第20話 アポカリプス・イブー2

 あなたが地界ちかいを出てから、描空領びょうくうりょう一般航路南方の未開の地での火山噴火、第三及び四禁足地の磁場変動、かみバイコヌールの墜落、ほかにも色々な災害があった。次は、大天降帯だいてんこうたいの消失からぴったり五分後の主海しゅかい中央の海底地震。


 指折り数える彼女から目線を外して、身体を起こす。怪物たちがはけて澄んだ空、視界の奥に広く鎮座していた巨大な風の帯がゆっくりと薄くなっていく。上層流臨界高度じょうそうりゅうりんかいこうど主海しゅかい中央標準塔ひょうじゅんとう一三〇〇基界面かいめん。その下に位置し、隠れていた幽かな恒星たちが俄かに色を得てぎらつく。唖然とするばかりの光景。未開の地にだけいたはずの龍属種りゅうぞくしゅがどうしてあれほど俺たちの道中に現れたのか、いまになって分かった。彼らは人間のようになった俺たちが忘れてしまった本能で、シルダリアの数え上げた災害を予期して住処から逃げ出してきたのだ。


 桃色の服状翼ふくじょうよくをした彼女が続けて明かしたことには、こうだ。明日の夕方には敬空領けいくうりょうバイコヌールに巨大隕石が墜落して地殻津波が起こり、深夜には地球上の生命は全ていなくなる。各州の首脳にはこの災害のことについて通達してある。パルマヒムの内戦は秘密裏に開発された脱出用宇宙機の搭乗権を巡ってのもので、主海しゅかいに出て三日経つ現在ではもうすでに全ての州が参戦し、世界規模の大戦争になっている。


 惑星『運命うんめい』への対策を急ぐなんて、六○○年も先に衝突を予想されている天体物の名前をわざと印象深いものにしたのも、そのことを発表したのも、災害のために迎撃できない別の隕石衝突から目を背けさせるためだった。敬空領けいくうりょうで新規開発中だった政府職員脱出用の宇宙機の存在が完成寸前で一般市民に露見してしまったことも、その背を押したという。捜空領そうくうりょう地下の研究室にあった時計は、各災害の終末時計だったらしい。


「私たちは突き止めた、世界の終わりまで。けれど遅すぎた。空神様そらがみさまたちの協力をもってしても、対抗策を練り上げるには時間が足りなかった。地上にない『永遠剤えいえんざい』を作成してまた六○○年眠っても、この星は私たちが生きていける環境には二度と戻らないし、移住可能な惑星はまだ見つかってすらいない」


 ほら、あれが。そう言って、立ち上がったシルダリアが指をさす祈空領きくうりょう方面の空。分厚い龍属種りゅうぞくしゅの雲を貫いて、選ばれた命を乗せた円筒状の大きな宇宙機が、爆発的な光を上げながら昇っていく。


 しかし、直後に遠く見えるそれの表面を火が覆った。急造のために不出来な部分があったのか、宇宙機は大きく月に重なる高さまでくると、獣の鳴くような音を立てて炸裂してしまった。待降祭たいこうさいで見たのと同じ花火。体力は戻りかけていた。明るい死の光に照らされて、俄かにシルダリアの話が現実味を帯びてくる。いままで波打ち際の幽玄さのままに耳に流れていった言葉たちが重さを持ち、おぞましい映像となって脳に滞留する。


 世界を滅ぼす大災害の群れ。紅く染まっていく翼と共に思い返す。頻度の上がっていた地界ちかいの荒れ日は、半年前に描空領びょうくうりょうを襲った嵐は、捜空領そうくうりょうの学問塔を部分的に破壊した地震は、その予兆だったとでもいうのか。


