23F 葬送行進曲 5

『一日、骨肉を削り合った体育祭の幕がいよいよ降ろされようかと言うところ。笑い転げようと泣き喚こうとこれで最終決着です。騎馬戦、綱引きと圧倒的な身体能力フィジカルを見せ付けた赤組、棒倒しから怒涛の追い上げを見せ迫る黄組、淡々と二着を取り続け離されず追い続ける青組。誰もが優勝の栄光を掴み取れる位置にいるッ‼︎ 一学年、二学年、三学年、各学年から五人ずつ、各学年の精鋭達が手を組み競う唯一の競技ッ‼︎ 走る距離は各々二〇〇メートルッ‼︎ 合計三〇〇〇メートルで全てが決しますッ‼︎ 冬姫先生、梅園茶々うめぞのちゃちゃさん、これまでを振り返っていかがでしょうか?』

『そうですね〜、棒倒しの後に野胡桃のぐるみさんとソレガシくんが千切った体操服の破片を揃って拾うのを見て、ミレーの『落穂拾おちばひろい』を思い出したわね〜。あと応援合戦の時の女の子達が可愛くて花丸ね。私はもうあと体育祭で勝った子達が誰をデートに誘うのかしか気にしてません。デートをした子達は先生に報告するように‼︎』

『競技ごとに得点数に差があるとはいえ、最後まで大きな差がないのが面白い。何も考えず順当にぶつかればこの時点で赤組と大差がつきこのリレーの結果関係なしに勝者は決していただろう。各々の特徴を上手く使った点を最も評価したい。最後のリレーの結果が私も楽しみだ』


 静かだ。青組の休憩所。その中で、グラウンドを包む実況と解説、そしてただの願望の声を聞き流しながら椅子に座り組んでいる手の親指を擦り合わせる。


 稲妻模様の傷跡を会長殿に舐め上げられてから、すっかり抜け落ち忘れようと箪笥タンスの隅に押し込めていた恐怖の記憶が、脳内に再装填されたかのように傷跡がうずく。風が吹けば桶屋が儲かる宜しく、野胡桃のぐるみ風夏ふうかが満面の笑みを見せればそれがしの体の節々が痛む状態だ。


 幼少期にどんなトラウマを植え付けられたのか覚えていないが、思い出したくないので邪念を払うかの如く小さく左右に首を振る。


 それでも拭い切れぬ焦燥感。


 男女混合リレーの為に先程まで行われていた一学年の競技である障害物競走に使われていた器材達をあわただしく片付けている体育委員に急かされている訳でも、夕焼け目掛けて傾こうかと空の色合いを僅かに変える太陽の所為でもない。


 実況の声も気にならない程に、青組の休憩所の中に響く少女の声が同胞の声援を鎮め静寂を呼んでいる。


「っ、問題ないって、私は出られるっ」


 濁った賀東殿の声。隣り合う賀東殿と団子殿の周囲に集まった青組の面々。多くが顔をうつむけ見つめるのは、包帯の巻かれた二人の足。


「あと競技一回くらい」

「無茶ですわね。勝利を逃したくない気持ちはわたくし様にも分かりますけれど、怪我人にこれ以上怪我を悪化させるような行為は二学年の青組大将として認められなくてよ」

「なんでよっ、いつもみたいに笑いなよっ! あらあら仕方ないですわねとか言ってさっ! そんな真面目な顔しないでよっ!柚子町ゆずまちくんだって梅園うめぞのさんに蹴っ飛ばされたのにピンピンしてるじゃんっ。なのになんで私と団子は…………ソレガシっ、ソレガシなら分かるでしょ? 私が出ても問題ないでしょ?」


 口を開き……言葉が出ずに口を閉じる。


 問題ない。問題ないと言ってやりたい。ただその想いが言葉になってくれない。体を引き摺ってでも絶対を目指し進む。その心に嘘はなく、一緒に行こうと口にしたい。ただ、立ち上がり足の痛みに顔を歪める賀東殿を見ていると、喉から声が外へと出ない。


 アリムレ大陸の盗賊祭りで炎冠ヒートクラウンの炎に突っ込んだ事をダルちゃんとギャル氏に咎められたが、それがしも見る者には今の賀東殿のように映っていたのか? その想いを尊重したいが、頷けばその者にとって地獄が待っていると分かる。それを分かっていて送り出せるか?


