15F 黄金週間 5

 空を見上げれば月が見える。お湯に濡れた服から着替え腰を落ち着けるのはギャル氏の家の縁側。湯冷めした訳でもないのに肌寒いのは、居間からギャル氏の母殿の視線を感じるからだ。


「それでは今一度聞こうか? 貴方の流派は?」

「……ヨタ流で」


 全くお優しくない機械神を生贄に捧げ、ギャル氏の母殿の質問に答えを告げる。何をそんなに流派の名が必要なのか知らないが、ギャル氏の母殿の眼光から逃れられる気がしない。三味線片手に縁側で何をやっているのやら。グレー氏は風呂に、一緒に入らないお陰でヒビ割れた傷跡を見られない事だけが救いだ。


 べん、ベン、と緩やかに弦を弾き歪ませる音色に耳を傾けるのは、ギャル氏の母殿と婆様に鈴芽殿。ギャル氏の親父殿は未だグロッキー状態のまま白く燃え尽きており、ギャル氏とクララ様はギャル氏の部屋へ。おかしいだろ。味方が一人残らず我関せずとか大草原。


「変わった技に変わった音色。偏屈だな貴方は。だからなのか?」

「……何がですかな?」

「私は興味があるんだよ。なぜ桜蓮あのこが再び技を振るったのか。貴方と共に姿を消した後、合わせて六日で全盛期には及ばないまでも随分と力が戻ったらしい」


 思わずせ音が歪む。アレでも全盛期には及ばないってマジ? 随分強いと思うんですけど? 単純計算で中学の卒業と同時に空手を封印したとして丸一年やらなかっただけでそんなに鈍るか? なにそれ怖いっ。ってかギャル氏の母殿がガンギレたって話はギャル氏が封印した空手また使いだしたから? 見ただけで分かんのそれ?


 やばいなそれがしの領分外の話っぽいんですけど……。


「二度と蹴りは振らんと言った桜蓮あのこにどんな心境の変化があったのやら。なあ鈴芽?」

「うん! 彼氏さんのことめっちゃ蹴ってたよ!」


 鈴芽殿はなんで嬉しそうなんだよ‼︎ それがしはサンドバッグになってただけやぞ‼︎ なら代わってくれよ次は‼︎ 幾らでも順番譲るわ‼︎


 そんな事をそれがしに聞かれても、ギャル氏の心境の変化などそれがしが知るはずがない。だって手のひら返しがコークスクリューブローなんだもの。スイッチ切り替えまくるギャル氏の心の機微を察するのはそれがしには不可能だ。所謂無理ゲー。


 肩を落として小さく三味線を弾くそれがしへと顔を戻すと、ギャル氏の母殿は手に持つお猪口に鈴芽殿から酒を注いで貰うと口へと傾け微笑んだ。鋭い目尻を柔らかく曲げる姿はギャル氏に似ている。


「うん。分かってはいる。桜蓮あのこはよく言っていたからな。強くなっても仲良くなれず恨まれるぐらいなら強くなんてなりたくないと。だがそれは好敵手がいない者の嘆きに過ぎない。我が家は代々空手家の家系だ。時代とは沿わないかもしれないが、私はそれを途絶えさせたくないのだ。あれ程の才能を腐らせたい者などいない。そうは思わないか?」

「……分からなくはないですけどな」


 ギャル氏の空手はそれがしの目から見ても素晴らしいとは思う。ギャル氏の母殿の言う通り、努力とは違う何か見えない壁をギャル氏からは感じる。それがしが本気で空手に取り組んだところで、性別関係なしに追い付けない予感。才能と言ってしまえばそれまでの話。


 三味線を嗜んでいたりする以上、ギャル氏の技を残したいというギャル氏の母殿の言葉も理解はできる。伝統。使命。それに関わっているからこそ、昔から続く流れを途絶えさせたくないと。古きがあるから今がある。分かってはいる。が。


