19F 素晴らしく長いファントムナイト 4

 夜に足を踏み入れたロトンドム宮殿の一角に響き渡る弦を震わせた民族的な音楽。矢筒を持つ事もなく、手にした弓の弦をイチョウ卿は黄色く光る指先の爪で引き鳴らす。宮殿の壁の上、迫り出した壁に背を預け耳を傾けるそれがしに微笑みながら、奏でる音楽に乗った妖精族ピクシーの女性の声が鼓膜を震わせる。


妖精族ピクシーは背が小さいからね、種族魔法は音に関する魔法が多いんだよ。音楽に乗せて遠方の仲間と会話する事もあれば、逆に音で会話を包み盗聴を防ぐ事もできる。聞き惚れた顔してて、外から見られる分には、あたいが演奏を披露しているように見えるから」

それがしも三味線は弾きますが、これまた変わった音色で耳心地が良いですぞ。魔力が含まれているからでしょうかね?」

「しゃみせん? ソレガシの郷土の楽器? それは少し気になるね」


 お前は侍になるのだと謎の教育方針によって親父殿から仕込まれた武芸十八般は、平和な現代で必要ないだろ常考とばかりに肌に合わなかったが、爺様との約束で芸事一つ身に納めれば好きにしていいとの約束の為に手を伸ばした有棹弦楽器。今でこそ、もう少し武芸の方をしっかりやっておくんだったと後悔しても遅い。


 毒にも薬にもならなら会話を挟みつつ、会話と音色を調律するかのようにイチョウ卿は手を動かし続けながら言葉を紡ぐ。


「うん、大丈夫そう。それで? あたいを協力者と見抜いた事は置いといて、あの三人が容疑者かもしれないと考えたのはなんで?」


 口は弧を描いていても、目は笑っていない。筆頭騎士としての仕事の最中であるからか、ある意味でイチョウ卿からの本気の品定めといったところか。魔力を扱う事に長けた妖精族ピクシーの種族魔法の渦中、下手な事を言えばそのまま攻勢にも移れるのだろう。おっかない。


それがしは損得勘定で考える事が多くてですな。動機があったとしてもそれは知ったこっちゃないですが、この怪盗騒動で得をするのが誰か考えた結果と、トプロプリスの警備体制を見るに、身内の犯行と見るのが一番理に適っている」


 教室の隅で場をただ眺める事には慣れている。小煩い騒ぎの中、誰が得をして、誰が損をしているのか、漠然と他人事として眺めてきたある種の経験とでも言えば格好はつくか。ギャル氏にでも言えば、根暗だとしか言われないだろうが。


 兎に角、実際に怪盗騒動が長引いた結果、チャロ姫様は婚約までこの事態に賭けている。姫君の性格をよく知る者であるならば、それを見越して一般市民は置いておき、上にいる者は相当慌てる事態を起こしたと見る事ができなくもない。


 今回に限らず、他の都市の時も同じように回答の予告状が新聞社や一般市民の知らぬ所で上だけに送りつけられたのであったなら尚更。上の者達だけでの政略ゲームだ。


「加えて、大きな戦もなく一五〇年ばかり、同盟としての旨みはもうほとんどないのではないですかな? 城塞都市の武器輸出量が全盛期から大分落ちていると聞きましたが」

「ま、大戦の為の同盟だからね。王都同士の均衡は傾いてきていると言っていいよ。組合の本部や新聞社の本部、学院なんかの重要拠点が多く集まってる『世界都市イージー』が一番今は栄えてる。諸島連合ドルドロの島の中には、王都に匹敵するレベルで栄えてる都市もあるし、ソレガシの契約してる神、機械神ヨタの都市を筆頭にね。戦もないならそれが突然に崩れる事もそうはない。でも、数百年結んでる同盟を破棄するのも忍びない」

「それを解消する上手い言い訳が、同盟の神石の奪取。同盟の証が紛失したなら同盟破棄してもいんじゃないのと? 可能性の一つでしかないですが」

「大きな可能性である事には違いない」


 ため息を新たに弓を弾く音に乗せて、イチョウ卿は空中からそれがしの肩の上に身を移す。零される音色は怒気を孕んでいるのか刺々しく、荒い音色が澄んだ音に薄っすらと混じった。