 止める。間違いなく。友人であればこそ分かっている地獄に送る事などできるはずがない。できるはずがないのだ。ギャル氏やダルちゃんの気持ちが今なら分かる。ただ……それでもそれがしそれがしを掴む手を振り払って前に進んだ。だからこそっ、それがしはそれを否定できない。息のつっかえる喉から無理矢理吐息を吐き出し声を乗せる。


「……無論、問題なく、共に行きましょうぞ」

「ソレガシ!」

「却下ですわ。ソレガシさん、貴方にも分かっていますわよね? これ以上ショコラさん達に無理をさせて傷を深めろと?」

「なにはどうあれ勝つ、例え賀東殿と団子殿が不調でもそれがしがその分」

「できうる差を埋めると? 現実的でないですわね。了承できかねますわ」

桃源とうげんさんッ‼︎」

「おだまりを。立っているのがやっとでどう走ると仰りますの? 無謀は看過できかねますわ。体育祭での勝ち負けで人生が左右されるわけでもない。ショコラさんも団子さんもダンス部になくてはならない方のはず。その未来をここで削る覚悟がおありで?」


 ゆかりん氏が軽く賀東殿を手で押せば、抵抗もなく簡単に賀東殿は椅子の上に腰を落とす。その様が答えを告げていた。ただ────。


「なにを似合わない」

「ソレガシさん、今は口を挟まないでくださいましよ。応援合戦の練習でショコラさん達のダンスを見ているからこそ、その未来をここで消費しろなどと……わたくし様の一存でお二人の参加は認めませんの」


 ゆかりん氏と向かい合い見つめ合う。果てしなく似合わない。歴史にも記録にも残らない勝利だからこそ己の人生には価値があると説いた桃源とうげん=U=花鈴かりんには。


 それが一番分かっているのはゆかりん氏だ。向かい合わなければ気付かぬほどに歪められた口端と握り締められた手。誰より勝利を願い、練習していたにも関わらず、必要とあれば自身を悪者にしてまで無情な決断を下せる少女。勝利の為であればこそ、誰かの想いを計算に入れずに答えを口にできる。だがそれは……。


「ゆかりん氏」

「おだまりを。それ以上は……蛇足でしてよ? 恨むのなら」

「その先は口にせずとも結構ですぞ」

「そうだな落ち着けお前達、一旦冷静になろうぜ。誰が悪いなんて話でもねえよこれは。一人でやってるわけでもないんだ。これは全員の問題だ。賀東さんと胡麻さんが出られなくても、参加不可能なら代役は立てられる。事実黄組が棒倒しでやってるしな。まだ負けが決まったわけじゃないぜ」

「でも誰が出るの⁉︎ 棒倒しと違って男女の出場枠は決まってんじゃん! 女子二人誰が? タイムで選んだ以上私達より速い子達いないでしょ!」

「だが今の二人を走らせるよりはマシなはずだぜ? そうだろう? タイム順で言えば代役は等々力とどろきさんと双葉ふたばさんだが」


 勘助氏が目を流した先で少女二人が顔をうつむける。その姿に奥歯を噛んだ。どことなく誰もが思っているのだ。勝利は失せたと、負けが見えていると。代役の二人にとっては間違いなく己より速い者が相手。負けへの切符を自ら切りたくないのだ。勝負は終わっていないにも関わらず。


「は、わぁ、ごめんねっ、私がどん臭いからっ、いつもそうなのっ、ダンス部の対抗戦の時もっ、ショコラちゃんはダンス上手いねって言ってくれるのにっ、本番ではいっつも失敗して……っ」


 ポタポタと汗ではない雫が地面を濡らす。目元から大粒の雨を降らせる団子殿の姿が青組の空気を冷たく沈める。勝ちたいから、本気だからこそ零れる雫が地を優しく叩く音。口を開く者は誰もおらず、空気の温度は、染まる色は冷たいばかり。