 明日のいまごろには世界が終わり、俺たちは全員死ぬ。そんな頭のおかしいふざけた話があるらしい。俺の理解を置き去りにして、夜の中天に座した月はゆっくりと傾き始める。


 シルダリア、彼女の計画にあった強行軍の速度でいえば、俺たちはいまごろ詠空領えいくうりょうに渡ったあたり。地殻津波が敬空領けいくうりょうから始まるのだとすれば、世界の反対に位置するそこはこの星に命が残る最後の場所になるはずだ。距離から考えれば、第一禁足地にあるとしか分かっていない旧人類の墓地に辿り着くのは、初日に描空領びょうくうりょうで一泊した時点で不可能になったということになる。


 いいえ、私も馬鹿よ。思ったより早かったの。

 次からは、一日ずつで別の州に渡りましょう。レーグルさんにも、この地上圏ちじょうけんを楽しんでもらいたいし。今日は、本当にごめんね。


 いつか聞いた言葉が脳内で反芻される。世界の滅亡について知っていて、ここに至るまで教えてくれなかったシルダリアに怒りは湧かなかった。彼女をしてどうしようもないものを伝えられても、きっと何もできなかっただろうから。


 仰向けになりながら、俺は平凡にも自分の半生のことについて思い返した。失った家族とこれから失われる全員のことが頭に浮かび、翼がさらに濃く紅く染まる。上バイコヌールが墜落した。みんなで敬空領けいくうりょうにいたら、もう死んでしまっていたかもしれない。しかし、その事実は慰めになるには足りなかった。


 涙は流れない。結局何ものにもなれず、何ものをも守れず、何もなせないらしい空虚なこの人生は、あまりに冷たく乾いているばかりだった。もはや喉まで迫って首を絞めようかという虚無の紅色を纏うと、地面が俄かに揺れはじめ、シルダリアが飛び立った。紫電を放つ日輪にも似て円状に並ぶ八枚の義翼板ぎよくばんを背負った彼女は、中空に浮き上がり、眼下の俺に銀色の銃口を向ける。そのまま覇気のある声を取り戻して言う。


「私は私の星に従う。諦めていない。私に一日を与えることがどういうことか、こんな世界を作った性悪な神様に教えてやる。あなたはどうするの」


 ――必要ならみんな終わらせてあげるけれど。


 強い視線で俺を睨んだあと、彼女は大天降帯だいてんこうたいが消えた海を見やる。水面に映った空は、歪み、波立ち、盛り上がって、遥か水平から横一線、轟音を立てて迫ってくる。主海しゅかい中央の海底地震、それに伴う大津波だ。どうやったって死ぬなら、ここで死んでもいいかもしれない。そう思って、振り返る。目に入るのは、神輿と、そこから少し離れたところで眠るヘンダーソン。駄目だ。ここで二人を死なせるわけにはいかない。身体に、いつかからずっと忘れていた熱が籠るのが分かる。いずれ必ず失われるものだからといって失って良いということがあるか。俺はいまさら、生きることを諦めたくないと思った。


 見上げて、シルダリアと目が合う。俺は二人を、きっと彼女は離陸者りりくしゃを含めて全ての知恵ある人々を背負っていた。ここではじめて、不可解で底知れないものだったシルダリアの本当のところを俺は少しばかり理解した気がした。


 降りてきてくれ、四人で詠空領えいくうりょうまで飛びたい。そう言葉をかけると、彼女は驚いたように目を細め、とても綺麗な、何より優しい笑顔で頷いた。


「やだ、アコウギ格好いい。最高よ、結婚しましょう。空は好きになった?」

「もし、心からそう思えるようになったら、お願いするよ」


 夜明け前、眼下に波に呑まれて爆炎を上げる祈空領きくうりょうサンマルコを望みながら、俺たちはレーグルとヘンダーソンに全てを話した。知っていることは何も隠さなかった。生々しい死の熱風に煽られてふらつく神輿。みんなの人生の最後を、こんなわたしに付き添わせる形になって申し訳ない。泣いて繰り返すレーグルの謝罪の言葉が形を崩して暖かい空気に溶けていく。その後ろで小さく呟かれた白翼のヘンダーソンの声に、俺は墜落するような思いがした。


