R 一つ上へ

「げっ、ソレガシまた増えてね?」


 ギャル氏のウンザリとした声が病室に響く。一週間、『神喰い』の討伐、都市防衛依頼を終えてから一週間も街病院のベッドの上である。


 武神の眷属とは怪我の治りも早いのか、体がヒビ割れたそれがしは連日回復薬的な薬を塗りたくられうめいていたというのに羨ましい事である。


 苦い口元を手に持つ本で隠しながらギャル氏へ顔を差し向ければ、病室を見回すギャル氏の目に浮かぶのも本の山。


 積み重なった数多の本の中に散らばっている機械部品を踏まないように、おっかなびっくりギャル氏は病室の中に入って来ると、それがしの座るベッドの横に勢いよく腰掛ける。


 積み重なっていた本達が小さく跳ね、着地と同時に幾らかの本がベッドの下へと滑り落ちた。その音に小さくギャル氏は肩を跳ねると、ため息混じりに唇を尖らす。落ちた本を拾う気はないらしい。


「毎日毎日、本読んで飽きないわけ? 一日中ずーっと、しかもノートに纏めながらとかっ、こんな時にべんきょーとかないわ。頭のネジ何本か逝っちゃった?」

「逝っちゃったとか病院で言うことじゃないですな縁起の悪い……それに、いつまでも知らないではこの先厳しそうですからな。今の内にこの世界の常識を知っておかないと、ふとした時に呆気なく死にそうで」

「あー……それはソレガシに任せるわ。あーしそういうのは苦手だし。にしてもよくこんなに読んだね」

「まだ全部読んでませんぞ。看護師さんが来る度に置いてってくれるのですがな、もう大丈夫と言うのにどんどんどんどん……」


 そんな話をギャル氏としていれば、病室の前を通り掛かった人狼族ワーウルフの看護師が、入り口の横に積み上がっている本のビルの上に新たな本を一冊置き、手を振ってくれる。


 笑顔の看護師に手を振り返しながら微笑み、病室を通り過ぎて見えなくなった看護師の背中にため息を吐き掛けた。言葉が通じないのは不便だ。『塔』がなく翻訳の魔法がないおかげで、人狼族ワーウルフが何か言っても遠吠えにしか聞こえない。


 しかも神と契約した眷属でなければ、言葉の翻訳どころか文字の翻訳も相手は使えず筆談さえも無理。おかげで何故かひっきりなしにやって来る会った事もない見舞い人が、ホイホイと本を病室の中に積み上げてゆく。ここを図書館か何かと勘違いしてないか? 


「確かにそれがしはこの世界に関する本が借りたいとは言いましたぞ? ダルちゃんにですけどな」

「ダルちぃが真面目に持って来るわけないっしょ? 誰かに頼んで、話が広がって、こんなんなってんけど?」


 そう言ってギャル氏がそれがしの前に投げ捨てるのは新聞。見出しは『英雄症候群かただのお節介か』。ダブルピースを掲げるギャル氏と、担架に乗せられているそれがしの写真が添えられて。


「……写真のチョイスに悪意を感じますぞ」

「そっちじゃなくて、隅だよ隅。冒険者ギルドからのお願いってとこ、街を救った冒険者の一人が入院中、お見舞いに行くなら本を持ってって〜、ってね」

「あぁ……そう。おかげで選り取り見取りですな。地図帳、歴史書、各種辞典に、各種族の文化のまとめ、蒸気機関の基礎に、魔法の基礎、それにしたって」


 新聞の見出しに優しさが感じられない。その街の神の眷属でもなければ、腰を据えて住んでる訳でもない者が『神喰い』に立ち向かったのは相当な異常事態であるようで、記事の内容も三割褒めて、七割は異常者のような書かれ方をしている。『八界新聞』な。名前覚えたぞ。


 枕元に新聞を適当に放り投げ、地図帳に目を這わせているギャル氏に顔を戻す。筆談以外で会話ができるのは、今のこの街ではギャル氏だけだ。遠吠えに遠吠えっぽい返事をせずに済むのがありがたい。


「まあ新聞はどうだっていいですけどな。ギャル氏、丁度いい時に来てくれましたぞ。眷属魔法について聞きたいのですがね。眷属魔法だけは眷属特有の魔法であるだけに秘匿されているようでどの本にも載ってないですからな。武神の眷属魔法の種類を」