「私の所為だよっ、勝てないのきっと、だって私勝てたことないもんっ、だからっ」

「負ケルッテ? ソレッテサ、アタシニ喧嘩売ッテル? ナラ買ウシカナイサネ」


 しゅるりと団子殿の巻く青い鉢巻が横から伸びた手に掴まれ奪われる。それを握るのは異世界の魔法使い族マジシャン。己が鉢巻きを解いて団子殿に握らせると、団子殿の鉢巻きをダルカス=ゴールドンは己が額に巻き付ける。


「ダ、ルちゃん⁉︎」

「ドシタノソレガシ? 大丈夫サ、アンマリ競技ニ参加シテナクテ体力余ッテルカラサ。勝ツンデショ? アタシガ魔法カケテアゲルヨ。勝利ッテ言ウ魔法ヲサ」

「そうではなくッ⁉︎」


 誰もが顔を上げ、呆けた顔でダルちゃんを見つめている。笑みを浮かべるダルちゃんの口から紡がれるつたない日本語。翻訳魔法も必要とせず、自分の口で異世界なまりの日本語をダルちゃんが話している。


 周囲から突き刺さる驚愕の視線を可笑しそうにダルちゃんが見返す中、しゅるりと鉢巻きを奪う音がもう一つ響いた。賀東殿の鉢巻きを手に取り、岩梨いわなし梨菜りなが鼻歌交じりに己の額に巻き付ける。


「良い声やんなぁダルちぃ? セッションさせぇなうちにもなぁ? 応援ばかりが応援団長の仕事やあらへんよぉ? 選手交代やでぇ? 応援団長はショコラさんに今は任せるわぁ」

「リナッテ、アタシヨリ足速カッタッケ?」

「実はうち今まで真の実力隠しててん。脳ある鷹は爪を隠すぅなんてなぁ? ダーリンとお揃いやでぇ〜、気付かんかったやろぉ?」

「アッハッハ! 実ハアタシモサ! オ揃イダネリナ? 気付カナカッタデショ皆? 敵ヲ騙スニハマズ味方ッテネ? ヤッタネ、約束サレタ勝利サネ。ネ? ソレガシ?」


 首をこてりと傾げたダルちゃんと口に手を当てぷぷぷと含み笑うりなっち氏を前に、ゆかりん氏と勘助氏と顔を見合わせ口の端から湧き出る笑いが漏れ出てしまう。ダルちゃん賀東いつから喋れるようになっていたのかなどという疑問も遥か彼方に吹っ飛んでしまう。


「ぷっ、ししっ、しししッ! くはッ、はっはッ‼︎ それは見事に騙されましたなぁ‼︎ 勝ち確ですぞ勝ち確ッ‼︎ そうですよな? ゆかりん氏」

「あらあら……あらあらあら……っ、もう仕方ないですわね。練習で本気になれない者は本番で本気になれないと前に言いましてよっ? これで負けたらお仕置きですわっ、わたくし様達全員っ」

「体育委員に選手の変更伝えてくるぜ! 出る五人は決まりだ、文句は言わせねえ! 自ら出ると決めた二人だ。異論はないよな?」

『男女混合リレーの参加選手は早急に指定の位置への移動をお願い致します』


 競技開始の為に響く集合を促すアナウンスだけが勘助氏の問いに答え、ゆかりん氏、勘助氏、りなっち氏、ダルちゃんと顔を見合わせ小さく頷く。決まりだ。勝とうが負けようがこれが今の青組二学年のベストメンバー。誰が何と言おうがそうである。タイム順で決めろとかマジレスする奴はぶっ飛ばす。結果で過程を黙らせる。