「……そうか、オレは、立派な配管工にはなれなかったな」


 空を往く。地平の彼方から日が生まれ、昇る。この一回。今日の夜明けが、人類の見る最後の朝日だ。辿り着いた詠空領えいくうりょうタネガシマは混乱を極めていてとても着陸できる状態にはなかった。俺たちはほかに降りられる場所を探して、まっすぐ東方大陸東側の未開の地へ進むことにした。


「あれ、龍属種りゅうぞくしゅがはけていていないわね」


 鬱蒼として無限に続くかに思える森の上をいくらか進み、特殊な地形が眼前に現れてきたところで、シルダリアが驚いたように口にする。彼女が言ったことには、ここから先は第五禁足地。禁足地には侵入を制限される理由がある。冥空領めいくうりょうパルマヒム北部にある第一のそれは旧人類の墓所が位置するために、敬空領けいくうりょうバイコヌール南部にある第二のそれは世界最大の噴火口が存在するために、描空領びょうくうりょうクールクーロンヌと捜空領そうくうりょうトンフォンの間にある第三、四のそれは底部に滞留する有毒な気体のために。そして、最後の第五禁足地は詠空領えいくうりょうタネガシマ東方に鎮座した圧倒的な高度を誇る巨大な岩山をいい、その周囲の断崖に膨大な数の龍属種りゅうぞくしゅが集団で巣食っているために侵入不可能という話だった。


 しかし、俺たちの眼前、平らな頂に低い雲を冠する山の周りには何の影もない。ただ透明で澄みわたった空気が満ちているだけだ。日の出る方角に移動したこともあって、もう太陽は中天に座している。飛空はかなりの時間にわたり、疲労の限界に近かった。この辺りを旋回して、着陸可能な場所を探そう。シルダリアに提案し、最後の力を振り絞り、全てが見下ろせる高度まで飛び上がる。


「何……これ……」


 そして、それは、視えた。

 衝撃のために俺とヘンダーソンは何も言うことができず、驚いて口を開けたのはシルダリアだけだった。第五禁足地、人類未踏の岩山の上。そこには、円形に並べられ、眩く点滅する標準塔ひょうじゅんとうが置かれていた。


 機能している。俺たち現人類の黎明以来、世界の至るところに散らばって存在し、その正体が知られないままやっとのことで基準単位や最新軍事兵器の砲弾として利用されるしかなかった旧時代の構造物が、数多く、恐らく正規のやり方で機能している。


 混乱する頭を振って、もっと注意深く目を向ける。標準塔ひょうじゅんとうから立ち上る青い光が、中空に集約して揺らめきながら半球状の膜を張っている。膜の内側には、街を切り取ったような建物の群れがあった。建物は石材の地面ではなく、滑らかな黒光りを返す瀝青れきせいに根差している。道路の両端に彫られた土の溝に沿って淡い桃色の花を咲かせた木々が立ち並ぶ。確認のためにシルダリアに顔を向けると、彼女は口だけで伝えてくる。桃ではない、桜だ。祖母がときおり口に出した推定絶滅種すいていぜつめつしゅが見ただけでも二○本超生えていて、その花びらを鮮やかに揺らしている。いまや崩れ果て、今日までの歴史を語る遺構と化したはずの第二文明期だいにぶんめいきの建物群と植物が、何の欠損もない様子でそこにはあった。


 唖然とする全員。およそ数十秒の沈黙を不審に思って神輿からそっと顔を出した黒髪の小さな少女は、眼下の建物のなかにそびえ立つ研究施設や宇宙機の射場などを目にすると、はっと全てを思い出したような口調で、こうつぶやいた。


「――つくばだ」


 空を嫌う人たち 第五章 旅の終わりへの島 ――了 


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