第14話 宴会とメシエマラソン

 宵の空気は感傷的な気持ちにさせるとはよく言われたものだ。背後の大広間では、すっかり本日の主役を掻っ攫ったレーグルを中心にして劇の打ち上げが行われている。賑やかな声を聞きながら俺は広い縁側でただ座って星を眺めていた。


 隣には、美しい桃色の服状翼ふくじょうよくを綺麗に着込んだシルダリアが佇んでいる。月明かりが照らすその横顔は、ぞくっとするほど幽玄として蠱惑的に思える。空を指差して、彼女は言う。


「今日は伝令と優美の星がよく観測できる日よ。もっと未開の地が拓かれ、観測の精度が上がれば、第二文明期だいにぶんめいきの『チューリッヒ分類法』や星辰から計算をして、いまがグレゴリウス暦何年かってこともきっと同定できるのにね」


 ――あと三年くらいかかるかな。柔らかい言葉。当代の最新研究の内容を当たり前のように複数並べ、こちらに笑顔を送るシルダリアから、反射的に目を背ける。


「やめてくれ。君は勘違いしてるけど、俺は馬鹿なんだ。そんな話を振らないでくれよ」


 嫌った天文系の話題。かつて学んだほとんどを忘れ去って久しい。いまや夜空を見上げても、眩しい星と瞬く第二文明期だいにぶんめいきの人口衛星の見分けが付くか付かないかくらいだ。


 隣に立つ超然的で博識な美人の姿に劇場でのレーグルの様子を思い出す。命を救ったからか、空を嫌う気持ちが邪魔をしたからかは分からないが、俺は罰当たりにも丁寧に話す黒髪の小さな彼女に甘えて馴れ馴れしい口調で接してきた。


 彼女より早く降りてきた空神様そらがみさまたちはもう全員が死んでしまったから、レーグルはいまや生きている唯一の第一世代といえる。もとより、空神様そらがみさまという時点で遥かに格が高い存在だ。これからは態度を改めなければならないだろう。


 当然シルダリアもまた、レーグルと同じくらいには雲の上の人物だと言っていい。まったく『英知は空にある』とはよく言ったものだと自虐を籠めて感心していると、少しばかり感情的な声が空気を震わせた。


「私も馬鹿よ。思ったより早かったの」


 一瞬、幻聴かと思った。普段は超然性とありあまる人間味が複雑に混ざり合ったような斑の声色をしているシルダリアは、きわめて単純な後悔の言葉を発していた。しかし、彼女の桃色の服状翼ふくじょうよくは揺ぎなく、何が早かったのかと尋ねるより前にいつもの口調に戻り、こちらを見て続ける。


「次からは、一日ずつで別の州に渡りましょう。レーグルさんにも、この地上圏ちじょうけんを楽しんでもらいたいし。今日は、本当にごめんね」


 ――一応描空領びょうくうりょう庁舎に説明に行ったついでに、衛兵込みで捜空領そうくうりょう行きの急行蒸気列車を一車両分借り上げてきたから。言うと、晴れやかな笑顔を浮かべた大天才の彼女は、こちらに手招きしながら大広間に飛び込んだ。少しためらったが、外にいても寒いままなので腰を上げてそのあとに続く。


「美味しい! 美味しいですこれ! えぇい、どんどん持ってこんかーい!」


 入った部屋では、多くの人々と共に席に着いたレーグルが食台の上に並べられた豪勢な皿の前でふんぞり返っていた。目を引く色鮮やかなそれは、描空領びょうくうりょうにくる際に討伐した怪物たちを使った料理だ。龍属種りゅうぞくしゅは未開の地でしかみられない生物だが、味のいい型式が多いことが知られている。今回は突然の出現だった上に数も種類も豊かに手に入れられたということもあって、担当局主導で貴賓市場に出回る前の一部が融通してもらえる形になったそうだ。隣に立った劇場主の女性に聞けば、働きかけたのはシルダリアだという。


 噂をすれば敬空領けいくうりょう政府参与の彼女は、レーグルの隣に座って思う存分食べて飲んでいた。明日の飛ぶ予定がなくなって食事量を加減する必要も特にない。食台の上には、龍属種りゅうぞくしゅのものだけでなく描空領びょうくうりょうの伝統料理から最新の創作料理まで、芸術の都一番の劇団に相応しいものが並んでいる。世界的に有名な役者、小説作品で数万部を売り上げる脚本家など、当たり前に古語『日本語』を解するとんでもない面々のなかでも、桃色の服状翼ふくじょうよくをしたシルダリアや小さい旧人類のレーグルは決して埋もれておらず、むしろ彼らの中心にあった。


 ただ身体が光る薬を飲むだけの交通整理員こうつうせいりいんの俺とはやはり格が違う。そして、その役割でさえ、天井を支える複数の柱の上部に光る水棲生物が飼われているこの大広間ではもはや不要と言っていい。俺がいなくても『生物に由来する光源しか認識できない』レーグルの視界は問題なく世界を映し出している。


 あなたも混ざったらどうですか。隣の劇場主の女性に促されるが、首を横に振って断る。あんな才気あふれるところに俺の居場所はない。そもそも空神様そらがみさまやシルダリアと旅をするだなんて、こんな特殊な状況が許さなければありえないものだった。遠く聞こえてきて、何やら学問的な議論を始めたらしい二人の話の内容が、俺には半分も分からないでいた。


「みなさん、本日描空領びょうくうりょうにレーグル様を招いて下さった名誉ある交通整理員こうつうせいりいんの方がご挨拶されたいそうです」


 だから俺は、やはり一人縁側に立ち去ろうと。――は? 


