14F ヘル=トゥー=ウィーク 5

「トテトテトっ、トテトテトっ、チリリリ、チリリっ」


 鼻歌を口遊くちずさみながら糸巻きを捻り軽く弦をバチで弾き調律する。今日で決する。金曜日の放課後。未だ体育祭まで日はあるが、本番の舞台に上がる為の切符を手にできるかが。


 特別応援合戦で演奏で出たからといって誰に評価される訳でもない。それがしの未来が決する訳でも。それがしの三味線をわざわざ聞きに来る者もいない。

 

 ただ、だからこそ。一人の為にこそ。欲する栄光が自分の中にしかないからこそ。逃げる事は叶わず、もがき進む以外ありえない。


 『絶対』はあるのだ。形なき揺らがない光輝なモノが。


「……ソレガシさんは絶対音感をお持ちで? 鼻歌交じりに調律などなされてますけれど。流石はわたくし様と同じいただきを目指しているお方ですわね」

『あたしが知るわけないさ』


 頭の中には入れず、ダルちゃんに言葉を投げ、異世界語つづられたノートを見せられ首を傾げているゆかりん氏を漠然と眺めながら調律を続ける。それがしにとってこれは最終試験。りなっち氏がよしと頷くかどうか以外は全てどこ吹く風の音。溺れろ溺れろ一人のロックンロールガールに。


「……ソレガシってマジで三味線弾けるのな」

「ソレガシとか言うだけあるよな」

「超下手だったら笑うわ。見た目と全然合ってねえし」


 ただちょっとどこ吹く風が煩いっすね。軽く首を一度回し、応援合戦の曲披露の為に放課後始まって早々に借りた視聴覚室を見回す。応援団以外にも面白そうと本番を待てずに見に来ている野次馬が少数。青組はまだいいが、敵情視察に来てる奴は帰れ。喧騒でリズムを取るように椅子に座ったまま足先で床を小突き、エレキギターの音に負けぬ為に音を拾う為に置かれているマイクの位置を少し正す。


「トテトト、トテトト、トテチリリンっ」

「ダーリン相当やる気やんなぁ、そんなに自信あるん?」

「自信は……りなっち氏が聞いてくれたので今回ばかりは『ある』と言いましょうかな。今この瞬間だけは、それがしはりなっち氏のためだけにここにいますので。だからそんな心配そうな顔せずともいいですぞ。怖いんですかな? 期待が外れるのが。だとしたなら大草原ですなぁ。べんべんっ」

「……大口叩くと後が辛いでぇ? 期待はしないどこかなぁ」

「ふっ、俺は期待しているぜ。なにせ俺の新たなライバルとなった男だ。そうだろうソレガシ? ……………………って俺は無視⁉︎ おーいライバルが呼んでるよぉ‼︎」

『昨日の夜からずっと誰にもあの調子だよ。鼻歌交じりに時折三味線弄ってばかりさ。あたしが呼んでも無視とか超絶……なんかやだよね。なんかさ』

「なるほどな。ふっ、ダルカスさん、俺にはなに書いてるのかさっぱり分からないぜ! ごめんね!ってか何語なのかも分からなーい‼︎」

『めんどくさー』


 一々ノートに文字書いて見せているダルちゃんの姿がシュール過ぎる。他の生徒達とも意思疎通するのが難しくても打ち解けてきたようで何よりだ。小煩いどこ吹く風は聞き流し、楽し気な景色を眺めて頬を緩める。そろそろ演奏を始める時間とばかりに、前に出て来たつぐみ先輩が手を一度叩き注目を引き、それがしの方へと歩み寄って来る。

 

「一応事前にダンス練習のためにギターだけのデモテープは貰ってたから曲は応援団の皆一応知ってるし上手くいかなくても気楽に……は、ソレガシくん嫌いだったね。めんごめんごっ。うん。私はばっちし信じてるから。また私を驚かせて」

「……毎度迷惑掛けますぞ部長殿。この借りはいずれ」

「ダンスで返してね。私は待ってるよ」


 ウィンクを一つして離れて行く部長殿の背を見つめ、横に並ぶりなっち氏に目を移す。笑みを消し、唇を舌で舐め引き絞られるりなっち氏の瞳を覗きながら鋭く吐息を吐き出し続ける。


