11F ヘル=トゥー=ウィーク 2

「ダメやんなぁ」

「そのようですな」


 唇を尖らせるりなっち氏を前に左手で弦を押さえ止め、右手を軽く振るう。


 ゆかりん氏から早朝にランニングの予定を組み込まれた昼休みを終え、授業を終えて放課後。連日繰り返したおかげで頭にはもうとっくに曲の大筋は入っているのだが、相変わらず音が噛み合わない。ダンスバトルの時はまだ一人で披露すれば良かっただけに気にする必要がなかったが、今回は違う。


「体育祭まで二週間切っとるし、ええ加減応援団の人らの前で披露せな曲も分からーん言いおるし、うちがダーリンに合わせよか?」

「その方が簡単ではありますな。でも、嫌なんでしょう?」

「まぁ……ね」


 ダンス部との対抗戦で踊った時のように、それがし、グレー氏、ギャル氏の個性達の溝を埋めるように己が個性で空気を包むかの如く踊ったクララ様宜しく、りなっち氏に全体の統制を任せてそれがしは好きに弾くという形を当然取る事はできる。


 が、りなっち氏はそれを望んでいない。


 今回はりなっち氏とそれがしの一対一。加えて応援合戦中のダンス曲など既存の曲をスピーカーから流すのが普通であって、その場で演奏などありえない。ありえないからこそ個性にはなる。


 だからこそと言うべきか、りなっち氏は何方かが何方かに寄り掛かる演奏を嫌うのだろう。


 セッション。


 たまたま顔を合わせたミュージシャンによる合奏の事。であるが、りなっち氏はバリバリ教室でそれがしの席を占拠していた訳であるが、つまりはりなっち氏がよく口にするセッション。たまたま顔を合わせた者同士が何方かに寄り掛かった演奏をするなどありえないという事だろう。


 りなっち氏がそれがしに会いに来たのは、それがしの音が欲しいから。それがさっぱり意味不であるが、欲するが故に妥協を欲してはいないだろう。そのくらいはそれがしにも分かる。


「りなっち氏はそれがしの音のなにがそんなに好きなんですかな?」

 

 だから聞く。


「えぇ〜そこ聞くんかいな。恥ずい〜イヤや〜言わなあかん?」

「いや聞かなきゃこれ以上は無理ポ。それがし今泥沼状態。このままじゃ窒息死不可避ですな」


 身をよじってギターを抱えながらくねくね動くりなっち氏に若干引きながらも目は背けない。りなっち氏が望むそれがしの何か。それがそれがしには皆目検討付かず行方不明の神隠し状態だ。


 りなっち氏はピックを握る手で軽くギターのボディを小さく叩き、練習用に借りている教室を見上げ小さく息を吐き出した。


「……ダーリン見える? 世界の景色」

「世界の?」

「そそ。今で言えば学校やんなぁ。薄っすら聞こえる吹奏楽部の練習の音や野球部がバットでボールカッ飛ばす音やったり、体育館の方からはボールが床叩く音がちょっぴりと。うちはなぁ、音聞くとその音色に合わせた色やイメージがバッと視界の中走るんや」

「あー……それは、共感覚でしたかな?」

「流石やダーリン、よう知っとりはるなー」


 共感覚。受ける刺激に対して別の感覚を生じさせる特殊知覚現象。音を聞けば熱や味を感じたり、数字や文字に音や匂いを感じる知覚現象の事だったか。そこそこの割合で共感覚を持つ者は存在しており、その特殊な知覚から画家や詩人、作曲家など芸術の分野で活躍している者に見られるケースは多いと言う。日本で言えば有名なところで宮沢賢治みやざわけんじ。そんな感覚がりなっち氏にもあるらしい。


「あの時、ダーリンが美術室で弾いとったらしい三味線の音色を聞いた時のことは忘れんよ。視界が埋まってうちは溺れ沈んだ。しずぽよに肩叩かれるまで動けへんかったわ。あれ程くっきり景色見えたのは久し振りや。ずみーがな、大きな画布キャンバスの前で絵描いてん。色んな色の線を一本づつ引いとるその背中をうちは静かに眺めとった。今思えばあれで美術室や気付いとればなー、惜しい! テン上げさんで兎に角走り回っとりましたからなぁ。くぅ〜やっちゃった!」


 やっちゃったじゃないわ。意味分かんないわ。怖えわ。ずみー氏を前に弾いてた曲聞いてずみー氏の背中が見えたってなんじゃらほい。探偵になれるよりなっち氏。超能力だよそこまで来たら。眷属魔法使ってる? これで変人四天王とやらでもないってどういう事なの? それがしとチェンジしよ? いやマジで。それがしにはいつでも譲る準備がある。


「でもなぁダーリン、今はダーリンの音曇っとるよ。あせっとう? これまでうちが組んできた人らとおんなじで他のことに気ぃ取られてはるやろ? このままじゃダーリンのことダーリン呼べんくなってまうよ? それでもええのん?」

「酷い脅し文句を聞いた」


 他にもっと賭けられるものあるだろ‼︎ 発破の掛け方下手か‼︎ それだとそれがしが頼んで呼んで貰ってるみてえじゃねえか‼︎ お主が勝手に呼んでんだよ‼︎ しかも呼ばれなくなったとしてソレガシだろう事を考えれば名前を呼ばれないという点で全く変わらねえ‼︎


 やる気が出るどころかやる気が失せるわ。


 ただ、ただ……期待外れという値札を貼られるのが最も悔しい。


 勝手に興味を持ち、勝手に値踏みし、勝手にハズレだったと納得される。何たる勝手の満漢全席。向けられる色眼鏡フィルター越しの視線こそ最も忌避すべきモノ。お前の終わりエンディングはここであると決め付けられ差し出されたモノをただ飲み込む事などできようか?


