第14話 宴会とメシエマラソン
宵の空気は感傷的な気持ちにさせるとはよく言われたものだ。背後の大広間では、すっかり本日の主役を掻っ攫ったレーグルを中心にして劇の打ち上げが行われている。賑やかな声を聞きながら俺は広い縁側でただ座って星を眺めていた。
隣には、美しい桃色の
「今日は伝令と優美の星がよく観測できる日よ。もっと未開の地が拓かれ、観測の精度が上がれば、
――あと三年くらいかかるかな。柔らかい言葉。当代の最新研究の内容を当たり前のように複数並べ、こちらに笑顔を送るシルダリアから、反射的に目を背ける。
「やめてくれ。君は勘違いしてるけど、俺は馬鹿なんだ。そんな話を振らないでくれよ」
嫌った天文系の話題。かつて学んだほとんどを忘れ去って久しい。いまや夜空を見上げても、眩しい星と瞬く
隣に立つ超然的で博識な美人の姿に劇場でのレーグルの様子を思い出す。命を救ったからか、空を嫌う気持ちが邪魔をしたからかは分からないが、俺は罰当たりにも丁寧に話す黒髪の小さな彼女に甘えて馴れ馴れしい口調で接してきた。
彼女より早く降りてきた
当然シルダリアもまた、レーグルと同じくらいには雲の上の人物だと言っていい。まったく『英知は空にある』とはよく言ったものだと自虐を籠めて感心していると、少しばかり感情的な声が空気を震わせた。
「私も馬鹿よ。思ったより早かったの」
一瞬、幻聴かと思った。普段は超然性とありあまる人間味が複雑に混ざり合ったような斑の声色をしているシルダリアは、きわめて単純な後悔の言葉を発していた。しかし、彼女の桃色の
「次からは、一日ずつで別の州に渡りましょう。レーグルさんにも、この
――一応
「美味しい! 美味しいですこれ! えぇい、どんどん持ってこんかーい!」
入った部屋では、多くの人々と共に席に着いたレーグルが食台の上に並べられた豪勢な皿の前でふんぞり返っていた。目を引く色鮮やかなそれは、
噂をすれば
ただ身体が光る薬を飲むだけの
あなたも混ざったらどうですか。隣の劇場主の女性に促されるが、首を横に振って断る。あんな才気あふれるところに俺の居場所はない。そもそも
「みなさん、
だから俺は、やはり一人縁側に立ち去ろうと。――は?
隣を見ると、澄ました顔の老年の女性。賑やかな大広間が静まり返り、全員の目がこちらを向く。何やらとんでもないことをしてくれたらしい。視線を送るが、劇場主は素知らぬ顔のままだ。至極冷静を意識し、必死の思いで翼が滑稽な
「は、はじめまして。ええと、
「えー、いきなり他人行儀じゃないですかアコウギさん。あなたはわたしの命を救ってくれたんですから、もっと自信もって、胸を張りなさいほら!」
机を叩きこちらに叫ぶレーグルに、あえなく翼は真っ赤になった。
「それに、この人は、
わざとらしい限りの大げさな語調。まさかあの規模の事故を、という声が何人かの口から紡がれる。確かあれは大きく報道され、バイコヌールの草原に開いた大穴が紙面版
「それなら『ウィルソン山天文台分類法』も使うべきでは? といっても、ここってマグネトグラフないんでしたっけ、太陽の活動領域の磁場極性配置を観測するやつ。ああでも、大災害が起きたあとじゃ色んな係数も変わってるかもだしなあ」
「いま
「うーんと、あいにく西日本に行ったことはなくてですね……。あ、でも日本ってことでしたら、茨城県の悪いところ一○個言えます。まず水戸気質っていうか――」
宴会の空気を存分に吸い込んだ彼女たちは完全に楽しくなってきてしまったらしく、一切分け入る隙のない会話を繰り広げ始めた。発言の訂正を求めるのはもはや不可能に近いといっていいだろう。
「違う、俺はただ……」
「さぁさぁ、いままでお構いできず申し訳ありません。私は今座の主役をレーグル様に献上申し上げてしまった者です。ははは、冗談はさておき、歓迎しましょう」
「え、ええと、あぁ……」
水色の
開け放しにしてある広間の扉をくぐり、石張りの床を進む。この州立劇場は小高い丘の上に建築されている。肌を撫でる冷たい風。広縁に腰を下ろすと、足元には厚い葉の草原がなびく。意図して上を向くまでもない。目を細める。ふうっと息を吐いて前を見れば、弓なりの地平に蓋をした夜と満天の星。
「
いつの間にか隣に座っていた劇場主の女性が苦笑いしながら言う。確かに、州立展示場で見た芸術品も、才気あふれる演者たちやレーグルがあれほど魅せた素晴らしい劇も、当然のような荘厳さを伴って鎮座するこの夜空以上の感動を与えてくれるかと問われれば、そうではないと思ってしまう。空に対して何の嫌悪感も持たない人々の感動は、この数十倍だろう。
そこで思い出した。
「もう深夜ですし、星座を見るに、いまは冬っぽいですが関係ない! 北半球の低緯度で助かった! どこまでできるか途中参加メシエマラソン現代版! さぁ、行こう!」
メシエマラソン。それは、グレゴリウス暦一八○○年代に没した天文学者、シャルル・メシエが発見した天体群を一晩のうちに全て観測してしまおうという試みで、
遠古の夜空について詳しく知っているのは旧人類のレーグルだけだったが、彼女が情熱のままに三桁に昇る数の天体群についてとんでもない早口で宴会席の全員に伝えると、才気の塊シルダリアが「理解したわ、捜しましょう」と反応した。俺なんかは八番目の
一○台くらい並べられた現代規格の望遠鏡のうち、二つを占領した大小の天才――小さい方は、光る水生生物の瓶を片手に用意された高い台座に乗っている――がとんでもない速度で輝かしい星々の海を渉猟していく横で、それには劣るものの博識な役者や芸術家、脚本家が、目立つ天体を見つけては焦点を固定し、これはどうだと二人に聞いて回っている。
俺はといえば、要らない強い明かりが近いと星が良く見えないのでどっかに行っていてくださいとの指示のもと、二人からたいへん遠ざけられてしまった。悲しいかな、
視線を逸らせば、大広間の外壁に刻まれた巨大な絵画が目に入る。建築物のなかに古代の学者たちが揃って描かれたもので、
――さそり座からいて座までのメシエ天体密集地域が冬なのに見やすいですね……けど、ぎょしゃ座がなかなか見つからないなぁ。
夜が明けるころ、俺以外ほとんどふらふらの状態で宿泊宿に戻ると、今日も飛ぶものだと思って腹を空かせたヘンダーソンが絶望の表情で待っていた。念のためにお土産として小分けして持って帰った宴会料理を差し出したところ、中性的な顔立ちの小男はぷりぷり怒って純白に変わった
翌朝、レーグルたちは俺へのあんまりな振る舞いをすっかり忘れて随分と疲弊した様子だった。騒ぎ過ぎが祟ったらしい。不服を申し立てようかと思ったが、どうやら天罰は受けているようだったのでやめておいた。
空を嫌う人たち 第三章
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