第16話 第三次大戦の落とし子たち

 時間は羽搏いて、俺とシルダリアは拠空領きょくうりょう統合専門学校とうごうせんもんがっこうの次、世界第二位の学府塔の門前に立っていた。見上げれば、二本ある天を突く尖塔の右側の一本が大きく欠け、修理のために土木建築員たちが飛んで群がっているのが分かる。どうも一昨日あたりに起きた地震で崩れたらしい。


 急行列車に揺られて一夜。辿り着いた捜空領そうくうりょうトンフォンは学問の街で、人口は飛び地の小都市など周辺部を含めれば約三二○○万人。ほかの州と比べて若者の数がかなり多い。円形の市壁に囲まれた都市の西半分を埋める街は優れた学生の集う場所だ。規模も生産能力もこちらの方があるため、開発あるいは理論建てを拠空領きょくうりょうで行っていた人々が、捜空領そうくうりょうで量産と実証を行うというのが一連の学問研究の流れだという話を聞いたことがある。


「心飛び立っちゃってる感じなんだけど、レーグルさんたちが心配?」

「あ、あぁ……」


 現像された写真を見てため息を吐いた俺に、前を往くシルダリアから声がかけられる。その通りだ。いま、レーグルとヘンダーソンはトンフォン観光局の職員に連れられて、捜空領そうくうりょうにある旧人類の時代の遺構に案内されている。シルダリアが描空領びょうくうりょうから通信で手配したものだ。州間の通信は、旧人類が打ち上げて未だ機能している人工衛星についての情報を一部開示してもらって行われている。空神様そらがみさまの担当者と数人の警備兵と交通整理員こうつうせいりいん、それにヘンダーソンが同行するということもあって安全は確かなはずなのだが、どうも落ち着かない。俺が彼らから離れてこの学都にいるのは、シルダリアに付き合ってのことだ。


「ごめんなさいね。この用が終わり次第、あっちと合流しましょう」

「分かった」


 言って、眼前を見据える。石造り、左右対称の八階建て。学生街の玄関であり、捜空領そうくうりょうの州都庁舎と同じくらい荘厳な城塞にも似た建造物。その中枢部にある研究施設に向けて足を進める。

 事務局に顔を出し、入館証をもらって玄関に入る。そして、階段を下って道なりに進む。通りすがる周囲の研究者たちがこちらを向くが、それはシルダリアの超然さと美貌によるだけではない。


 彼女は敬空領けいくうりょう描空領びょうくうりょうでも他人の視線を集めていたが、いま周囲の誰しもの目を釘付けにしているのは、その首に掛かった入館証だった。『拠空領きょくうりょう統合専門学校とうごうせんもんがっこう卒・離陸者りりくしゃ』。刻まれた名誉ある称号は特別選ばれた人間しか得られないもので、一応『拠空領きょくうりょう統合専門学校とうごうせんもんがっこう卒・立望者りつぼうしゃ』の印がある入館証を持った俺のことなど、誰も見ていない。レーグルと出会う前の地界ちかいでの日々を思い出す。ヘンダーソンと一緒に指令室に乗っていたときの周囲の人々の視線。誰も俺に注意を向けない様子。孤独。また、空への嫌悪感が沸きだした気がした。


「ねえ、アコウギ――」


 暗澹と沈みかけていた思考を、シルダリアの声が引き上げた。何重かの隔壁を彼女の入館証の承認によって通過し、複数の四つ辻や、三叉路、上下階段など極めて複雑な順路を進み、やがて見えてきた行き止まり。 


 天上有智慧吗英知は空にあるか


 左右向かい合わせるように翼のない龍の意匠が施され、東アジア語古トンフォン方言で文字が彫られた鋼の扉。シルダリアが一定の間をおいて叩くと、それは中央で二つに割れ、開かれる。


「――私たちってさ、本当に人間だと思う?」


 言葉に疑問を抱く暇もなく、眼前に拡がった光景に息を呑んだ。巨大な鋼色の部屋。四方の壁面には起動した電力板が何枚も張り付けてある。しかし、俺が目を引かれたのはそこではない。滑らかな金属の光を返す床の中央に置かれた一つの円柱状の構造物。青色の液体に満ちたその内部には複数の細い管に繋がれた小さな少女が浮いている。見間違えるはずもない。旧人類だ。


「おい、シルダリア、これは……」

「保存器。入ってるのは、私たちの検体よ」

「検体って、空神様そらがみさまだろ。空神様そらがみさまを意図的に傷付けたり、監禁したりすることは――」

「極刑って言いたいんでしょ、アコウギ。説明してあげるから、そこに座りなさい」


 静かな圧力。俺たちのほかに誰もいない鋼鉄の空間でシルダリアが言ったことはこうだ。この地下の研究施設は世界中から集まった複数人の離陸者りりくしゃによって各州政府に対して秘密裏に運営されている。シルダリアはその三代目の筆頭だという。研究対象に禁忌はなく、浮かんでいる空神様そらがみさまもその一つらしい。


