25F 迷宮 3

 言葉の重みに軽く血の気が引く。プシィッ、と鋭く一度息を吐き思考を切り替え目を細める。


 神を殺す。なんとも短くも鮮烈なパワーワードよ。ただ、理解不能である。神を殺す事ができたのなら、神との契約は白紙となり、眷属魔法も使用不能。それだけで実質詰みであろう。


 できたなら。


 それが全て。砂漠都市に住む炎神の眷属達がそれを許す筈もなく、そもそもどう神を殺す? 一度も神に会えていないが神の力の一端を借りる眷属魔法を見れば神の兄弟さはよく分かる。魔法都市の住人は魔神の眷属至上過ぎて感性死んでんじゃねえの? そうでないなら……。


「……神喰いでもけしかけるおつもりですかな? そんな方法でも? どこにいるかも知りませんが」

「中々エグい事お考えになりますね……違います」


 違ったわ。ついでにマロニー殿の目まで冷めたわ。城塞都市の師匠ギルドマスターが大戦中そんな事あったって言うからそれが最もあり得そうだと思ったのだが違うらしい。だからそんな戦争犯罪者を見るような目でギャル氏も見るな。師匠ギルドマスターの所為だから。それがしの考えじゃねえから。


「なら余計に理解不能意味不明。草生え散らかしますぞ。それ以外に可能とお思いで?」

「詳しい事は流石に私も……ただ、それには巫女か高深度の眷属が必要だと。だからこそ炎神の巫女の確保が第一段階だと社交界でお話が」


 今宵の社交界、決起会どころか作戦説明会じゃねえかッ⁉︎ それがしとギャル氏が水路の中練り歩いてる内に物騒な話を全速前進させやがってッ‼︎ だいたい巫女や高深度の眷属が必要とか、この最近の巫女、高深度の眷属失踪、誘拐事件と繋がりががが……ッ。待て待て待てよッ、まだだ、まだ終わらんよッ。


「どうやって確保する気で? 高深度の眷属や巫女になど他神の眷属が易々と近付き攫えるわけが」

「ダルちぃがいんじゃん」

「ほんまやッ。……いやッ、だとしても高深度の眷属をダルちゃんが力付くで攫えるとでも? 攫う対象を聞くに必要なのは神との繋がり深い者ッ、深度関係ないらしい巫女ならまだしも、場所が場所だけに何の理由もなく巫女がいるだろう聖堂に近付くのは」

「可能だそうです」

「ですよねーッ‼︎ クソがッ‼︎」


 不可能ならそもそも作戦立案されていない。分かっている。分かっているが不可解である事に変わりはないッ。滅多な事では立ち入れない聖堂にどう入る? 貢ぎ物でも捧げる気なのか? 神に呼ばれる以外に神と会う方法がどれだけあるかよく分からんッ。今からでいいから巡礼の作法教えろッ‼︎


「盗賊祭りの隠された品を捧げる事で聖堂に踏み入ると」

「ふぁ? 炎冠ヒートクラウンに勝つと?」

「違います」

「ドチャクソ意味不じゃね? 隠された品ってあのウザいゲーハーが持ってんじゃんね? それ以外にあるっての?」

「それ以外になんて…………あるわぁ……あっちゃうわあッ⁉︎ マジかぁ……ッ、一体何年前からッ」

「そ、ソレガシ?」


 隠された物は確かにある。盗賊祭りの為にヒラール王家が隠した物。開会式だけで終わりない盗賊祭り。五〇年周期で行われる祭事の中で、見つからず五〇年過ぎ捨て置かれたままの品が幾つか存在するはずだ。それがもしまだ有効なら? 魔法都市がその内の一つでも隠し持っていたとしたら?


