10F ヘル=トゥー=ウィーク

 朝起きて、授業を終えて、応援合戦用の曲練習。


 朝起きて、授業を終えて、応援合戦用の曲練習。


 この繰り返し繰り返し、それがしの日常は異世界から帰って来てからというもの、見事に体育祭仕様に変貌してしまった。


 ダルちゃんが家に増えて妹も最初の頃は反抗期宜しく角を生やしていたが、連日連日家で三味線を弾いている間にぽとりと角は落っこちたらしく、今では三味線の音に合わせて部屋の中で舞う始末。それを手拍子しながら見つめるダルちゃんの物珍しそうな顔がおまけで付いてくる。


 城塞都市での金打ち音とも、砂漠都市でのアラブ民謡っぽい曲とも異なる日本の和の音色がダルちゃんもお気に召したようで何よりであるが、問題が一つ。


「……りなっち氏、えげつねえですよなぁ」


 昼休み、包帯巻いた左手の中指と薬指を軽く握り込み、漠然と楽譜に落とした応援合戦用の曲の紙を見つめて腕を組み唸る。一応楽譜はあるものの、これが悩みの種の一つ。他でもないりなっち氏が気分によって細かな部分を即興で変えてくる。


 ただでさえエレキギターと三味線という異質な取り合わせ。噛み合わなくなった瞬間に音が死ぬ。これが下手糞であるなら咎めて終了のお知らせなのであるが、りなっち氏の技量が故にその微量な変化がその場の空気と噛み合うものだから何も言えない。


 寧ろそれに合わせられない己自身が腹立たしい。


 それがしの演奏に対してりなっち氏は特に多くを言いはしないが、物足りなく感じているのは音を聞けば分かる。何かを押さえ込むかのように音を奏でるりなっち氏の原因がそれがしにあるのならば、それがしがどうにかする他ないのだが。


「分からないゾーンに足を突っ込んでは泥沼ですな。もどかしい。……りなっち氏はそもそもそれがしのなにを気に入っているのやら。ねえダルちゃん?」

『あたしは音楽のことはねえ? ソレガシもリナも上手いと思うけどさ』

「上手いとは違うのですぞ。おそらく」


 昼ご飯用に朝作ってきたサンドイッチを口に運びながらペンを握るダルちゃんを尻目に頭を掻く。分からん。必要なのは多分特別な技などではない。纏う空気感とでも言うべきか、ダンス部の対抗戦の時もダンスの純粋な技量ではなく、そこを突き詰め勝利を掴んだ。


 必要なのはそれに多分近い。


 小さくノビをしながら今日はお弁当らしく前の方でギャル氏達とお昼を共にしているずみー氏に軽く目を向ければ目が合う。が、すぐにずみー氏は目を外す。


 ダンス部対抗戦が迫っていた時はずみー氏に動きの元になるイメージの土台を教えて貰えたが、今回は敵同士。体育祭で変に気を遣わなくて済むようにか、今回はずみー氏から助言を貰えそうにない。一番相談しやすい相手なのだが、ずみー氏が駄目だとどうしたものか。


 必要なのは動きの元ではない。イメージの元でもない。もっときっと根本的なものだ。三味線。侍になれ地獄からの逃避の手段。始め続けた理由などそれ以外にはない。それがしの音とか言われてもなぁにそれ? 三味線の音以外になにがあんの? ずみー氏には前に理屈っぽいけど掴み所がないなどと言われたが、どう弾けばそうなんの?


 教えて神様……やっぱ神様は教えてくれなくていいわ……。


「三味線とか爺様から軽く手ほどき受けただけで後は我流ですしな。師匠でもいれば違ったのかもしれないですが、爺様は遠いお空の彼方……ダルちゃん、イタコのように口寄せできたり?」

『口寄せ? ソレガシの世界の魔法かなにか?』

「死者の魂や記憶を現世に呼び戻す的な術ですぞ確か」

『……なにその機密情報の掴み取りみたいな術。もしあっても口外されないような魔法だろうね。あたしの世界でもあったとしても禁術指定必須だろうねそれさ。魔法省にパクられるよ?』


 マジレス止めてよ……。冗談のつもりだったのにワロエない。忍術や陰陽術など、それがしの世界の特殊な術の類の話にダルちゃんも魔法使い族マジシャンらしく目がないようではあるが、反応が冗談じゃなく一々マジだ。陰陽術の話をすれば、機械神の眷属達に似た召喚系の眷属魔法の話をされたし、忍者においても似たような反応。