「あ、あんたら……」

「「「「「勝つ」」」」」


 賀東殿の言葉を塞ぐ五重奏。口にする言葉はどれも同じ。体育委員の下へと走り出す勘助氏を横目に見ながらグラウンドへと足を向ける。


「スタートはどうしますかな? 元は賀東殿の予定でしたが、代走立てられる以上走る順番の変更も可ですよなおそらく。事前通達とか青組内だけで別にしてないですしおすし」

「うちが行くでぇ〜、最速最強のスタートダッシュ見せたげる! スタートの見切りで負けたことあらへんのよこう見えて」


 そう言ってりなっちは己が耳を人差し指で叩き、ゆかりん氏はやれやれとばかりに肩をすくめる。


「そうですわね。

「ゆかりん一言多いわ自分。ダーリン勝ったらほっぺにちゅうしてぇな。やる気ドえろう出るさかい」

「えぇぇ……出ますかなそんなんで? それがしの口付けとか無価値だろ常考。でもまぁ勝ったらいいですぞ」

「マジやんなッ⁉︎ しゃあオラァッ‼︎ 」


 冗談だよね? やる気の上げ方わざとらしいわ。このノリの良さが陽キャと陰キャの違いなの? まだ勝負は始まってもいないのにりなっち氏は拳を掲げるんじゃない定期。


「勝ッタラソレガシカラチュウダッテサカリン」

「勝者から勝者への口付けとは光栄ですわね。いただきましょう」

「なんでや」


 りなっち氏の冗談間に受けてんじゃねえぞッ‼︎ なんで勝ったらそれがしがダルちゃんとゆかりん氏にまで頬に口付けしてやらにゃいかんのだッ‼︎ 寧ろしてくれッ‼︎ それがしのやる気も誰か上げてくれよ‼︎ 三人も了承しやがると冗談っぽくなくなるだろッ‼︎


「勝ったらソレガシからちゅうだって? ふっ、男からのキスとか要らないがライバルからなら百歩譲って」

「お主もか勘助氏⁉︎ イヤァッ⁉︎ 戻って来たと思ったら肩組むな定期⁉︎」

「まあそう言うなって、仕方ないから勝ったら俺もちゅうして」

「ぶつよ?」


 なんで勝ったらちゅうするばかりか勘助氏にちゅうされなきゃなんねえんだよッ‼︎ 勝ってんのに罰ゲームじゃねえかそれだとッ‼︎ 誰が喜ぶんだ⁉︎ 腐女子炙り出るだけだわそんなんッ‼︎ そもそもこの学校のそれがしの需要はねえッ‼︎


「まぁそう言うなってソレガシ、アンカーは任せたから勝利を掴んで来い」

「ぶっ⁉︎ それがしがアンカー⁉︎ 元々アンカーは三年生じゃ」


 肩を叩きながら勘助氏が顎をしゃくり指し示した先。アンカーが出待ちしている場所に立つは赤組と黄組の武人二人。学校生活最後の体育祭として有終の美を飾る以上に、勝利の為か赤組と黄組のアンカーは青髪の乙女と生徒会長。勘助氏と目配せすれば、勘助氏に背中を叩かれる。


 ゆかりん氏にも、ダルちゃんにも、りなっち氏にも。


 背中が痛ぇ……。手のひらの跡とか付いてない?


「三年生とも話をつけた。あの二人とやり合えんのはお前か桃源さんだけだろ青組だと。その代わり葡萄原ぶどうはらの相手は貰うがな‼︎」

「今回はお譲りしましてよ? 代わりにしずぽよさんのお相手は貰いますわ」

「うちはなんも心配してへんよ? レンレンには悪いけど今回うちはダーリンの味方やんな」

「ソレガシ、アタシニマタ魔法ヲ掛ケテヨ、絶対ノ魔法ヲサ」


 頭を掻き、目を泳がせ、首を回して背中を叩かれた熱を飲み込む。言葉にせずとも通じている。が、だからこそえて己が口から伝えたい。素晴らしき友人達に誓う為に。己に言い聞かせるように。


「勝つ、『絶対』だ。それがしは勝つから────ッ」


 再び肩を組まれ勘助氏に引き寄せられる。向き合う四人を前に足を止め、自然となった円陣の形を前に勘助氏とゆかりん氏の肩に腕を回す。がっしりと手が外れぬように。視界を彩る笑顔に笑みを返して。


「俺達も勝つぜ俺達で! 桃源さんに岩梨さん、ソレガシにダルカスさんと、大分変梃なチームだと思ったが、共に戦うのもこれで最後だ。来年は違うチームだろうしな。が、俺の人生史上今のとこ最高のチームだったぜ!」

