第22話 終末ー4 Second sun’s man
白い塗料で文字が書かれた通路突き当りの壁を見て、彼女は一人呆れたように笑った。俺がシルダリアにするのと同じ、よく見知った知人のとんでもない振る舞いに対する反応に似ている。
彼女が手を触れると、背の肩口が金色に輝き、認証された音が響いた。裂けるように扉が開く。視界に拡がったのは、
おい待て。そう言いながら、彼女が向かった方を見て、静かに息を呑んだ。
「嘘吐き。一○○○年待ってくれるっていったのに、六○○年も待ててないじゃないですか」
紡錘状の空間の中央に置かれた
拳を震わせ、地を踏みつけ、彼女の身体がなせる最大の暴力を発揮する。狂って取り乱した小さな影。気圧されているばかりではいられない。このままでは口にする呪詛に彼女自身がとり殺されてしまいそうだった。何が何だか分からないがそれだけは駄目だ。
一気に駆けだした直後、爆音。慌てて足を動かした俺とヘンダーソンに代わってレーグルを正気に戻したのは、振り上げられた一発の銃声だった。
中空に浮くシルダリア。彼女が背に負う八枚の
「あなたも、随分と加減のないことをしますよね」
「教えてよ。分かるでしょ、全部。私たちは何者で、
「――分かりました。まず、はじめの質問には、こうお答えしましょう」
天才たちの視線が交差するなか、俺は目を奪われた。日の差し込む教会。地に立つ小さな黒髪の少女と、桃色の
俺たちは何者か。旧人類と二割しか共通点を持たない現人類の問い。生物実験により生み出され、文明を学習させられた怪物でなければ、何なのか。レーグルは心拍が早まるばかりの俺に顔を向け、小さく目配せをすると、もう一度深く息を吐いて、尊敬の色合いすら含んだ優しい声で滑らかにそれを口にした。
「あなたたちは、英知を抱え、宇宙から降りてきた、
ぎょしゃ座、連恒星カペラに属する、カルダシェフ・スケールⅡの文明。
そちらの言葉で、『降り立つところ』。氷のない星。
オルエイクハルが、あなたたち、『
彼女が語って聞かせたことには、こうだ。二○三○年代初頭、科学研究によって地殻活動や地磁気の異常活性が観測され、終末――第六次大量絶滅期――が近づいていることが明らかになると、世界は直ぐに大混乱に陥った。そして一年の間もなく、第三次世界大戦が勃発した。大戦は加速する不老不死研究の利権を争ったもので、軍産複合体間の電子戦争から派生し、あっという間に国家の実際の武力が株式会社たちの代理を務めることになった。重力兵器がウラジオストクを地表面から剥ぎ取り、二発の熱核兵器がウェストバージニア州を黒焦げにし、いよいよ遺伝子ドライブが間接的に人類種そのものを淘汰してしまう勢いだったとき、同じく戦争で母星から逃げ出した俺たちの祖先は、道中で拾った宇宙機のゴールデン・レコードなる地図を頼りに、巨大な家畜たちを連れて地上へ降り立ったらしい。
世紀末の戦争のなかで、空に描かれた光景はあまりに劇的だったという。俺たちの祖先が地球の空気を吸いこんだとき、惑星オルエイクハルは連恒星からダイナモ環で吸収した熱量を誤変換して目を
案外、ウィリアム・ハーシェルのお話も馬鹿にしたものではないかもしれませんね。
そう区切って、彼女は続ける。
「大地に降り立った
短くない議論の末、俺たちの祖先は彼らなくしては造られ得なかった宇宙機に乗らず、残された人々と共に暮らすことを決めた。二度も逃げ出すようなことをしたくない。そう言ったという。続く災害のなかで、地上にある文明は根こそぎ消え去って、地に足をつけたままの旧人類は身体の脆さのために絶滅した。
俺たちの祖先と旧人類は間に子を成すことができなかった。代わりに、愛し尊敬しあう彼らは、絆の単位一三・二一メートルで規格を合わせ、限られた精一杯の機能を持たせ、祈りと号数と名を刻んだそれを世界各地に設置した。それは空に逃れた誰もがどこに降りてきても分かるような目印であり、利用可能な科学資源であり、人類史を伝える遺構であり、世界最後の集団芸術であり、彼らの愛の証だった。
「『
彼女は背後の円錐状の構造物を軽く叩いた。俺が驚いて一歩後退るのと同時に、小さな少女の背の肩口にある生体部品が服越しに輝き、
嫌な予感があったんです。レーグルはさらに口を開く。
ほかの誰もが冬眠に入った宇宙機で一人不安感に駆られて研究を続けた彼女は、ある事実を突き止めた。二○○○年代初頭の災害群は第六次大量絶滅期の序波に過ぎない。地球環境が落ち着き始めてしばらくの中間沈静ののち、隕石衝突と合わせて本波というべき終末が始まり、今度こそ地球は二度と生命が存在できない星となる。
移住可能なほかの惑星は見つかっていない。同船したほとんど全員の冬眠時間は六○○年であり、ほかの『レーグル』は五九七年だった。地球環境が旧人類の生存に適するほどに落ち着くのには遅くて六○○年前後かかるといわれていて、技術的基盤のない未開の荒地からはじめて本波を逃れるには、予定された期間、三三年では足りないだろうと思われた。他人の覚醒投下時期は操作できなかったから、自分のそれを一部の食料投下機構と連動させて『レーグル』の一○年前に設定し、眠りについた。彼女は危険のなか一人先駆けてこの星を救うことを選んだ。
ところが、急造された宇宙機の機能の欠陥により、黒髪の少女は予定よりずっとあとの時代の
地上には生き残った俺たちの築き上げた都市があったが、レーグルを含めた
「はじめから全部知っていたはずなのに、何もできなかった。わたしが空から降ってきて、そのまま世界は終わってしまう。ねえ、アコウギさん言いましたよね。わたしはあなたたちにとって文字通り祟りの星だったわけですが、どうします。嫌なやつで済みますか」
「あんたは悪くないよ」
聞かれて、即答する。ほとんど理解が追い付かない言葉たちのなかで、それだけが唯一確信を持って返答できるものだったからだ。涙を浮かべたまま目を見開くレーグルに、そのまま強い意志の視線を送る。彼女は戸惑った表情を浮かべたあと、やっぱりアコウギさんは優しい人ですね、と付け足し、これがわたしの知る全てです、と区切った。俺から目を逸らして、こんな街をわたしに残したって、死んじゃってたらどうにもならないでしょうにと消え入りそうな小さな声で加えたのは、聞かなかったことにしておいた。
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