第4話 レーグル

「ひ、化け、化け物!」


 翌日、地界ちかいの地下、暗室。このかなり涼しく清潔な部屋にかくまった少女は、食品の包装材で作った簡易寝具で目を覚ました瞬間、俺を指さしてそう言った。服状翼ふくじょうよくを拡げてうつ伏せに床に寝ころんでいた俺は、眠たい目だけを向けてそちらを見る。ヘンダーソンや地界ちかいのほかのやつらは復旧作業中だ。この暗室には俺と目の前の少女しかいない。


「おはよう」

「おはようございます……って、え?」


 少女は恐る恐る立ち上がると、数歩後退って本棚にぶつかる。怯えているのだろう、身体が震えていて、隣に置かれた青色の殻を盾のように抱えて小さくなっている。


 そんな様子になるのも無理はない。彼女の身長は空神様そらがみさまの平均より少し低いくらいだ。いま再導入の機運が高まっている古典的な長さの単位に直せば、一メートル半ほどだろうか。小男ヘンダーソンの三分の一以下であり、目方で六メートル後半の体躯を誇る俺の腕一本で全身を圧し潰してしまえる。地界ちかいの下にある暗室も、俺が立ち上がって少し移動できる程度。第二文明期だいにぶんめいきの義務教育施設にあったという屋内競技場の半分くらいの大きさだといっていい。


 空神様そらがみさまは休眠状態が終わると、一つずつ記憶を取り戻す。自分が遥か過去の人類であること。地球規模の激甚災害を宇宙空間で逃れたこと。そして、空から降ってきたこと。――これらを思い出すことができれば、伝えるべきことは限られている。


「何で……わたし、目が……」


 彼女は目を覚ましてから少しして、その言葉を発した。聞いて、俺はそれまでずっとすがめていた空神様そらがみさまに向き直る。途端に怯えて走り出し、後方の壁面に頭をぶつけて混乱している彼女に、静かな声で説明する。


永遠剤えいえんざい』という薬物がある。宇宙空間に逃れた空神様そらがみさまが飲んだもので、約六〇〇年間自分の身体を冬眠状態にできるという超常的な効果を持つそれは、服用した彼らも知り得なかった副作用を隠していた。


「『生きているものしか見えない』。それが、あんたたち『空神様そらがみさま』が俺たち未開の現人類を完全に支配できない理由だって話だ」


 降臨した旧人類の空神様そらがみさまたちは、生物以外が視界に映らなくなっていることを、もっと正確に言えば、太陽や電灯など、生物に由来しない光源を完全に認識できなくなっていることを理解した。


 そのために、地上に残存生物があった場合それを従属させて文明復興を図る予定だったらしい空神様そらがみさまたちは、彼らの進化種である現人類を尊重し、協調的に文明を取り戻す事業に着手しているという。対する現人類も空神様そらがみさまの降ろした科学技術という英知を享受する代わりに、主な街道に身体の光る薬剤を飲んだ交通整理員こうつうせいりいんをおいて、どうにも見えにくい彼らの視界を保護することになった。


 一通り説明を終えたころには、小さな黒髪の少女はこれまでの記憶を思い出したらしかった。疲れたような表情。全身から力が抜け、倒れ込む彼女を、腕で捕まえて服状翼ふくじょうよくを拡げた背中に乗せる。深い寝息が聞こえるのを確認して、俺も平伏の姿勢のまま身体を休ませる。


 めぐる蛍光薬けいこうやくで薄く輝く身体が、暖かく部屋を照らしている。交通整理員こうつうせいりいんらしいことを初めてしたな。そんなことを思いながら、俺はゆっくりと眠りについた。


 目覚めて、昼の少し前。

 俺の視界に、暗室の中央でぼんやりしている黒髪の少女の姿が見える。


「おはようございます」


 その生気のない声に、俺は驚いた。違う。朝方の怯えていた様子とは全く違う。記憶を取り戻した彼女は、薄い水色の瞳でこちらを眺めている。思い出した記憶のなかに良くないものがあったか。また、本来それが彼女の性分であり、混乱して我を忘れていただけか。それとも、空神様そらがみさまが総じてこういう気質を持っているのか。


 着込んだ白い外套と、色を失った彼女の頬が、その冷え固まった水のような雰囲気を加速させている。心をどこかに置き捨てた目線が、彼女の数倍の体躯を誇る俺を捉える。超然さを神々しさと考えるなら、いまの彼女はなるほど空神様そらがみさまといって過言ではなかった。けれど、どこか空しさがして、俺は静かに目を反らす。


「……俺はアコウギという。あんた、名前は」


 口を開く。さっき起き出して電力板を起動し、地上圏ちじょうけんへ確認を取ってみたところ、飛来した空神様そらがみさまは、遅滞なく世界で最も恵まれた地域に『凱旋』してもらうことになっているらしい。