 口寄せも無理らしくそうなると完全にお手上げだ。誰に聞けるよそれがしの音が分からないなんて。ギャル氏達は敵同士だし、相談しようにもできない。こればかりは異世界出身のダルちゃんに聞いても分かるかどうか。


『ソレガシ?』

「気分転換にちょっと散歩に。残りのサンドイッチ全部食べちゃっていいですぞ」


 席を立ち、フェイスマスクを引き下げ一つばかりサンドイッチを咥えながら教室を出る。体育祭の練習も団体戦が多い故に人数揃わなければ満足にできず、応援合戦の為の曲も一度として噛み合わない。なのに時間だけは存分に減ってゆく。


「結局……」


 いつも何かが足りていない。何を前にしてもいつもいつも簡単に手が届いてくれない。問題を前に満足して自信が持てる日は来るのやら。一生来ない気さえしてくる。手が届いたと思っても、振り返れば何かを取り零していたりする。盗賊祭りの時も。怪盗騒動の時も。いつもいつもだ。


 道は終わらず延々と続いている。足を止めれば距離は縮まらず、足を進めても道に終わりはない。


 校舎の中をぐるぐる歩いていても仕方なく、フェイスマスクを引き下げている為に、頬の機械神の紋章を見つけてくる生徒達の視線から逃れるように外に出る。学校の前に立っていても仕方なく、どうしようかと周囲を見回し足を止めた。


「あらソレガシさん。どうしましたのこんなところで?」

「いやそれはこっちの台詞……ってかゆかりん氏その格好は」


 ジャージ姿で首を傾げるゆかりん氏を見つめてサンドイッチの残りを口に突っ込む。薄っすらと汗を浮かべたゆかりん氏を見るに、走っている最中。昼休みだというのにたくましい事この上ない。誰も彼も何処ぞで休んでいるというのに。


「体育祭の練習ですかな?」

「勿論ですわ! もうお昼は済ませましたし軽い運動を。ソレガシさんもご一緒にどうかしら? リレーの練習はまだでしたし」

「練習もなにもバトンもないですぞ」

「そんなのそこらの木の枝でも十分ですわよ……でも今は練習したそうな顔ではないですわね? わたくし様も少し休憩にしますわ。折角ですしどうかしらご一緒にお茶でも」


 言うが早いか、ゆかりん氏は下駄箱横の自販機に歩み寄ると小銭を突っ込み緑茶のペットボトルを一つそれがしに投げ渡してくる。いいとも何も言っていないのだが、ゆかりん氏の中ではもう決定事項であるらしい。入り口近くのベンチに腰掛け笑顔で手招きして来るゆかりん氏に肩をすくめ、少し離れて隣に腰を下ろす。


「お茶代ぐらい払いますぞ」

わたくし様が誘ったのですから構いませんわ! せいぜいありがたがってお飲みなさいな! それよりどうかしまして? 難しい顔をして、そんな顔をしては運気が下がりましてよ?」

「運気とか信じてないですなぁ、ゆかりん氏こそ一人体育祭の練習などと。随分とまぁ」

「いけません?」


 いやいけなくはない、寧ろ褒められるべき事なのだろうが、初めての青組の集まりの時もそうであったが、ゆかりん氏のやる気がもの凄い。他の生徒達もやる気はあるがそれにも増して何倍も。体育祭など学業の成績に特別反映される訳でもなく、参加すればそれで十分のような部分もあるが故に、そこまで本気になる者は少ない。無論何かしら勝ちたい理由があれば別だろうが。


「特別な理由などなくってよ?」


 見透かされたようなゆかりん氏からの急な言葉に思わず息が詰まる。表情にでも出ていたか? 軽く咳払いをすれば小さく笑われ、「勝ちたいから勝ちたいのですわ」とゆかりん氏は言葉を続ける。

 

「勝ちたいなら努力を惜しむべからず。ではなくて? 努力もせずに勝てればそれに越した事はないでしょうけれど、努力をすれば僅かでも勝てる可能性は上がりますもの」

「仰る通りだとは思いますけどな。その意見には賛成しますぞ。ただ」

「ソレガシさんはわたくし様のことどうお思いかしら?」

「はい?」

わたくし様の印象についてのお話ですわ」


 そんな事を急に言われても。ギャル氏のダチコの一人、修羅の住人、よく高笑いしている目立ちたがり屋くらいの印象しかない。言い淀み迷っていると、それがしが何を言うか分かっているとばかりにゆかりん氏は口を開く。