 静まった視聴覚室の中、足先で床を小突くりなっち氏に合わせてそれがしも足先でリズムを刻む。


 一つ、二つ、三つ。そして突如稲妻が走った。



 ──────ズギャァァァァンッ‼︎



 始まりを告げる第一投、振り上げられ落とされるピックを握るりなっち氏の手が感情の大波を弾き出す。稲光の眩しさを閉ざすかのように瞼を落としたギタリストを見つめる。数秒に全てを懸けて走り出す短距離ランナーのようなメロディーが部屋の中を駆け巡る。


 振り返らず、ただ最短最速を目指し前へと突っ走るロケットダッシュ。歴史に残らぬ勝利の栄光を掴む為に破裂し続ける感情のあぶくのように激しくそれでいて繊細に、色気さえも漂わせて。音の鋭さとは裏腹に、雑さを感じないのは琴でつちかった指捌きの軌跡。


 その静謐せいひつな鋭さに目を細め、口端を痙攣ひきつらせている観客達の顔を視界の端で漫然まんぜんと捉える。


 誰の心にも押し寄せる感情の大津波。


 赫怒かくど慟哭どうこく悦楽えつらくと快感。


 その広さと情熱を持ち得る感情が故に誰もが理解できても、踊りとして表現するにはどれ程の苦難か。ギター演奏とりなっち氏の歌の入ったデモテープなら練習の為にそれがしも聞いている。


 ただ吹き込まれた音色を再生するのとリアルで掻き鳴らされる感情の発露はつろは別物だ。


 いつかクララ様が、志津栗しずくりクララが言っていた。ダンスとは心の声の発露はつろだと。


 この身に受ける岩梨いわなし梨菜りなの形なき感情の大海をダンスで表すのは、それがしの知る限りではクララ様か、兄としての贔屓ひいき目かもしれないが妹である阿国おくににしか無理だろう。ストリートダンスと日本舞踊の違いがあるが。


 薄っすらと笑い、鋭く一度息を吐く。それがしの中に溜まった余分な感情を蒸気として吐き出すように。感情の大津波と向かい合う。逆巻く渦の中心で、ただ静かに、深く深く沈み込む。


 溺れろ溺れろ岩梨梨菜に。


 底を目指して深く深く、未知を求めて潜り続ける心は潜水艦サブマリン。鋭く蒸気を噴くように、海の底からあぶくを浮上させるように、形ない感情を前に力を抜いて握るバチを弦の音に一つ落とした。



 ──────トテッ。



 噴き出した蒸気が凝結し滴となって一粒落ちる。その音に合わせてりなっち氏の肩が小さく跳ねる。雨の到来を告げるようにポタポタと。走り抜けるりなっち氏のメロディーが道に迷わず済むように、道の形を整えるかのように音の大雨を大海に降らす。



 ──────トテトテトっ、チリ、チリチリっ。



 細かく緻密ちみつに正確に。理屈っぽいのに形なく。外装は整えてもその中心はがらんどう。その中心は、心の臓は岩梨梨菜の感情。形はそれがしが与えてやる。入れ物の形は。りなっち氏のメロディーにリズムを刻むのはそれがしの音色。



 トテトテト、トテトテト、トッテテッテッ。

 チチチリ、リィ────ンッ、リィ────ンッ。



 バチで弾く弦の音が無数に重なった波紋を呼ぶ。大雨に沈む音が波の音をいつしか飲み込み、走り切り疲れたかのようにりなっち氏のピックを握る腕がダラリと下がった。「あっ」と観客の中から零された雑音を雨滴で払う中、ポタリッ、と床に落ちる滴の音。


 ポタリッ、ポタリッ。


 雨垂れのようにリズムよく、大海を破り一匹の魚が跳ねる音。真ん中なしの両端合わせ。岩菜イワナが一匹感情の水膜を破り空へと舞う。



 ポタリッ、ポタリッ。


 トテッ、トテッ。


 ポタリッ、ポタリッ。


 トテッ、トテッ。


 

 床を湿らせる滴の音に合わせて音の数を減らし、一粒一粒音を弾く。繰り返し、繰り返し。りなっち氏の歌が始まる手前で繰り返し、繰り返し。零される歌はなく、奏でられるは涙の溢れる音と三味線の音色。事故でも問題も何もないと示すかのように、三味線の音色で観客達の口を塞ぐ。

 

「…………なんでなん?」


 トテっ、トテトっ。


「……なんでぇ? うちが見えおるっ、うちの背中が、縁側でギター弾きおるわ……ダーリンッ、うち、どんな顔してん?」

「ハッッッ‼︎」



 べんべんべんッ‼︎ チリチリリリリリッ‼︎



 バチを振り上げ振り下ろすのに合わせてフェイスマスクを引き下げる。鏡でも見てみろとばかりにべっと舌を出し繰り返していた雨模様を払うように、歌の始まりを待たずサビ前まで音を運ぶ。寄り掛からず、寄り掛からせはしない。


