第8話 旧い空の落ちる日ー2

 灰燼が頬を揺らす。巨獣の鳴くような音がして、天井の岩盤が次第にずり落ちていく。はらはらと石片が砕けて宙を舞う。頭上の解体作業の進行度は目方に頼ればおよそ半分くらいで、岩盤の墜落までには間に合いそうな勢いだと言える。

 

 配管工たちの掛け声が響く。俺と溶岩と解体中の発電機の肋骨から漏れる紫電の明かりに照らされて、ずり落ちていく天井が影を揺らしている。複数の巨大な翼が駆ける。外界の危険度は変わらず低い。


 急場はどうにか収まりそうだ。そう思考を進めて、ふとレーグルのことが気になった。一人で背後の観測室に取り残してきた彼女。視界は俺の身体から漏れる光が確保しているから大丈夫だろうとは思うが、いろいろなことに不安を感じているに違いない。安心してくれ、何とかなりそうだ。その言葉を伝えようと、振り向いた。


 分厚い透明な材質の壁越しに、観測室の彼女は泣き叫んでいた。

 喉を震わせ、壁面を殴打し、訴えるように、――上を指さしていた。


 息が詰まり、心拍が早まる。時間さえ止まるような感覚。彼女は、何を言おうとしている。指に従って顔を上げる。頭上には、空飛ぶ配管工たちとずり落ちた洞窟天盤。さっきまで見ていたのと同じ光景、そのはずだった。

 

 見えた。身体を巡る体液の流れを感じるほど黙って目を凝らしたから、確かに見えた。もう標準塔ひょうじゅんとうの半分ほどずり落ちた巨大な岩盤、さらにその周囲の円状、入洞錨にゅうどうびょうが囲うより数倍広い範囲の洞窟天井が、同じようにわずかにずり落ちてきている。巨大なもう一つの落下岩盤の中心は、俺の直上、レーグルが落下して開いた小さな縦穴にある。

 

 空を飛ぶ配管工たちは、解体作業に集中しているから誰も気付いていない。誰も気付いていないが、それはあまりに当たり前のような顔をしてそこにあった。落ちてくる。鈍色の空が。一回り小さな中央の岩盤よりゆっくりと、しかし莫大な規模で。

 

 範囲が広すぎる。入洞錨にゅうどうびょうの爆破による移動ではどうやっても回避できるわけがない。終わりだ。あれが落ちれば、間違いなく俺が立つこの岩のなかの街はおしまいだ。圧し潰されてみんな溶岩に沈む、いつか焼け死んだ弟と同じになる。


 着込んだ服状翼ふくじょうよくがにわかに色を変えていくなかで、レーグルと再び目が合った。わたしのせいだと、彼女は叫んでいた。彼女のせいなのかどうか、そんなことはもはやどうでも良かった。落ちてくる巨大岩盤をどうにかしなければならない。俺に何ができる。俺でなくても、この洞窟内でいまも解体作業を続ける配管工たちに、何が。しかし、ともかく彼らに事情を伝えなければ。そう思って、視線を上げた。そのとき。


[緊急起動権限バイコヌール。起動式『古歌こか標準塔ひょうじゅんとう砲、通電]


 言葉と同時に、高い音が聞こえた。入洞錨にゅうどうびょう第一鎖からだ。それは、間を置かずに二音目を奏で、透明な旋律が始まる。直上、洞窟の天井部。ずり落ちてくる大きい方の岩盤の中心から、地層を割って進むような音と、歌声が聞こえてくる。


最初の一二月二五日The first no-well 天使たちが告げましたthe angels did say


 何かが、地上圏ちじょうけんから空神様そらがみさまの開けた穴を通して降ってきている。そして、その何かが奇麗な声で歌を歌っている。耳慣れない古い音楽。配管工たちが驚いて動きを止めるが、俺は統合専門学校とうごうせんもんがっこうの古典の講義で聞いたことがある。


牧人羊をThe First No-well』。いまなお知識人層に多くの信徒を持つ世界宗教、キリスト教に由来する冬の祭典の歌だ。その旋律に呼応するように、続いて第二鎖から、同じ演奏の音がする。時間にしておよそ一分、全八鎖の放送機器から演奏が響き渡った瞬間、洞窟天井が砕けて、降り注いできたものが姿を現した。


