7F 厳しさの入り口 2

 目が、肌がヒリつく。急激に体から水分が失われてゆく。ゆっくりと堕ちて来る炎神の太陽の姿を前に、吐息どころか言葉さえも干上がってしまったかのように口から出るのは形ない呻き。


「……つあッ」


 口を開けば滑り込んでくる炎熱に呻き声すら奪われる。祭り以前の問題だ。砂の大海に染められた都市のなけなしの水分が爆ぜる音が聞こえる。


 『塔』の肌が僅かに溶け出す。海風が干上がり塩が降る。


 炎冠ヒートクラウン、序列七位、遊びのない本気の本気。理不尽なまでの力の差を前に、どう対処すべきか考えが追い付かない。間違いなく逃げ切れず、受けようにも死ぬのは必至。誰もがそれを察してか静寂が街に広がる中で、低い地鳴りのような声が炎神の太陽の灼熱を震わせる。


「叩き延ばせ冷淡な柔肌! 王家の谷、幽谷ゆうこくを繋ぎ閉ざす冷たき行き止まり!世界を別つ終点!引き摺り回せ別れ道‼ 塞ッ! 塞ッ! 塞ッ‼ 眷属魔法チェイン深度八ドロップ=エイト、『迫り上がる鉄の爪ブレードブラスターッ‼」


 途端。視界を両断する鉄の大剣が街並みごと地の底から掘り起こされた。完全詠唱での鉄神の眷属魔法。炎神の太陽を分かつように迫り上がった影に乗るように、それがし達の前に大きな人影が落ちて来る。揺れる朱い三つ編み。握られた歪んだ卍剣。大きな背中を呆然と見上げれば、街の両脇に落ちる灼熱を吹き消すような叩きつけられる笑い声を大きな小人族ドワーフが受け止めてくれる。


「ブルヅ=バドルカァァァァットッ‼ 俺様の花火を斬ってんじゃねえYO‼ デカブツのカタブツがァ‼︎ 引き篭りが出て来て俺様よか目立つんじゃぁねえ‼︎」

「変わらねえなぁお祭り野郎ッ。普段穴蔵に篭ってるオマエには言われなくねえよなぁ? 折角立ち上げた鉄壁が溶けたアイスみてえになってやがらぁッ‼︎ 燃やすのが好きなら自分を燃やして焼死でもしなぁ!」

「盗人燃やして何が悪い? 戦闘狂のバトルジャンキー! 折角大勢観客がいるんだどっちが上か決めようじゃねえの? 俺様は俺様より背の高い野郎は気に食わねえ‼︎ いつまで見下ろしてんだおいおいおいッ! 目立つのは俺様の役目‼︎ 見上げるのは観客オーディエンスの役目‼︎ だからいつまでも見下ろすのは駄目‼︎ テメエらに言ってる盗人共め‼︎」


 『塔』から飛んで来た小さな影が、ブル氏の前に広がる祭事の参加者と思わしき群衆を踏み付けに落ちて来る。小さな角を生やした全身緑色の尖ったサングラスを掛けた小鬼族ゴブリン。パンクファッションに身を包み、手には黒く肌を焦がした鉄パイプ。踏み付けた群衆の上に偉そうに座り、懐から出した鉄製の煙管パイプを小さな牙並ぶ口に咥える。


 背丈は小人族ドワーフと変わらぬ人の子供くらいしかないにも関わらず、身から立ち昇る熱気が背後の景色を歪めている。


 その姿はまるで人形の小さな緑色の太陽。


 炎冠ヒートクラウンの台座と化している群衆が、その熱さに呻き声を漏らし身動ぐ。


「はい着火」


 ゆるりと伸ばされたブラン=サブローの鉄パイプの切っ先。呆然と立つ参加者と思わしき野次馬達を、眷属魔法の詠唱もない放つ火の玉で焼き払う。吹き荒れる熱気に声が出ない。口から赤い紫煙を噴火する山のように上に噴き出し、紫煙を残して緑色の影が掻き消えた。


「ノリのいい兄ちゃんはブルヅのツレか? 呆けてテメェは素人ビギナーか? 祭りに乗らねえ役者はいらねえ、大根役者は蒸し焼きの定め。兄ちゃんはどっちだ? 盗人か? 参加者か? それとも飛んで火に入る夏の虫か?」


