14F 黄金週間 4
「レンレンが急に
壁に付けているグラスから耳を離し、グレー氏と顔を見合わせる。罵倒なんかじゃないわこれ。ダンス中はほとんどお褒めの言葉などくれないのに、あのクララ様が手放しで褒めてくれている。陰口じゃないならそれこそ面と向かって言って欲しい。が、『悔しい』か。
少しばかり不審なクララ様の言葉に口端が勝手に上がりながらも喜び切れない。
「……だからしずぽよは勝つ気なくなっちゃったの?」
湯船のお湯が跳ねているだろうちゃぽちゃぽ響く水音に合わせて紡がれるギャル氏の言葉。始まりは分からないが、正に話は痒い部分に手が伸ばされているところ。運がいいのか悪いのか、小さく息を飲んで耳を澄ませる。
クララ様に勝つ気が薄く見える
「違うッ、違うのレンレンッ、でも、私ッ、それが、分からなくなっちゃったのよッ」
どういうこっちゃ。再びグレー氏と顔を見合わせるが、グレー氏は眉を
「ソレガシとあられくんには言ってないけどっ、ダンス部での対抗戦の審判はダンス部員よ。だからね、勝負なんて言いながら負けは初めから決まってるようなものなのっ」
「……頭に血が上っちゃって勝負を私は受けて人数まで集めるなんて言っちゃったけど。人数が集まるなんてそもそも思ってなかった。負けると分かってる勝負に本気で挑める子なんていないでしょ? でも人数が集まっちゃって、後には引けなくなった。私の我儘が形になっちゃった。それで……」
「……ソレガシ集中砲火的な?」
「……そ。一人でも欠ければ人数は満たない。負けると分かってる勝負をせずに不戦敗。その方がいいかなって……」
随分と
「でもしずぽよさ、あーしに連絡くれたじゃんね。負けたくないからじゃないの?」
「何もせずに負けるのも嫌だったからさ……ごめんねレンレン。レンレンなら分かってくれるかなって……そしたらよッ、おまけでソレガシまで付いて来てあられくんまでッ、勝てないのにッ、なんでこんな時に限ってあんな原石が二つも……ッ。こんな時に限ってッ、こんな時じゃなきゃッ、勝ちたいのに勝てないッ。レンレンがこれまで隠してる気になってた空手まで全開で使ってくれてるのにッ」
「ちょちょちょちょっと待って待って⁉︎」
湯船から立ち上がったのか、急に響く大きな水音。ギャル氏うるせえッ。折角聞きたい話が聞けてるのに待ったを掛けるんじゃない。バシャバシャと響く水音がグラスの中で蜷局を巻きグラスから会話は聞こえないが、グラスを必要としないギャル氏の絶叫が薄く開けられている窓の隙間から吐き出される。
「かかかっ、隠してる気ってなんだし⁉︎ あーしから一言も空手やってるとか言ってなくね⁉︎ しずぽよ達だって聞いてきたりッ」
「……入学早々空手部から勧誘されまくってたのに気付かない訳ないでしょ。私もずみーもりなっちもゆかりんも全員知ってるけど、レンレンから何も言わないし聞かれたくないんだろうなって。解禁したんじゃないの?」
「イヤァァァァアアアアッ⁉︎ ドチャクソありえんてぃなんですけどぉッ⁉︎」
頭隠して尻隠さずと言うか、本人隠してる気でも全然隠れてなかったと。城塞都市でずみー氏に空手隠してた意味ッ。
グレー氏に知ってた? と小声で聞けば深く頷かれる。
ジャポンっ、とギャル氏が湯船に沈む音が響き、
ギャル氏が騒いでくれたお陰か、少しばかり落ち着きを取り戻したクララ様の声が帰って来る。
「でも、レンレンの気持ちも少し分かるよ。私も将来ダンサーになりたい訳じゃないんだ。私将来はモデルになりたいの。それで色々言われる事もあるけど、趣味だったとしても本気でやりたいじゃん? 本気じゃなきゃ楽しくないって。レンレンの空手、ダンス見れば分かるけど、私はカッコいいと思うよ?」
クララ様がなんか凄いいい感じの事を言ってくれてるのに、返されるのはぶくぶく泡の爆ぜる音。いつまで潜水してる気だギャル氏は。もう諦めろ。バレるバレない以前にとっくに空手バレてるよ。それに決して、ダサイなんて思われていないよ。
「だからさ、だからレンレンが本気でやってくれててっ、ソレガシもあられくんもっ、楽しいんだ。楽しいのに私ッ、それが悔しいのッ。私が一番本気じゃないッ」
「ぷしッ、ぷししししッ!」
「お、おいソレガシッ」
我慢できないと口端から笑い声が漏れ出る。ギャル氏め、慰めるどころか逆に慰められていては世話ない。グレー氏の制止の言葉も効果がなく、笑い声が止められない。