ある冷たい夜更けにOn a cold winter’s night


 それは女性だった。見覚えのある女性だった。巨大な桃色の甲型服状翼こうがたふくじょうよくと、墳進機に似た細長い義翼板ぎよくばんを背に携えた彼女は、どこから取ってきたのか、身の丈の倍の高さがある円錐状の標準塔ひょうじゅんとうを抱えて仰向けに落ちてくる。

 

 入洞錨にゅうどうびょうの鳥籠の中心に、シルダリア。地上圏ちじょうけんにおいて現代の英知の象徴と言える頭脳を持ち、最も強く美しい女性は、その口で繰り返しの章句を唱えると、最後の歌詞を紡ぐ。


イスラエルの王がお生まれになったのですBorn is the king of Israel


 直後、視界が一息に明るくなった。全天に垂れ下がった入洞錨にゅうどうびょうから爆発的な白色が彼女に向かって空を奔る。洞窟内に離れて位置する発電機の肋骨も弾ける熱と目をく閃光を発し、それらが波濤のような勢いでシルダリアの元に集約する。桃色の服状翼ふくじょうよくが崩した天井から降り注ぐ小規模な瓦礫片は、中空で触れた紫電によって炭化するか、軌跡を引く火の玉となって岩塊に突き刺さった。作業中の配管工たちも、色を変え慌てて地表に逃げてくる。


 徐々に崩壊を始める鈍色の空とオルダ岩塊の地表の間に敷かれた眩いばかり光の網。その中心に浮遊する彼女は、くるっと縦に一回転すると、内腕で標準塔ひょうじゅんとうの底面を押し、その頂点を洞窟天頂に向ける。周囲の空気が奇声を上げて拉げていく。地界ちかいの発電施設全てから吸い上げられた電力が彼女の背の義翼板ぎよくばんに蓄えられ、円柱状の力場のような空間の歪みを発生させる。


「おい、シルダリア! 何を」


 叫ぶ。だが、彼女は答えない。答えないまま、眼下の俺に瞳を滑らせ、おぞましいほど奇麗な笑顔で――笑った。ぞくっと身体がこわばる。知っている。彼女のあの笑顔は、彼女自身が興奮するような何かとんでもないことを行う予兆だ。


 結局、紫電を纏った彼女が空を穿つ巨大な円錐を投擲したのと、俺が身を焦がす速度で避難が遅れた配管工四人をまとめて掴んで近く貯水槽に突っ込んだのは、ほぼ同時だといって良かったと思う。


 崩落する地界の中心に、天地開闢にも似た電熱の柱が立った。

 心拍一つ置いて響くのは、世界が終わるような音と衝撃。

 それ以降のことは、覚えていない。


「アコウギさん、目を覚まして、起きて」


 穏やかな涼しい風。柔らかな声と共に、頬が叩かれる。眩さに目蓋を開く。心配をしたのか、視界の中央に、膝を折りこちらを覗くレーグルのいまにも泣きそうな顔があった。しかし、俺はまず奥に控えたあまりに広大なそれに目が奪われる。


「……空、だ」


 空。地界ちかいからは絶対に見えるはずのないそれが、オルダ岩上の目抜き通りに寝転んだ俺の眼前に広がっていた。およそ入洞錨にゅうどうびょうが覆っていた範囲の天井部が融解して消し飛び、地上圏ちじょうけんに繋がる巨大な空洞が穿たれている。地界ちかいの溶岩に当てられた熱気を断崖から吹き下ろした冷気が相殺する。レーグルが防護服の着用なしで俺の傍にいられるわけだ。


 ありがとう、大丈夫だ。言って、腕を動かし、空神様そらがみさまの暖かな頬に優しく触れる。上半身を起こして周囲を確認すると、オルダ岩上は穏やかな静謐に満ちていて、見知った人間しかいなかった。


