12F ヘル=トゥー=ウィーク 3
「あー……
返事はない。どうしようこの抱っこちゃん人形。
「……阿国〜」
離れ……離れ……離れねえなぁッ‼︎ ってか背中が痛えわッ‼︎ どんだけ力込めて
「阿国〜いい加減離れないと、ぶっ飛ばしますぞ〜」
「シンプルに酷いのじゃ⁉︎ 妹に対する対応ではない⁉︎」
「おま言う。兄にベアハッグかましてる奴の台詞じゃない定期。離れなさい! これ以上は妹とて許せぬ! そこそこ忙しいんですぞ
「嫌じゃぁぁぁぁッ! 兄者が撤回するまで離れん‼︎」
「……なんですと?」
てっかい? てっかいってなに?
離れた妹と
「えー
「その鉄拐じゃないのじゃッ‼︎ 兄者の阿呆‼︎」
「ブッフ⁉︎ ツッコミが遅えッ⁉︎ しばらく聞いてた意味よ⁉︎」
正座して聞きだしてたから合ってると思ったわ⁉︎
「撤回じゃ撤回! 我はそんなことで誤魔化されんぞ! 兄者がやめないと言うまで離れん‼︎」
「なにを⁉︎」
「三味線じゃ三味線! 終わりなぞと吐かしおってからに‼︎ 我はしっかり聞いたからの‼︎」
「いやそれは……」
果てしなく怠い勘違いしてやがる。これも兄妹の為せる技かッ、撤回と鉄拐間違えたから何も言えねえッ。しかも人の零した弱音ちゃっかり盗み聞きやがってッ。
「一つ学年が上がってから急にいなくなったかと思えばッ、頬に墨を入れるはッ、蒸気機関なぞに手を出すわッ、鈴芽殿の姉者のハイカラ娘と仲良くなるわッ、西洋の踊りにまで身を染めてッ、南蛮の娘まで連れ込み異国で騎士になったなど言う始末ッ‼︎ 少しならよいッ、少しだけならッ、でも全部は嫌じゃッ‼︎ このままでは兄者が兄者じゃなくなってしまう!きっとこのままでは三味線も弾かなくなってしまうッ‼︎」
「いや、そうはならんやろ」
「なるぅ‼︎ きっと、きっと、次はヴァイオリンだのッ、アコーディオンなど持って帰って来てッ、南蛮万歳なんて言ってッ、三味線に触らなくもなってッ、それでそれでッ、きっと我の前では弾いてくれんくなるッ。嫌じゃ絶対‼︎」
「……そんなに阿国は
いつも減らない口を叩いていた癖に、しがみ付き離れない阿国の服から手を離し紋章刻まれた頬を小さく人差し指で掻く。
「父上も母上も忙しくて相手してくれずとも、兄者が三味線弾いてくれたっ。ずっとずっとっ」
「いやそれは……」
侍地獄から抜け出す為に続けていただけ。そう続けようと落とした
「兄者の三味線は我の子守唄じゃぁっ。我の音は兄者の音じゃぁっ。じゃからっ、じゃからのぅ……やめないでぇ……。大きくなったらっ、兄者の三味線で舞い唄うのが我の夢じゃぁ……っ」
「……そう言えばお主、
「だってぇ兄者のじゃもん……っ。侍にならずともよいしっ、他のは全部我がやるからぁっ、我の音だけはやめないでぇっ」
「昔……催促されましたなぁ。似たように」
思い出したわ。すっかり忘れていた。
昔一度三味線をやめようと思った事がある。侍地獄から抜け出す為に芸事を選んでいた最中。三味線をしばらく続け、笛や太鼓の方がマシじゃね? と思い他の楽器に手を伸ばしたが、阿国に止められた。何が気に入ったのやら、袖を引っ張り三味線を弾いてくれと阿国があまりに頼んでくるものだからずるずると。いつしか逃避の為の術は三味線になった。
痛いの嫌だから楽器に手を伸ばしたのに三味線頑張ると弦を抑える指先裂けて痛いし。武芸地獄よりはマシだったが、今思えば本末転倒だ。ただ、袖を引く妹の小さな手がそれから逃げる事は許さなかった。
「
顔を上げる妹の鼻水に濡れた顔を拭ってやる。妹のおかげで理解した。分かってしまった。
「約束しましょうぞ阿国。
「……ほんと?」
「
「うわきものぉっ」
「許せ」
『あー……ソレガシ? うーんと、なんでそんな服がカピカピなの?』
「なにも聞くなッ」
どう見ても鼻水です。だからティッシュかタオルを取り敢えず下さいっ。ただ、拭うのはそれだけで、思い出した記憶は拭わない。残念ながらこればかりはダルちゃんにも誰にも話せない。恥ずかしいしっ、何よりも、この思い出は
「あらあらソレガシさん、なにやらさっぱりした顔をしてますわね? 憑物は落ちまして?
「向かうべき先が決まっただけでまだ
朝の五時。集合場所である公園でジャージ姿のゆかりん氏と向かい合い、少しばかりまだ眠たい頭を起こす為にノビを一つ。体育祭一週間前まであと二日だが、二日後が土曜日である事を思えばこそ、実質残されている詰められる時間は今日限り。時間はないが不思議と体は軽い。
「では始めようかしら? 取り敢えず一〇キロ程」
「取り敢えず一〇キロ⁉︎ ま、まぁいいですけどな。ランニングの間にお願いを一つしても?」
「あら、なにかしら?」
「山手線ゲェェェェムッ‼︎ 古今東西『りなっち氏の好きなもの』‼︎ イェェェェイッ‼︎」
早朝の公園に響き渡る
「えーと、その、大丈夫でして? その、お頭が」
「やんわりとマジキチ判定は草。
「へー……そういう事なら構いませんわよ?」
「よし、では山手線ゲェェェェムッ‼︎」
「イェェェェイですわ‼︎」
「古今東西『りなっち氏の好きなもの』ッ‼︎」
「朝っぱらからうるせえぞ‼︎ どこの馬鹿だッ⁉︎」
おっとぉご近所さんがガンギレた。逃げよう。
ゆかりん氏と顔を見合わせ走り出す。取り敢えず一〇キロ。その間にゆかりん氏から聞けるだけりなっち氏の事を兎に角聞く。
「せーの、ギター‼︎」
「いえ、りなっちさんはそこまでギター好きじゃありませんわよ? 罰ゲームですわね。一キロ追加で」
「なんでやッ⁉︎」
じゃあなんで軽音部入ってんだよッ‼︎ 出だしで死んだわ‼︎ 最早罠だろ‼︎ 嘘吐いてんじゃねえだろうな‼︎ 罰ゲームで一キロ追加とか学校始まるまでに終わんねえんじゃねえのこのランニングッ⁉︎
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