 拠空領きょくうりょうグルームレイク。地上の楽園とも言える場所で、少しの間俺が学問をしていた都市。今回の彼女の降下も、その例には漏れないそうだ。手続き書類は彼女が寝ている間に指示してあり、地界ちかいの修復作業が一段落つき次第、今回の被害報告と共に送付する予定になっている。


 彼女に名前を聞く必要も、会話をする必要もなく、ただ地上圏ちじょうけんからお迎えがくるのを待つだけでいい。むしろ、空神様そらがみさまとの過度な接触は避けるべきとされている。けれども、この沈黙の空虚さに俺は耐え切れなかった。見れば見るほど、彼女の様子は地界ちかいに落ち延びたころの自分によく似ていた。


「レーグル。そう呼ばれていたことだけは憶えています」


 少女は抑揚のない声で応答する。不出来ながら俺たちは会話を続けた。彼女が確かに旧人類だということ。そして、一六歳以降の記憶がほとんど欠如しているらしいこと。ただ淡々と紡がれる言葉は、暗室に溶け、気温まで下がったように感じられた。


 また、耐え難い沈黙が流れる。地上圏ちじょうけんに送付する書類の情報が集まるのには、あと丸一日程度かかるだろう。それまでずっとこの部屋に閉じこもっていても、気分が無駄に沈むだけだ。旧人類が降ろした科学機器によって、この地獄にも似た発電機の街は造られた。そこに追いやられたのは俺の親の世代で、地界ちかいの有力者層をなしている。そういった理由もあり、オルダで空神様そらがみさまの評判は良くない。俺と同じ扱いを受ける可能性もある。荒れ日の被害状況の報告より先に、レーグルと名乗った彼女を直接地上圏ちじょうけんに送るべきだろう。

 

 すっと、服状翼ふくじょうよくを開く。何重にも折り畳まれた上半身の皮膚が捲れ、張り詰めて、硬化、変色し、白銀の翼になる。飲み込んだ蛍光薬けいこうやくの明かりが血管を流れ、その翼をして強く光らせる。照明ならこれで十分なはずだ。

 

 螺旋階段を早足で進む。どこへ連れて行こうというのか。そのことを内腕で抱き上げた彼女は気にしている素振りすら見えない。人ではないものを抱えている感覚。皮膚から伝わる温もりすらまがい物に思われるような雰囲気。そんなレーグルを抱えて、集合住宅の部屋から出た瞬間だった。

 

 きゅるっと高い音が鳴った。見ると、腕のなかの少女の頬がゆっくりと紅潮していく。目覚めたとき以来の感情の発露。何が起こったか。それは俺にも分かった。腹の虫。旧人類は、半飢餓状態になると、それを知らせる音が鳴るらしい。上古文学で表現として読んだことはあるが、まさか実際にみられるとは。


「な、何ですか」


 俺がそのままレーグルの顔をしげしげと見つめていると、彼女は全力でそっぽを向く仕草をした。少し申し訳ない気持ちになったが、ともかく地上圏ちじょうけんへ戻る前にすることがありそうだ。


「何でオレが旧人類の相手なんか……」

「あぁ、悪い。お前にも食わせてやるから、その人を頼んだぞ」

「へいへい」


 勢いよく蛍光薬けいこうやくを飲んで、俺はいまオルダ第二食堂に立っている。調理場と食事場が透明な板で仕切られただけの部屋だが、この簡素さこそが地界ちかいらしさともいえる。調理場に立つ俺の身体の明かりは板越しに食事場の二人に届いているから、レーグルの視界確保は問題ないだろう。たまに人で賑わうこの食堂も、昼前の微妙な時間帯には誰もいない。


 空神様そらがみさまたちのように、俺たちは日に何度か食事を摂るなんて気の長い真似はしない。頻度が高くて夜に一回、バイコヌール統計局の調査では平均で二日に一回ほどしか、食卓につくことはない。理由は簡単で、現人類は飛ぶからだ。食物を大量に腹に入れたままでは、吐き気が勝って墜落の危険さえある。


 食材は地上圏ちじょうけんから降ろされた大型獣の腹肉と、地界ちかいの菜園で栽培されている数種の野菜だけだ。空神様そらがみさまは俺たち現人類と同じ雑食だが、生の肉や、温度や硬度が高めの食材は食べられないらしい。大災害により、環境は大きく変わった。現代の食物の成分が古代のどの食物に由来するものかということは未だ解明途中であり、第二文明期だいにぶんめいきの伝統料理を再現するなんて粋なことは地上圏ちじょうけんの数少ない地域で試みられているだけだ。せいぜい地界ちかいならではの素朴な味付けが口に合うことを祈るしかない。


