20F 素晴らしく長いファントムナイト 5

 揺蕩たゆたう漆黒の黒い布。


 中身は全く見える事なく、魔法の掛かっている特別な物なのか、プライバシーの秘匿性が高過ぎて笑える。が、乾いた喉からは笑い声は漏れ出る事なく、宮殿の鉄壁が冷たい空気を塞いでくれているはずが、肌を削ぐ気配に肌があわ立つ。


 肉に喰い込み、骨に触れる不動の暗闇からは熱気は感じられない。


 ただ、淡々とした無貌むぼう


 故に分かる。理解する。


 三日間ほぼ休む暇もなく悪魔族デビルの受付嬢と相対した時に受けた好機の目とも、見習い騎士の演習訓練で叩きつけられた気迫とも違う空気感。


 ただぶつかり合うのではなく、漠然と相手と場を観察するような視線。必要な事を必要なだけ場に転がし情報を与えてくれない怪盗は、怪盗と言うよりも暗殺者に近い。


 そうだ。この来訪者は間違いなく、それがしを殺す気だ。


「下がってソレガシッ! 姿を見せなよ怪盗ッ!」


 背から響くイチョウ卿の声を耳に、背後に跳びながら身を倒し、大地に付いた手で勢いを殺す。


 じゅるりッ、と。


 入れ替わりにそれがしの肩を削ぐように飛来する矢。


 不審な空気を捻りながら飛ぶ空気の矢を身をよじる事で怪盗は危な気なく避けた。漂う布は宙の中浮かぶ黒い海月。


 隣に並ぶイチョウ卿は舌を打って弓を構え、虚空を握る手が矢を掴む。「眷属魔法チェイン深度三ドロップ=スリー」という呟きと共に。


 矢神の眷属の眷属魔法は矢の生成か。だから持つべきは弓だけで十分と。空気だけでなく深度によってつがえられる矢に違いがあるのか、それを視界の端に見据えながらホルスターから引き抜くは小太刀。おまけでラーザス爺がくれた刃を握り締め、喉につっかえる何かを吐き出す。


 そんなそれがし達を目に、手を伸ばす事なく黒い布は動きを止め、それを見据えて目を細めた。相手が動きを止めたからこそ、それがしも動きを止め、瞳を動かす事なくイチョウ卿へと言葉を投げた。


イチョウ卿ッ」


 それで果たして通じたのか、一瞬目配せし、より強くイチョウ卿は目の端を引き絞る。


 違う。


 動きを止めたのがその証拠。それがしが小太刀を手に握ったのを見て動きを止めるなど、最高評議会で顔を合わせた者であればこそありえない。なぜなら、あの時は黒いマスクで口元など覆っていなかったから。最高評議会に居た者であるならば、それがし機械人形ゴーレムの召喚しか眷属魔法のない機械神の眷属だと知っている。


 それがしが武器を構えたところで、そこまでの警戒をする必要はない。で、あるならば。


「……その黒布取り払って貰えますかな亡霊ハリエット。お主、どこから来た?」


 より中に踏み入る前に我慢する事もなく出て来た怪盗には困り者だが、ある意味で心の重石は外れる。怪盗の正体が内部犯でないのであれば、それに越した事はない。


 ただ別の問題が一つ。


 相手がそれがしが何の神の眷属か知らないように、此方も怪盗が何の神の眷属であるのか布を取り払わぬ以上知る術がない。それがしが踏み込めば、それが戦闘の合図となる。相手の技量さえ分からぬ以上、飛び込むのはまず悪手。だからこそそれがしは動かず、動くのは────。


眷属魔法チェイン深度十ドロップ=テン。『万華鏡の中の回遊魚サーディーンッ‼︎」


 大きくイチョウ卿が弓を引くのに合わせ、透明な羽が撒き散らす黄色い光に混じって空気中の水分が寄り集まり、水のやじりを宙に浮かべる。弓が虚空に解き放たれると同時、水滴が跳ねるかのように飛び出した水の刃。ふわりと変わらず黒布は危な気なく避ける。


 ぽちゃん。


 標的のいない宮殿の通路の先へと突き進もうとした水の矢が、目に見えない空気中の水分に跳ねたかのように動きを変えた。怪盗を追い右へ左へ、的に当たるまで跳ね続ける水矢の猟犬。


眷属魔法チェイン────ッ」


 新たに呪を紡ぐイチョウ卿の唇の震えに黒い布は大きく身を捩り一閃。布の奥から伸びた刃が止まらぬ水矢を真っ二つに分かつ。その布が中に誰かがいるなどとは感じさせぬ程宮殿の壁へと身を沈め、


