第13話 州立劇場

「ええ、是非」

「でも、わたしは演技経験とか高校の文化祭くらいしかなくて――」

「構いません。レーグル様にはたった一言台詞を頂ければいいのです」

「えー、そうですね……」


 もらった地図に従って辿り着いた巨大な劇場の貴賓口。州立展示場の館長と同じ色の甲型服状翼こうがたふくじょうよくを備えた劇場主の老女は、いきなり空神様そらがみさまのレーグルに劇への出演を持ちかけた。通訳者も介さず古語を理解するだけ教養深い人物には間違いないが、こう、頭のいい人間は好奇心に満ち溢れ過ぎているところがあると思う。例に漏れず、俺の傍に立った黒髪の小さな少女も興味があるようだ。いいですか、という保護者への確認の目線をこちらへ送ってきたので、特に否定する理由もない俺は黙って頷いた。  


 豪奢な装飾に満ちた廊下を渡って、更衣室へと案内される。広い部屋。着替え終わったら伝声管でお伝えください。そう言って老年の女性は扉を閉めて立ち去った。レーグルに手渡されたのは旧人類が着ることのできる大きさの白い着物であって、柔らかそうな布地で編まれた袖口に小さな花の模様が刺繍してあるものだ。服飾史にはさっぱりな俺が首をかしげていると、少女は軽く説明してくれた。これはワンピースという様式の衣装で、第二文明期だいにぶんめいきにおいて夏場に良く用いられたものらしい。


「……あ、ええと、着替えるので、何か仕切りみたいなものをお願いします」


 言われて、部屋端から大きな衝立を運び、彼女と俺を隔てるように設置する。静寂に満ちた空間で小さく聞こえる衣擦れの音。旧人類には両肩に施術された生体部品があるといい、それにより、何らかの能力を行使できると聞く。記憶さえ取り戻せばレーグルも使えるようになるだろう空神様そらがみさまの科学力。それがどういったものか気になるといえば気になる。一人暇に飽かして下らないことを考えていると、薄い板の向こうから声が飛んできた。


「すみません。道中で、また助けて頂いたみたいで。わたし寝てたから……」


 どうもレーグルは、俺の言葉をそのまま受け取り神輿のなかで気持ちよく眠っていたらしい。大銅鑼の音に驚いて飛び起きたものの、意識がはっきりしたころには事態は落ち着いており、龍属種りゅうぞくしゅの姿を見たり、気配を感じたりすることは特になかったようだ。ともかくあまり怖い思いをしなくて良かった。声に出して伝えると、感謝しますと返事があったのち、少し間を開けて彼女は続けた。


「わたしを気遣って、あの美術館へ連れて行ってくれたんですよね」


 敏いレーグルはこちらの考えに気付いていた。

 また自分を責めるように彼女の声色が沈んでいくのに気付いて、口を開く。


「俺たちの目的地は第一禁足地にある旧人類の墓だ。それに、仮にそこに辿り着いてさえ何も思い出せなかったとしても、焦ったり罪悪感を持ったりする必要はない」

 

 細かく荒い息遣い。レーグルはいつも一人で抱え込み過ぎている。そんなことはしなくていい。なるべく落ち着かせるように、展示場で見た絵画の言葉を引用しながら言う。


「どこからきて、なにであって、どこへいこうとも。旅の過程にこそ価値がある」

「後半も、誰かの言葉ですか」

「ジョブズという偉大な経済人だ。同時代人だろう」

「生まれる一三年前に死んでますよ、もう」


 笑い声が響く。暗い雰囲気が晴れて少しして、レーグルの指示に従い仕切り板を外す。白い衣装に包まれて現れた空神様そらがみさまはなんともかわいく纏まった様子で、彼女に合わせて古く教養深い言葉を使うなら、妖精と形容するのが最も相応しいだろうと思われた。空神様そらがみさまをそれほど多く見てきたわけではないので、彼らの容姿の良し悪しの基準についてはっきりとは分からないが、雰囲気からみても、彼女は優れて美しく魅力的な部類に入るのではないだろうか。

 