 神の目前まで戦闘なしに駒を進められる。神へ繋がる玄関口。聖堂まで踏み入れる。魔神の眷属なら多少警戒されるかもしれないが、炎神の眷属であるダルちゃんになら警戒心も緩むはず。己が契約した神の巫女を襲うなどとは思わない。


「……お嬢様が炎神の眷属になった瞬間から、全て決まっていたのですよ。魔法都市の貴族でも砂漠都市の心部に触れられる者の登場を魔法都市は待っていた。知らされていなかったのはお嬢様だけ……」

「……ダルちぃも?……それって……今日までってこと?」

「いえ……少し前、砂漠都市に帰って来られるまで……だからお嬢様はずっと……っ」


 マロニー殿が手を固く握り締める音が薄っすらと響く。肌を撫で付ける生温い風を握り潰すように力強く。鋭い爪が手のひらに食い込んでいるのか、滴る朱滴を洋燈ランプの柔らかな光が照らし出し、逆に俯くマロニー殿の顔影で隠した。


「幼い頃、お嬢様はずっとッ、ご家族達に冷たくされるのは己が魔神の眷属ではないからだと思い机に齧り付いて魔法の勉学に励んでおられました。遊びもせずにずっとずっとッ、それは半分当たっていたのでしょう。ですがッ、お嬢様には何の落ち度もございませんッ。全ては貴族様方が勝手にお決めになられたことッ、冒険者ギルドでの契約もッ」


 冒険者ギルドでの契約は、決してゴールドン家だけに課せられた義務という訳でもないのだろう。貴族達が総出で冒険者ギルドで契約する事をいつの日か決めた。血筋がそうさせるのか、多くはきっと勝手に魔神の眷属となる。そんな中でダルちゃんが炎神の眷属を引いてしまった。それが始まり。ダルちゃんの前に敷かれたレールが顔を出した始まり。


「私も魔神の眷属の端くれです。魔法の研究が魔法都市の為になる事は分かっている。そんな私共よりずっとお嬢様は魔法の研究に打ち込んでおられていたのに、炎神の眷属という事で誰も相手にしなかった。その研究が認められ学院の入学が認められても、貴族様方は学院に在籍する他の眷属達の魔法の情報を仕入れる事ばかり気にされてッ。学院にいる者達の多くは魔法都市の事もよくご存じです。魔法都市を離れても……ゴールドン家の名が、お嬢様に親しい友人を作る機会を多くは与えてくれませんでした。お嬢様はいつも手紙に大丈夫だから気にするなと……ッ、でもッ」


 それがどこかで折れてしまった。学院に休学届を叩きつけ、辺境の都市のオワコン冒険者ギルドの受付嬢として怠惰に時間を潰す程に。己が情熱に釣り合うものはあるのかと。ダルちゃんに一度問われた事がある。いくら人質を取られたとして、貴族達に学院への入学を認めさせる為にどれだけの事を積み上げたのか。


 ダルちゃんのこれまで。想像も及ばない努力の中身は、ダルちゃんの利発さが証明している。親しい友人を作る機会は多くなかったとマロニー殿は言っているが、少なくとも二人。


 チャロ=ラビルシアとトート=ヒラール。


 友人として連むには果てしなく疲れそうではあるが、わずらわしいとは多分違う。二人が王都の姫君故にダルちゃんの方から気を遣ったのだろう。


 それがしとギャル氏を落とした時と同じ。似合わない言葉を涙目で吐いた時のように。


「報われてもいいでしょうッ? 少しでもッ、頑張ったとッ、偉いねとッ、誰からも褒められずに続けた努力がどこかでッ! なのにッ、私さえもお嬢様の枷にしかならないッ。本当ならお嬢様もお二人と一緒に行きたいはずですッ! だってお嬢様はずっとッ、魔法都市の外に行かれる事を夢見ていましたからッ」


 ……だから休学して選んだ先が冒険者ギルドの受付嬢だったのか。本当なら、受付嬢でもなく冒険者になりたかったと? でも出会いを増やすのはいずれ訪れる別れを察して? ダルちゃんの事だ、砂漠都市に帰ってから真実を教えられるより早く、薄々察していたのだろうよ。それでも、もがいた結果が、少しでも夢を感じられる居場所が冒険者ギルドだったと?


