11F 黄金週間
遂にこの時が来てしまったッ。友人の家にお泊まりなるイベントが
初のお泊まりイベントもギャル氏の家の道場とは、深い縁を感じる。圧倒的ッ、圧倒的な
小学生の遠足の時以上のドキドキワクワクで一睡もできなかったが、全く疲労感を感じない。断言できる。今の
ただ問題が一つ。ギャル氏の家に辿り着いたのはいいのだが、道場へと入るべきなのか、家屋のインターホンを押すべきなのか。
この二択が大きな問題だ。
宿泊する以上遅かれ早かれギャル氏のご家族には挨拶をするべきだが、まだ来ていないクララ様とグレー氏を待って一緒に挨拶するべきか。だが、既に
どっちが正解? どっちが正しい?
頭の中をぐるぐる泳ぎ回り決め切れない二択。口元のマスクをズラし親指の爪をガジガジと噛んでいると、
「あれ? 姉様の彼氏さんじゃないですか。今日から来られるとは姉様から聞いてましたけど早いですね」
開いた扉の奥に立っていたのはギャル氏の妹殿である
「これは鈴芽殿、おはようございますですぞ。空手の朝練ですかな? 今日からご厄介になるので心ばかりの菓子折を。後でご家族達とご賞味くだされ」
「これはご丁寧にありがとうございます! 道場の前にいるなんて気合い入ってますね彼氏さん! うちの道場に通ってる子達も
「全然全然! 気にしませんぞ! ただ一つ言う事があるとすれば
「えー? ただの友達が朝の五時半から道場の前に居ますか普通?」
大きく首を傾げる鈴芽殿に合わせて首を傾げる。午前中の内には集合という話で集合時間など特別決まっていなかったのだが、流石に早過ぎただろうか? 正確には三十分くらい前からいたのだが、二択の迷宮に迷い込んでしまい地蔵のように立つ事しかできなかった。
鈴芽殿は
「彼氏さん朝ご飯もう食べました?」
「まだですが……それより
「もう私は彼氏さんと呼ぶと決めました! 珍しく姉様を
強引だなおい。しかもあのギャル氏を
道場の扉を閉めると鈴芽殿は
ギャル氏の家も
「彼氏さんもどうせなら一緒に朝食食べましょうよ。とは言えこれから作るんですけど」
「鈴芽殿が? なら
「彼氏さん料理できるんですか?」
「少しばかり」
両親が共働きであるだけに、
「にしても鈴芽殿が食事当番とは、梅園家もご両親は忙しい感じですかな?」
「そんな事ないですよ? 朝早くに道場を使っていい条件に、花嫁修行も兼ねて朝食作れって」
「鈴芽殿は……空手好きなんですな」
ギャル氏と違ってとは言わずに言葉を切る。見たところ中学生の鈴芽殿と同様に、ギャル氏も中学生の頃はそうであったのか? 日が昇るよりも早く道場で鍛錬していたと見える鈴芽殿の熱意に舌を巻く。
「いや別に……ただ姉様に勝つのが目標なんで」
「なんという無理ゲー」
空手別に好きじゃないのにギャル氏に勝つのが目標ってなに? 思わず声に出してしまい、これはいけないと小さな咳払いをすれば、怒る事もなく鈴芽殿は小さく笑った。鈴芽殿自身も同じように思ってでもいるのか、どこも引き攣っていない迷いない笑みに
今や武神の眷属でもあるギャル氏に空手で勝つ。スマホがあればすぐバレると、前に来た時ギャル氏が言った通り軽くギャル氏の名前で調べればすぐに出た。中学生の全国大会三年間無敗で全勝だったよマジで。空手の鬼、蹴り技の姫を生み出した城。それが正にここだ。
「だから彼氏さんのこと彼氏さんて呼んでいいですよね?」
何が『だから』なのかは知らないが、多分拒否しようがギャル氏の妹ともなれば勝手に呼ぶなもう。なのでさっさとそれは諦める。
玄関で草履を脱ぎ荷物を置いて、少しばかり歩けばすぐに辿り着く畳敷きの大きな居間。足が短く横に長い食卓机が中央に鎮座している居間は
飴色の
「婆様、姉様の彼氏さんがお見えになられたよ。ほら、今日から
「ほ、本日からご厄介になり
「彼氏さん?」
慌て正座に座り口から出るのは何とも時代錯誤な言葉の数々。いかん。緊張の所為で爺様と親父殿に刷り込まれた外に出したくない部分が出て来やがったッ。おのれ時代劇ッ、
そんな
「……
なんでや。嘘だろ?
