第17話 世界の全ての偽りの祭ー1

「アコウギさん助かりました。この野蛮な人が全然言うこと聞いてくれなくてですね」

「アコウギありがとう。こいつら言ってることが小難しくて困ってたんだ」


 捜空領そうくうりょう東方、旧跡。色褪せた橙の屋根が傾いて崩れ落ち、いくつもの鉄製の支柱でなんとか姿を保っている第二文明期だいにぶんめいきの遺構。かつては『故宮』と呼ばれていたらしい、現人類でも暮らせそうな巨大な宮殿だ。欠損のある状態でも気品の面影を残す建造物を望む広場に俺とシルダリアが到着したとき、ひと悶着あったらしいレーグルとヘンダーソンが揃ってこちらにやってきた。観光局の職員や交通整理員こうつうせいりいんたちもどう仲裁したものか悩んでいるといった様子だ。


 二人から話を聞くと、どうもヘンダーソンが接触を禁じられている遠古の遺構に不用意に触りかけたり、大声を禁じられている神聖な場所でうっかり騒いだりしたのを、レーグルがぼこぼこと叩いて止めて回っていたらしい。観光局の職員は地上圏ちじょうけんの四言語全てを話せるようで、会話が通じなかったのはただ単に黒い小馬鹿の注意力が足りなかったせいということになる。


「あぁ、そうか。それはごめん。地上圏ちじょうけんは思ったより難しいところなんだな」


 言われて自分の失態に気付き、職員たちの方へ低く腰をかがめて頭を下げたヘンダーソン。直後、その後ろから首に手を回して小さな少女が飛び乗った。落ちないかどうかはらはらする挙動に心臓を掴まれた俺を横目で捉えると、彼女は短い黒髪を揺らし、元気いっぱい圧をかけて言う。


「アコウギさん伝えてください。『もう、あなたを注意して回って疲れました。このままわたしは動かないので、ホテルまで連れてってくださいね』」

「アコウギ、これ多分だけど、疲れたからこのまま宿まで連れて帰れとか言ってる?」

「おう、正解だ」


 レーグルとヘンダーソンは共通語を持たない。だというのに、中性的な顔立ちの小馬鹿は空神様そらがみさまの伝えたい内容を何となく理解していた。どうも何だかんだありながら、彼らは交流を深めていたらしい。レーグルは特に何の不安もない様子で赤黒い服状翼ふくじょうよくに身体を任せる。そして、ヘンダーソンも手を地に着き四つ足になって小さな黒髪の少女を支える。話を聞いていたシルダリアが観光局の職員とほかの交通整理員こうつうせいりいんたちに事情を説明しにいったので、あとを追い、俺も彼らに迷惑をかけたことについて謝罪と礼を言う。


 この遺構から捜空領そうくうりょうの宿までの距離は、徒歩で少しかかるくらいだ。ヘンダーソンは平伏の姿勢で四つん這いのままレーグルを運んでいく。それほど奇異な光景ではない。州を渡るのに乗り物を使うことがまだ法制化されていなかったころには、こういう風に現人類は旧人類を運んでいたのだという。お堅い伝統的な方法だ。


 なのに、俺はうすら寒い感覚を覚えていた。先導するように歩くシルダリア。彼女が平然とレーグルと会話を進めているのが信じられないものにさえ思えてくる。俺たちは第二文明期だいにぶんめいきに生み出された兵器であり、多くの旧人類と共に戦争で破壊された地球に残され、六〇〇年間で一から文明を学習し、社会を再構築した。あるいは最初からあらゆることを学習させられていて、旧人類が地上圏ちじょうけんに降りてくる際に社会政治構造や都市、輸送路、水道などを造り直しているように仕組まれていたのかもしれない。この世界のあらゆる事柄は偽りだった。なるほど旧人類のことを『空神様そらがみさま』と呼んだわけで、降り立った造物主の彼らがこんな強大な姿をした俺たちを恐れたり排斥したりしなかったのにも合点がいく。


「――だと思うんですよ、ねえ、アコウギさん」

「うぁ? あぁ、うん。そうだな」

「あー、全然聞いてなかった返事じゃないですかいまの」

「ごめんなさいね、アコウギは今日私に色々付き合わせちゃったから疲れてるのよ」

「え、イロイロ……。ちょっとそこのところ詳しくお願いします」


 突然飛んできたレーグルの声に生返事をしてしまったことで、混乱してぼんやりと揺れるばかりの自分の有り様を再認識させられる。言葉を引き継いで談笑をするシルダリアと空神様そらがみさま。その様子がどこか歪なものに思えて、まずい方向に流れていった二人の会話の内容が全く入ってこなかった。やがて、ヘンダーソンも話に加わったらしく、三人分の楽しそうな声が少し先の道を歩む。


