表札の名前

早坂慧悟

全話

表の玄関の表札には、自分の名前の下に妻と息子の名を書き記してある。


友里佳(ゆりか)


鈴太(すずた)


我ながら良い名前だと思う。


友里佳は好きなビデオ女優の名を少し変えたものだ。

鈴太は好きな少年漫画の主人公の名だ。ピンチになると手が延びて怪力を出すキャラクターだ。


いづれも他愛ない架空の名前だ。


この辺りは少し歩けば県境に自動車工場が近いため人通りは多くはげしい。そのためか治安はあまりよくない。

先日も近所で押し込み強盗があったばかりだ。

ここはオートロックのためその心配はないだろうが、最近知り合いを装って無理やり訪問しようとする悪質な業者がよく訪問してきてたので気が気でなかった。


男とはいえ、やはり一人で住んでるのは心細い。それに表札で単身者であるのを推察されるのもあまり気持ちのいいものじゃない。

それで架空の家族名を表札に付け足すことにした。訪問者も単身者とは思わなくなるはずだ。近所付き合いもないから、誰も気づかないだろうし不審に思われないだろう。なによりサインペン一つで済むので非常に楽な防犯対策だ。


その内にこの架空の設定が面白くなって、俺はノートに実際にはいない妻と子供の特徴をいろいろと増やし始めた。誕生日や好きなもの、性格や行動、過去の思い出やその日あった出来事・・。普通の妻ではつまらないから、ちょっと問題があるような女であるほうがおもしろい。ヒステリー持ちで夫や子供に暴力をふるう悪妻、最近はやりのDV妻なんて設定はどうだろうか。表面的には普通に見えて実は怒りを抑えられないサイコパスの女性、まあ実際いたらとんでもない話だけど。


そんなスリルな設定と共に最近では会話の内容まで記し出して、独身貴族の俺は一人記録上の家庭生活を楽しんでいた。




そんなある日電話が鳴った。



ルルルルル


「すみません、近藤と申しますが…」


電話の声は若い女性だった。


「はい」


「奥様はいらっしゃいますか?」


《は?…》


思わず声が出かかった。


「いえ、おりませんが。」

不審な電話にそう答えた。


「それではまたかけ直しますので、よろしくお伝えください」

そう言って相手は電話を切ろうとした。


「いえ、ちょっと!」


「はい?」


「何かの間違いじゃありませんか?ここにはそういった者は住んでませんが」


「…」


しばらくの沈黙のあと、相手は言った。


「ああ、失礼しました。鈴太くんのお母様のことをいったんです。お母さまの友里佳さんおられませんか?」


「あの、ですから。妻も鈴太という子も…」


「PTAからの連絡なんです。」


「いえ、だから」


「また電話します」


ガチャと電話が切れた。


間違い電話だろうか、しかし名前を知っていた。表札の名前を見て誰かが電話をしてきたのだろうか、いたずらにしては手が込んでいた。




それからしばらくしてある日、また不可解なことが起きた。



ピンポーン


家にいるとインターホンが鳴った。


「宅配便です」


カメラ映像を確認すると宅配業者らしい制服を着た者がエントランスにいる。

オートロックを解除し、しばらくすると玄関前に宅配員がやってきた。


「●●さんですね。鈴太さん宛の宅配便が届いてます。間違いございませんね?」


《鈴太あて?》


思わず声が出かかった。


宅配業者は構わず玄関先に段ボール荷物を置く。


「いえ、ちょっと!心当たりないんですが、中身はなんですか」


さっさと印鑑を貰い帰ろうとしていた宅配員は伝票を見て言った。


「中身は、玩具…おもちゃです。」


「依頼主はだれですか?」


「荷送り人は。ここの住所ですね。●●友里佳さまからとなってます。息子様への誕生日プレゼントと書かれてますよ。」


そう言うと、次の宅配場所へ急ぐように宅配員は去っていった。


目の前には、架空の名前の送り主から届いた段ボールだけが取り残された。




結局、その段ボールの宅配便はそのまま外に置かれ、連絡して後日業者に引き取ってもらった。

詳しく荷送元伝票を見るとデパートのおもちゃ売り場で購入され届けられたことが解ったので、デパートにその荷物に思い当たる節がない旨を伝えると、すぐに返品用の業者を寄越してくれたのだ。



プルルルルルルル


また電話がなる。


「もしもし、近藤と申しますがPTAのご連絡の件でお電話しました。」


「はあ…」


またこの前のあいつか、と俺は思ったが相手の素性を探ろうと、俺はしばらく話をしてみることにした。


「すみません、奥さ いえ、友里佳さんはいらっしゃいますか?」


「いません 」


「そうでしたか、お帰りは何時くらいになりそうですか?」


「帰ってくるのはわかりませんね。」


「そうでしたか、あの…」


「明日になるか、明後日になるか」


どうせ相手は詐欺かなんかだろうと思い、俺は適当に答える。


「困りましたね」


困ってるのはこっちだと俺は思った。


「で、何が目的なんです。こんな電話をかけてきて」


「目的?こっちはただご用件をお伝えしたいだけなんです。それならご伝言よろしいですか。」


「はい?」


すると相手は冷静な口調で用件を言い始めた。


「次回、月水小学校の10月20日予定のPTA定例会はインフルエンザの影響で延期になりました。代替日はまだ未定です。班長さんから連絡がありましたもので。では宜しくお伝えください。ピ、」


