第8話 旧い空の落ちる日ー2
灰燼が頬を揺らす。巨獣の鳴くような音がして、天井の岩盤が次第にずり落ちていく。はらはらと石片が砕けて宙を舞う。頭上の解体作業の進行度は目方に頼ればおよそ半分くらいで、岩盤の墜落までには間に合いそうな勢いだと言える。
配管工たちの掛け声が響く。俺と溶岩と解体中の発電機の肋骨から漏れる紫電の明かりに照らされて、ずり落ちていく天井が影を揺らしている。複数の巨大な翼が駆ける。外界の危険度は変わらず低い。
急場はどうにか収まりそうだ。そう思考を進めて、ふとレーグルのことが気になった。一人で背後の観測室に取り残してきた彼女。視界は俺の身体から漏れる光が確保しているから大丈夫だろうとは思うが、いろいろなことに不安を感じているに違いない。安心してくれ、何とかなりそうだ。その言葉を伝えようと、振り向いた。
分厚い透明な材質の壁越しに、観測室の彼女は泣き叫んでいた。
喉を震わせ、壁面を殴打し、訴えるように、――上を指さしていた。
息が詰まり、心拍が早まる。時間さえ止まるような感覚。彼女は、何を言おうとしている。指に従って顔を上げる。頭上には、空飛ぶ配管工たちとずり落ちた洞窟天盤。さっきまで見ていたのと同じ光景、そのはずだった。
見えた。身体を巡る体液の流れを感じるほど黙って目を凝らしたから、確かに見えた。もう
空を飛ぶ配管工たちは、解体作業に集中しているから誰も気付いていない。誰も気付いていないが、それはあまりに当たり前のような顔をしてそこにあった。落ちてくる。鈍色の空が。一回り小さな中央の岩盤よりゆっくりと、しかし莫大な規模で。
範囲が広すぎる。
着込んだ
[緊急起動権限バイコヌール。起動式『
言葉と同時に、高い音が聞こえた。
「
何かが、
『
「
それは女性だった。見覚えのある女性だった。巨大な桃色の
「
直後、視界が一息に明るくなった。全天に垂れ下がった
徐々に崩壊を始める鈍色の空とオルダ岩塊の地表の間に敷かれた眩いばかり光の網。その中心に浮遊する彼女は、くるっと縦に一回転すると、内腕で
「おい、シルダリア! 何を」
叫ぶ。だが、彼女は答えない。答えないまま、眼下の俺に瞳を滑らせ、おぞましいほど奇麗な笑顔で――笑った。ぞくっと身体がこわばる。知っている。彼女のあの笑顔は、彼女自身が興奮するような何かとんでもないことを行う予兆だ。
結局、紫電を纏った彼女が空を穿つ巨大な円錐を投擲したのと、俺が身を焦がす速度で避難が遅れた配管工四人をまとめて掴んで近く貯水槽に突っ込んだのは、ほぼ同時だといって良かったと思う。
崩落する地界の中心に、天地開闢にも似た電熱の柱が立った。
心拍一つ置いて響くのは、世界が終わるような音と衝撃。
それ以降のことは、覚えていない。
「アコウギさん、目を覚まして、起きて」
穏やかな涼しい風。柔らかな声と共に、頬が叩かれる。眩さに目蓋を開く。心配をしたのか、視界の中央に、膝を折りこちらを覗くレーグルのいまにも泣きそうな顔があった。しかし、俺はまず奥に控えたあまりに広大なそれに目が奪われる。
「……空、だ」
空。
ありがとう、大丈夫だ。言って、腕を動かし、
少し離れたところに、意識を失う前に突っ込んだ貯水槽が横穴を開けて鎮座している。頭痛と共に少し噎せ、口元から少量の水が吐き戻されそうになる。恐らくあの鉄壁に突っ込んで気絶した俺は、ここに運び出されたのだろう。発電機の肋骨や
ほかの人たちは、作業が終わって岩のなかに戻っていったみたい。こちらを心配しながら現状を伝えてくれるレーグルにありがとうと返してから、目を動かす。ごほっと咳の漏れる焼き付いた喉を開き、傍に立って俺を見下ろしているもう一人に声をかける。
「どういうことだ、これは……」
「雑事は大体整えたわ。動かなくて良いから、取りあえず聞いて」
凛とした言葉、シルダリア。艶やかな桃色の
「発電施設の多くとその労働力を無暗に失うよりは、これを機に気流発電設備を敷設して効率を上げられる方法を選ぶっていうのを、この州政府の見解にしてきたわ」
簡単に付け加えたシルダリアは、その巨大な
「私はあなたの指示で洞窟の天盤に大穴を開けて
申し訳なさそうに頭を下げた彼女は、直ぐに満面の笑みに表情を作り替え、俺の手を取り、もう片方の内腕でレーグルをゆっくりと抱き上げた。唖然としたままの俺も、突然のことに混乱した様子の少女も無視して、力強く拡げられる桃色の翼。それは一息に空気を掴んで揚力を生む。広大な『サンクトペテルブルク・モスクワ層群』。洞窟の天井、身の丈の三倍ほどの厚さがある旧世界の大地に穿たれた大きな穴を、俺たちはゆっくりと進んでいく。
半径が少なくとも
吹き下ろす空気に、不安そうな表情をしたレーグルの黒い髪が乱れる。上を向けば、丸く輪郭をとって眼前に広がる深い青。降り注ぐ太陽の明かりはまるで茫漠とした光の階段だ。
揺れる視界のなかで、口を開く。俺たちをどうしようというのか。ようやく諸々のことがらについて理解が追い付いてきた俺がレーグルの思いも代弁してシルダリアに尋ねると、彼女は笑って何をいまさらといったようにこう答えた。
「だって、行くんでしょ。冒険!」
空を嫌う人たち 第一章
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