捜空領トンフォン

第15話 上古なるティマイオス

 第四章 捜空領そうくうりょうトンフォン


「「うぉおおおお! すげぇえええええ!」」


 火花を上げて回る車輪。神輿を置けるほどの広さのある車両の窓から首を出して、ヘンダーソンとレーグルが驚きの声を上げる。描空領びょうくうりょう捜空領そうくうりょうをつなぐ鉄道。それは大きく右に弧を成すように曲がって敷設された路線を走り、途中で印象深い地勢の場所を通る。


 第三及び第四禁足地。第二文明末期だいにぶんめいまっきの大災害により形成された、敬空領けいくうりょうなどの都市を一○は飲み込むほどの面積を誇る二つの重なり合った正円が成す巨大な窪地だ。


 濃くはっきりとした輪郭を持ち、有毒な気体に満ちたその底面は、光を飲み込むような暗黒色に満ちている。数年先、航空機ほか人工衛星などを飛ばす技術を取り戻すことができれば、地球の黒点などと呼ばれることになるだろう。


 視界の果てまで広がった黒い二つの円形。それは陽の光に白飛びした灰の大地と空に対比して、尋常ではない存在感を持っている。煙を上げて走る特急列車。しかし、眼前の広大な景色は簡単に過ぎ去ることはない。ほかの車両からも歓声が上がる。焼け焦げたような闇が、とんでもない迫力で列車の乗客を捉えて離さない。


 俺も思わず目を凝らす。規模の差があるために気付きにくいが、第三及び第四禁足地の周囲には三○○番台から四○○番台の標準塔ひょうじゅんとうが黒い部分の淵に沿うように置かれていて、路線近くにも複数基見える。


 第四一三号基 ニール

 苦難を乗り越え、仲間と団結するために。


 淵から暗い闇の底を覗き込む人工の構造物の群れ。その内の一基があぜ道の端をかすめて、視界に西欧州語古グルームレイク方言で書かれた文章が映る。


「あの電柱みたいな高さの円錐は何ですか、いままでもよく見たんですけど」


 それを指して、レーグルが質問を飛ばす。標準塔ひょうじゅんとう。地球上いたるところに散らばった謎の円錐。何ですかと空神様そらがみさまに問われても調査中であるとしか答えようがない。彼女が記憶喪失でなければ尋ねるのはこちらの方だっただろう。標準塔ひょうじゅんとう第二文明末期だいにぶんめいまっきから大災害までの期間に旧人類によって建造されたものだといわれているが、意味するところはほかの多くの芸術作品と同じように現人類には伝えられていない。


 ただ歴史を辿れば、その物理的な実用性だけは俺たちも大いに享受してきた。大災害の終わり、ほとんどの文明的遺構が粉微塵に破壊された世界において、規格が統一され、あらゆる場所に現存していたこの謎の構造物は、社会再構成のための基準単位となった。


 三○年前に空神様そらがみさまたちが降りてきて新しい画期的な単位を授けてくれるまで、不思議な円錐は長さであり、重さであり、日時計代わりに使えば時間でさえあった。標準塔ひょうじゅんとうと呼ぶのはその後付けに過ぎないと説明し、こう付け加えて言葉を区切る。


「換算すれば、標準塔ひょうじゅんとう一基あたり一三・二一メートルの高さらしい。その半分の俺の身長が六メートル後半で、シルダリアが七メートル前半、ヘンダーソンが五メートルと少しくらいになるかな」


 遠古の距離単位の一つ、メートル。標準塔ひょうじゅんとうを基準とする前、旧人類はなんと地球を使って長さを図っていた。空神様そらがみさまから伝えられた第二文明期だいにぶんめいきの史料によれば、北極から赤道までの子午線の長さの一○○○万分の一が、一メートルとされている。赤道や子午線は空神様そらがみさまと現人類の統語法などの問題があって、三〇年経っても横断中心線おうだんちゅうしんせん両極円りょうきょくえんなんて呼び方が許されている。地球環境が激変したいま、探検隊の奮闘にもかかわらずまだ両極まで辿り着いた者はいないから、計りなおしたらもっと違った値になるのだろうか。


「……私は七メートル八二センチよ。アコウギくんも、七メートルはあるでしょう」


 ――もっとも、宇宙から降ろされたメートル原器やその複製は各州都庁舎くらいにしか置いてない貴重品だから、古い様式で自分の身長を測ったことはないんだけどな。そう付け加えようとして、横合いからバイコヌールが誇る名家の声が飛んだ。流し目で口を挟んだ規格外の彼女は、それだけいうと窓の外を眺めている。

 

 旧人類と同じく現人類も男性の方が大柄な傾向にあるので、同性の平均を上回る俺を超えるシルダリアは結構な体格ということになる。女優か、運動競技選手のそれだ。少し驚いて俺の翼の色が変わったのを見て、隣に座ったレーグルは感心したようにつぶやく。


「現代の人ってカラフルで、とても大きいですよね」


 カラフル、ええと、西欧州語古グルームレイク方言で色鮮やかという意味か。確かに旧人類にも様々な表皮の種類があったというが、俺たちのように感情に対し即応的に上半身の色を変えることはなかっただろう。黒い髪を揺らしてぴょんぴょんと飛び跳ねながら無謀にも手でお互いの身長を比べようとするレーグル。彼女の言葉にぼんやりと納得した視界端、シルダリアが深く考え込んだような表情になるのが見えた。