とは早計ですわね?今はまだ最高でしてよ? わたくし様と張り合える方達がこれ程までにいるのですから」

「ずっと演奏してたくても曲はどこかで終わるもんや。でも最後まで弾かなどんな曲もクソで終わってまうからね。弾き切ろうやないの最後まで。すれば名曲間違いあらへん」

「……アリガトネ、アタシハソレダケ。学校ッテ悪クナイヨ」

「じゃあ……勝ちに行きましょうぞ。ypaaaaaaッ‼︎」

「「「「ypaaaaaa────ッ‼︎」」」」


 互いの肩を叩き合い、それ以上の言葉は不要と身を翻す。足を向ける先は梅園うめぞの桜蓮サレン野胡桃のぐるみ風夏ふうかが並んで待つその隣。


 サラシ姿で腕を組み口端を吊り上げた会長殿と、両の手で顔を覆うギャル氏と向かい合う。


「どうかなさいましたかなギャル氏?」

「…………んであーしの両脇に立ってんのがどっちも半裸なわけ? 作戦? 最悪なんだけど? さげみざわどころの話じゃねえしッ、頭沸いてんじゃねえの? 服着ろアンタら‼︎」

「寧ろギャル氏が脱げばいいのでは?」

「それぞな」


 会長殿と頷き合えば揃ってギャル氏に頭を叩かれる。痛えッ⁉︎


「走る前に肉体攻撃とかせこいですな⁉︎ ルール違反ですぞ常考‼︎」

「んなルールねえから‼︎ んなこと言ったらアンタらルール違反だからね‼︎」

「はぁ、ギャル氏情弱ですな草。古代のオリンピックでは全裸で競技していたと知らないので?」

「そマ? じゃねえし‼︎ 今現代だから関係なくね? だいたいアンタは生徒会長っしょ‼︎ 風紀委員に怒られんよ‼︎」

「ちゃはは! どしたヤマ? おまん背に紅葉背負いちや? ウケんぞね」

「あーしの話聞けしアンタは‼︎」



 ──────パァンッ‼︎



「ほら始まっちゃったじゃんッ⁉︎ もう服着る時間ねえじゃんねッ‼︎ ドチャクソ並ぶの嫌なんだけど⁉︎ グレーもしずぽよも引き離して」

「甘いですぞそれは」

『さあ体育祭最後となる男女混合リレーが遂に始まったァッ‼︎ 青組がフライングに見えましたが?』

『いや、耳がいいな彼女は。岩梨梨菜? ほう。女子五〇メートル競走の時もそうだったが、音が鳴ってからの反射が群を抜いている。足の速さこそ劣るようだがスタートの見切りで上手いこと補ったね』


 開始の合図と同時に飛び出したりなっち氏が先頭を駆ける。が、それも僅かな間。五〇メートル地点で赤組、黄組に並ばれ追い抜かれる。開いていく差に顔を歪めるりなっち氏を見つめ小さく鋭く息を吐く。追い付けずとも最後まで喰らいつくりなっち氏から目を離さない。目を背けられない。走り切り三番目にバトンを渡したりなっち氏を見送り、バトンを受け取ったダルちゃんを目で追う。


 急な交代であったから始まりの方に集めたらしいりなっち氏とダルちゃん。開いていく差に青組からの声援が減る中、おかげで賀東殿と団子殿の声はよく聞こえる。ダルちゃんから次の青組一年生へ、その次の二年生へと青いバトンが渡って行くが、黄組との差が縮まっても赤組との差はそこまで変わらず。


 先行する赤組、少し遅れて黄組、大分離れて青組。


「決まりじゃき。ヤマ、終わったら分かってるぞな?」

「決まり? なにが?」

『ここで桃源選手にバトンが渡りィ、速い速いッ‼︎ 劇的なレースを演出せんとばかりの名優が黄色い影をロックオンッ‼︎ 赤組には届かないか? ただ、今まさに黄組のランナーに並び……バトンは次の第六走者へッッッ‼︎』