「ごめんね彼氏さん、婆様少しボケてきててね? じゃあ婆様私達朝ご飯の支度しちゃうから」
「えーっと、失礼しますぞ」
「うむ。頑張ってくださいよ爺っ様」
だから
「
「その感じでまさかの洋食⁉︎」
「何を言うかと思えば鈴芽殿、
「……嘘?」
「なんでや。
家に居たら和食しか食えない以上、自分で作る以外にもう道はなかった。親父殿や
「パンも焼けますぞ
「炊飯器使いましょうよそこはっ。か、彼氏さんおもしろッ。それだと味噌汁じゃ合わなさそうですね」
「出汁巻き的な味付けにするので問題ないですぞ」
「それもう卵焼き作った方が早くないですか?」
言うなそういう事をッ!
「はぁ、さてさてそれでは
ため息と共に卵を割って容器に入れ、出汁を加えて溶いてゆく。
泡立て器を使いよく溶いたら、ザルを使って卵液を
半熟になったら火から外し、事前に用意していた濡れ雑巾の上に置く。そのまま何度かフライパンを叩いて表面を均した後にフライパンに張り付いている卵の端をヘラで削ってやり、フライパンを傾けながら揺らし、ヘラで折り畳むように丸めてやれば完成。オムレツこそ料理の腕の見せどころだ。
「うわっ! これ見たことありますよホテルで! 匂いは若干卵焼きだけど!」
「一言多いですぞマジで。兎に角これで一人前。後何人前?」
「五人前だ」
背にかかる人数を告げる声。聞いた事のない張りのある女性の声に、幼少の頃武芸十八般を押し付けてくれた鍛錬中の親父殿の声を思い起こす。背筋を小さく跳ね上げ振り返れば、鈴芽殿を大きくしたような髪を結っていない女性が一人。
ギャル氏達の母親で間違いなく、第一声でもう
「へぇ、貴方鍛えてるのね。この前道場で三味線を弾いていたのは貴方かな?」
「は、はい、まぁ……」
「今日も持って来た? なら夜に少し弾いてくれ酒の肴になりそうだ。その時に詳しい話を聞こうじゃないか」
何をとは聞けず、動けずにいるとギャル氏達の母殿は居間の方へと戻って行く。やべえ怖いよッ、詳しい事って絶対異世界に行ってていなかった三日間の事だ。
友人の家にお泊まりイベントが嬉し過ぎてすっかり失念していたッ。もうここに踏み入ってしまったという事は逃げ場のない裁判所と同じ。血の気の引いてゆく
「私も聞きたいなー!」
「おいやめろ馬鹿ッ、五人前ですぞ後五人前さっさと作っちゃいましょう」
夜までにまだ時間はある。それまでにギャル氏と共謀して言い訳を考えるしかないッ。今は兎に角オムレツだッ、胃袋を掌握するのだ! 少しでも点数を稼ぎ夜の裁判イベントの難易度を下げろ‼︎
そうしてできたオムレツは、我ながらなかなかの出来。のはずであるが、「それじゃあ運んじゃいましょう!」と元気の良い鈴芽殿の言葉を合図に冷や汗が噴き出す。
嬉しイベントが地獄イベントに変貌しやがったッ。
「お待たせしましたぞ!」
「ようこそ我が家へ泥棒猫くん」
居間に料理を手に飛び出せば、間髪入れずに返ってくる野太い声。食卓机に肘を付き、顔の前で手を組んでいる眼鏡を掛けた男が一人。言わずもがなギャル氏達の父親で間違いない。泥棒猫とは穏やかじゃないと笑顔を凍り付かせたままオムレツを食卓机の上に並べれば、男は続けて口を開く。
「娘はやらんぞッ」
「いや別にいりませんけど」
「ん?」
「ん?」
二人揃って首を傾げてオムレツを並べ終えたので屈めていた身を起こす。
「聞き間違いかな? 今いらないと聞こえたのだが?」
「いや、そう言いましたぞ確かに」
「ん?」
「ん?」