クララ様は勝つ気がないんじゃない。踏み出したい道へ足を伸ばすのを躊躇しているだけだ。そりゃそうだ。ギャル氏以外数合わせで集まったメンバーが自分よりも勝つ気でやってたら面食らう。それこそ意味の分からない不気味な存在に見えるだろう。
だがそれだけなら、クララ様が足を踏み出すまで変わらず待てばいいだけだ。クララ様が一番ダンスが上手いのだから、その気になればきっとすぐに並んでくれる。
グラスを地面に放り出し、壁に背を付け笑っていると、壁を通して勢い良くギャル氏が水中から立ち上がる水音が背を叩いた。続けて開け放たれる窓の音。頭上から降って来る窓の開放音を聞き流しながら、笑い声を押し殺して口を開く。
「勝てますともこの勝負! 敢えて言いましょうか『絶対』にと!」
「……あっそう、死際の言葉はそれでいーわけね腐れ覗き魔」
桶が湯を掬う音が響き、ドバドバ頭に降り注ぐ熱湯。小さく笑いギャル氏からの死刑宣告を聞き流すが凄い熱い。熱いって言うか痛いッ。痛いって言うか熱いって言うか痛いッ‼︎
「熱いんですけど⁉︎ 熱つつつつ⁉︎ 覗いてないですしおすし⁉︎
「うっさい死ね‼︎ 今回ばかりは流石に腹切り安定だからソレガシ‼︎ 変態‼︎ 変態‼︎ 変態仮面‼︎」
「仮面被ってんのは
「この野郎ソレガシッ⁉︎ 普通ここで売るかよ俺を‼︎ 最低な共犯者だ⁉︎」
「あられくんまで⁉︎ ちょっと待って⁉︎ いやぁッ⁉︎ 私今化粧落としてるから見ないでッ、ソレガシ死んでよきみさぁ‼︎」
「なんで
「おけまる水産よいちょまるッ‼︎」
「地獄へゴートゥーッ‼︎」
慈悲の欠片もない返事をありがとさんよ‼︎ ドバドバドバドバお湯をと桶を上から落とされ続け、地面に広がるお湯溜まりの中観念したとばかりに胡座を掻く。お湯の熱さにも慣れてきた。だって神との契約の紋章刻まれるより熱くないんだもん。
反応を返さなくなった
「……んでソレガシ、なんで勝てるって分かんわけ? アンタがそう言うってことは間違いないんでしょ? あーしにしずぽよの口割らせたんだから話なよ」
息を飲む声が聞こえるがクララ様か? まあどっちでもいいが、諸々
「……ソレガシやあられくんには悪いけどっ、多分それはないよ。だって……」
「審判がダンス部員という話なら、盗み聞く以前に
「それならッ」
少し声を荒げるクララ様の言葉の先を止める為に、持ち上げた手のひらを
「ダンス部との対抗戦は勝てないかもしれませんが、クララ様が最初欲しかった勝利は掴めるかもしれないという話ですぞ。本気でやれば、多分これは間違いない」
「あー……ソレガシ? ちょっと意味が分からないんだけど?」
「あられくんに同意見、きみ頭でもやっちゃった?」
言い掛かりが酷い。お湯溜まりに浸らないように
はっきりとなった視界同様。見える道におそらく間違いはない。クララ様は一度もう負けているかもしれないと思ったが、それを否定できるだけの答えを弾き出せた。
「そもそもの話ですが、おかしいと思いませんかな?」
「なにがよソレガシ?」
ダンス部対抗戦が決まった事自体がだ。ギャル氏にそう返しながら、頭を回し弾き出した答えを続けて言葉に変換する。
「もし全員が本気でクララ様の案に反対なら、勝負以前に却下で終わりですぞ。クララ様、この勝負受けるのを決めたのはクララ様でも、提案したのは部長殿では?」
「そりゃそうだけど? それがなに?」
「なら少なくとも部長殿はクララ様側でしょうよ」
「なんでそんなことっ」
「勝負を提案したからですぞ。却下なら勝負を提案する必要はない」
それだけは間違いない。本気で大会で勝ちを目指したいというクララ様と同じ想いを、幾らかのダンス部員は持っているはずだ。でなければ、勝負という囲いが設けられるはずもない。「なら普通にしずぽよに賛成すればよくね?」というギャル氏の言葉に肩を落とし、お湯を吸って肌に張り付く服を引っ張った。
「立場的に難しいのでしょうな。聞けばダンス部員のほとんどはただダンスを楽しみたい者達なのでしょう? 無論部長なら強引に方針を決定できはしますでしょうが、大多数の意見を無視して舵を切れば暴動宜しく文句の大合唱。だからでしょうな」
「だからってそんなのさぁ、ダサみパなくね?」
「そうですかな?