 ニヤケ顔で顔を覗いてくる会長殿の顔に目を向けず、あっちへ行けと手で払う。五人目となるゆかりん氏へとバトンが渡り、早送りするかの如く走り切ったゆかりん氏を見送ってまた一つ吐息を吐き出す。男女入り混じろうが関係なく、ゆかりん氏の足の速さに舌を巻く。青組が黄組に並び笑みを消すどころか深める会長殿に肩をすくめ、走っては減り迫る順番に鼓動が早鳴る。


「……勝てると思ってんのソレガシ? 今でも? あーしに?」

「ん? ご心配なく、勘助氏はそれがしより足が速いですからな。必ずグレー氏に追い付きますとも」

「そういうこと聞いてんじゃねーの。アンタがあーしに勝てるのかって話」

「勿論。だって勝って欲しいのでしょう?」

「っ、ハァッ? なに言って」


 ギャル氏の言葉を遮るように拳を持ち上げ横を親指で指す。泳ぐ赤い鉢巻きを追って青い鉢巻きが宙を泳ぐ。白い綿毛頭に金色の癖毛が追い付こうと距離を詰める。黄色い歓声が響く中、追い付けぬまでもすぐ後ろでバトンを渡し勢いのまま地を転がる勘助氏を見つめ、長く鋭く吐息を吐いた。


 どこか浮ついている心を底に沈める為に。勝利を疑わず埋没しろ。勝ち以外に必要な邪魔な思考を削ぎ落とす。噛み合わせる。嵌める。その為に必要な歯車を想い描き。


「……赤組の先行は変わらねえけど、エンドってないソレガシもうさ?」

「どうぞお先に。すぐ追い付くので気を抜いて走ってたりしたらぶっ飛ばしますぞ。本気で走れ。すぐ追い付くので。もう一度言いましょうぞ。すぐに追い付くので」

「…………あっそ、あーしはアンタ待たねえから」


 順番待ちの選手達は吐き出され、最後の一人となるギャル氏が一足早くレーンに立つ。内側に佇むギャル氏を追い越しそれがしも外側に立ち、それがしを追い越しより外に三番目にバトンを受け取るだろう会長殿が。


『十四走者にバトンが渡り、いよいよ残るはアンカーのみ‼︎ 現在の順位は総合順位と変わらず赤組、青組、黄組の順ッ‼︎ 赤組が僅かに先行し、青組、その少し後ろを黄組が追う展開ッ‼︎ 勝負はまだ分からないッ‼︎ 全てを託され今赤組がアンカーへと』


 バトンを渡す。


「では会長殿、さようなら」

「あては追う方が興奮するぞね。待っちょれヤマ」


 走り出すギャル氏の背を見つめてすぐにそれがしも走り出す。後方から来る青組十四走者からバトンを受け取り掴むと同時。地面に突っ込む勢いで前へと身を倒した。


『あぁっとぉッ⁉︎ 青組のランナーが転倒ッ⁉︎ 転倒……? ッし、て、いないッ⁉︎ 前につんのめったような体勢のまま何故走れる⁉︎ しかもなんか速くてキメェッ⁉︎』

『倒れる体を倒れる前に強引に前に進めているような形だな。ふふっ、体を倒した四つ這いの動きに慣れている証だ、バランスが崩れていない。背筋に腹筋、脚がよく鍛えられている。重い物でも背負って鍛錬しているのかな?』

『かつて競馬界に吹き荒れた黒い旋風もくやと言わんばかりの驚異の末脚ィッ‼︎ それを追うは黄色い閃光ッ‼︎ 先行する朱い影を追い残るは一五〇メートルッ‼︎ 一三〇ッ‼︎ 一〇〇メートル地点でこれはッ‼︎』


 地に引かれた白い線。弧の形に沿ってより深く体を倒し、全力で踏み出す足で前へと強引に体を押し出す。眼下に広がる大地から湧き上がる薄い砂埃を掻き分けた先、肩越しにほんの少しばかり目を向けてきたギャル氏と目が合い口端を吊り上げる。