「実際に、矢神の都市の姫様が視察に来た際、学院の休暇を使って来られた事もあって他の都市の代表と騎士もやって来てたんだよ。加えて、蛇神の都市の代表キル=キルシオは半年より少し前に『夜間都市ワーグワーグ』の王族に謁見したって言うし、鎧神の都市の代表ロズ=ダスク=ロズも、蟲人族の王族の会合に出席してる」

「裏切る算段をそこでつけたと?」

「可能性の話だけどね。武器の輸出で莫大な富を築いていたロド大陸筆頭たる城塞都市の力は落ちている。一緒に落ちるよりも最後の踏み台に使おうって腹かもしれない」

「いずれにしても色いい話ではないですぞ。王族や貴族はまだしも、街の現状を見る限り一番不安に思っているのは民衆でしょうに」


 怪盗の名を騙った窃盗騒動。『鋼鉄の胃袋』で居合わせてしまった通り、民衆達は怪盗による犯行日さえ知らずとも、どこか頭の片隅で同盟が解消され現状が崩れるかもしれないと察していると思われる。ただでさえ質の良い武器屋防具屋を営む者とそうでない者に開きがある中、お得意先であろう同盟都市の同盟が解消されればどうなるか。


 城塞都市を踏み台に、同盟として最後の躍進を謀ろうという可能性。そうでなかったとしても、再びの戦を起こそうという可能性もある。


 堅牢な警備体制の中から同盟の証を奪えるのは、城塞都市と並ぶ他の大陸の王都が手を引いているから。イチョウ卿の話を加味して考えるなら、夜間都市に赴いた蛇神の眷属の代表、蟲人族の王族との会合に出席した鎧神の都市の代表に、手引きしたとでも罪をなすりつけ、難癖付けてでも戦の火種を点ける事もできるだろう。


 戦があれば武器の輸出量も増え、同盟都市全てに利益をもたらす。罪をなすりつけられた都市を同盟から弾き出す事もできれば、より得られる利益を上がる事だろうし。


 どんな可能性があるにしろ、怪盗を捕らえられれば全ては必要のない心配だ。その正体に同盟都市が関わっていたとしても、膿を摘出する事はできる。


 だからこそ、今少し心配なのは、姫君の協力者であろう矢神の都市の筆頭騎士、イチョウ卿がいつまでもそれがしの側にいる事だ。神石があると言う金庫の近くに控えられるのは、姫君の息が掛かっている者だと、ブル氏とイチョウ卿だけのはず。弓を弾き続けるイチョウ卿の目を流し、肩に乗る重みに肩を落とす。


「それでイチョウ卿はいつまでここに? 奏でられる音色で暇を潰せるのはありがたいですが、それがしは宮殿の外周部にしかいられないですぞ」

「……残念ながらあたいも同じさ」


 そう返され、思わず落としていた肩を小さく跳ねる。筆頭騎士のイチョウ卿が外周部だけの警備などありえるのか? 筆頭騎士の無駄遣いだ。矢神の都市がいくら最初に神石を盗まれた無様を晒しているとしても、他の都市も盗まれているのだからおあいこ。道理が通らないと目を丸くするそれがしを見上げ、イチョウ卿は一度強く弓の弦を弾く。


「ソレガシの所に筆頭騎士全員で来たのは、あたいが提案したからなんだよ。姫君が雇った冒険者、冒険者しか知らない情報もあるんじゃない? だから協力してってね。結果はいい収穫半分、そうでもないのが半分かな?」


 示し合わせて来たのではないと思っていたが、実際はイチョウ卿が扇動してやって来ていた訳か。ただその結果イチョウ卿が外周部の警備をする事になっているというのは……。


「何を賭けたのですかな?」というそれがしの問いに小さく笑いながら、「ソレガシを見張ること」とイチョウ卿は迷う事なく返して来る。協力者である事を隠し、姫君の雇った冒険者に力を貸そうという目論みか。ところがそれがしが外周部の警備のみで期待外れと。


「まぁ……悪い事ばかりじゃないですな。外に居れば、怪盗が外からの侵入であった場合、逸早く察する事はできますぞ。可能性を潰しましょうとも。相手がもし透明人間であったとしても、イチョウ卿の奏でる音楽の領域で知る術があるのでは?」