「はぁ? んでよ?」
ギャル氏はブー垂れるが、
その点ダンス部の部長殿はかなりの譲歩をしてくれている。負けが決まっていたとしても、勝負の土俵を整えてくれている。クララ様が折れず本気なのであれば、このダンス部対抗戦の本質は、ダンス部の大多数の意見を尊重し、かつ少数意見も取り零さない画期的で比較的平和的な一手。
「立場的に部長としては大手を振るって許可はできずとも、個人としては別でしょうよ。三年生は今年が最後の年、それも
「そう言う事か
グレー氏は
「好きな事で負けたい奴なんて普通いないもんな。そこを突っつく為に本気でやらなきゃ意味がないって事だろ? だからこのダンス部対抗戦には賭けられていないものがある」
「その通り、本気で排除する気なら始めから却下すればいいだけで、更にやるとしても退部を賭ければいい。それがない。ダンス部対抗戦の勝敗関係なく、クララ様はまだ負けていませんとも。勝敗は
誓った『絶対』から道は微塵もズレていない。少なくとも
部長殿は自分だけでなく、誰もが絵破り斧のような一撃を受け取れる機会を用意した。言葉だけでは足りないのだ。ダンス部員には他でもない、強烈なダンスこそが必要なのだ。
「……ソレガシってさ、思ったよりその……なんて言うんだろ。レンレンやずみーが気に入ったの少しだけ分かったよ。少しだけ……なんできみは、そこまで関係ないのに本気になれるの?」
クララ様の本気であろう問いを聞き、少し笑うと同じように頭上から小さな笑い声が落とされる。初めてクララ様の協力する時に『本気で』と約束したからという事もあるし、ずみー氏に『絶対』を誓った事もあるが、今言う事があるとすればこれ一つ。
「「ダチコは見捨てませんから」」
ギャル氏と声が重なり合い、思わず風呂場の方へと振り返る。そして慌てて目を手のひらで覆って顔を戻した。ポタポタ垂れる水音が鼓膜を揺らす。顔を濡らす滴を払い落とすように目を覆っている手のひらを下に滑らせ大きな感嘆の吐息を一つ。
「ぶッ⁉︎ おい
「あの、そういうのはいいんで。今は何も言わないで貰えますかな? 汚いものを視界に入れたくないですぞ」
「誰が汚物だコラッ⁉︎ お前バッチシ目に焼き付けやがったな⁉︎ 白状しろ‼︎」
「ここが天国だった。以下略」
髪を解き白い肌に水滴を滴らせるギャル氏と背を向けて腕を組んでいるクララ様の姿は窓に縁取られた一枚の名画。読モをやっているクララ様のスタイルの良さは疑う余地などなく、何度か首絞められて知っていたが、ギャル氏あれで着痩せするタイプですよねマジで。脳内保存余裕。
と心に誓った矢先、
「痛たたッ⁉︎
「閻魔様の声じゃないのそれって? 責任取りなよソレガシアンタ‼︎」
「だから『絶対』勝つと言いましたぞ
「それはもうとっくに決定事項だから‼︎ しずぽよだってもう迷わないでしょ?」
「もちのろん。明日から練習量三倍ね。ソレガシは五倍」
「
「んじゃ明日に備えてさっさと寝るか。勝つ為に。次は俺風呂に入るかな。ソレガシは?」
グレー氏の奴分かって聞いてやがるなこの野郎ッ‼︎
頭蓋骨が軋む中で、全ての歯車が噛み合う音を聞いた気がした。多分気がしただけだ。だって頭めっちゃ痛いもん。それが幻聴ではない事を切に願う。
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