 それがしが、それがしから見た岩梨梨菜は教えてやる。いくらでも。


 ただ、己が表情は己で描け。それがしに値札を貼らせるな。色眼鏡を掴み握り潰せ。


 りなっち氏に笑顔を向ける。それがしは待ってやらんぞと告げるかのように。


「サディストぉっ! うちは待っとったやんなっ!」


 知るかボケッ! 勝手に他人の席占領してただけだろッ‼︎


 りなっち氏が袖で目元を拭う。溶けたアイシャドーが線を引く。ピックを握り締め笑みを浮かべる。海辺で遊ぶ子供のような可憐な笑みを。


「愛してるぜぇダーリン……ッ、かますぜベイベェッッッ‼︎」

「ハッッッ‼︎」


 ──────べんべべんッ!!!!

 ──────ギュィィィィンッ!!!!


 絡み合う音を紐解くように、感情が歌となってりなっち氏の口から吐き出される。サビ前の歌詞を置き去りに。なんとも観客に優しくない演奏披露。それでも、走る道は終わりではないと、再び走り出したりなっち氏の音に合わせて素早く足音のように音を刻む。


 潜り潜って底に着いた。底に着いたなら後は一心不乱に上がるだけ。浮上しろ。水面を跳ねた魚影を追って。肌に浮かび伝う汗を払うように弦を弾く。永遠には続かない。終わりに向かって音と歌を刻んでゆく。



 トテトテト、トテトテト、トテっ、トテリっ。

 ギュィィィィ──────ンッ。



 三味線とエレキギターの弦の震える残響が視聴覚室の中にひっそりと姿を消して行く中、荒く呼吸を繰り返し顎から伝う汗を拭う。なんだかたった一度でくっそ疲れた。いや、きっと今日も朝ゆかりん氏と走り続ける羽目になったマラソン地味たランニングの所為に違いない。


 感情の大海を渡り切り、ようやっと溺れていたロックンロールガールから浮上する。練習の度にこれだと、



 ──────ガタンッ‼︎



「痛ったッ⁉︎」


 横から飛び込んで来た影を視認するや否や、椅子から転げ落ちる。ギターを挟んで抱き付いて来たりなっち氏のギターが胴にめり込み超痛いッ。


「痛ててててッ⁉︎ 離れてくれますかな⁉︎ 当演奏会はお触り禁止ですぞ‼︎」

「イヤやぁ、もう絶対離さへんよ、うちのダーリンっ」

「なんでや⁉︎ ドンタッチミー‼︎ ドンタッチミー‼︎ ってかヘルプミー‼︎ 拍手もなしに傍観とか草ァッ⁉︎ 青組の結束はどうしたんですかなッ‼︎ 二学年の応援団副団長の窮地ですぞッ‼︎ おぉいッ‼︎」

「いやぁソレガシくん、流石に私でも分かるけど今の私達に聞かせるために演奏してないでしょ。ちょっと踊るの勿体ないじゃない? これをダンスに合わせるの厳しいなぁ……うん、死んで?」


 なんでだよッ‼︎ 総応援団長に死を願われたぞッ⁉︎ 信じてるとはなんだったのか⁉︎ その信頼息してます? 驚くどころか呆れられてんだけど。耳を澄ませば応援団のメンバーが口々に呟く「すげえな、ただ死ね」「見直したわ、ただ死ね」という全く応援する気配のない応援団の面々達。


 死神の群れか己らはッ‼︎ 死を願い応援する応援団がいて堪るかッ‼︎ それがしの命軽過ぎッ‼︎


  くっ付いて離れないりなっち氏の服を掴みぐいぐい引っ張るが全然離れない。阿国の生写しか此奴はッ。それがしにベアハッグかましてくる奴率の高さよッ。しかも今度はギターという名の凶器付きですしおすしッ。ギャル氏には裸絞はだかじめくらうしッ。クララ様からはストンピングッ。女子高生の皮被ったプロレスラーじゃねえの此奴らッ。


「見事だぜ‼︎ 流石は俺のライバルよッ‼︎ これはうかうかしてられねえなぁ‼︎ そうだろ皆ッ‼︎ あんな演奏聞かされて、これで本番踊りがショボかったら俺達クソダサ村の住人だ‼︎ 今から練習しようぜ‼︎ きっと我らが高校の歴史に残るだろうぜ、かつて歴代史上最強の青組がいたって、な?」