 捜空領そうくうりょうの目抜き通りに入る。人波が割れてレーグルたちに道を開け、敬愛と共に優しい声をかける。黒髪の少女も笑顔で手を振って応える。旧人類と現人類が協力し合う幸福な世界。目の前に見える理想的な光景が、どうしようもなく間違ったものに思えて仕方がない。俺は紅く色付きかけた背中を薄く広い楕円形の義翼板ぎよくばんで隠して、ただ黙って歩くことしかできなかった。


 その夜、ほかの離陸者りりくしゃたちとの会合があるとのことで姿を消してしまったシルダリアを除いて、俺とヘンダーソンとレーグルの三人は州都庁舎前の広場にいた。多くの浮き立った足音を伴い、学生も含めてあらゆる年齢層の人々が続々と集まってくる。飛行規制が敷かれ、晴れた上空には月影や星の光を阻むものはなにもない。


 今日は年に一度の『待降祭たいこうさい』の日だ。現津月いまつつき下旬のすえ待降祭たいこうさいはかつて旧人類が空から降りてきたとされる日を祝う祭典であり、あらゆる州で独自の催し物を行うことになっている。元々は俺も敬空領けいくうりょうバイコヌールでこの祭りを公に手伝う立場だったが、レーグルを連れているいまはお役御免だ。この祭りでは拠空領きょくうりょうから各州へ数人の空神様そらがみさまたちが足を運ぶことになっていて、眼前の捜空領そうくうりょう州都庁舎の展望台には三人の小さな人影が見える。そのうち、中央に立つ青年が口を開く。


「こんばんは。ぼくたちを祝う場を設けていただいたことに、環天頂級かんてんちょうきゅうの感謝を。ぼくたちとあなたたち、両人類が共助し、この第三文明期だいさんぶんめいきが栄えあるものとなりますように。それでは、みなさんご唱和ください――」


 ――『英知は空にある』。


 重なる数百の声。と、同時に、爆音。離れた複数の地点から垂直の火砲が撃ち放たれ、星明かりの照る夜空にさらに巨大で色鮮やかな花を咲かせる。景気のいい音楽が鳴りだして、都市の通りに設置された拡声器から州の長官の挨拶が続く。運動競技選手、歌手、俳優、学者、作家などの著名人たちで構成された待降祭たいこうさい特別団体の開会式を兼ねた出し物が州都庁舎の正面に張られた巨大な電力板によってはじまると、いよいよ祭りの幕が上がった。


 飛行制限は解除され、捜空領そうくうりょうの疎らな箇所に一○人規模の交通整理員こうつうせいりいんたちが塊となって浮かんでいる。生きているものしか見えない。この制約は肩口の生体部品と共に第二世代の空神様そらがみさまたちにも継承されている。祭りは州を挙げた規模で行われ、街の区画ごとに屋台などの催し物があるので、交通整理員こうつうせいりいんたちは訪れた旧人類への目印になっている。


 開会式が落ち着いて散り散りに去って行く人々。喧騒に紛れて飛んだ俺は、内腕にレーグルを抱えて州都庁舎の展望台に降り立った。直ぐに空神様そらがみさま担当の職員が走り寄ってくる。レーグルの存在は観光局を通じて州都中央にしっかりと知られていたようで、話は簡単に決着した。


「それでは、レーグル様。また、空神様そらがみさま方、私どもがご案内いたします」

「でも……。アコウギさん、いいんですか、またわたしばっかり」

「あぁ、俺よりはずっと頼りになる人たちだから、楽しませてもらってくれ」


 職員に黒髪の少女を預けて手を振る。待降祭たいこうさいは公式に州を挙げて空神様そらがみさまを讃える祭典だ。レーグルだけが俺たちといるのは場違いの感があって、無暗に他人の目を引くことになる。せっかく滅多に出会うことのないほかの旧人類もいるのだから、いまのうちにいい関係を築かせてあげたい。彼らはいずれ彼女の助けとなってくれるかもしれない。祭りの案内だって捜空領そうくうりょうに馴染みのない俺よりも現地の担当者の方がしっかりと全うしてくれるだろう。


 しかし、本当のところ空神様そらがみさまを彼らに押し付けた一番の理由は違った。俺はレーグルとの距離を掴みかねていて、しばらく気持ちを落ち着ける時間がほしかった。


 彼女の服装は描空領びょうくうりょうでもらってきて神輿に畳んで積んである何着かの内の一つ、ワンピースと呼ばれる白地のもので、麦わら帽子という被り物もしている。対して現人類の俺は上半身が服状翼ふくじょうよくで覆われているため、必要のあるときしか旧人類のいう上着のようなものを着用しない。下着だって各州でその日ごとに調達するので、抱えて運ぶ習慣はない。見て直ぐに分かるそんな当たり前の違いまで、俺たちを分かつ断崖にも似た差のように思えてきて唇を噛み締める。