今一度二人揃って首を捻っていると、ギャル氏の家族最後の一人と言うか、ギャル氏本人がようやくヨタヨタと居間に向けて歩いて来る。
「おーはー」と
「なにッ⁉︎ そこまでして我が娘の寝起き姿が見たいと言うのか⁉︎ 我が拳を受け止めるとはッ、おのれ何奴ッ⁉︎ 」
「貴殿の娘殿の友達ですぞ。
「きっさまぁぁぁぁッ‼︎ 私の娘は美人だろ! 母さんに似たからな‼︎」
「禿同。美人なのは間違いないでしょうな」
「見る目があるじゃないか! だがああ見えて眼鏡を掛けると私にも少し似ているのが自慢だ‼︎ ファッションだからと言って伊達眼鏡を偶に掛けてくれる我が娘の優しさよ‼︎ 君とは気が合いそうだが娘を見るその目が気に入らないッ‼︎」
「いやその理屈はおかしいですぞ。って言うか問答無用で拳振り過ぎな件について⁉︎ 客に対する態度じゃねえですな⁉︎
「ならば避けるなぁッ‼︎ 見た目に反してちょこまかと
「言ってる事が無茶苦茶過ぎるッ⁉︎」
開いた距離。構えるギャル氏達の親父殿を前に、『
「見慣れぬ動きだな。流派は?」
横合いから投げ掛けられるギャル氏の母親殿の言葉。ステップを踏む足を止め、口元を覆う黒マスクを剥ぎ取った。
「りゅ、流派? ……我流」
「ほう面白い。では次聞くまでに名を付けておけ。でなければ紹介しづらいだろう?」
「……だ、誰にですかな?」
「か、母さんッ⁉︎ 気に入ったのかこいつがッ⁉︎ 駄目だ駄目だッ‼︎ お父さんは許しませんよ‼︎」
「あなた。座れ、朝食の時間だ。埃が立つ」
「はい」
座るのかよッ‼︎ 弱いなギャル氏達の親父殿ッ‼︎ バリバリ殴っておいていそいそ座ってんじゃねえ‼︎
深く大きなため息を吐くと共に肩を落とせば、
「……ソレガシ? これはアレ、あーしがまだ寝ぼけてんだけ? 夢だとしたら萎えみパなくてガンギレそうなんだけど? なんで朝からアンタが家の居間にいんわけ? だいたいなんで着物なわけ?」
「ふっ、何を言うかと思えば笑止。休日での集いッ、私服のセンスが問われるのは明白ッ! が、よく考えると
「いや阿国ちゃんのセンスは悪くないっしょ。ソレガシに似合ってるしエモい……じゃないっつーのッ‼︎ 誤魔化してんじゃねえし‼︎」
「痛い痛い痛いッ⁉︎ 痛たたたたたッ⁉︎ 肩がッ⁉︎ 肩が千切れるッ⁉︎ ヘルプミー⁉︎ ヘルプミー⁉︎ ヘルプ……っ、って言ってんのに誰も助けてくれねえ⁉︎」
素知らぬ顔で味噌汁を
唯一味噌汁の碗を手に持ち首を傾げている鈴芽殿に目を向ければ、何か考えているのか天井を少しの間見上げ、顔を戻すと同時に笑った。
「あっ! あー! そのセンスどこかで見たことあると思ったら彼氏さん阿国ちゃんのお兄さんだったんだ‼︎ 私同じクラスで、お世話になってまーす!」
「妹のクラスメイツッ⁉︎ うぅそぉだぁぁぁぁああああッ⁉︎」
「うっさいソレガシッ‼︎」
「うるさいのは二人共だ。座れ、オムレツが冷める」
「「……はい」」
刃のような鋭い目を突き刺され、ギャル氏といそいそ食卓机の前に座る。唯一のミスはギャル氏達の親父殿の隣に座ってしまった事だ。こいつ肘打ちで食事の邪魔して来やがるッ。
居た堪れない朝食を終えて洗い物を終えれば、ニッコリ笑うパジャマから運動着に着替えたギャル氏に肩を叩かれ、無言で道場まで引き摺られた。その後の事は思い出したくもない。クララ様とグレー氏が来るまで地獄を見た。
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