それだけ言うと一方的に電話は切れた。




数日後、家にいるとインターホンが鳴った。


カメラ映像を確認するとこの前と同じ制服の業者がまたエントランスにいた。

相手は告げた。


「宅配便です」


オートロックを解除し、しばらくすると玄関前に宅配員がやってきた。

目の前の宅配員は、この前と全く同じ宅配便の段ボールを抱えている。


「●●さんですね。宅配便が届いてます。鈴太さん宛です。」


《鈴太あて?またかよ・・・》


思わず声が出かかった。


宅配業者は構わず玄関先に段ボール荷物を置こうとした。


「ちょっと!この前も全く同じものが届いて・・・・心当たりないんで送り返したばかりなんですが・・・」


さっさと帰ろうとしてた宅配員は面食らって言った。


「前回の経緯は存じ上げています。しかし荷送り先から、こちらより再配送のご要望があったとのことであらためてお届けに来たんですよ」


二度も足を運ばされて、少し仏頂面になり宅配員は言った。


「再配送?そんな依頼はしてないですよ。」


「その件は直接荷送り主にご確認ください。」


「荷の依頼主はこの前のデパートですか?」


「そうです」


そう言うと、宅配員は去っていった。


目の前には、また送り返された段ボールだけが残った。


俺は訳が分からずまたこの前のデパートに電話した。

俺の電話を受けて、デパートの売り場の者がひどく動揺してるのは電話越しに分かった。

向こうが言うのは、あの返送のあとにこっちからまた荷物を所望する電話をもらったので再度発送されたということだった、結局堂々巡りとなり延々話がつかなかった。


「とにかく迷惑なんでやめてもらいたい。こんなことが続くようじゃ黙ってられませんよ。話を聞きに伺います。」


一向に非を認めない相手に、とうとう俺は忍耐の限界に達した。

俺は荷物を持って直接デパートに赴いた。



デパートに着くと、俺は件の売り場ではなく売り場の一番奥の「お客様相談コンプライアンスセンター」という所に通された。


素っ気ない事務室のような応接室に座っていると、そのうち一人の背広の男がやってきた。


慇懃にお辞儀をする男は自分に名刺を出してきたが、俺はそれを受け取らず用件だけを話した。


話を熱心に聞いていた男は俺の説明が終わると言った。


「それではお客様は、実際にこのお荷物の再発送のご依頼の電話を掛けた覚えがないというわけですね。」


「ああないね、記録を調べてみればいい。電話を掛けた覚えはないんだから」

腕組みをして俺は言った。


「お家の方、例えば奥様がこちらに掛けてきたということはございませんかね?」


また〈架空の嫁〉の話か、と俺はげんなりした。


「あいにく俺は独り者でね、家に『奥様』は居ないんだよ!」


俺の話を静かに聞いていた男は、後ろで控えていた売り場の従業員と小声で何か話し始めた。やがて戻ってくるとこう言った。


「返送をお客様が希望されたときの記録がこちらには残っています。9月6日午前11時23分25、電話局により表示された回線番号は***-***-****、お客様のご自宅の番号です。通話時間5分25秒」


電話の通話回線の記録ログのようなものがカラー用紙に印刷されて机の前に置かれた。電話会社から毎月来る請求書の使用履歴によく似たものだ。下の方に電話会社の名前が記されている。


「なんだよ、これは。」


「電話会社から出ている当日の正式な通話記録です。お客様、実際にあった会話をお聞きになりますか?」


男は小さな機械を出してきた。みると小型DATのような音声再生機械だった。


「私どもでは些細なお客様からのご要望でもその時の通話内容を防犯対策として録音させていただいております。ちょっとお聞きください」



『・・・・だから、なんで返送されるんですか!うちの夫も家にいてそんな荷物受け取った覚えも送り返した覚えもないと言ってるんですよ!おたくが送り忘れて言い訳を言ってるんじゃないんですか?あんまりふざけた対応するならこっちにも考えがあります。訴えますよ』


しばらくの無音ー、たぶん従業員が対応してるパートだろう。


『ええ・・ええ・・・・わかりましたから、すぐに送ってください。困るんですよこっちは・・・ええ・・ええ・・・・わかりましたから・・はい●●あてに送ってください。』


通話の主は女性だった。全く聞いたことの無い声だ。


男は言った。


「困りました。お客様に覚えがないのなら、この女性が偽計を用いて虚偽の電話をしたことになりますね。お客様の家の電話に細工して、もしくは電話回線記録を改竄して。」


「本当に何なんですか、これ」


俺は頭が混乱して何も言えなかった。


「これ以上は埒が明かないので、手前どもも今後は警察に相談することとなります。偽計業務妨害罪、立派な犯罪です。お客様も私どもも犯罪の被害にあいましたので、ぜひ警察に調べてもらう必要があると思うのですが」