桃源とうげんグループの令嬢、家の威光を存分に使う七光。でしょう?」


 いや他に気になる部分が多過ぎるわ。それ以前だと寧ろ全く興味なかったわ。苦笑しか返せないのだが、そんなそれがしに目を向ける事もなくゆかりん氏は唇を動かし続ける。ゆかりん氏は少しくらいこっちを見ろ。


「使えるものは使わなければもったいないですけれど、全て家のおかげだなどと思われるのは悔しいでしょう? 運動も勉学も、何をどう努力しても、流石は桃源グループのご令嬢。無論生まれた我が家が褒められるのは誇らしいですわしかしながら、わたくし様が欲するのは桃源グループだからではなく、桃源とうげん=U=花鈴かりんだからできるという称号のみ。わたくし様は人が皆平等だとは思いませんわ。人々の歴史に各々これまでがある以上始まりは不平等。わたくし様は恵まれていますわ。それは我が両親の、先祖代々の功績であって誇るべきこと。誇りであるからこそ、それが全てなどとは言われたくない」


 すげえ喋るなゆかりん氏……。喋り続けて乾いた唇を湿らせるかのように、ゆかりん氏は口にペットボトルを傾ける。傾け、傾け続けそのまま中身を飲み干すと、空のペットボトルを握り潰し舌で唇を僅かに舐めた。


「体育祭、そうですわね、特別勝ったところで自慢になるようなことでもないでしょう。高校生という三年間の中でただ一度勝利したところで『へー頑張ったね』くらいの称賛がせいぜいでしょう。だからこそ勝ちたい。なんの記録にも残らないからこそ、わたくし様は勝利したい。今時を共にしている者達にだけでも、流石は桃源=U=花鈴と言わせたい。そんなものですわ、わたくし様が努力し勝ちたい理由など。こう見えて俗っぽいですのよわたくし

「……何故それをそれがしに?」

「さあなぜかしら? レンレンさんがお認めになられた方だからかしらね? レンレンさんはわたくし様を初めて負かした方。中学まではわたくし様無双だったのですけれど、高校に入って初めての体力測定でやられましたわ」


 あぁ……高校入って初めてあたりだとギャル氏は多分空手全盛期状態か……。空手封印してても負けず嫌いだからなギャル氏。ゆかりん氏が挑戦状でも叩き付ければ絶対乗るわ。


 全盛期のギャル氏を頭の中に思い描きげっそりとしていれば、「ソレガシさんは?」と静寂を嫌うかのようにゆかりん氏は聞いてくる。遠慮も躊躇もなく、ゆかりん氏の代わりに静寂を埋めろと言わんばかりに。


それがしはとは?」

「なんのためにそれほど体を鍛えますの? 聞いた話ではダンス部に入部したのは今年のGWゴールデンウィークの前。たかだか一週間でそこまで体は鍛えられぬでしょう? 手や顔にできている細かな傷跡を見る限り並の鍛え方ではそうはならない。でしょう?」


 目敏いなゆかりん氏。武神の眷属かよ。普通手の細かな傷跡で努力のレベルを測ったりしねえよ。いや多分、それがしの親父殿やギャル氏の母殿も似たような測り方してるんだろうな。だからいなくなってたこれまでの二週間に多くは聞かなかったのだろう。武人気質だからなあの二人も。


 ゆかりん氏の青っぽい双眸に見つめられる中、握る緑茶のペットボトルの蓋を開けて飲み干し握り潰す。潤った喉を一度鳴らし、包帯の巻かれた左手の中指と薬指を擦り合わせる。指先の僅かな痛みに目を細め、人気ない地面を見下ろして。


それがしの始まりは底ですぞ。底も底。誰もそれがしのことなど知らず、意に返さず、それでいいと思っていましたけどな。生憎とそうでもなかった。顔を上げれば多くのモノに溢れていた。気付かなかったのも当然で、底にいるのに下を見下ろしても何もないですのになぁ」


 だからこそ、『ない』から『ある』を知ったからこそ、もう立ち止まってはいられない。一度ないから蹴り出されてしまったら、一歩を踏み出し手を伸ばしたなら、元居た底に戻るのが恐ろしい。一度知ってしまったからこそ、元居た場所の寂しさも、今いる場所の熱さもよく分かる。


