムが起動しました』、電子音で地上の街から放送があり、静寂が再びがらんどうの教会建築を満たす。間もなく一枚の電力板が穴の開いた天井から姿を見せた。それは日に煌いて眩い光を上げると、別の世界から降りてきた神の啓示にも似た厳かな様子で、ゆっくりとレーグルの手元に吸い込まれる。彼女はそれを確認して床に置き、はぁ、と深い息を吐いて空を見上げた。
「たったいま、地殻津波の発生を観測しました。到達まで、あと九時間です」
同じようにして見上げる。この地下から覗く無音の空には、また青い膜が張っている。その膜の向こう側、荒れ狂う暴風に木々が吹き飛ばされ、全天を覆うような稲光が輝き、熱波が雲を押し上げ、滝にも似た大雨が流れていく。きっと隕石落下の衝撃によるものだ。この街がなければ、俺たちはいまにもおしまいだったに違いない。
地下から、火の粉を上げて奔る雷を眺める。いま、世界が終わるとしたら、きっとここからだ。いつかオルダで考えたことを、ふと思い出した。
俺は燃えて死ぬだろうか。潰されて死ぬだろうか。息ができなくなって死ぬだろうか。もはやどう足掻いても眠るように死ぬことはできないだろう。やっぱりあのとき殺してもらっておけばよかったとまでは思わないが、何をどうする気も起きない。深く息を吐いて腰を下ろすと、ヘンダーソンが大きく伸びをして床面に寝転がった。
「古語でばっか喋ってやがるから、お前らが何言ってるかさっぱり分かんねえけど、うわー、やっぱ死にたくなくなってきた。痛いのも苦しいのも嫌なんだよなぁ」
死にたくない。隣から飛んできた言葉に、ふと胸が打たれる。命ある限り息絶える。けれど、どれだけ割り切っても心を零にすることはできない。そんな当たり前のことを、改めてこの小男に教えられた気がした。
九時間。何もしないでいるのは惜しい時間だ。俺にとってはいまさらだが、こいつだけこの世界の本当を知らないで死んでいくのはおかしな感じがする。シルダリアは一人どこかに飛び立ってしまい、レーグルは誰か、彼女の大切な人の亡骸の隣で静かに目を閉じていた。
『巨大な翼』、その上に吊るされた短針と長針の時計が時間を刻む。とても終末とは思えない穏やかな空間で、
ヘンダーソンとはいつの間にか友達だった。弟を含め、三人の友達だった。やつは昔から男らしかったというわけではなかった。ときおり俺ですら見間違う中性的な線の細い顔立ちと、小さな身体と、柔らかい白に染まる
オレも紅色になったら良かったのに。そんな泣き言を何度となく口にしていたヘンダーソンは、いつからか俺よりずっと男らしくなって、
世界の本当について馴染み深いバイコヌール語で話して聞かせると、長い間があった。光が差し、時計の音だけが響くがらんどうの建物。寝転んだまま見上げた青い膜の向こうには、いまだ熱波、暴風、稲妻、豪雨と大荒れの景色。目を焼かんばかりの超常的な激烈さと無音の空虚が奇妙に同居する世界のなかで、俺たちの間には
「この色さ」
隣で、未だ白いままの
「好きになったよ、お前のおかげで」
小さな感謝の声が響く。風が流れ、言葉を運んで、宙を舞い、柔らかな熱に溶けていく。それは良かったと返す。あといくつ繰り返せるか分からないヘンダーソンとの問答。その一つがこんなに暖かいもので本当に良かった。不意に涙が出てきて、思わず身を起こす。
目に入ったそれには、驚いて声を出すまでもなかったかもしれない。この建築物の入り口付近の壁際に、
――それから、遅れたけど、
黒髪の少女は亡骸から離れ、一つ一つの思い出を噛み締めるようにこの建物のなかをゆっくりと歩き回っている。生きているものしか見えない。生物に由来する光源しか認識できない彼女は、なるほど自ら光っても視界を確保できるわけだ。
古い棚からいくつか引き抜いて読んでみる。全て俺の手のひら程度の大きさの本たち。小さくて見辛いが、できる限り解読すれば、どれも
ふと疑問に思う。現代に残された
『ニ〇〇〇年代の科学的展望について』
中原愛星 Gestttine・Eswwwald・Attteria・Hale 共著
いつの間にか隣に立っていた小柄な著者に向かって疑問を飛ばすと、静かに言葉が返ってきた。
「いえ、わたしたちが緊急脱出用ロケットに乗せた書籍はそのまま完品でした。こんな設備でもなければあの災害のなかで特に厳重保存されていなかった新しい年代の書籍類はほとんど残らなかったでしょうから、塗り潰されたのは恐らく」
――わたしの同船者たちが、空から降りてきたあとですよ。
脳内で情報を整理して、物語が組み上げられる。つまるところ、こうだ。六○○年前の大災害に際して、多くの人類と俺たちの祖先が地球に残された。災害の混乱に記録も記憶も喪失するなかで、地上人類が先に絶滅すると、俺たちの祖先は数少ない過去の遺物から自らを人類の進化種として誤認識した。環境に適応して進化した自分たちが生き残り、できなかった者たちが死んだのだと。本当のところ、俺たちはこの地球には縁もゆかりもない。
しかし、改めて空から降ってきた人類は俺たちの『現人類』という自任を否定しなかった。それどころか、持って降りた
何か良いことでもあったか。起き上がって聞いてくるヘンダーソンに説明する。顔を綻ばせた小男と、こん、と強く拳をぶつける。それにレーグルが合わせようとするので、二人して腰をかがめると、三人分の乾いた音ががらんどうの教会を満たした。
拳を軽くぶつけ合わせる行為。
身体をほぐして、空を見上げる。と、そこで、今度こそ俺は驚くべきものを見た。
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