男の口調は低姿勢で慇懃であったが、どことなく相手を制するような手練さを垣間見せていた。まるでしつこいクレーマー客をやり込んでいる時のような。


「警察?そんな大げさな」


俺は思わず口に出した。


男は穏やかな顔で何も言わない。


「こっちとしては、この荷物を黙って受け取ってくれて、もう二度とこっちに送ってこなければそれでいいんですよ。」


「わかりました」


男は言った。


「わかりました。そのお客様のお荷物は当社でお預かりし、もうお送りすることが無いようにいたします。その代わりー」


「なんでしょう」


俺は男の言葉の続き待った。


「その代わり、その返送をしない旨を記した文書にお名前をいただければと思います。またここでのやりとりはそこの防犯カメラに録画と録音されておりますので、ここでのお話は後に重要な証拠となることでしょう」


その申し出や言葉はこっちを信用してないことを表していたが、こんな面倒ごとが二度と起きないのならばと俺は男の申し出を了承し書類に署名すると、持ってきた荷物を置いて百貨店を後にした。







暫くして、また訳の分からない電話が掛かってきた。


電話の相手は言った。


「こんにちは。わたしは月水小学校の2ー1組担任の宇津原ですが。」


「はあ。」


丸で知らない相手だ。この歳で小学校になんて用事はあるわけがない。


「お父様ですか?あの、鈴太くんのことでちょっと聞きたいことがありまして…」


「鈴太…のこと…ですか…」


「はい。今日、保健師の先生から連絡ありまして。」


「それで、なにか?」

訳の分からない状況にもはや慣れてしまった俺は、適当に答える。


「鈴太くんのケガの件です。今日お昼休みにお腹が痛いというので保健室でお休みになったんですが、そこで保健師の先生が服をめくるとたくさんのアザが見つかったんです。鈴太くんに聞くと昨日、お家で転んだときのだと言うんですけど、お家で昨日鈴太くん転んでケガをされたりしましたか」


「あのですね」

とうとう我慢できなくなり俺は言った。


「鈴太なんかいません。この家に子供は居ません。俺一人だけで住んでますから。表札の名は嘘です、だからこんないたずら止めてくれませんか、いくらなんでもしつこすぎますよ」


「あの・・鈴太くんのお父様ですよね?わたしはただ、ケガをどうしたのかどうか聞きたいだけです。決まりで決まってる事実確認なんですよ。誰も虐待とか疑ってるわけではありませんのでご安心ください、よく存じ上げてますから」


「だから!鈴太はいません!きりますよ」


俺は一方的に電話を切った。なんてことだいったい。







            1

「またよ!もういい加減にしてほしいわ」


友里華(ゆりか)が言った。デパートの配送部門に何度か問い合わせた末のことだった。


「あの松竹百貨店で会計とき不手際があったから菊屋デパートに変えたばかりなのに、デパートはどこもだめね」


俺は無言のまま食堂のテーブルに向かったままだ。近頃は自分の部屋よりここで仕事をするほうかなぜかはかどる。


「寿々多(すずた)のオモチャ、また送り返されたらしいわ。取りに来ますか、なんて冗談じゃないわよ。」


友里華のボルテージが次第に上がる、最近また短気になった気がしてならなかった。


「ねえあなた」


話をふられ俺は返答した。


「でも向こうは返送されたあとにまた、届いてないと電話を受けたというんだろ?むこうも不審がってるんじゃないのかい?」


「それがまた無理やり返されたとあっちは言うのよ、信じられる?本当にもう、どうなっちゃってるの。学校からの大事な電話はこなくなるし、私の知らないうちに荷物は何度も返品されるし。」


俺は黙って聞いていたが、なにか手違いがあったのだろうね、とつぶやいた。


友里華はテーブルの目の前のイスに座るとき言った。


「それに。その、あなたのよく書いている変なノート。気持ち悪いからもう書くのやめてもらっていい?」


「これ?」


俺は傍らにある大学ノートを指して言った。


「そうそれ。悪いけどあなたがいないとき開けっぱなしのときに中身が見えちゃったの、そこに書かれてるのわたしと寿々多のいない世界なの?」


「架空の独身日記だよ。新しいシナリオのネタ作りに戯れに書いてんだ、君たちに似た名前を使ったのは悪かったね」


「そんなの見ちゃうと、あなたが私達と暮らすのが嫌なのかなと思っちゃうわよ。」


「ははは。そんなことあるはずないだろ」


それでも友里華の気持ちがおだやかではなさそうなので、俺はそのノートを捨てることにした。

そのまま捨てて誰かに読まれてはいけないので、自分の部屋に戻ると俺はノートの書かれたページをに破りそのままシュレッダーに投げ入れ裁断した。残りの白紙の部分はそのままゴミ箱に投げ入れた。


シュレッダー機が動いて裁断している間、どこからか男の叫び声が聞こえた。空耳だろうか、もしくは家の外で誰かが叫んだのだろうか。





そしてその後、変な出来事が家で起きることはピタリと止まった。






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