「────ソレガシッ⁉︎」


 イチョウ卿が叫び宙を舞う先で黒い布が掻き消える。膨らまず、変わらぬ重圧こそが恐怖ッ。目では追えず、ヒビ割れた傷跡がぴりぴりと警告を発してくる。背筋を駆け抜ける悪寒を前に歯を喰い縛り動いた刹那。暗闇の中に銀閃が走った。目の前に裂かれた黒髪が散る。


「……思いますよな誰だって、驚けば身を跳ねさせると」

「ッ‼︎」


 だからこそ、だからこそベビィさんとの戦闘訓練の間身に叩き込んだ。分からぬ脅威が迫った時、闇雲に突っ込むでもなく、跳び下がるでもなく、誰より低く身を沈める。地面を抱きしめるように地に張り付く。


 底こそが地獄の中でそれがしの選んだ戦場だから。


 体に忍び寄る鉄の床の冷たさが、それがしから熱を奪ってゆく。吐き出せ不必要なものを。恐怖も迫る死も情報として処理しろ。形ない迫るモノにそれ以上の意味を抱くな。


 思慮におぼれろ。理性の中足掻け。


 揺れ動くフードの頭をまばたきせずに横目に見上げ、身を起こしながら小太刀を握る手を拳のまま黒布の中へ突っ込む。


 キャリィ、と響く金属を擦る音。布の奥に隠されたもう一つの手が握る怪盗の刃に突き出した拳の小太刀を払われる音。振り落とされるもう片方の刃の音を聞きながら、立ち上がろうとしていた足を滑らせ怪盗の足に絡み付け、そのまま仰向けに寝転がる鼻先を刃が掠るように通過した。


 一撃にはならず、だが確かに指先は触れた。


 仰向けのまま頭の上に伸ばした手で身を手繰るように地面を滑り再びクラウチングスタートのような構えの形に戻る。


「イチョウ卿! 怪盗は女ですぞ! 指先が柔らかなものに触れた‼︎」

「それ今いるの⁉︎ 有用だけどさ⁉︎」


 舌打ちを零して身を落とす怪盗を見据え、それがしも奥歯を噛み締める。欲を言えば一撃を入れたかった。それがしの戦闘法は奇をてらえるが、時間を掛ければ掛けるだけ、相手が慣れて未だ埋まらぬだろう技量の差で潰される。


 突っ込んで来ようとする怪盗を目にしたままホルスターに手を伸ばす。指先が触れる黒いレンチ。もう少し温存したかったが、出し惜しんで死んだら笑い者だ。折角目にできた怪盗を前に迷っている暇は…………待てッ。


 視界の端に映り込みイチョウ卿が、それがしの方を向いたまま動いていない。近くに怪盗がいるのに何を固まる? 何を見ている?


 産毛が逆立つ。体に刻まれた傷跡がうねるように痛むッ。


「痛ッ⁉︎」


 思わず身を捻った刹那、肩先を冷たい風が走り撫ぜた。改造された制服の切れ端と僅かな血の飛沫。痛みよりも先に焦りが来る。前に怪盗がいるのに何故背後から襲われる? 無理な体勢で放った後ろ蹴りが硬い物に当たる。視界を添うように撫でる黒い布。


 一瞬で背後に回られた? 否────ッ。


亡霊ハリエットが二人ですと⁉︎ 馬鹿な⁉︎」

「違うよソレガシ二人じゃない‼︎」


 増える。増える。生きた暗闇の数が増える。


 視界の中舞う影二つ。背後に感じる冷たい空気。うごめく黒い影が総じて三つ。一人ではない可能性も勿論考えてはいた。だが、増えた怪盗が仲間なのか、怪盗の魔法なのかも分からない。「眷属魔法チェインッ」と口遊むイチョウ卿が黒い影の一つに通路の奥へと弾かれる。


「イチョウ卿⁉︎」

「ヅッ、気にしないでソレガシッ‼︎ それは魔法じゃないよ! 実体だ‼︎」


 そうか魔力の扱いに長けた種族ッ、魔力の流れを読んだのかッ! さすイチョウ卿! 感嘆の吐息を僅かに零せるだけで声は出せず、視界の中踊る影を目で追えずホルスターの黒いレンチを強く握り締めた。一瞬の遅れが死に繋がる。三人の怪盗などそれがしに凌げるはずがない。


「アラ────」

「その黒布は夜間都市の暗殺者御用達の一品だぞ? くくくっ、神石の匂いがするぜ? 謀ったな冒険者!仲間外れは寂しいぜっての!」


 ずるりと地面を這いずる緑の影。暗闇にうろこをキラびかせ、背かな抜いた湾曲した刃を円を描くように滑らせる蛇人族ラミアの騎士。鋭い三日月で闇を裂くルルス=サパーン。


 一太刀で怪盗達の刃を外へと弾き、細長い三日月型の洋刀を肩に担ぐと、サパーン卿は口元にも同じ形を形取る。

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