 できるはずがない。


 それはそれがしの望むそれがしではない。一度釣り合って見せると、己で引き受けた以上妥協も諦めも許されない。それがあせりを生んでいるのは分かるが、もがく以外に、あせる以外に欲するモノに近付く術はない。


 音でそれ以外を想起そうきする岩梨いわなし梨菜りなを満足させる事ができるか否か。できると言いたい。絶対にと。だが、それを掴む為に必要な手をどこに伸ばしていいのか分からない。


 手は虚空を泳ぐばかり。


 それがしの音でどうずみー氏が見えたのやら。幻覚と言われたほうがよっぽどマシだ。曲聞かせて人を見せようなんて奏で方を残念ながらしようと思った事がない。


「……りなっち氏、応援団の方々に聞かせる演奏、いつまで待てますかな?」

「……そやんなぁ、最大で体育祭一週間前が限界だと思うわ。それ以上は曲と踊り合わせる時間足らへんやろし」

「あと三日ですな。ならそれまでにはなんとかしてみましょうぞ。それで駄目なら」

「うちのソロプレイ?」

「で、構いませんぞ」



 などとは言ったものの──────。



「……もうダメポ。演奏で人見せろとか眷属魔法の域だろ常考……」


 学校での練習を終え家でも引き続けたところで何ら変化がある訳でもない。演奏を録音して聞いてみたところでそれがしに色だの景色だのが見える訳ではない。


 共感覚。刺激による特殊知覚現象。りなっち氏の聞く音も見る景色もりなっち氏だけのものであって、それがしがどれだけ望んだところで絶対に見る事叶わぬ景色。可能不可能以前の話で、それに至る為の道が存在しない。


 努力ではどうしようもない絶対の才能とセンスの領域。ゆかりん氏ももがくしかないと言っていたが、防波堤の上に落ちた魚のように、これでは終わりに向かいジタバタしているだけだ。


 部屋の中、三味線を放り出しゴロゴロゴロゴロ。ダルちゃんは風呂に入っている為おらず、妹もいない為に転がる分には広くて宜しい。


 三味線。それがしの三味線をギャル氏もずみー氏もクララ様も気に入ってはくれたが、それがし自信才能があるとも思っていない。敷かれた望まぬ道から逃れる為に手にした術。素人よりはマシであっても、プロには遠く及ばない。


 夢を追うギャル氏、ずみー氏、クララ様、りなっち氏と比べて、それがしのは逃避の術だ。比べるべくもない。そんなもので釣り合おうと思ったのがそもそも間違いであるのか。絶対に至る道が見えず一寸先は闇だ。


「………………終わりですかな」


 努力ではどうしようもないならば、何を原動力に足を伸ばせばいいのやら。負けん気だけでは、覚悟だけでは、埋まってはくれぬ溝がある。


 そもそもそれがしは何故逃避の為の術に三味線を選んだのだったか。痛いのは嫌で選んだが、三味線以外にも笛や太鼓を選ぶ事ができた。だのに何故三味線だった? 思い出そうにも思い出せない。記憶の棚の奥底に埃でも被って隠れているのか、失せたものは見つからない。


「…………でも」


 緩く手を握り歯を食い縛る。ここで逃げてしまっては、美術準備室で一人絵を描くずみー氏や、本気を望んだクララ様と同じでりなっち氏を一人にしてしまう。


 才能が、圧倒的才能が人を孤独にする。


 一度空手を諦めたギャル氏と同じく、それがしが折れる事でもしりなっち氏まで折れてしまうような事があったら。何故それほど親しくもないそれがしを待っていた? それがずみー氏やクララ様と同じだとしたなら。ダルちゃんのように一人情熱をくすぶらせているのなら。それをそれがしに懸けてくれているのなら。


 ゆっくりと身を起こし拳を硬く握り締める。



 ──────スパァァァァンッ!!!!



 と、同時に勢い良く音を奏でて滑り開く部屋のふすま。肩を跳ね上げ開けたふすまへと目を向ければ、ふすまを開けた体勢で小さな影が一つ立っている。そのまま影は空へと舞い上がると、重力のままに小さな足で飛び蹴りをそれがしに繰り出した。


「終わりなぞと許さんぞ兄者ぁぁぁぁッ‼︎」

「ブッフォ⁉︎ なにごとッ⁉︎」


 それがしの顔を跳ね上げて突如跳び蹴りかましてくれた妹が畳の上に華麗に着地──────できずに、畳の上にすっ転ぶ。涙目で強く打ち付けた尻を摩りながら起き上がり、乱れた着物のままそれがしの襟首を掴み強く左右に揺さぶった。


「おにぃじゃあしょれぢぇあにじゃぁぁぁぁッ‼︎」

「なんてぇぇぇぇッ⁉︎」


 ちょっと何言ってるか分かりませんね⁉︎ 誰か至急ダルちゃん呼んでくれ‼︎ 翻訳魔法が必要だ‼︎ 妹の言語が異世界方面に旅立ちやがった⁉︎ パスポートプリィィィィズッ‼︎


 

 

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