それがしそれがしになりたい。誰が名を呼んでくれずとも、それがしに向けられる期待に応えられるそれがしでいたい。それがしの努力の理由なんてそんな承認欲求バリバリの想いですとも。誰もが抱く何かしらの『絶対』に、並び合える、釣り合えるだけの『絶対』が自分の中にもあると信じたい」

「あらあら、わたくし様とお揃いですわね?」

「そのようで……不思議なものですぞ。始まりも過程も違うでしょうに。この道はもがく以外にできそうにないですな」

「ただ分かりやすくて宜しい。わたくし様も、貴方も、自分のために研鑽を続けていると言うのであればこそ迷う必要はないでしょう? ねぇ? ──────さん?」


 名を呼ばれ、思わず首を傾げる。一瞬呆けてしまったがはたと気付く。すげえ久し振りにフルネーム呼ばれたわ。そんな名前だったねそれがし。目を見開いてゆかりん氏を見つめていればゆかりん氏にまで首を傾げられてしまう。


「どうかしまして?」

「いやめっちゃ久々に名前呼ばれてそれがしそんな名前だったなと。友人に初めて名前呼ばれましたぞ」

「あらあら? ならわたくし様もやっぱりソレガシさんとお呼びしようかしら? 殿方の初めてを奪ってしまうとは罪な女ですわねわたくし様も」

「なんでや」


 そこは普通に名前で呼べや。前進どころか後退してんぞ。自分に酔いしれて右手の甲額に当てて天井を仰ぐな。罪な女ですわねじゃねえんだよ。これ以上ソレガシの蔑称を積み上げんな。それこそ罪だよ。


「知ってましてよソレガシさん? レンレンさんがどうにも調子悪そうでしたからしずぽよさんに聞きまして。体育祭でなにやら賭けているそうですわね? 運動でレンレンさんに挑むその気概が気に入りましてよ。レンレンさんがまだ貴方の名を呼ばずにいるなら、わたくし様が呼ぶのは少しズルでしょう? 名前でも賭けまして?」

「まさかまさか、それがしの名になど価値はそれほどないでしょうぞ。賭けたのはそう、己と夢あたりでしょうかな? ギャル氏にとっては多分ただのありがた迷惑ですぞ。要らぬお節介とでも言いますかなぁ」

「オーッホッホッ! 賭けたのが己なら必勝以外はありえませんわね! わたくし様で良ければ体育祭の特訓にお付き合いしますわよ? 貴方が勝てばそれ即ちわたくし様の、ひいては我ら青組の勝利なのだから!」


 高笑い立ち上がるゆかりん氏を見上げ、小さく吐き出した吐息と共に笑みを浮かべる。ギャル氏のダチコはやはりどうにもギャル氏のダチコだ。強引で強情でそこはかとなく眩しい。その輝きをただ見上げて終わりにしない為にそれがしも立ち上がる。


「ではお頼みしましょうかな。応援合戦の演奏も少し煮詰まっていて体を動かしたい気分。演奏ばかりしていても鈍りますからな。相手はなんと言ってもギャル氏ですし」

「あらあらあら、演奏に関しては感性とセンスの領域、もがきなさいとしかわたくし様からは言えそうにないですわね。でもわたくし様と同じいただきを目指すソレガシさんなら大丈夫だと存分に期待致しましてよ」

「自分に対する自信ですかな? これは大草原。ですが存分に応えましょうとも。取り敢えず今は」

「二人揃ってもがきますわよ。ようこそわたくし様の舞台へ。取り敢えず明日は朝の五時から走りますわよソレガシさん」

「特訓って今だけじゃねえの⁉︎」


 ゆかりん氏の高笑いに合わせてそれがしの日課に早朝のランニングが追加された瞬間であった。朝五時からって何キロ走る気なんだよマジで。そりゃお嬢様の皮を被ったゴリラにもなるわ。とはいえ、一度やると決めた以上はやるしかない。一度舞台の上に上がったらしいのに途中退場はダサみパない。


 一歩を踏み出したなら振り返らずに前に進もう。知ってしまったならもう止まる事は叶わない。新たに塗り重ねた色は剥がれない。


 少なくともそれがしの中では桃源グループなど関係なく、演劇部の看板女優、高笑いする目立ちたがり屋の桃源=U=花鈴の『絶対』に釣り合う為に。



 

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