 隣を見ると、澄ました顔の老年の女性。賑やかな大広間が静まり返り、全員の目がこちらを向く。何やらとんでもないことをしてくれたらしい。視線を送るが、劇場主は素知らぬ顔のままだ。至極冷静を意識し、必死の思いで翼が滑稽なあかに染まるのを落ち着ける。続くのは耐えがたい沈黙。仕方ない、もうこうなったらやるしかない。


「は、はじめまして。ええと、敬空領けいくうりょうバイコヌールからきました、アコウギと申します……。本日はレーグル様への付き添いで、皆様の素晴らしい劇を――」

「えー、いきなり他人行儀じゃないですかアコウギさん。あなたはわたしの命を救ってくれたんですから、もっと自信もって、胸を張りなさいほら!」


 机を叩きこちらに叫ぶレーグルに、あえなく翼は真っ赤になった。空神様そらがみさまの命を救った。見て分かる俺の混乱具合を無視して、よせばいいのに場が引き締まる。やめてくれ、余計なことを言うんじゃない。必死の祈りも空しく、熱い扇動の眼差しを送ってくる空神様そらがみさまを抱えて膝に乗せたシルダリアも、これまた元気に口を開く。


「それに、この人は、敬空領けいくうりょう地界ちかい天盤崩落事故の指揮を執り、死者を一人も出さず見事に解決したことで、州政府からたいへんな褒章を得たのよねぇ」


 わざとらしい限りの大げさな語調。まさかあの規模の事故を、という声が何人かの口から紡がれる。確かあれは大きく報道され、バイコヌールの草原に開いた大穴が紙面版真実日報しんじつにっぽうの一面を飾っていたほどだった。描空領びょうくうりょうにその様子が伝わっていても不思議ではない。文面上は俺の手柄ということにされているが、実際に解決したのはシルダリアだ。俺は岩盤の下で、もはやこれまでかというような顔をしていたに過ぎない。


「それなら『ウィルソン山天文台分類法』も使うべきでは? といっても、ここってマグネトグラフないんでしたっけ、太陽の活動領域の磁場極性配置を観測するやつ。ああでも、大災害が起きたあとじゃ色んな係数も変わってるかもだしなあ」

「いま拠空領きょくうりょう主体で作ろうとしてるんだけどね。それより、レーグルさんはタネガシマ宇宙センターに行ったことある? 第二文明期だいにぶんめいき、日本の人なんでしょ」

「うーんと、あいにく西日本に行ったことはなくてですね……。あ、でも日本ってことでしたら、茨城県の悪いところ一○個言えます。まず水戸気質っていうか――」


 宴会の空気を存分に吸い込んだ彼女たちは完全に楽しくなってきてしまったらしく、一切分け入る隙のない会話を繰り広げ始めた。発言の訂正を求めるのはもはや不可能に近いといっていいだろう。


「違う、俺はただ……」

「さぁさぁ、いままでお構いできず申し訳ありません。私は今座の主役をレーグル様に献上申し上げてしまった者です。ははは、冗談はさておき、歓迎しましょう」

「え、ええと、あぁ……」


 水色の服状翼ふくじょうよくの男性に手を引かれる。結局、俺は流されるままもてなされてしまった。途中でレーグルが旧人類の時代の歌をうきうきで歌い始めてから宴は盛り上がりの最高潮に達したようだった。近付いてきたシルダリアに有翅虫型ゆうしちゅうがたの腕の丸焼きなどを勧められたが、慣れない人混みで流石に空気に酔ってしまった俺は、あんまりそういうのは得意じゃないと適当に断って、そっと一人で外へ出る。


 開け放しにしてある広間の扉をくぐり、石張りの床を進む。この州立劇場は小高い丘の上に建築されている。肌を撫でる冷たい風。広縁に腰を下ろすと、足元には厚い葉の草原がなびく。意図して上を向くまでもない。目を細める。ふうっと息を吐いて前を見れば、弓なりの地平に蓋をした夜と満天の星。