「な? じゃねぇぇぇぇんですけど⁉︎ したり顔やめて勘助氏は助けろやッ‼︎ ……あれ? ちょっと全員なんで出てってるんですかな⁉︎ 賀東ガトー殿⁉︎」

「うっさい死ね。バカっ、バーカッ、ソレガシバカッ、これでダンス部来なくなったりしたらマジでキレるから」

「なんでや⁉︎ 団子殿⁉︎」

「はわぁ、敵上視察に来てた子達の顔見るに、これは嵐の予感かなってっ! これが変人四天王の底力なんだねっ! 一ヵ月前に岩梨さんと入れ替わりでその地位を奪い取っただけあるかなっ! わ、私は死を願ったりしないから食べないでねっ‼︎」

「食べねえわッ‼︎ てか入れ替わりってなんぞ⁉︎ りなっち氏やっぱ元変人四天王じゃねえかッ‼︎ 四天王五人でもいいだろ常考⁉︎ 龍造寺四天王見習え定期ッ‼︎ だいたいそれがし奪い取ってねえッ⁉︎ そこんとこ詳しくkwskッ‼︎ 団子殿⁉︎ ちょ、全員出て行きやがった⁉︎ 待って待ってッ、それがしなんか亡者が一匹張り付いててッ⁉︎ ダルちゃん⁉︎」

『ソレガシさ、戦闘法だの機械人形ゴーレムの改造の前に一度女心について頭回して勉強した方がいいよ。うん、葬式はあげてあげるさね』

「それそれがしもう死んでね⁉︎ 女心とか履修科目にないんですけど⁉︎ 機械人形ゴーレムの改造の方が大事ってあぁぁぁぁッ、カンバァァァァクッ‼︎」


 全員マジで出て行きやがったッ‼︎ それにしたってりなっち氏マジで離れねえなッ‼︎ しかもなんかまたぷくぷく腹部から水っぽい音が聞こえるんですけど⁉︎ また服がカピカピになる予感⁉︎


 りなっち氏をズリズリ引き摺りながら教室を出て行った薄情な仲間達を追うが全く追い付ける気がしないッ。応援のダンス練習するのに演奏隊置いて行くとかおかしいだろ常識的に考えてッ‼︎


 面倒くさいので、もうりなっち氏を抱え上げて追おうとすれば、それがしの肩に置かれる手が一つ。全員出て行ったかと思えば一人残っていたッ! 幾つもドリルしたようにロールした天然の金髪を揺らす同じいただきを目指す同志の姿ッ! 流石だぜゆかりん氏! ただ高笑いだけしているお嬢様じゃねえ!


「貴方は向き合う者によって形をお変えになりますのね! 愉快ですわ! わたくし様としたことが久々に拍手を忘れましたわ。今度わたくし様と社交界にお出になりませんこと? わたくし様の隣でもソレガシさんならきっと霞みませんわ! 共に舞台に立ちましょう! まぁそれはそれとして、明日と明後日は休日ですけれど朝の集合は何時になさいます? 走り通しでも構わなくってよ‼︎ 次の山手線ゲームは『ソレガシさんの好きなもの』にしようかしらね?共に行きましょう!栄光の道ブロードウェイをッ‼︎」

「やべえッ‼︎ 此奴が一番それがしを殺しに来てやがる⁉︎ だ、誰か……ッ、あぁ誰もいませんでしたなそう言えば……。へへへっ、せ、せめて朝七時とか十時とかにですな……」

「朝五時ですわね了解ですわ‼︎」

それがしに聞いた意味ねえですな⁉︎」


 山手線ゲームランニングはもういいよ‼︎ 一生距離減らねえからそれ‼︎ 罰ゲームで距離が増える増えるッ‼︎ 四桁になってもそれがし知らねえよ⁉︎


 ただ一つ、これだけはどうしても言っておきたい。社交界はもう勘弁。それがしに対する殺意が凄過ぎる。社交界ってあれでしょ? 迷宮みたいな水路に落とされるんでしょ? ソースはそれがし


 ため息を吐き、りなっち氏を落とさないように抱えながら椅子に腰を下ろす。体育祭までおよそ一週間、取り敢えず応援合戦本番に出る為の切符は掴めた。


 待ってろよギャル氏。体育祭では絶対にそれがしが勝利する。応援合戦も含めて完璧に。


 それぐらいしなければきっと届かないだろうから。


 『絶対』に『絶対』を釣り合わせてやる。それがそれがしの絶対だ。


 

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