「……悪くないね。それじゃあしばらくはあたいの演奏会を楽しんでよ」


 妖精族ピクシーの奏でる音楽の中、天へと登って行く丸い天体が暗闇の中で輝きを増す。一時間、二時間、時折演奏の手を止めてイチョウ卿と談笑しながら、怪盗が予告状に記した犯行予告時刻が目と鼻の先に近づいて来る。どこか焦りの見え始めたイチョウ卿の演奏の手を手で制して止めて貰い、今一度隣に聳『そび』える城塞都市の『塔』を見上げ、壁の上から腰を上げて体の調子を確かめるように軽く何度か跳ぶ。


「さてイチョウ卿、そろそろ二十時。中に行くとしましょうか? 夜風に当たり過ぎて風邪を引くのも馬鹿らしいですぞ」

「ちょ、ちょっとソレガシ? 今中に入っても遅いんじゃないかな? もし怪盗が身内の犯行じゃない外からの犯行だった場合、外にいた方があたい達にもチャンスはあるよ」


 不機嫌を隠さずに紡がれる声を背に聞きながらも足は止めず、歩き続けて宮殿内に続く鉄扉を開ければ急ぎイチョウ卿が飛んで来る。イチョウ卿が中に入るのを確認して鉄扉を閉め、止まる事なく足を動かした。できるだけ中へと踏み込むように。への字に口を引き結ぶイチョウ卿を横目に、妖精族ピクシーの騎士が抱えているだろう疑問に答える。


「それはないでしょう。イチョウ卿の種族魔法の網を掻い潜って中に侵入できるような相手ならば、逃げる時も見つける事は不可能に近いのでは? ならば中に居ても外に居ても同じことですぞ」

「それはあたいにも分かるけど、なら内部犯に絞って考えるってこと?」

「まさか。イチョウ卿、もしそれがしが全ての問題を解決できる物を持っていたらどうですかな? 怪盗との握手券を。追えぬのなら相手から来て貰えばいい。イチョウ卿の判断は、大当たりを引いたとそれがしが保証しましょうぞ」

「怪盗との……握手券?」


 いぶかしんで眉間に皺を刻むイチョウ卿の目の前に、三日前に姫君から渡された物を突き付ける。特殊な紙なのか、紋章の刻まれた護符のような物に包まれた、手のひら大のゴツゴツとした物体。


 姫君は大した博打打ちだ。賭けるだけ賭けて運を天に任せるのではなく、大穴が勝てるだろう可能性を自ら作り上げるイカサマの才覚。護符を剥がせば窓から射し込む月明かりに反射して、中の物が虹色の光沢を放つ。


 『神石ブルトープ』


 それがしが握る城塞都市の同盟の証。金庫から逸早く持ち出し、城塞都市の国宝だろう物を冒険者に預けるなど正気の沙汰ではない。怪盗がこれを探し必ず盗むのであれば、間違いなくそれがし達の前に現れる。


 イチョウ卿は大きく目を剥いて噴き出し、宙で後方にくるりと一度回った。器用だなオイ。


「嘘でしょ姫様ぁ⁉︎……ってソレガシッ⁉︎ 今護符剥がしたら神石から溢れる神力を辿ろうと思えば辿られちゃうよ!」

「構いませんな、それこそが狙い。何だか分からないですが怪盗は盗むのを失敗したなどという結果は必要ではない。絶対に必要なのは、それがし達が怪盗を捕縛したという事実ただ一つ」

「そうだとしても────ッ⁉︎」


 イチョウ卿が背から生やす透明な翼を慌しくはためかせ、背に背負う弓を引き抜いた。それがしの背後に向く視線を追えば、待ち受けるのは暗闇。その暗闇が動いている。



 ぺたり──────っ。



 落ちされる足音は生々しく、洋燈ランプと月明かりに照らされて、浮き上がるのは上から下まですっぽりと黒装束に包まれている生きた暗闇。黒いマスクの位置を正しながら向かい合う。



「……ようこそ亡霊ハリエット



 長い長い怪盗との夜ファントムナイトの暗幕が、今某それがしの目の前で開けられた。


 

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