第16話 第三次大戦の落とし子たち
時間は羽搏いて、俺とシルダリアは
急行列車に揺られて一夜。辿り着いた
「心飛び立っちゃってる感じなんだけど、レーグルさんたちが心配?」
「あ、あぁ……」
現像された写真を見てため息を吐いた俺に、前を往くシルダリアから声がかけられる。その通りだ。いま、レーグルとヘンダーソンはトンフォン観光局の職員に連れられて、
「ごめんなさいね。この用が終わり次第、あっちと合流しましょう」
「分かった」
言って、眼前を見据える。石造り、左右対称の八階建て。学生街の玄関であり、
事務局に顔を出し、入館証をもらって玄関に入る。そして、階段を下って道なりに進む。通りすがる周囲の研究者たちがこちらを向くが、それはシルダリアの超然さと美貌によるだけではない。
彼女は
「ねえ、アコウギ――」
暗澹と沈みかけていた思考を、シルダリアの声が引き上げた。何重かの隔壁を彼女の入館証の承認によって通過し、複数の四つ辻や、三叉路、上下階段など極めて複雑な順路を進み、やがて見えてきた行き止まり。
左右向かい合わせるように翼のない龍の意匠が施され、東アジア語古トンフォン方言で文字が彫られた鋼の扉。シルダリアが一定の間をおいて叩くと、それは中央で二つに割れ、開かれる。
「――私たちってさ、本当に人間だと思う?」
言葉に疑問を抱く暇もなく、眼前に拡がった光景に息を呑んだ。巨大な鋼色の部屋。四方の壁面には起動した電力板が何枚も張り付けてある。しかし、俺が目を引かれたのはそこではない。滑らかな金属の光を返す床の中央に置かれた一つの円柱状の構造物。青色の液体に満ちたその内部には複数の細い管に繋がれた小さな少女が浮いている。見間違えるはずもない。旧人類だ。
「おい、シルダリア、これは……」
「保存器。入ってるのは、私たちの検体よ」
「検体って、
「極刑って言いたいんでしょ、アコウギ。説明してあげるから、そこに座りなさい」
静かな圧力。俺たちのほかに誰もいない鋼鉄の空間でシルダリアが言ったことはこうだ。この地下の研究施設は世界中から集まった複数人の
「いま余計なことを考えないで」
心臓に響く声。分かりやすい怒りをはらんだ鋭い視線に意識が戻される。墜落時に心肺停止になっているのを拾ってきたとか、
「はっきり分かるのは、この子が生命維持装置なしじゃ生きていられないほど衰弱しているってことと、この子を利用した研究のお陰で私たちは真理に近づきつつあるってこと」
――で、本題に戻るわね。シルダリアは深く息を吐き、円柱状の装置を
「六○○年間で、旧人類が進化し、何倍も巨大な体躯と翼を備えた、私たちみたいな現人類になった。これって、どう考えても無理がある話だと思わない?」
突き刺すような瞳に言葉が詰まる。
気温が下がった感覚。呼吸が乱れ、背はもう紅い。
六○○年前、
俺たちが
それなのに、この眼前の天才がこんな突拍子もない話題を口に出すということは、何か理由があるはずだ。俺の視線に気付いたシルダリアは頷くと、席を離れ、壁際の機器を操作して、電力板に画像を表示させる。映し出されたのは
ワシントンD.C.に撃ち放たれた二発の大陸間弾道弾は、都市から西、数百マイルの地点で迎撃された。ついに、三番目と四番目の戦術核による被害が起きてしまった。終末時計は一年前からずっと零時を指したままだ。これ以上事態が深刻化すれば、取り返しのつかないことになる。
合衆国は高度で大幅な遺伝子編集により、巨大で強靭な体組織を持つ生物種を作り上げる実験に成功して久しい。オフターゲットもモザイクもない、『クリスパー・キャス9』を超える第四世代のゲノム編集ツールは実用の段階に入った。我々は戦争を早期に決着付けるべくサイトRにおいて生物兵器の開発を急ぐ。そして、窮地に対応するため国民を避難させることができる宇宙機の量産を進める。かつて神を冒涜するに等しいといわれたこの研究が、後世の人類の未来に資することを祈って。
先進技術研究会、二○三六年、ダグウェイ実験場にて、書き残す。
「これは……?」
「
圧のある言葉に従って目を向けると、四方の壁面に備え付けられた電力板の半数の画像が切り替わる。姿を現したのは不思議な形をした図像だ。捻じれた梯子のような構造体に色がついていて、各部に説明文が記されている。古い記憶、これは
「――新人類ヒトゲノム計画。あと一○年はかかるって話じゃなかったか」
「ご名答。それは私が学校に入りたてのときの話だからね。あれから六年、ちょうど七日前に終わったわ。どんな研究なのか憶えてる?」
ヒトゲノム計画。
「で、ここからが、本番なんだけど」
シルダリアが言うと、電力板に映し出された図像の横にもう四組同じものが現れる。そして、その合計五つの二重螺旋構造体の上にそれぞれ表題が浮かび上がる。最初から表示されていたねじれ梯子には、現人類、遅れて現れた二つ目には、旧人類、そして残る三つには、
「私たちはこの技術を用いて、秘密裏に旧人類と複数の
五つの図像が重複する形で比較される。そのなかに一つだけ、ほかの図像の遺伝子構造と全く異なるものがあり、重なり合いから弾き出される。息を呑む。類似率、二割。弾き出されたそれは、旧人類のものだ。
「ちなみに、
短い沈黙。脳を働かせるまでもなく、彼女が言わせたいことは分かった。そして、それはほとんど事実ではないかと思えた。
「……俺たちと
「ついでに大災害は存在せず、その終末戦争、第三次世界大戦によって、この星が長い間人類の生存を阻む有り様になってしまったっていうのが、現時点での
終末戦争、第三次世界大戦論。
ついでといった様子で画面が切り替わり、
静かな機械音のなかで彼女の言うことの意味合いを何とか飲み込んでいると、突然部屋端の画面の一つが赤く明滅した。『残り一三時間五六分』。振り向いてその文字を認識したと同時に、地鳴りにも似た警戒音が響いて、全ての画面に長短様々な時間が映し出される。最も長いものでも残り数日だ。俄かに何か尋常ではない危機感が全身を捕らえた。心拍が早まり、息が浅くなり、目の焦点もだんだんと合わなくなる。それでも渾身の力を振り絞ってこれは何だという目を向けると、シルダリアは少し考えるようにうつむき、次の瞬間おぞましいまでの笑顔で答えた。
「――何だと思う?」
ぞわっとした感覚があった。警戒音だけが響く世界で、全ての時計が音もなく時間を刻む。お互いの頬を照らす電力板の赤い点滅。目の前に座した桃色の
聞こえるはずの自分の心拍も淡く溶けていく感覚。動けない。声が出ない。光が、音が、感じることのできるあらゆることが、いま、眼前の女性の超常性の支配下にあることは明らかだった。ただ、そのまま死ぬまで続くかに思えた静寂の時間は、本当のところとても短く、手を叩き合わせる音で終わりを告げた。
「はい、用事はおしまい。
一転して、軽く響くはきはきと明るい声。連れられて足早に研究室を出る。部屋の入り口で廊下にいた
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