 ダルちゃんがどんなつもりでそれがしとギャル氏に接していたかなど、考えたところで分からない。それはダルちゃんだけの想い。ダルちゃんだけの色。


 ただ……ただ一つ……。


「……魔法都市の動向の情報だけかと思えば、ダルちゃんのことまで……それ、ダルちゃんが言えと言ったんですかなマロニー=ホルスバーン」

「いえッ、お嬢様は自分の事をそう口にはされませんッ。ですがッ、せめて誰かにッ、お嬢様がお連れになったお二人ならッ」

「それを聞いてそれがし達がダルちゃんの為に奮起するとでも? 勝手にベラベラとダルちゃんの想いなど、本人しか分からぬ事を口にして────。めんどくさー」


 身の内で転がり回る何かを投げ捨てるように地面に仰向けに寝転がる。ひんやりとした地面の感触に背を這わせ、頭の後ろで腕を組んでため息を一つ。


「い、言うに事欠いて面倒くさいなどとッ⁉︎ お嬢様はお二人の為に憎まれ役をッ‼︎」

「面倒な事を面倒と言っては駄目なんですかな? 面倒くさいならめんどくさーといつものように言えばいいでしょうになぁ? ただでさえクソゲーな盗賊祭りを更新アップデートしてよりクソ率を引き上げてくれて魔法都市は何がしたいのやら。他の参加者のことや、怪盗騒動の際に出て来た侵入者に繋がりそうな巫女や高深度の眷属の失踪騒ぎまで? どんどんどんどん、それがしを過労死させる気ですかね? 面倒面倒面倒面倒ッ、めんどくさーッ!」


 右にゴロゴロ、左にゴロゴロ、砂煙を上げながら転げ回る。


 考える必要のありそうな事が多過ぎて、どこから手を付ければいいのかも分からない。警察は何やってんの? もう全員逮捕してくれ。一冒険者で元の世界で一般人しかないそれがしの手には余りまくってんだよっ。


 異世界に来てからずっとそうだ。都市エトを襲いにやって来た『神喰い』の撃退も、城塞都市での怪盗騒動も。思えばそれがしの身の丈には合わない。専門の警察職員や軍人が取り組むような事柄だ。

 

 これだって同じ。戦争の勃発危機なんてそれがしが知るかよ。勝手にやってろ。


 元に世界に帰る為には神に会う為の昇降機エレベーターに乗らねばいけないらしく、帰る為の最短の道だからそれがし達は参加してるだけだ。それが戦争の勃発間近とか草。草草草の大草原草茫々ぼうぼう。雑草毟り業者を呼べ。


 こつりっ。


 と、近くに立っていたギャル氏の足にぶつかり転がる体が止められる。身を起こさず、目も向けず、横を向いたまま頭の後ろで手を組み丸々某それがしの横にギャル氏が座り込み、持ち上げられた頭がギャル氏の膝の上に置かれた。


「……行儀が悪いよソレガシ。駄々ねて落ち着いた?」

「……まさかまさか。割りに合いませんぞ何もかも。今からでもチート能力寄越せ定期。神がニート過ぎるんですぞマジで。異世界の分際で殺伐とし過ぎでしょうが。それがしにこれ以上何をしろと? 応えられる期待にだって限りがある」


 応えたい期待がある。望む自分は別にいる。ただそれはとても遠い。手が届くのかも分からない。悪い事態は際限なくどんどん押し寄せて来る癖に、必要な力はちょっぴりづつしか身に付かない。いたちごっこだ。不毛だ。弱音を吐いて何が悪い。それを噛み締め飲み込み続けられる程、それがしはできた人間ではない。何もなければ教室の隅を根城に時間を潰す事しかできない人間だ。


「そだね……うん、だから頑張れし。あーしは、もう分かってんから」


 弱音を覆うように、それがしの額にギャル氏の手が置かれる。冷たい手だ。水路で体を冷やしたのか、肌から滲む冷や汗の所為か。


 上手くいかない何もかも。多くの失敗が積み重なる。悔しさだけしか握れない。ギャル氏に気を遣わせる今が気に食わない。足を乗せている道がどれだけ危険か。実感乏しい死がいつ喰い付いて来るかも分からない。