 空神様そらがみさまの表皮には大きく傷があり、四肢も複数個所欠損しているが、その黒髪から何となくレーグルに似た雰囲気が感じられる。似ているというだけだが、もしこの人があの小さな少女に何かしら関わりのある誰かだとしたら。


「いま余計なことを考えないで」


 心臓に響く声。分かりやすい怒りをはらんだ鋭い視線に意識が戻される。墜落時に心肺停止になっているのを拾ってきたとか、拠空領きょくうりょうから攫ってきたとか、研究員との絆によって協力してもらっているとか。様々な出自の説があるけど、と区切って、彼女は続ける。


「はっきり分かるのは、この子が生命維持装置なしじゃ生きていられないほど衰弱しているってことと、この子を利用した研究のお陰で私たちは真理に近づきつつあるってこと」


 ――で、本題に戻るわね。シルダリアは深く息を吐き、円柱状の装置をすがめたあと、俺をじっと見つめて、言う。


「六○○年間で、旧人類が進化し、何倍も巨大な体躯と翼を備えた、私たちみたいな現人類になった。これって、どう考えても無理がある話だと思わない?」


 突き刺すような瞳に言葉が詰まる。

 気温が下がった感覚。呼吸が乱れ、背はもう紅い。

 六○○年前、第二文明末期だいにぶんめいまっき。グレゴリウス暦でいうところの二○○○年以降の数十年の間に、この地球で破滅的な大災害が発生した。宇宙空間に逃れて空神様そらがみさまと呼ばれることになった者を除き、地上に残った旧人類たちは、荒れ狂う終末のなかで進化し、翼を得て、現人類として文明を再興した。それは常識だ。拠空領きょくうりょうで教鞭を振るう最も権威ある研究者たちや、空神様そらがみさまたちにも認められている。

 

 俺たちが空神様そらがみさまから進化したものと考えない限りは、こんな見た目で旧人類と似たような社会性、倫理思考、価値観を持っているはずはないし、それらに由来した言語体系や習慣を手に入れてはいないだろう。

 

 それなのに、この眼前の天才がこんな突拍子もない話題を口に出すということは、何か理由があるはずだ。俺の視線に気付いたシルダリアは頷くと、席を離れ、壁際の機器を操作して、電力板に画像を表示させる。映し出されたのは第二文明末期だいにぶんめいまっきの一枚の紙片だ。西欧州語古グルームレイク方言で走り書きされた内容は以下の通り。

 

 ワシントンD.C.に撃ち放たれた二発の大陸間弾道弾は、都市から西、数百マイルの地点で迎撃された。ついに、三番目と四番目の戦術核による被害が起きてしまった。終末時計は一年前からずっと零時を指したままだ。これ以上事態が深刻化すれば、取り返しのつかないことになる。

 合衆国は高度で大幅な遺伝子編集により、巨大で強靭な体組織を持つ生物種を作り上げる実験に成功して久しい。オフターゲットもモザイクもない、『クリスパー・キャス9』を超える第四世代のゲノム編集ツールは実用の段階に入った。我々は戦争を早期に決着付けるべくサイトRにおいて生物兵器の開発を急ぐ。そして、窮地に対応するため国民を避難させることができる宇宙機の量産を進める。かつて神を冒涜するに等しいといわれたこの研究が、後世の人類の未来に資することを祈って。

 先進技術研究会、二○三六年、ダグウェイ実験場にて、書き残す。


「これは……?」

拠空領きょくうりょうの遺構で発見された文書よ。ほら、次のものも」

 

 圧のある言葉に従って目を向けると、四方の壁面に備え付けられた電力板の半数の画像が切り替わる。姿を現したのは不思議な形をした図像だ。捻じれた梯子のような構造体に色がついていて、各部に説明文が記されている。古い記憶、これは統合専門学校とうごうせんもんがっこう時代に最新の生命科学についての講義で見たことがある。確か――。


「――新人類ヒトゲノム計画。あと一○年はかかるって話じゃなかったか」

「ご名答。それは私が学校に入りたてのときの話だからね。あれから六年、ちょうど七日前に終わったわ。どんな研究なのか憶えてる?」


 ヒトゲノム計画。第二文明期だいにぶんめいきに行われた生物学研究だ。人間を含めてあらゆる生物は細胞と名の付く袋状の組織によって構成されているという。細胞の中心部分に存在し生体情報を記録した二重螺旋の構造体を解析するというその計画は、グレゴリウス暦の二〇〇〇年から少し経ったころに完遂されたようだが、成果物は残されていない。シルダリアたちは、現人類のゲノム配列の解析を想定されたよりずっと早く完了したらしい。