「ちゃははッ‼︎」


 そんな中、背後から笑い声が追って来る。獲物を前に歓喜する獣のような呼吸のリズム。


 ギャル氏の背が近付く。目の前からギャル氏の背が消える。視界の左端に青い髪が並び、その奥に捻じ込まれるかのように黒い髪が僅かに泳いだ。残るはあと────ッ。


『並んだッ⁉︎ 並んだッ‼︎並びましたッ‼︎ 赤と青が横並びッ‼︎ 黄色が混ぜろとばかりに内側に強引に体を、あッッッ⁉︎ 赤組が転倒』


 横でギャル氏の頭が前に落ちる。一瞬前に飛び出たように体を倒したギャル氏の体が眼下に沈む。沈んで行く。


 接触があったか? 足がもつれた?


 時が停滞したかのようにギャル氏がゆっくりと地に沈む。


 勝負は時の運。


 仕方がない。こんな事もある。こんな結末も。驚愕の絶叫がグラウンドを包もうかと漠然と視界の中背後へと滑り去って行く観客達の口が大きく開かれ、


「運、でッ、勝ったとは言わせねえぞッッッ!!!!」


 走りながらギャル氏の背に手を伸ばし、体操服を引っ掴んで引き起こしながら前へと駆ける。引き起こすギャル氏の重さに引かれるように地面が近付く。歯を食い縛りより強く足を踏み出す。顎先がチリッと地面に擦った。

 

『し、ていないッ⁉︎ なんだこれはッ⁉︎ なんだ⁉︎ 青組が赤組を引き上げた⁉︎ なんで⁉︎ いやなんで⁉︎ おかげで三色横並びッ‼︎ 横並……でもねえしィッ⁉︎ 青組が出たッ‼︎ 青組が僅かに先行ッ‼︎ 最後の直線に今』

「ソレガシ⁉︎」

「ヤマァッ⁉︎」


 ギャル氏の体操服の背の布が引き破れると同時。最後の直線に向かい横に膨らみそうな体を頭を振り落とし強引に加速しながら前へと飛び込む。横に並んでいた青と黒い髪が視界の端から後方へと僅かに下がる。


 ゴールテープは目に映らない。目に映るのは地面のみ。


 前に進んでいるか? 進めているのか? どうあれ足は止められない。速度を落とせば地面に落ちる。


 息を止め聞こえるのは喧しい己が鼓動のみ。逃げてきたこれまで。決して誇れるものではない。自慢できるものでもない。


 形ない自分だけの勲章。敷かれたレールから逃げ切れた事実を自信に変えさせてくれ。敗北からさえ逃げ切りたい。自分だけの勝利ではないからこそ。


 これまでも、これからも、その為なら全てを懸けられる。だからそれがしは、これからもギャル氏の期待おもいも背負っていたい。今日だけはなんて情けない祈りは捧げない。


 今日も明日も明後日も、勝てると言える己でありたい。それがしを蹴り出した君にこそ、それがしは絶対に負けたくない。


 肩先に何かが軽く触れる。視界の斜め上端で青い髪が揺れる。頭を伸ばす。前に飛び込む。地面が体を擦る。視界が搔き混ざる。そのまま青い髪を巻き込み大地に崩れた。


『ッ⁉︎ ────ッ⁉︎ ──────ッ‼︎』


 体を叩く実況の声が、理解するより早く頭の中を通り抜けて行く。荒く呼吸を吐き出し呼吸が詰まる。咳き込む中顔を俯けたまま身を起こすギャル氏の頭に絡まる細長い白い布。それがしの体に巻き付き伸びるそれをギャル氏は握り締め奥歯を噛んだ。


「……なんで……先に行っちゃうの?」

「……ギャル氏が……いつも、先にいるから……っ、それがしは……いつか、並びたいからっ」

「逆だよっ、あーしは、置いてかれたくないのっ、だってっ、どんどん……遠くなるっ、あーしが迷ってる間にアンタは先に行っちゃうっ、ダサいじゃんっ、あーしなにもっ、最初気にもしてなかったのにっ、今は頼ってばっかでっ、これじゃあーしっ、これからもずっと」