 ふと、シルダリアのことを思い返す。彼女の美しい桃色の服状翼ふくじょうよく。この桃色というのは、第二文明期だいにぶんめいきに存在した果樹からきているらしい。鮮やかな淡い赤色の果実。それがあったなら、この場では最も相応しかっただろうに。のちにレーグルに桃色は実じゃなくて花の色ですよなんて訂正を食らうことになるのだが、そのときはそう考えながら手を動かしていた。


 地界ちかいの料理は、材料や用具が限られているために手間をかけることができない。鉄板の上において柔らかく焼いた三枚の肉に、備え付けの香辛料をかけていく。板皿に盛り、葉物野菜を並べ、最も小さい種類の盃を置いて完成だ。盃に注いだ水の源は、かなり離れた岩塊外の洞窟壁の奥にある。でき栄えと色味にどうしようもなく質素な感を覚えるものの、色鮮やかで種類豊かな料理は地上圏ちじょうけんの恵まれた人間たちの特権だ。


 空神様そらがみさまに悪い噂は聞かないが、彼女個人がどうかは分からない。頼むから、つまらないものを食べさせたということを理由に、拠空領きょくうりょうで訴訟を起こしたりしないで欲しい。そんな思いで皿を食卓に運んでいくと、かなりの体格差のある二人は意外と元気にばたばたした様子だった。


「ねえ、アコウギさん。この人全然話通じないんですけど。あなたと同じ現人類なんですよね、何とかしてよもう」


 さっきまで抜け殻のようだった少女は、わたわたと走ってくると、俺の後ろにすっと隠れ、長椅子に鎮座した中性的な顔立ちの小男を指差す。


「あぁ、そりゃ、そいつの頭が足りないせいだ」

「おう、喧嘩か」


 わざと現バイコヌール語で口を開いて、バチっと睨みあう。が、それも長くは続かない。俺はレーグルに丁寧に事情を説明すると、二人の間に割り込むように座る。


「なるほど。わたしたちの言語がこの時代では古典語で、あなたたちの使う言語が現代語であるので、この無学な人には話が通じなかったというわけですね」

「おい、アコウギ、『空神様そらがみさま』何て言ってるんだ」

「『会話が通じなくて残念です』ってよ」


 予想の数倍口の悪かったレーグルの言葉を柔らかく誤訳して伝えてやると、黒い小馬鹿は納得したように頷いて食事に向かった。


 地界ちかいの食器は最も小さくて空神様そらがみさまの時代のものの三倍はある。レーグル用に切り分けて皿の端に寄せた肉は一般的なそれと比較すると驚くほど少ない。俺がこれを出されたら単純に嫌われているのではないかと疑うほどだ。


 皿と盃、調理用具以外の、切り具、刺し具、掴み棒など手に持って料理を口に運んだり細分したりする『気取った』食器は大きさに関わらず残念ながら地界ちかいにはない。手で食えるものは手で食ったほうが早いという思想で、出戻ったときは俺も戸惑ったものだった。


 流石にこの非文明的なやり方を旧人類の空神様そらがみさまにさせるわけにはいかない。何か、代用できるものを探そう。息を吐き、調理場に踵を返しかけた俺の視界端で、しかし黒い髪の少女は、両手で彼女にしてみればかなりの大きさの肉塊を掴み上げて噛り付いていた。


 目を見開く。俺たちにとって、空神様そらがみさまは歴史と権威と合理と科学の象徴だ。社会規範を重視しながら、圧倒的な規模で協同し、課題について最適の方法を用いて、これを解決する。それが上古文明を支えていた彼らの信条だ。現伝する多くの書籍に記されており、空神様そらがみさまたち自身にも肯定されている。


 肉を素手でがっつくなど、空神様そらがみさまにとっては有りえない社会性からの逸脱であり、忌避され、非難されるべきものであるはずだ。間違っているのは黒髪の少女だ。彼女は、彼女の生きた時代の規則に反している。


 けれども、その食べっぷりに俺は正直感動していた。本と言説でしか触れられなかった歴史の真実が目の前にある。丸々と張った柔らかな頬、せわしなく動く小さな顎、ささやかに聞こえる咀嚼音。その生き生きとした振る舞いに、思わずじっと目を向けてしまう。


「えっと、ちょっと……何ですか、食べにくいんですけど……って、わっ」

「かーッ、気に入った。旧人類なんざ小さいだけの腰抜け野郎だと思ってたが、なかなか良い食いっぷりじゃねえか」

「ちょ、何なんですかこの人。さっきから背中をとんとん叩いてくるんですけど。アコウギさん何とかして」

「お、『アコウギ』だけ聞き取れたぞ。なんて言ってんだ」

「気にしなくて良いから食事の邪魔をしてやるな。その空神様そらがみさま地上圏ちじょうけんに送り届けなきゃならないんだよ」

「うお、そうなのか、すまん」


 叱ると、女性にも見える中性的な顔立ちをした黒い小馬鹿はするっと元の位置に戻り、レーグルは両肩を払って大きな肉と野菜を食べきった。

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