「で、ここからが、本番なんだけど」


 シルダリアが言うと、電力板に映し出された図像の横にもう四組同じものが現れる。そして、その合計五つの二重螺旋構造体の上にそれぞれ表題が浮かび上がる。最初から表示されていたねじれ梯子には、現人類、遅れて現れた二つ目には、旧人類、そして残る三つには、龍属種りゅうぞくしゅ有翅虫型ゆうしちゅうがた四足獣型しそくじゅうがた甲殻型こうかくがただ。


「私たちはこの技術を用いて、秘密裏に旧人類と複数の龍属種りゅうぞくしゅの遺伝子構造について解析し、明らかにした。これらを比べると」


 五つの図像が重複する形で比較される。そのなかに一つだけ、ほかの図像の遺伝子構造と全く異なるものがあり、重なり合いから弾き出される。息を呑む。類似率、二割。弾き出されたそれは、旧人類のものだ。


「ちなみに、龍属種りゅうぞくしゅの情報は有史以来あらゆる動植物の記録に一切残されていないし、遺伝子構造から考えても第二文明末期だいにぶんめいまっきからいままでの六○○年間で生物種が非人為的にここまで急激な進化を果たすのは不可能と見ていいわ。――ねえ、アコウギ。さっきの文書と合わせて、私たちは何だと思う。答えを聞かせてよ」


 短い沈黙。脳を働かせるまでもなく、彼女が言わせたいことは分かった。そして、それはほとんど事実ではないかと思えた。


「……俺たちと龍属種りゅうぞくしゅは、第二文明末期だいにぶんめいまっきの戦争のなかで生み出された、もの?」

「ついでに大災害は存在せず、その終末戦争、第三次世界大戦によって、この星が長い間人類の生存を阻む有り様になってしまったっていうのが、現時点での離陸者りりくしゃたちの結論ね」


 終末戦争、第三次世界大戦論。第二文明末期だいにぶんめいまっきに三度目の大戦争があったのではないかという学説。これには多くの史料があったものの、空神様そらがみさまの手前、研究は暗黙の了解で禁忌とされ、声高に提唱されることはなかった。それが、ここになって――。


 ついでといった様子で画面が切り替わり、龍属種りゅうぞくしゅ以外の生物の遺伝子と空神様そらがみさまのそれの関連性が比較される。植物の果実でさえ、類似率は五割を割らない。明らかに俺たちと龍属種りゅうぞくしゅが大幅な遺伝子編集によって作成されていないかぎりありえない結果で、だからこそ俺たちは地球環境の激変のなかでもこの体躯の大きさを保ったまま生存できたのかもしれない。


 静かな機械音のなかで彼女の言うことの意味合いを何とか飲み込んでいると、突然部屋端の画面の一つが赤く明滅した。『残り一三時間五六分』。振り向いてその文字を認識したと同時に、地鳴りにも似た警戒音が響いて、全ての画面に長短様々な時間が映し出される。最も長いものでも残り数日だ。俄かに何か尋常ではない危機感が全身を捕らえた。心拍が早まり、息が浅くなり、目の焦点もだんだんと合わなくなる。それでも渾身の力を振り絞ってこれは何だという目を向けると、シルダリアは少し考えるようにうつむき、次の瞬間おぞましいまでの笑顔で答えた。


「――何だと思う?」


 ぞわっとした感覚があった。警戒音だけが響く世界で、全ての時計が音もなく時間を刻む。お互いの頬を照らす電力板の赤い点滅。目の前に座した桃色の服状翼ふくじょうよくを持った彼女が、その瞳の奥の底知れない深淵を覗かせる。身体が震えて、肩口までがかつてないくらいの紅色に染まる。軋みを上げそうな空気と、おぞましいまでの肌寒さ。シルダリアは意図して俺に注意を向け、目線にもはや全霊ともいうべき気迫で圧を乗せてきた。


 聞こえるはずの自分の心拍も淡く溶けていく感覚。動けない。声が出ない。光が、音が、感じることのできるあらゆることが、いま、眼前の女性の超常性の支配下にあることは明らかだった。ただ、そのまま死ぬまで続くかに思えた静寂の時間は、本当のところとても短く、手を叩き合わせる音で終わりを告げた。


「はい、用事はおしまい。空神様そらがみさまたちのところへ急ぎましょう」


 一転して、軽く響くはきはきと明るい声。連れられて足早に研究室を出る。部屋の入り口で廊下にいた離陸者りりくしゃ数人がシルダリアに深く頭を下げた。彼女も礼を返して足を進める。それが何か重い意味合いを持つものに感じられて、俺は混乱する頭で黙ったまま桃色の服状翼ふくじょうよくに追従した。

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