「それをそれがしに言う意味が分かりませんな。桜蓮サレン殿の母殿には悪いですが、ギャル氏の味方ですぞそれがしは」


 流れがあるのは理解しているが、やりたくない事はやりたくないのだから仕方がない。伝統、使命、才能。やるべき理由は数多く転がっているだろうが、やらなくていい理由も多く転がっている。


 何より他でもない本人がやりたくないと言っているのだ。内心思ったよりムッとした自分に自分で驚きながらも、荒れた三味線の音色を深呼吸と共に落ち着ける。


 同じくそれがしも敷かれた道から逃げた者。ギャル氏とは理由違かろうと、その点に関しては共感できる。強要されてまでやりたい事ではないと。今の世には必要ないだろうと。


「ならばなぜ貴方は鍛えている?」

「…… 桜蓮サレン殿の隣に立つ為に。でもそれは、力で勝ちたいからではない。ギャル氏の空手に勝ちたいからではっ。それがしそれがしに勝ちたいからぞ。そうそれがしが選んだ。ギャル氏の空手にそれがしを持ち出すのならお門違いですぞ」


 荒んだ三味線の音に耳を傾けて小さく舌を打つ。ギャル氏の母殿は大分ノリがいいと思ったが、空手に関してはそうでもないらしい。三味線の音が刺々しくなってしまう。


 だが、ギャル氏の母殿はそれがしの機嫌が悪くなろうが関係ないらしく、小さく笑いながらまたお猪口を口に傾けた。


「なら貴方と同じだろうに。娘は再び空手を振るう道を選んだとな。どんな理由であれ私には喜ばしい事だ。本題に入ろうか。詳しい話を聞かせろとは言ったが、正直に答えてくれるなら娘と共に姿を消していた六日間の話はしなくてもいい」


 眉をひそめて三味線を弾く手を止める。ギャル氏の母殿の奥でそここそ聞きたいとガッカリした顔を浮かべる鈴芽殿は放って置き、ギャル氏の母殿の顔を見つめた。それがしが目を逸さぬ事を確認すると、ゆっくりと唇を動かす。


「貴方は桜蓮あのこを愛しているのか?」

「ちょっと待って? え? これなんの話ですかな?」


 マジで待って? ちょっと理解が追い付かない。異世界に消えていた時の話をされるかと思えば話が異次元の方向に突っ走り出したんですけど? 愛ってなに? 愛って言うのは……愛ってこと? アイアイ? 確かそんな名前の霊長類がマダガスカル島に生息していたはずだ。アイアイがどうしたって?


「貴方は桜蓮あのこを愛しているかと聞いている」

それがしに聞く意味」

「貴方だから聞いている」

「なんでや。それがしはマダガスカル島に行った事なんてないのに⁉︎」

「マダガスカル島に行った事がなくても答えられるはずだ」


 凄え真面目に返された。寧ろ今マダガスカル島に逃げたい気分。マジレス要らないよそんなの。恋愛脳とは学生だけの特権じゃなかったのか? それがしの知らない内に不可視の地雷とか踏ん付けた?


 何が何やら理解不能案件であるが、正直に答えれば異世界での諸々は話さなくてもいいらしい。危険札はどっちだ? 異世界の話をして異常者認定を貰うか、地雷臭半端ないギャル氏の母殿の話に乗るか。いや、そもそも異世界の話をした場合、正直に話してないとされて許して貰えない可能性が高い。


「友人として好きですぞ間違いなく」


 ならば正直に言うしかない。


「それだけかな?」

「それ以上があると? ギャル氏はそれがしの初めての友人だ。友人の為なら幾らでも期待に応えますとも」

「貴方もなかなか救われないな」


 何その手の施しようがありません的な台詞。それがししくじった?


