カワセミ
みつお真
第1話 カワセミ
小生の右手には、あのイギリス王室御用達の、カワセミの万年筆が身体の一部の如く見事にフィットしている。
しかも特別生産品の絶版希少品。
嗚呼、青、蒼、碧、向葵が幾重にも連なるフォルム。
パティスリー・モンサンパルスのミルフィーユ・ナポレオンのようでふくよかであり繊細な味わいだ。
ラズベリーを添えたくなる。
早摘みの、甘酸っぱいのが良いだろう。
ロシア産、ラブニャローレのジャムでも構わない。
至極の逸品と、小生意気で乙女チックな主張。
小生とカワセミみたいな間柄だ。
18金仕立てのペン先と。24金仕立てのクリップとリング。
ジャンヌ・ダルクを彷彿とさせる、毅然とした肌の質感。
まるで、静寂の海原に身を捧げている気持ちにさせてくれる。
だが、生まれながら握っている訳ではない。
このカワセミの万年筆、実は拾い物だ。
安価なモノで5万8千920円(税抜き)
高価なモノだと385万7千円(税込み)
それを小生は拾った。
高輪丸革本店前で。
だから届けた。
ゲートウエイ交番に。
そして月日は流れて、カワセミは小生の恋人となった。
落し主不明の名のもとに。
赤い糸という運命だ。
何故なら小生は文学者であり、芸術家でもあるのだ。
四ツ谷の木造モルタル2階建てのアパートで、夜な夜な原稿用紙に向かい、乱れた文字に憔悴しきっては部屋中に紙屑を散乱させている。
紙屑は星屑の如し。
増えれば増えるほど美しいものとなる。
四ツ谷に浮かぶ天の川。
パーソナルコンピュータは使わない。
あれは作家が好むものだ。
文学者はカワセミの万年筆と、舶来華通の原稿用紙、そしてコニャックと煙草の若葉がよく似合う。
そうだろう?
昼間は片手間で仕事をしている。
高輪ゲートウエイ駅前の、ハンバーガーショップのアルバイトリーダーとして。
時給は安いが気持ちは社員だ。
賞与もある。
しかし、商いに浸りきるほど愚かではない。
いつも神経というアンテナは張り巡らせてある。
文学者は人間観察が本能として宿っているのだ。
正直、疲れもするが致し方ない。
因果な商売だ。
己の宿命を呪いたくもなるさ。
小生は、老舗の万年筆専門店キヨカワで、このカワセミに似合うインクを買った。
漆黒の文字が、産声をあげたばかりの人生を交錯させていく。
そして彼らは、原稿用紙の上で清らかなシンフォニーを奏でる。
文学者は指揮者にもなれるのだ。
小生は、安物の原稿用紙は使わない主義である。
滑りがこの上なく悪いからだ。
氷上のフィギュアスケーターと、コニャックでも交わしてみたい。
きっとうまくやれる。
トップアスリート同士。
カストリ焼酎はダメだ。
あんなものは飲めたものじゃない。時代遅れの粗悪品だ。
だからパビナール中毒症にも憧れないし、玉川上水にも行かない。
バー・ルパンには行った。
無理矢理誘われたからだ。
背の高いスツールは、少々居心地が悪かったから、一日限りでグッド・バイ。
小生はその日、棚卸しを終えて深夜に帰宅した。
期首棚卸し額28万3000円。
期末棚卸し額24万1700円。
悪くない。
旨い酒が飲めそうだ。
錆れた鉄骨の階段を上がって部屋に入る。
傘の無い裸電球に照らし出される、六畳一間の築45年のオンボロアパート。
建て付けの悪い窓の廻し鍵。
その下の長机。
ざらついた砂壁。
原稿用紙とカワセミ。
座布団脇のゴミ箱に溢れ返る紙屑。
小生のオペラ座。
またの名をつるみねアパート203号。
それなら小生は怪人か?
実に愉快だ。
ハイネケンを畳に直置きにして、ビーフジャーキーをつまむ。
バドワイザーは洒落っ気がないから飲まない。
つまらないからだ。
小生は、皮肉を込めて笑った。
キーウエストには行けないようだ。
さよならヘミングウェイ。
原稿用紙に向かう。
ついでに、radioを79.5に合わせる。
いつもの声。
いつもの感じ。
原稿用紙と対峙する。
さあ、執筆という名の開幕戦だ、準備はいいかい三冠王!?
・・・何かが違う。
褞袍を羽織る。
あぐらを組む。
髪を掻きむしる。
納得がいかない。
書きたい素材が見当たらない。
というよりも。
「無い」
小生は立ち上がって深呼吸をした。
窓を開けると、秋の夜空と人工衛星。
落下する網戸。
そうだ、宇宙人が転生したら地球人になって、新橋で真面目な会社員になる物語を紡ごうと閃く。
電光石火の発想力と着眼点は、文学者たる所以だろう。
タイトル
宇宙人が転生したら地球人になって、新橋で真面目でチープな会社員になってみた百科事典
作者
高輪へみんぐうえい
小生はチートと表現したい箇所を、あえてチープに変化させた。
期待と裏切り。
そして百科事典という伏線。
文学には欠かせないハイエッセンス。
読者への注意喚起も忘れてはならない。
小生の物語には起承転結が無いからだ。
あるのは序破急であるから、覚悟してほしい旨を記しておく。
始まってびっくりさせて終わった!