「そうだ、みんなで写真撮りましょうよ。アコウギさん、カメラとか持ってないですか」

「カメラ……あぁ、写真機か。警備員が持っているだろうから借りてこよう」


 部屋端の台の上に四人で写真機を置き、車両のなかで色々と試行錯誤して、一枚ほど撮ってみる。中央、平伏した姿勢の俺の上にレーグルが乗っていて、左右にシルダリアとヘンダーソンが映り込んだ写真。明らかに映える優美な見た目をした女性二人に対比して、俺と黒い小馬鹿の凡庸さがくっきり像に残って恥ずかしい気持ちになる。元は禁足地を背景として撮るつもりだったらしいが、レーグルは俺たち四人が上手く映ったこの一枚を手にしたことで満足したようだ。柔らかく笑う彼女の黒髪を優しく撫でて、一定の間隔で揺れる車体に身体を預けた。


「その本によれば、かつて宇宙は神たる構築者によって最も善き生き物として生成されたといいます」


 時間は羽搏いてその夜。俺たち三人は、突如始まったレーグルの講談を聞いていた。というのも、俺が暇に飽かせてあの絵画『学堂』――正確には、『アテナイの学堂』というらしい――について尋ねたからだ。彼女がいま解説しているのはその芸術作品のなかで中央に描かれて上を指差していたプラトンが抱えた著作『ティマイオス』についてだ。


『ティマイオス』は国家の正しい在り方からはじめて、宇宙の生成や生き物の誕生、病気の原因などに言及した作品のようで、第一文明期以降も多く引用された古典らしかった。まさに人類の空に関する原典の一つといった様子だ。シルダリアは深く興味を示して聞いていたが、振った俺は不快感こそないもののそこまで十分には理解できなかった。古語を知らないヘンダーソンに至ってはもう半分くらい寝ていた。


 次に話が向かったのは、『ニコマコス倫理学』というプラトンの隣の地に手を向けた哲学者がもう片方の腕で抱えていた著作だった。正しい生き方や幸福や愛について言及した作品であって、宇宙なんてものに関するよりはよほど耳触りの良い内容かと思ったが、反対にこちらの方が俺には酷く堪えた。


 刺さったのは自己愛に関する部分だ。どうもこの上古の英明な哲学者によると、自分を愛することができない者は、自分自身に向き合うことを恐れる者であって、邪悪であり、誰かに依存して堕落するばかりで、ほかの誰を愛することもできないらしい。全否定もいいところで、あえなく木っ端微塵の思いだ。ここまで他人の傷口を抉ることができるものかと感心さえする。


「あ、え、ごめんなさいアコウギさん、わたし……」

「いや、大丈夫、大丈夫だ」


 汽車が進む音。空に関しての言及を俺が嫌がらなかったからか、これを解説しても大丈夫だろうと勢いのままに話していたレーグルは、不意の一撃にほとんど死んだような顔をした俺に気付いて言葉を詰まらせてしまった。尋ねたのはこちらだというのに、申し訳ない。ヘンダーソンも合わせて退屈そうにしているのを見ると、彼女は頬を叩き、一気に別の話題に切り替えた。


「最強の武器!」

「ええ、わたしたちの時代の多くの創作物のなかでは、最も硬度の高い素材として描写されることが多かったです。それに、古代にはまだまだ謎に包まれたものがあって――」


 翻訳がてら間に入ると、話に目を輝かせたヘンダーソンが食いついた。かくいう俺も興味深く、シルダリアもまた耳を傾けている。レーグルが語ったのは、『ティマイオス』の続編で、同じ著者プラトンによる『クリティアス』という未完の著作に関することであり、そのなかに語られる伝説の金属についてだった。


 オリハルコン。過去の大災害によって沈んだ幻の大陸にあったとされるその金属は、種々様々なほかの伝説と合わせて、第二文明期だいにぶんめいきに広く語り継がれるものであったらしい。『クリティアス』自体にはそういった記述はないものの、後世では最も強靭な武器や防具として描写されることが多かったそうだ。


「マヤやノストラダムスの終末予言とか、バルト海に沈んだアトランティス文明のオーパーツとか、わたしたちの時代にも様々な謎がありました。この時代でいうところの『名を知られぬものたち』、展示場で見た像や著作と同じです。まぁ、終末予言は半分当たっちゃったようなものなんですけどね」


 ――オルドビス紀、デボン紀、ペルム紀、三畳紀、白亜紀、そして、あなたたちのいう第二文明期だいにぶんめいき。それぞれの終わりに、この星ではどうしようもない理由で多くの命が失われてしまったわけです。


 少し陰った顔を振り、レーグルは明るい声で続けた。上古の遺構や伝説に関わる夢のある話。次々と色を変えるような突飛な内容が超科学の権化たる空神様そらがみさまの口から出てくることが驚きだった。彼女の語りはやはり霊妙で、その謎めいた様子や不思議さをしみじみと感じさせた。俺と、訳し伝えたヘンダーソンは素直に聞きほれたが、ふと目を向けると、シルダリアは思うところがあるのかまた別に考え込んだような表情をしていた。

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