第16話「人は妄想の中で無双する話。」


「ふぅーん、へぇ……はぁ……」


 今日の工多はやけに溜息が多かった。

 何かショックを受けているような。少しガッカリしたようなそんな感覚だ。


「どうした~? 負けた腹いせにコントローラー投げ飛ばして、ぶっ壊したか?」

「俺は物には当たらない……」


 工多はゲームで負けたらイライラこそするが、モノに八つ当たりはしない主義であることを上渡川へ告げる。


「じゃぁ、どうした? ヤケにテンションが低いから気になるのだが」


 今日は新作のプログラミング。出社した工多と上渡川と大淀の三人は一室に籠って、バグの確認などを徹底的に行っている。


「特に何もないですよ。だからご心配なく、」

「そういえばさっき、ネットニュースか何かで声優が結婚した的な記事を見てたけど、それに関係してるとか?」

「人の携帯の画面を勝手に見るな。プライバシーの侵害で訴えるぞ」


 ナチュラルな盗み見に工多は眉間に皺を寄せていた。


「ふむ、流れをくみ取るに“応援していた美人女性声優が結婚した”とかそういう感じかな?」


 ……否定こそしなかった。

 そもそもの話、上渡川がその点に触れた地点で工多の態度があからさまに変わった。大淀はその一点で間違いないと悟り、ダイレクトに図星を突いてみせた。


「……まぁ、そういうことっすけど」


 頭を掻きまわし、工多は図星のままに真相を告げる。


「おめでたいことじゃないか。ファンなら喜ぶことだろう」

「まぁ……嬉しい事ではありますけど、なんかこう、“寂しさ”もあるというか……」


 大淀に対する返答。


 デビューして一年頃、少しマイナーな深夜アニメにてデビューしたという女性声優。その人物はラジオで登場した際にも結構面白い人柄で、ビジュアルもなかなかよろしいご様子。ハートを掴まれた工多はその声優を数年前から応援していたという。


 しかし、その女性声優は数日前に婚約を発表した。相手は誰もが知っている芸能人で、これまたビジュアルのよろしいお方。


 お似合いのカップル同士、幸せになれたことを喜ぶのがファンというものだろう。

 しかし、工多は少しばかり嬉しさの反面、寂しさもあると告げたのだ。





「……いや、ごめん。なんで“寂しく”思えるの?」


 上渡川、真正面からの疑問。


「“寂しい”って感情だけが芽生える理由が分からねーんだけど。その女性声優が結婚したからって」


 彼女にとって、ファンである工多のその気持ちだけは理解できないと攻撃。




「……もしかしてだけどさ」

 上渡川はパソコンの画面から目を離し、項垂れる工多へと視線を向ける。

「“この声優と付き合える確率が1%でもあるかも”って思ってたりとか?」

「……ッ!!」

 ビクゥ! と、工多の背筋が凍る。


「うわー、いるいる。そういう奴! ツイッターとかでも、人気どこのアイドルとか男性俳優が婚約の話を持ちかけると、その相手に捨て垢で攻撃する奴とか山ほどいるわ! 結構いるよな~! ただの一ファンなだけなのにさ~! 本人とは赤の他人なのに彼氏彼女面する奴がさ~!!」


 上渡川が語るのは、狂った方向で愛情を持ってしまっている妄信的なファンの典型的な例。それを見るような眼と全く同じ視線が工多に向けられている。


「お前もそういうタチかぁ~? あれか? そこらの有名な芸能人でも、一般市民に声かけられて奇跡的に交際した例があるから、ワンチャンあるとか思ってる? あはっはあ! ないから! そんなのないから! イケメンとかだったらまだしも、お前みたいな平凡で気持ち悪いファンがやっても、警察に電話かけられて、終わるだけだからぁ~!」


 頭を抱えて、彼を指さしながら大爆笑。

 工多は当然、それに対して軽い震えが体から起き始める。



「おい、上渡川、大概にしてやれ。確かにそんな考えをする奴はいるが、工多がその一部である確信は、」


「ああ、そうだよ! 悪いかよ!? それくらい夢見てもッ!?」


 工多、激怒しながら起き上がる。

 人間夢見ちゃ悪いんですかと、わざとらしく足踏みを鳴らしながら猛反論。



「誰だって、●●●●とか●●●●と結婚したい! だなんて妄想一つくらいするだろ!? 人間の夢にケチつけるな優等生気取りが!!」


「いいや、見ないね。そんなロマンチックな」


「相変わらず、夢も愛らしさもない女だなー!! それだから、彼氏できないのでは~?」


「芸能界に夢を見ることが間違ってんだよ。あんなブラック企業の巣窟の世界にさ」


 現実的理論で上渡川はヘラヘラと話し続ける。

 どのようなアイドルだって恋愛だってするし、タバコも吸う。どのようなイケメンだって誰も見ていないところでオナラもするし、他人の愚痴も言う。そもそも、そこらで売れてる芸能人だって、その裏ではどのようなブラックドラマが待っているかわかったもんじゃない。


 そんな世界の人間達に自ら好んでチャンスを求めるなんて考えもしない。それが彼女の理論であった。


「表出ろよ、久々にキレちまったよ……」

「うわー、パロネタで誤魔化す奴~! まぁ、別にいいけどよ、全部論破してやっからよ」


 終わらない喧嘩。二人の作業の手はあっという間に止まってしまった。



「……はぁ」

 最後の一人、大淀もパソコンの画面から目を離す。






「さて、と」

 骨の鳴る音。狭い部屋だからこそ、それはかなり響いた。



 そうだ、喧嘩するのは勝手だが忘れてはいけない。


「私もキレちまったよ」


 工多と上渡川の所属するこの会社はブラックとまでは言わない場所ではあるが……。

 “体罰代わりのキャメルクラッチ”は簡単に飛んでくる職場であったということを。

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