 それがしの頭と肩を踏み付けに、大きく手を叩き合わせて問いを振り撒くお祭り男。降り注ぐ声に押し潰されるかのように膝を折る。地に伏せる。吐き出されるため息が砂を巻き上げ、腕を支点に沸き立つ砂を裂くように右足を回し蹴り上げる。


 底から場を壊すBREAKIN'更新されたそれがしの技。危なげなく鉄パイプでそれがしの蹴りを受けた小鬼族ゴブリンが、吐いたため息を塗り替えるように笑みを深める。


「大根役者じゃないらしい、砂の海じゃ大根じゃ生きていけねえからYO!」

「生憎と…… それがしを除いてトップスターしかここにはいませんぞ?」

「俺様はスターどころか太陽だYO! 自ら輝けないようじゃぁ共演お断りだぜ兄ちゃん姉ちゃん?」


 背後から迫るギャル氏の蹴りを見る事もなく背後に取り回した鉄パイプで炎冠ヒートクラウンは受け止める。自ら宙を回って威力を殺し、頭突き竜パキケフェロサウルスのような頭蓋を大地に付け、振り回す鉄パイプで片足を上げるギャル氏の残る足を弾き転がす。


「ギャル氏⁉︎」

「ううぇ⁉︎ 砂が口にっ⁉︎ ぺっ、ぺっ! このハゲッ、ガンギレたから‼︎」

「熱い視線はウェルカム‼︎ だがその技量じゃ姉ちゃんヘルカム‼︎」


 立ち上がり放たれるギャル氏の蹴りを、ゴロゴロ大地を転がり鉄パイプを使って身を跳ね起こし踊るように小鬼族ゴブリンは避ける。背丈の違い。目線の高さの違い。炎冠ヒートクラウンはギャル氏の戦場に踏み入る事なく、避け続け、隙に差し込むように鉄パイプの切っ先でギャル氏の肩を弾く。


「痛った⁉︎」


 返しの鉄パイプがそれがしの頬を掠った。体勢の崩れたそれがしを追い突き出される右足の裏。背後に大きく弾かれる。緩やかに差し出された鉄パイプの先と膨れ上がる熱気を前に慌て横に転がれば、元居た大地を舐め削るように炎熱が走り背後に居た群衆が燃え上がる。冷や汗が浮かび干上がる。


「ずみー氏⁉︎ クララ様⁉︎ グレー氏⁉︎」

「俺達は大丈夫だソレガシ前見ろ前‼︎」


 間一髪二人の少女を押し倒すように避けたらしいグレー氏の返事にハッとなったそれがしの脇腹を蹴り飛ばす足。小鬼族ゴブリンの笑顔が視界を埋め、離れると同時に背後から迫っていたギャル氏の足に向かってスライディングするように滑り小鬼族ゴブリンはギャル氏を大地に転がす。


 そのままギャル氏に繰り出されようとした小鬼族ゴブリンの追撃を、振り落とされた大剣が止める。


 ドォンッ‼︎


 大地を抉り沸き立つ砂煙。それを横に薙がれた大剣が払い飛ばす。消えた砂煙に紛れブル氏の足元へと転がる炎冠ヒートクラウンを追うように鉄冠カリプスクラウンが身を落とした。


 転げ跳ね回る小鬼族ゴブリンを檻に放り込むかのように空を裂く音を奏でながら振り回される鉄の大剣。鉄パイプに擦り地に落ちた緑の影を大きな足が蹴り抜き幾つもの家屋を突き抜けて砂煙が巻き起こる。


「我が友よここは引け‼︎ アレから物を奪うのは至難だぜ‼︎ これはまだアレにとっちゃ序曲オープニングだなぁ! ある程度遊んで飽きれば砂漠都市に引き篭んだろ! いいか砂漠都市だぁ、ナプダヴィが合流場所だぁ!」

「でもそれは……ッ、ブル氏! 今畳み掛ければ‼︎」

「頭を動かせ機械人形! 混乱がもう落ち着いて来てんだぁ! それに分かんだろう? オレんトコまで上って来なぁ。オレは待ってるぜ我が友よ」


 友の笑顔に口端が歪む。遠回しに足手まといだとブル氏は告げている。城塞都市とも違う広い空間で、手加減のないブル氏の動き。その居場所にそれがしではまだ立てないと。それがし達は足枷だ。炎冠ヒートクラウンの遊び相手にさえなれない。