これが計算されたドラマだ。
天命を全うするまで揺るがないであろうプライドに、小生は満足である。
そうして再び、鼻息荒く原稿用紙へと向かう。
カワセミを右手で優しく包み込む。
定規を当てて線を引く。
小生のプロットは、枠を作りその中にエピソードや必要な台詞を描いて、眺めながら繋ぎ合わせて行く合理的なシステムだ。
高輪へみんぐうえいメソッドと名付けている。
カワセミから流れ出る漆黒の息吹が、原稿用紙に飛び跳ねる。
定規を外すとインクも垂れる。
美しくなければならない四角の枠の端が、おたまじゃくしみたいになっている。
納得出来ない。
小生は原稿用紙をくしゃくしゃに丸めて棄てた。
何度も挑戦するが、美しい四角が描けない。
必ずおたまじゃくしが現れる。
大きなおたまじゃくしもいれば、ちいさなおたまじゃくしもいる。
おいおい、カエルになったりしないでくれよ。
小生の粋なジョークに、おたまじゃくしは笑わない。
枠だけボールペンで線を引こうか。
いや、万年筆は裏切れないし裏切らない。
文字だけそれにすれば良いのではないか。
いや、両者が共存出来る訳が無い。
腕組みしながら小一時間の葛藤の末、小生は答えを導き出した。
今夜はよそう。
眠ることとする。
作品も上質なワインと同じだ。寝かせた分だけ、頭の中で旨くなる。
ロマネコンティみたいに。
終
にはしない。
翌朝。
小生はスマホで呟く。
@arekusantora 10:00
今日は朝から執筆日和。缶詰になって書き上げるか!追い込み、締め切り(気持ち的な締め切りw)マジ草
あっという間の7いいね。
1リツイート。
アルバイトの仲間たちは、小生から目が離せないようだ。
鏡を見ると、ボサボサの寝癖の髪と無精髭。
文学者らしい風貌だ。
今日はプロットはやらない。
登場人物キャラクター設定を考えることにしよう。
主人公
田中 あきら
職業 市立探偵
実は木星よりの使者で、あまり宇宙人らしくない。
性格は優しい。
身長は長い。
長所は怒りやすい。
短所は生真面目。
口癖・血潮わき肉踊るんじゃね?
髪型・ドレッドヘアー。
小生はそこまで書いて、原稿用紙を怒り任せにビリビリに破いて棄てた。
私立探偵を市立探偵と記してしまったからだ。
美しい文字で揃えた文章が台無しである。
ゼロからの文学作品創作は、生命を削る覚悟でなければならない。
後戻りができないからだ。
再び主から描きはじめる。
息を止める。
点を書く、センスが光る斜めの点。
くっつかないように横線を引く。
そのまま縦線へと繋がる。
指が震える。
駄目だ、太さが安定しない・・・。
神経衰弱に陥った小生は、カワセミに話しかけてみた。
「小生に力を与えてくれたまえ。ドラマティックで悲哀に満ちた感動巨編を、小生といっしょに創りあげようじゃないか!」
「オイラでいいのかい、けけけ」
「し、喋った!」
「お前が望んだんだろう?」
「しかも男!?」
「そうだ、けけけ。悪いか?」
「とんでもない!君とは運命共同体だ、さあ、力を貸してくれるね」
「オイラ、たまにわがままだぜい。それでもよけりゃあ、話にのってやんよ、けけけ」
「生意気なヤツだな」
「じゃ、やーらない」
「わかった、わかったから、一緒に物語を紡ごう!なっ!」
「どーしようかなあ」
「お願いだよ、君としか書けないんだ!」
「あいあいさあ!」
小生の身体を包み込むホライズンブルーの煌めき。
右手が勝手に動き出す。
意思ある万年筆・カワセミを握りしめたままで。
「グッ、ググッアアアアーっ!」
小生は自分の胸元に、カワセミを叩きつけて苦悶の表情を浮かべた。
褞袍の下の白シャツに、ピタリと張り付いたカワセミの万年筆が、喋りながら暴れ出す。
「寿司食いに行こうぜ!」
意思とは無関係に、あっちこっち引っ張り回される苦痛に小生は叫んでいた。
「たすけてくれ!!」
そこで目が覚めた。
スマホのアラーム音のお陰だ。
小生は長机の原稿用紙とカワセミを見て、ほっと胸を撫で下ろした。
褞袍の下の、謎の生命体も居なくなっていた。
それから、体温に近い水道水をゆっくりと流し込んで座布団に座る。
腸活は朝が肝心なのだ。
ショーが始まる。
執筆という名の舞台が幕をあけた。
タイトル
朝起きたら万年筆がシャツに張り付いていて、宇宙人が転生したのが実はそれだったオレ
おわり
カワセミ みつお真 @ikuraikura
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