「ギャル氏は、ダサくないですぞ。それがしの色眼鏡を蹴り壊してくれたあの日から、ずっと綺麗なままですとも」


 身を起こして一度肩を回す。肩に引っ掛かったゴールテープを手で払い、俯くギャル氏の頬に手を添え持ち上げる。目の端から溢れる感情の滴を親指で拭う。自分を卑下するのは簡単だ。それでも、友の涙を拭えるだけの自分になりたいから。その綺麗に並びたい。


「ソロ活はなしで。これからも、一人では無理でも、それがしがギャル氏の絶対になりますぞ。絶対はあるとギャル氏が教えてくれたから。絶対の絶対にそれがしはなる。友人になってくれた者を見捨てたくないから、ギャル氏達の絶対にそれがしは」

「……いいの? あーし、ドチャクソ我儘だよ? きっとこの先もう離れないよ? 頼りまくっちゃうよ? それで、それでっ、蹴ったり叩いたり普通にするしっ、それに、ほら、髪の色、変だし?」

「それな。痛った⁉︎」


 叩くのが早えわッ⁉︎ 聞くから同意したのに叩かれるとはこれ如何にッ。ぽかぽか叩いてくるギャル氏の手を捌いていると、鯖折りとばかりに抱き付かれる。どうすりゃいいの? 動かないギャル氏の背に手を添えれば、服ではなく肌の感触。驚き両手を上げ降参するが、ギャル氏は全く動いてくれない。


「もうっ、絶対髪染め直さねえわ、一生これでいるしっ。バーカ、ソレガシバーカっ、困れしせいぜいっ、ずっと隣にいてやんからっ」

「それはそれは……じゃあ……明日はそれがしに付き合ってくだされよ?」


 言葉なく小さく頷くギャル氏に笑みを落とす。ようやく終わりを迎えた脱力感に吐息を零し顔を上げた先、ギリギリ歯軋りして面白くなさそうに唇を尖らせて佇んでいる会長殿に向けベッと舌を出す。


 その視界が突如雪崩れ込んできた青い鉢巻達に飲み込まれた。


「おっしゃあッ‼︎ やったッ‼︎ やりおったッ‼︎ ダーリンちゅうしてぇ〜ッッッ‼︎」

「やりましたわねッ‼︎ オーッホッホッ‼︎ ヤバイですわッ‼︎ ヤバヤバですわッ‼︎ くぅ〜ッ‼︎ もぅ〜ッ‼︎ ううぇぇぇぇんっ」

「いくらでも熱い口付けしてやるぜソレガシィッ‼︎」

「全く本当に勝ってんじゃんあんたッ‼︎ なんだよッ、なによもうっ‼︎」

「う、うぇっ、はわわぁぁぁぁ……っ、もう私のこと食べちゃってくれていいよぉっ‼︎」

「ファァァアアッ⁉︎ 急になんぞお主ら⁉︎ 痛った⁉︎ 誰だ今踏んだの⁉︎ ちょ、バカッ⁉︎ ゆかりん氏と団子殿鼻水がやべえェッ⁉︎ ってか顔が近いんですけどりなっち氏は⁉︎ イヤァァァァッ⁉︎ 勘助氏にちゅうされた⁉︎ 」

「ちょっとちゅうってなんだしソレガシ⁉︎ りなっちになに頼んでんわけ⁉︎ ゆかりんはソレガシで鼻水拭うなし⁉︎ ちょッ⁉︎ ソレガシッ‼︎」

それがしに言う意味⁉︎ ってかゴールテープがッ、ゴールテープが絡まってる⁉︎ 痛い痛い痛いッ⁉︎ ダルちゃん、ダルちゃんヘルプミーッ‼︎」

「メンドクサー」


 体育祭終わった直後に面倒くさがるんじゃないッ‼︎ 団子状態の青組二学年から一歩引き手を振ってくれる無慈悲なダルちゃんに苦い顔を返すも、心地良い重さの中に沈む。今は、今だけは、共に戦った友人達と一緒に居たい。


『優勝は青組ッ‼︎ 優勝は青組ッ‼︎ 繰り返しますッ‼︎ 優勝は────』


 体育祭の幕が下りる。青組の勝利の雄叫びの中で。

 





 

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