描空領びょうくうりょうの全ての芸術家、創作者たちは、この情景を超えた至高のものを造ることを目標としているのですが、笑ってしまうくらい勝てないですね」


 いつの間にか隣に座っていた劇場主の女性が苦笑いしながら言う。確かに、州立展示場で見た芸術品も、才気あふれる演者たちやレーグルがあれほど魅せた素晴らしい劇も、当然のような荘厳さを伴って鎮座するこの夜空以上の感動を与えてくれるかと問われれば、そうではないと思ってしまう。空に対して何の嫌悪感も持たない人々の感動は、この数十倍だろう。


 そこで思い出した。空神様そらがみさまのレーグルは望遠鏡を使ってみたいとかなんとか言っていたような気がする。劇場主の老年の女性に伝えると、鋼色の服状翼ふくじょうよくをした彼女は描空領びょうくうりょうの科学研究施設に連絡を取り、大量の設置式のそれを大広間の上の平天井に並べてしまった。そのまま、宴会はまさかの天体観測会へと移行した。


「もう深夜ですし、星座を見るに、いまは冬っぽいですが関係ない! 北半球の低緯度で助かった! どこまでできるか途中参加メシエマラソン現代版! さぁ、行こう!」


 メシエマラソン。それは、グレゴリウス暦一八○○年代に没した天文学者、シャルル・メシエが発見した天体群を一晩のうちに全て観測してしまおうという試みで、第二文明期だいにぶんめいきの好事家の間でそれなりに流行した催し物らしい。本来は違う季節に日没から夜明けにかけて行われるものだというが、随分と楽しくなってしまっている様子のレーグルにとっては関係ないようだ。


 遠古の夜空について詳しく知っているのは旧人類のレーグルだけだったが、彼女が情熱のままに三桁に昇る数の天体群についてとんでもない早口で宴会席の全員に伝えると、才気の塊シルダリアが「理解したわ、捜しましょう」と反応した。俺なんかは八番目の干潟星雲ひがたせいうんなる天体の説明の時点で脳の容量がいっぱいになってしまって、ほかにも何人かお手上げですというような様子の人たちと困り顔を見合わせた。


 一○台くらい並べられた現代規格の望遠鏡のうち、二つを占領した大小の天才――小さい方は、光る水生生物の瓶を片手に用意された高い台座に乗っている――がとんでもない速度で輝かしい星々の海を渉猟していく横で、それには劣るものの博識な役者や芸術家、脚本家が、目立つ天体を見つけては焦点を固定し、これはどうだと二人に聞いて回っている。


 俺はといえば、要らない強い明かりが近いと星が良く見えないのでどっかに行っていてくださいとの指示のもと、二人からたいへん遠ざけられてしまった。悲しいかな、交通整理員こうつうせいりいんは身体が光っている。ちやほやされてからの邪魔者扱い。俺を励ましつつ知識人たちに混じっていった劇場主の老女の後姿と、離れた位置で盛り上がる博識な一団をただずっと黙って見ているしかなかった。同じようにあぶれた数人との語らいも、この空虚な気持ちを静めてくれるには少し足りない。


 視線を逸らせば、大広間の外壁に刻まれた巨大な絵画が目に入る。建築物のなかに古代の学者たちが揃って描かれたもので、統合専門学校とうごうせんもんがっこうで読んだ文献に『学堂』として伝わるそれの中央には偉大な二人の哲学者が立っている。現伝する最古の学者たち、プラトンとアリストテレスだ。レーグルの言葉を思い返せば、意外にも月から上は神様の世界だといったらしいアリストテレスは地面に手をかざし、その隣のプラトンが代わりに空を指差している。彼らの動作が何かを含意しているのかどうかは不明だが、『英知は空にある』という現代の標語はこの絵画に出自を持つのだという。二人ともが抱えた本の内容、それは空神様そらがみさまに聞いてみたら分かるのだろうか。


 ――さそり座からいて座までのメシエ天体密集地域が冬なのに見やすいですね……けど、ぎょしゃ座がなかなか見つからないなぁ。第二文明期だいにぶんめいきの英知的な試みに、遠くから楽しげな声が聞こえてくる。ちらちらとシルダリアが見つけた天体の報告にきたものの、俺はなるほど鮮やかな夜天を見上げて、一人静かに空が嫌いな気持ちを深めた。


 夜が明けるころ、俺以外ほとんどふらふらの状態で宿泊宿に戻ると、今日も飛ぶものだと思って腹を空かせたヘンダーソンが絶望の表情で待っていた。念のためにお土産として小分けして持って帰った宴会料理を差し出したところ、中性的な顔立ちの小男はぷりぷり怒って純白に変わった服状翼ふくじょうよくを揺らす。今回だけは許してやるというような恨みがましい涙目が深く脳裏に刻まれた。


 翌朝、レーグルたちは俺へのあんまりな振る舞いをすっかり忘れて随分と疲弊した様子だった。騒ぎ過ぎが祟ったらしい。不服を申し立てようかと思ったが、どうやら天罰は受けているようだったのでやめておいた。


 空を嫌う人たち 第三章 描空領びょうくうりょうクールクーロンヌ ーー了

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