 蹴り飛ばした炎冠ヒートクラウンを追いブル氏が走る。それを押し留めるかのように降り注ぐ眷属魔法の無数の色。状況を飲み込み他の参加者達が動き出した。それでも気にせず眷属魔法の雨を轢き潰しながらブル氏は走り、穴の開いた家屋の奥で火柱が上った。喧しい笑い声と共に。


「ソレガシっ」

「……分かってますとも、大事なのは祭事での勝利ッ、ギャル氏、兎に角今は安全な場所まで離れますぞ‼︎」


 身を翻し振り返らない。分かっている。ブル氏が注意を引き付けてくれている今が離脱の好機。姫君達が参加したのも、それがし達と行動を別にするのも、多分全ては政略的な争いとは離して、それがし達が祭事の勝利にだけ集中できるようにする為。


 それが炎冠ヒートクラウンの一手で崩された。恐らくは祭事にかこつけて紛れ込んでいる不必要な邪魔者を誰もが集まる開催の時を狙って一掃する為。分かっている。分かっているが悔しさとは別だッ。


それがしは……クソッ、立ちたい場所に立てるだけの力が足りないッ」


 理解できたところで形にできなければそれは夢物語も同じ。荷物の詰まった鞄をグレー氏が放り投げてくれ、受け取りながら横で脇腹を摩り咳き込むギャル氏を見つめる。


 自分が蹴られるより、ギャル氏を蹴られた事の方が悔しいッ。それを助けたのがブル氏なのが悔しいッ。そんなブル氏と共に戦えない今に腹が立つッ。これではスライムの時の焼き直しだッ。ふと救いの手が現れるまでなど待っていられないッ、待っていたくないッ。


 拳を握り締めたと同時、目の前に影が過ぎった。突き出される剣先に奥歯を噛み締め転がり避ける、そのまま脚を回し襲撃者を地に転がす。混乱が治まった事によって、参加者達同士の間引きによる混戦。多くはブル氏達を狙っているが、それだけなどありえない。


 ホルスターに差している黒レンチと小太刀を引き抜く。「ギャル氏!」と隣に並ぶ相棒に声を掛ければ返事はなく、身を起こす襲撃者の横面に黒レンチを埋めた先でギャル氏が叫んだ。


「ちょ、待っ、しずぽよとずみーは⁉︎ 」

「おい嘘だろさっきまで居たぞ確かに俺の背後に⁉︎」

「うっそ……?」


 ……はぐれた? 待て待て待て、落ち着けッ、はぐれたとしても目立つ二人の容姿ッ、目を凝らせばきっとどこかにッ、何処かに……ッ。


 沸き立つ砂煙と降り注ぐ眷属魔法の輝きだけが視界を覆う。吹き飛ぶ人影と地に転がる人影。それがクララ様なのか、ずみー氏なのかさえも分からない。


 ズドンッ!!!!


 目の前に落ちた魔法の輝きに大きく弾かれ視界が歪む。口から入り込んだ砂を吐き出し立ち上がる。頭が痛い。吐き気がする。先程までいたグレー氏の姿もない。鼓動が歪む。


「待たれよ……っ、待ってくだされよ……っ」


 頭を回せっ、頭をっ、頭……をっ。


 親指の爪を噛もうにも歯が噛み合ってくれない。噴き出す冷や汗が止まらない。逆巻く熱気以上に寒い。どこでミスった? 何故さっきまでいた友人達の姿がない? それがしにできる事は……?


 あるのか……?