 どうですかと感想を求められたので、とても綺麗だと返すと、照れて顔を真っ赤にする。俺たちが翼の色を変えるのと似た、旧人類にしかみられない頬の紅潮。その様子に興味を惹かれるがまずは報告が先だ。伝声管に声を飛ばす。少しの間もなく駆けつけた劇場主の女性は、俺の数倍の語彙でレーグルを誉めそやすと、俺たち二人を特別観覧席へと案内した。

 

 特別観覧席は、劇場の客席の最上段に奥まって用意された空神様そらがみさま専用の座席だ。旧人類の体躯に合う低い塀に囲まれた正方形の部屋からは、眼下の舞台で展開する劇をしっかりと鑑賞することができる。小さな椅子の隣に置かれた発光する水生生物の瓶などレーグルの視界を助けるには十分な設備が整っているが、一応の安全確保と出演準備のために俺も同伴することにした。

 

 渡された台本を確認する。今日の公演は描空領びょうくうりょうの復興を記念したものであり、上映される舞台は有名な古典演劇だ。大災害に直面した人類が翼を得るように進化する様子を含蓄的で奥深い表現を用いて描いたもので、空神様そらがみさまの降下という最終場面ののちに暗転して幕が閉じる。第二文明期だいにぶんめいき以降の叙事作品によくある再生の物語だが、復興記念としてはこれ以上ない題材だろう。

 

 描空領びょうくうりょうの観客は、流石にレーグルの話す東アジア語古タネガシマ方言を知らないものがほとんどだ。よって、旧人類の彼女に割り当てられた劇の締めとなる台詞は、ある程度教養のある観客たちが理解できるよう、西欧州語古クールクーロンヌ方言で書かれている。

 

 警笛が鳴り、眼下の舞台の幕が開く。始まった劇に旧人類のレーグルは見入っているようだった。それもそうだろう。現人類は、旧人類と違って飛ぶことができる。従って、現代演劇は古代のそれと比べて、上下の空間をとても広く利用する。座席は壁面に掘られた路線に歯を噛ませて接続してあるため、場面が進むごとに横方向に大きく動いて、少し前に自分たちがいたはずの空間に新たな舞台を作り出す。


 演者たちが広い劇場塔内を縦横無尽に駆け、視点の移動により躍動的に物語が展開する。それらは本当に真に迫るものがあって、観客の意識を物語のなかにぐっと引き込む力を備えている。眼下をみると、興奮してやや色が変わりかけているのも何人かいる。俺は台本を読みながら台詞を逐一翻訳してレーグルに伝えるが、彼女は目の前で繰り広げられる劇に興奮してぼこぼこと叩いてくる始末で、話を聞いているのかどうか定かではない。この少女にも翼があったならば、目が疲れるほどせわしなく鮮やかになったに違いない。


 舞台はいよいよ終盤だ。レーグルに準備を促すと、劇場塔の天井が大きく開かれ、薄明かりが観客席を照らす。塔の中空、先ほどまで激情に橙色をしていた服状翼ふくじょうよくは落ち着いた水色へ。音楽が止み、風が凪ぐばかりの静謐。夜天に揺れる月と星に照らされて、自ら役に入れ込み色を変えた主演の男性がゆっくりと旋回しながら降下していく。


『時を経て――塵埃は、風に流れ、地に降り落ち、夜空にはかつての光が浮かびます』


 凛とした読み上げ役の女性の声が、壁面に張り巡らされた拡声器越しに塔内に響く。同時に大きな音がして、最上段に位置する俺たち以外の客席が半円分移動する。


 轟音が静まり、代わりに、主演の男性が床面に足を降ろす。コツンと、澄み渡った空気を揺らす音。あれは、と言いながら斜め上のこちらに向かって伸ばされる両手。舞台に残った全ての演者と、観客たちが顔を上げる。


『そして、我らの神が、降りていらっしゃったのです』


 特別観覧席。もはや壁から迫り出した舞台と化したそこ立っているのは、平伏姿勢で隠れた俺を除いて、一人。塔上部の照明機がその姿を捉え、小さな影を壁面に浮かべる。白い衣装に身を包んで月明かりを背負い、神気ともいえるほどの森厳とした空気を纏った少女。鮮やかにも一斉に色を変えた一般観客席から、あぁ、と小さく驚嘆の声が響く。それに応えるように、冗長に伸びず、かつ注目に十分な間を開けて、台詞。――演者、レーグルは口を開く。


英知は空にあるLes sagesses sont dans le ciel

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