第4話 レーグル
「ひ、化け、化け物!」
翌日、
「おはよう」
「おはようございます……って、え?」
少女は恐る恐る立ち上がると、数歩後退って本棚にぶつかる。怯えているのだろう、身体が震えていて、隣に置かれた青色の殻を盾のように抱えて小さくなっている。
そんな様子になるのも無理はない。彼女の身長は
「何で……わたし、目が……」
彼女は目を覚ましてから少しして、その言葉を発した。聞いて、俺はそれまでずっと
『
「『生きているものしか見えない』。それが、あんたたち『
降臨した旧人類の
そのために、地上に残存生物があった場合それを従属させて文明復興を図る予定だったらしい
一通り説明を終えたころには、小さな黒髪の少女はこれまでの記憶を思い出したらしかった。疲れたような表情。全身から力が抜け、倒れ込む彼女を、腕で捕まえて
めぐる
目覚めて、昼の少し前。
俺の視界に、暗室の中央でぼんやりしている黒髪の少女の姿が見える。
「おはようございます」
その生気のない声に、俺は驚いた。違う。朝方の怯えていた様子とは全く違う。記憶を取り戻した彼女は、薄い水色の瞳でこちらを眺めている。思い出した記憶のなかに良くないものがあったか。また、本来それが彼女の性分であり、混乱して我を忘れていただけか。それとも、
着込んだ白い外套と、色を失った彼女の頬が、その冷え固まった水のような雰囲気を加速させている。心をどこかに置き捨てた目線が、彼女の数倍の体躯を誇る俺を捉える。超然さを神々しさと考えるなら、いまの彼女はなるほど
「……俺はアコウギという。あんた、名前は」
口を開く。さっき起き出して電力板を起動し、
彼女に名前を聞く必要も、会話をする必要もなく、ただ
「レーグル。そう呼ばれていたことだけは憶えています」
少女は抑揚のない声で応答する。不出来ながら俺たちは会話を続けた。彼女が確かに旧人類だということ。そして、一六歳以降の記憶がほとんど欠如しているらしいこと。ただ淡々と紡がれる言葉は、暗室に溶け、気温まで下がったように感じられた。
また、耐え難い沈黙が流れる。
すっと、
螺旋階段を早足で進む。どこへ連れて行こうというのか。そのことを内腕で抱き上げた彼女は気にしている素振りすら見えない。人ではないものを抱えている感覚。皮膚から伝わる温もりすらまがい物に思われるような雰囲気。そんなレーグルを抱えて、集合住宅の部屋から出た瞬間だった。
きゅるっと高い音が鳴った。見ると、腕のなかの少女の頬がゆっくりと紅潮していく。目覚めたとき以来の感情の発露。何が起こったか。それは俺にも分かった。腹の虫。旧人類は、半飢餓状態になると、それを知らせる音が鳴るらしい。上古文学で表現として読んだことはあるが、まさか実際にみられるとは。
「な、何ですか」
俺がそのままレーグルの顔をしげしげと見つめていると、彼女は全力でそっぽを向く仕草をした。少し申し訳ない気持ちになったが、ともかく
「何でオレが旧人類の相手なんか……」
「あぁ、悪い。お前にも食わせてやるから、その人を頼んだぞ」
「へいへい」
勢いよく
食材は
ふと、シルダリアのことを思い返す。彼女の美しい桃色の
「ねえ、アコウギさん。この人全然話通じないんですけど。あなたと同じ現人類なんですよね、何とかしてよもう」
さっきまで抜け殻のようだった少女は、わたわたと走ってくると、俺の後ろにすっと隠れ、長椅子に鎮座した中性的な顔立ちの小男を指差す。
「あぁ、そりゃ、そいつの頭が足りないせいだ」
「おう、喧嘩か」
わざと現バイコヌール語で口を開いて、バチっと睨みあう。が、それも長くは続かない。俺はレーグルに丁寧に事情を説明すると、二人の間に割り込むように座る。
「なるほど。わたしたちの言語がこの時代では古典語で、あなたたちの使う言語が現代語であるので、この無学な人には話が通じなかったというわけですね」
「おい、アコウギ、『
「『会話が通じなくて残念です』ってよ」
予想の数倍口の悪かったレーグルの言葉を柔らかく誤訳して伝えてやると、黒い小馬鹿は納得したように頷いて食事に向かった。
皿と盃、調理用具以外の、切り具、刺し具、掴み棒など手に持って料理を口に運んだり細分したりする『気取った』食器は大きさに関わらず残念ながら
流石にこの非文明的なやり方を旧人類の
目を見開く。俺たちにとって、
肉を素手でがっつくなど、
けれども、その食べっぷりに俺は正直感動していた。本と言説でしか触れられなかった歴史の真実が目の前にある。丸々と張った柔らかな頬、せわしなく動く小さな顎、ささやかに聞こえる咀嚼音。その生き生きとした振る舞いに、思わずじっと目を向けてしまう。
「えっと、ちょっと……何ですか、食べにくいんですけど……って、わっ」
「かーッ、気に入った。旧人類なんざ小さいだけの腰抜け野郎だと思ってたが、なかなか良い食いっぷりじゃねえか」
「ちょ、何なんですかこの人。さっきから背中をとんとん叩いてくるんですけど。アコウギさん何とかして」
「お、『アコウギ』だけ聞き取れたぞ。なんて言ってんだ」
「気にしなくて良いから食事の邪魔をしてやるな。その
「うお、そうなのか、すまん」
叱ると、女性にも見える中性的な顔立ちをした黒い小馬鹿はするっと元の位置に戻り、レーグルは両肩を払って大きな肉と野菜を食べきった。
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