「死ぬかもしれませんなそれがし達も今回は……クララ様も、ずみー氏も、グレー氏も……呆気なく、知らぬ間に」

「……かもね」

「これが神の試練とでも言う気なら、そんな神様要りませんぞ」

「……それな」

「逃げちゃいますか? 二人でどこかに」

「いーかもねそれも…………砂漠都市とか?」

「それは草。はぁ………………ちくしょうっ」


 ちくしょうくそが……ッ。腹が立つッ。弱さに。翻弄される今に。攻略してみせろとでも言うように降り注いで来る問題事が忌々しい。何よりも、回らぬのを止めぬ頭が、失せぬやる気が腹立たしい。


 普段ずみー氏が美術室で他の美術部員を待っているように、クララ様の本気に他のダンス部員が本気になってくれるのを期待したように、冒険者ギルドの受付で日々を消費していたダルちゃんの前に二人やって来た冒険者をダルちゃんはどんな目で見ていただろうか?


 期待して、一人眺めているだけで、何が変わる? 変わらない。他でもないそれがしがそうだった。そんなそれがしを青髪の少女が背を蹴ってそこから出してくれ変化のきっかけが生まれた。そして変わった世界を彩ってくれている者達がいる。きっかけは偶然でも、ダルちゃんも、ダルカス=ゴールドンもきっとッ。


 それがしとダルちゃんは同じだ。それを望まぬのに自らの手で切り離す決断など、それがしにはできそうもない。変わった世界を知ったから。知ってしまった今があるから。


 裏切り。それをそう感じるかは本人次第。ダルちゃんがそう感じ、突き放す言葉を口にしようが、それがしは裏切れない。裏切らない。ギャル氏もきっと。それが分かっているからこそ。ギャル氏の膝の上から身を起こす。


「……問題を押し付けられるのはもう沢山ですなぁ。誰も彼もが勝手にするなら、はいはい、それがしも勝手にさせて貰いましょうかな? 逆に問題を押し付けてくれる。それがし達は攻略者ではなく冒険者。楽しくないなら楽しくなるよう冒険するとしましょうぞ。戦争? 知りませんなぁ。それがし達からすればダルちゃんの進級のピンチの方がずっと大事なんで。ねえギャル氏?」

「家出すんならダチコ頼んのが当然じゃん? 神とか世界とか知らねえし、ダチコの方がずっと大事だから。決まったらムカついてきた! ダルちぃもよく言ってんしね? 喧嘩売られたら買うのが眷属のルールとか、あーしらのルールにもそれ追加で。あーしらのこと舐めてんよね魔法都市? ダルちぃの親なに? 昇降機エレベーターのように落ちて見ろとか、落ちた分上がってやろうじゃんね?」

「お二人ともどちらに⁉︎ そちらは冒険者ギルドの方ですよ⁉︎」


 歩くそれがし達の横に慌て並ぶマロニー殿を横目に、ギャル氏と顔を見合わせ肩を竦める。


「あれだけ好き勝手言ってくれた癖に今から逃げろと? 大草原、べんべん。それがし達がダルちゃん救うとでも期待してるなら黙っててくれますかな? お主とダルちゃんの思い出とかどうだっていいんで、過去に何があったとかも関係ない。ただムカつくので好きにしますぞ」

「何するにもまずは身支度一番だし、冒険者の家にイチキタ安定。バリダサい格好はありえんてぃ。それに今はパーティーの最中でしょ? 盗賊祭りの参加者らしく、ドチャクソ欲しいものは奪っておけまるじゃんね? んでソレガシ、まずどうすんの?」

「戦力を集め、それがし達も早急に必要なものを蓄えるとしましょうぞ」


 残り十日の内に最低限必要な修行を終わらせ、必要な戦力を掻き集め、移動手段も、何もかもを奪ってくれる。魔法都市も砂漠都市も、それがし達の冒険に巻き込み引き摺り回す。


 『絶対』に。


 足を止め見送ってくれるマロニー殿へ振り返る事もなく歩き続ける。敷かれたレールなど知った事じゃない。それがしもギャル氏も、歩く道はもう自分で決めている。

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