 少し離れたところに、意識を失う前に突っ込んだ貯水槽が横穴を開けて鎮座している。頭痛と共に少し噎せ、口元から少量の水が吐き戻されそうになる。恐らくあの鉄壁に突っ込んで気絶した俺は、ここに運び出されたのだろう。発電機の肋骨や入洞錨にゅうどうびょうも形だけ綺麗に復元されオルダ岩塊の上に架け直してある。あの一撃で吹き飛ばされたものは驚くほど少なく、岩の上が更地になったわけでも発電施設が粉微塵になったわけでもないらしい。まぁ、それも予め彼女に計算されてのことだろうが。


 ほかの人たちは、作業が終わって岩のなかに戻っていったみたい。こちらを心配しながら現状を伝えてくれるレーグルにありがとうと返してから、目を動かす。ごほっと咳の漏れる焼き付いた喉を開き、傍に立って俺を見下ろしているもう一人に声をかける。


「どういうことだ、これは……」

「雑事は大体整えたわ。動かなくて良いから、取りあえず聞いて」


 凛とした言葉、シルダリア。艶やかな桃色の甲型服状翼こうがたふくじょうよくを備える超然とした女性は、丁寧に指を折りながら端的に情報を伝えてくる。


 地界ちかい天盤崩落に関係する災害は死者を出すことなく終息したが、オルダは発電施設改装のため一時的に機能を停止した。オルダ住人にはバイコヌール政府の生活支援が用意され、州の電力に関しては備蓄固形電力発生装置の取り崩しと他州からの送電支援によって埋め合わせを行う。政府を代表して災害対処の指揮を執ったことになっている俺とその補助を行ったことになっているシルダリアには、賞与として休暇と金銭に加え空神様そらがみさま及び未開の地の探索に関する様々な許可が与えられた。


「発電施設の多くとその労働力を無暗に失うよりは、これを機に気流発電設備を敷設して効率を上げられる方法を選ぶっていうのを、この州政府の見解にしてきたわ」


 簡単に付け加えたシルダリアは、その巨大な服状翼ふくじょうよくを拡げてふわりと宙に浮いた。白く美しい内腕がこちらに伸ばされる。理解が追い付かない。突然現れ、とんでもないことをしでかし、また立て続けに口にする彼女に言葉を失っていると、羽搏きの音と共に涼しい風が頬を撫でる。


「私はあなたの指示で洞窟の天盤に大穴を開けて地界ちかいを救った。そういうことになってる。まぁ、『空神様そらがみさま』が降ってきた時点でこうなるのは見えてたから、アコウギなら自分で何とかできただろうけど、バイコヌール標準塔ひょうじゅんとう砲の実射実験もしたかったから私が邪魔しちゃった。ごめんなさいね」


 申し訳なさそうに頭を下げた彼女は、直ぐに満面の笑みに表情を作り替え、俺の手を取り、もう片方の内腕でレーグルをゆっくりと抱き上げた。唖然としたままの俺も、突然のことに混乱した様子の少女も無視して、力強く拡げられる桃色の翼。それは一息に空気を掴んで揚力を生む。広大な『サンクトペテルブルク・モスクワ層群』。洞窟の天井、身の丈の三倍ほどの厚さがある旧世界の大地に穿たれた大きな穴を、俺たちはゆっくりと進んでいく。


 半径が少なくとも標準塔ひょうじゅんとう一二基分、第二文明期だいにぶんめいきの単位でいうところの一五○メートル以上ある巨大な空洞。それは、地上圏ちじょうけんに円状の断崖を備えた風の滝のようで、揺れる視界から見える壁面は紫電に焼かれた熱で黒く焦げ付いている。


 吹き下ろす空気に、不安そうな表情をしたレーグルの黒い髪が乱れる。上を向けば、丸く輪郭をとって眼前に広がる深い青。降り注ぐ太陽の明かりはまるで茫漠とした光の階段だ。地界ちかいを照らし出す空へ向かって、墜ちるように昇っていく。


 揺れる視界のなかで、口を開く。俺たちをどうしようというのか。ようやく諸々のことがらについて理解が追い付いてきた俺がレーグルの思いも代弁してシルダリアに尋ねると、彼女は笑って何をいまさらといったようにこう答えた。


「だって、行くんでしょ。冒険!」



 空を嫌う人たち 第一章 地界ちかいオルダ ーー了

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