「アコウギさん、ありがとうございます。楽しんできますね」


 優しい言葉ののちに、笑顔。彼女の冷え固まった水に似た瞳が少しの寂しさに揺れたのを見て取って、撃ち抜かれたように心が痛む。そして、それさえ化け物の幻覚かもしれないという気持ち悪さに耐えながら、賑やかな地面へと降り立った。


「悪い、ヘンダーソン。一人で回ってくれ。貨幣は、ええと、これが使えるだろうから、少し多めに渡しておく。祭りの部局の人はバイコヌール語も話せるはずだ。見たところ、服状翼ふくじょうよく捜空領そうくうりょう独特の赤と黄色の義翼板ぎよくばんを張ったのがそうだ」


 黒い小柄な友人が人影に消えたのを確認し、大通りの街灯が照らす祭りの活気から離れ、路地に向かって歩みを進める。狭い通路で立ち止まり、薄暗がりのなかで腰を落ち着ける。闇夜に溶け込んでしまいたい気分なのに、身体はうっすら光ったままだ。交通整理員こうつうせいりいんになって蛍光薬けいこうやくを飲んでしまった以上、この無粋さからは逃れられない。


 地鳴りにも似た歓声が空気を震わせて絶えず遠くに聞こえる。静かにもなれそうにない。ふと空を見上げる。高い建物の群れに縁どられた狭い闇、そこで輝く自由なまでの星々に嫌気がさして目を伏せる。


 我らは自由を着せられた。そのはずだった。この服状翼ふくじょうよくも、身体も、心も、元を正せば第二文明期だいにぶんめいきの旧人類の手によるものに過ぎなかった。少なくとも俺たちは彼らから進化した生物ではなく、遺伝子的にほとんど何のつながりもない。たった二割。植物の果実より、レーグルから遠い。


 世界を代表する顕学たちが研究から導き出した事実だ。否定できる材料は手元にない。俺たちは、龍属種りゅうぞくしゅと同時に造り出された兵器なのだろう。それがどうして自らを現人類と自任するに至り、空神様そらがみさまたちもそれを黙認しているのか。――全ては、旧人類の作為によるもので間違いないといえた。

 

 われわれはどこからきたのかD'où venons-nous? 

 われわれはなにものかQue sommes-nous? 

 われわれはどこへいくのかOù allons-nous? 


 唐突に、描空領びょうくうりょうの州立展示場で見た旧人類の絵画を思い出す。第二文明期だいにぶんめいきに広く世界中に知られたという哲学的問い。どこからきたのか、なにものか。この二つがほとんど最悪な形で明らかになったと思えるいま、行く先などとうに決まっているとすら感じられる。


 義翼板ぎよくばんを横に置く。翼はどうしようもなく紅色に染まっている。吐きそうだった。何を思ったところで、偽物のような気がした。俺も、ほかの誰も、この世界も、何一つ変わってしまったわけではない。けれども、知ってしまったことを知る前には戻れない。この胸の奥から込み上げる気持ちの悪さを飲み込むには、ただ時間が必要だった。


 どれだけ経っただろうか。一人また耐え切れずふと顔を上げ、嫌な気持ちになって目を伏せる。空はやはり好きになれない。それがどうしてなのかは分からないが、義翼板ぎよくばんを使って飛べるようになっても、ずっと抱えてきた浅黒い空への情念が完全に止むことはない。


 冷たい風が吹き抜ける路地。背にした建物の壁面、梯子代わりの凹凸があり、現人類が登坂できる仕組みになっているそれが、歪にささくれ立って背の服状翼ふくじょうよくを掻く。ふらつく身体が心拍で揺れる。目線が定まらず、石造りの小道が霞む。腰を上げる。どこかいま少し祭りの喧騒から逃れられる場所に行こう。そう思ったとき、聞きなれた翼の音が頭上に聞こえ、路地に一人の小柄な人影が降り立った。


「よぉ、探したぜ。適当に買ってきたらちょっと飯にしよう」


 闇夜に混じるほど赤黒い翼を着込んだ小男は、屈託のない笑顔で俺の隣に座る。


「……どうしてここが?」

「はっ、体力仕事と、てめぇを見付けることに限っちゃ年季が違う」

「――あぁ、全くだな。ありがとう」


 嫌なことがあると、いつだって逃げ出した。そして、帰りが遅くなるとこいつが迎えにきた。生まれてから統合専門学校とうごうせんもんがっこうに出て行くまで、そして落ち延びたあとの三年間の思い出が蘇る。正直な話、この中性的な顔立ちの小男を除いて、俺には地界ちかいにも地上圏ちじょうけんにも親しい人間はほとんどできなかった。心拍が落ち着き、翼の色が戻っていく。あぁ、ヘンダーソンが共に付いてきてくれて良かった。手渡された焼きたての棒付き肉をありがとうと受け取りながら、深く静かにそう思った。


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