「ソレガシこっち‼︎」


 青いサイドポニーが目の前を過ぎり、強く腕を引かれ足が動く。砂塗れのギャル氏の背を見つめ、どうにも頭が回らない。


「ソレガシ! きっとみんな大丈夫だし! ずみーもしずぽよも弱くねえから!」

「分かってますとも……分かってますけどもッ、こんな局面誰が予想できるッ、それがしがもっと頭を回していればッ、それがしがッ」

「ソレガシの所為じゃないから! 全員頭ぐちゃぐちゃでしょうが!」

「でもっ、でもそれはっ!」


 祭事どころかもっと前、GWゴールデンウィーク最終日。疲労感など言い訳にならない。昇降機エレベーターに乗らないようにもっと注意していれば、クララ様もグレー氏も異世界に来る事などなかった。


 初めてギャル氏と異世界に落ちた時とは別。クララ様とグレー氏が異世界に来てしまったのは、他でもないそれがし達が原因だ。元の世界に帰る為に祭事の勝利が必要とは言え、異世界に慣れていないクララ様とグレー氏を参加させるべきではなかった。戦闘に慣れていないずみー氏も同じだ。


「…… それがしのっ、所為でッ」


 できない事をやると誓ったはずが、誓った事すらできていないッ。ギャル氏やクララ様の期待に少しばかり応えられたから調子に乗ったか馬鹿がッ。


「それ以上言うなら蹴んよソレガシ‼︎ ソレガシと違ってあーしそこまで頭よくないし、とかとか言わないでっ!できるとだけ言ってお願いだから! お願いだから大丈夫だってッ、そしたら信じるからあーしもッ、アンタの言葉なら信じるから‼︎ いつもみたいに馬鹿言ってよッ」


 腕を掴むギャル氏の手に力が入る。その熱に絞り出されそうな呻き声を飲み込んだ。不安なのも、悔しいのも、それがしだけではない。ギャル氏の横顔を伝う滴が告げている。それがし以上にずみー氏やクララ様の事が心配なのはッ。


 それでっ、大丈夫だと言えるか? 理由もない中身もない安心の為の言葉をそれがしは吐けるか? 結局まだ何もできないそれがしがッ。


「ギャル氏…… それがし……はッ」


 奥歯を噛み締め見つめるギャル氏の背の奥でまたたく眷属魔法の輝き。ズルリと薄暗い感情が頭の中をのたうち回る。足を止めたギャル氏を引き寄せ、抱え込むようにギャル氏を抱きしめ眷属魔法の輝きに背を向ける。



 ギャル氏だけは駄目だッ、ギャル氏だけはッ‼︎



 絶対に手放さないように抱きしめ目を閉じる。どんな痛みが来ようとも掴むギャル氏だけは放さぬように手に力を込める。スライムの時の恐怖が顔を出す。目の前で友を失いそうになった瞬間を。これを手放してしまったらッ。



 ──────ドォンッ‼︎



 空を揺らす衝撃と閃光。


 肌を撫ぜる砂埃。


 ただ痛みも衝撃も肌から奥にはやって来ない。冷たさだけが身を包む。瞼を落とした暗闇の中、腕の中のギャル氏の体温だけを感じる。眷属魔法同士が干渉して暴発した? 薄く目を開けようとした瞬間、肩に手が置かれた。その冷たさに身が強張る。


「……絶滅危惧種の人族を寄って集って博愛精神が足りねえなぁ? そう思わん?」


 目を開けた先で黒い布を纏う者がフードの影から伸ばすは長い舌。周囲に見えるのは木製の家具。路地から家の中にそれがし達を引き込んだらしい第三者は、涙目のそれがしを見ると肩を竦める。


「安心しなぁ、お前達のお仲間はロドネー卿、クフィン卿、イチョウ卿がそれぞれ保護してるはずだぜ? イチョウ卿から連絡があったからな。取り敢えずは俺達も街を脱出するとしようじゃねえか? なぁソレガシ卿? お前も騎士とか偉くなっちまってまあ」

「……誰?」

「おいおいおぉい⁉︎ 嘘だろお前⁉︎ ここまで言ったら察せボケ‼︎ 遥々ロド大陸から来てんだぜこっちも単身‼︎ この顔忘れたとは言わせねえぜ? 蛇神の都市筆頭騎士の俺の顔をよ」


 弧を描く剣を緩く掲げてフードが落ち中身が露わになる。肌を覆う緑色のうろこ。長く二股に分かれた舌。爬虫類特有の黄色く鋭い双眸と同じ色の髪。見間違えるはずもなく、蛇神の都市マルイの蛇神の眷属最強の騎士、ルルス=サパーン。


「サパーン卿⁉︎ お主は死んだはず⁉︎」

「ブルヅに蹴り潰されたが死んじゃいねえよアホ‼︎ 勝手に葬式上げんじゃねえぞ‼︎」




 

 

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