 首を傾げるそれがしをそっちのけでギャル氏の母殿は何かを納得したように小さく頷くと、壁に掛けてあるカレンダーを一瞥するとまた酒の注がれたお猪口を煽る。


「期待に応えると言うなら話が早い。実は毎年他流派、異種武術家同士の集いがあるのだがな、去年娘が出なかったお陰で色々小突かれているんだ。日取りとしてはまだ幾らか先なのだが、娘の代わりに出て貰おうか」

「いやいや待たれよ? 鈴芽殿は?」

「鈴芽は空手家ではない。そのレベルにない。だから貴方に聞いたんだ。桜蓮されんの代わりを務める自信があるか?」


 鈴芽殿に目を向けても悲しそうな顔をするでもなく微笑むばかり。はっきり言って意味が分からない。六日間の話はいいからそれがしに他流派だかの集いに出ろと?


  はっきり分かった。ギャル氏の母殿はアレだ。それがしの親父殿と同じタイプだ。だから苦手なのだ。親父殿が侍の道を決め梃子でも動かないように、ギャル氏の母殿も動かない。チャロ姫様と同じ、何かしら自分で決めた理の中でしか動かない。そう決めている。


それがしが否と答えたら?」

「その時は無理にでも娘を引き摺って行く」


 目を細めて一度三味線の弦を強く弾く。


 理解したよ理解した……。まるでブレないギャル氏の母殿の瞳が理解したくなくてもそれがしに理解させてくる。


 それがしは逃げ切った。親父殿の理に沿って、一度道を外れる術を手にできたが、ギャル氏は周囲を納得させて空手を捨て切れた訳ではない。だからあれ程披露するのを嫌がるのだ。それがしは別に逃避を為し得た技術を隠そうとは思わないが、ギャル氏は違う。


 そんなギャル氏に空手を使わせたのはそれがしだ。異世界ではそれがしの為に披露したくはないらしい空手を披露してくれた。そういう状況だったと言ってしまえばそれだけだが、その時隣にいたそれがしだけはそれから目を離してはならない。


 詳しい話をしようなどと、初めからそのつもりだったに違いない。それがしを使って何をしたいのか知らないが、気に入らない。面白くない。


 子は親を選べず、親も子を選べないが、誰もが友人を選ぶ事はできる。それがしはギャル氏の友人だ。ならば、面白くないを面白いに塗り替えるのがそれがしの役目。異世界だろうと元の世界だろうと、それがしの立ちたい場所は変わらない。


 それがしはギャル氏のできない事をやる。


「出ましょうともその集い。その代わりギャル氏の今後には口出し無用で」

「結果次第だ。だが、それまでは貴方に娘を任せよう。好きにしなさい」

「なら取り敢えずはダンス部の方に集中させて貰いましょうかね」

「あぁ、健闘を祈っているよ」


 想ってもいなそうな事を平然と言ってのけるものだ。先の予定が決まるなど初めての事だがあまり嬉しくはないな。風呂を覗きに行った際の喜びがおかげで失せた。ギャル氏達がここに居なくて幸いだ。


 異世界の事で手一杯なのだが、元の世界でも頭を使わなければならなそうとは逃げ場がない。ギャル氏の母殿が立ち上がり、打ちのめされているギャル氏の親父殿を引き摺って居間から出て行くのを見送り三味線を弾く。


 逃避の音色。ではあるが、ギャル氏の為には逃げる訳にもいかない。それがそれがしの決めた道だ。誰でもないそれがしが選んだ道。


 ギャル氏の母殿が居なくなったからか、台所へとお猪口と酒瓶を片付けて、縁側へと鈴芽殿が入れ替わるように寄って来た。嬉しそうな笑顔を携えて。なんだその顔は?


「彼氏さんやるぅ! 好きにしなさいなんて言う母様初めて見た!」

「あっ、そう……」

「そう言えば明日は阿国ちゃんが様子見に来るそうですよ? さっきメールが来て」

「あっ、そう……じゃねえわあいつなに来ようとしてるんですかな⁉︎ 塩ですぞ! 塩を撒け‼︎」

「駄目ですよそんな勿体ない」


 だからマジレスは必要ねえ‼︎


 そんなこんなで黄金週間はあっという間に数を減らした。初めての友人の家へのお泊りイベントで手にできたのは、必要な『絶対』の為の勝利の誓いと、不必要なギャル氏の母殿との約束だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る