「あーしが知るわけないじゃんね。ダルちぃに聞いたら? あの魚の時だってなんかこうノリで使えただけだし」

「……ノリで使える魔法ってなんですかなマジで」

「難しそうな話はいいからさ、それよりゴーちん大丈夫なわけ? ジャッキー達が核がどうのこうの言ってたけど」

「あぁ、それがしの怪我が治ったら核の傷も治りましたぞ、体に走ったヒビ割れの傷跡は消えないみたいですけどな!」

刺青タトゥーみたいでかっけーじゃん」

「……元の世界で銭湯に入れなさそうなんですが」

「うっわ鬼萎えたん」


 萎えるんだ……銭湯好き? じゃあないっ。銭湯どころか海もプールも上着が必需品になっちまったよ。回復魔法とかないの? もっとこう綺麗に完全回復するものではないのか。


 どこのファンタジーに一週間入院して普通に治療を受ける話がある。おかげで知識のたくわえと機械人形ゴーレムの改造がはかどったよ。


 ギリギリと歯を軋ませていると、その音を覆い隠すように、顔に投げ付けられる布。手に取ってみれば改造された学生服。退院の日取りはまだ決まってないはずだが今日だったっけ? と疑問を抱えてギャル氏を見れば、ニンマリと弧を描く口元が出迎えてくれる。


「ほら着替えてソレガシ」

「なぜに? 退院でしたっけ今日?」

「違うし、街を救った英雄にワン公の神様が会いたいんだって、あーしら時の人的な? 今日は化粧の気合いが半端じゃねえから!」

「言うタイミングよ」


 それってやって来て最初に言うやつじゃないの? なんでのんびりそれがしの病室でくつろいでるの? 眷属でもない神に呼ばれてるって結構大事じゃね?


「……ちなみにいつですかな?」

「今でしょ、ナウしか」

「だと思ったわクソがッ!」

「はぁぁぁぁ⁉︎ 急に逆ギレてんじゃねえし‼︎」

「おま言うッ!」


 急ぎ入院着を脱ぎ捨てて、投げ渡された学生服を履いて袖を通す。街の要である神に呼ばれているのに待たせて目を付けられてもたまらない。床に置かれた本の山につっかえ転び、ドミノ倒しのように本が崩れる中立ち上がり振り返れば、目を手で覆い隠し固まっているギャル氏。


「なにしてるんですかな?」

「あーし居んのに普通着替えるッ⁉︎ ……にしても傷跡思ったよりエグたん」

「……むっつり」

「は……っ、は、ハァ⁉︎」


 指の隙間から覗く黄色い瞳にジト目を向ければ、振り上げられる足。ベッドの上に置かれた黒いレンチをなんとか掴み、病室の入り口まで本の絨毯の上を転がり蹴りを避け、颯爽さっそうと立ち上がりそれがしは病室を後にする。


 「逃げんなソレガシ‼︎」と背後から聞こえて来るが、当然逃げる。助けて神様、このギャル怖い。黒いレンチを一度握り腰のホルスターに押し込んだ。


 手を振り遠吠えする看護師達に手を振り返しながら木板の張られた廊下を早歩きで駆け抜けて外へと出る。途端に遠くから響いて来る重々しい重機の音。顔を向ければ、元々塔のあった場所に立っている蒸気を噴く幾台もの大きな四つ脚クレーン車ゴーレム


 『塔』の再建の為にやって来ている機械神の眷属達。


 それがしを筆頭にジャギン殿やクフ殿も街の防衛の為に力を貸してくれたが為に、街がケチらずに機械神の眷属の組合を呼び寄せた。黄金螺旋の数が六から七ある眷属達が大勢やって来ているらしい。……それがしは未だ三つだよ。


 『神喰い』を撃退した功績は、『塔』の爆破で帳消しになったのか、黄金螺旋の数が増えはしなかったが、減りもせずに幸運だと思うべきなのか。


 建設中の『塔』を見上げて半歩足を出して身を捩れば、蹴りの姿勢で足を伸ばしたギャル氏が背後を通り抜ける。


「そ、ソレガシに避けられたっ」

「一度感電してから感覚が少し鋭くなったようでしてな。はっは! はっはっ…………いかん、背中りましたぞっ。冒険者としてはもう少々鍛えますかな……」

「要筋トレだし、あと柔軟」

「その発言凄い武神の眷属っぽいですな」

「次言ったら蹴んからね」


 なら言うなと思わなくもないが、それを言っても蹴られるだろうから言わない。


 『塔』から視線を切り、神がいるだろう聖堂に繋がる道へと目を向ければ、もの凄い視線を感じる。道を駆け巡る遠吠えや、理解不能な言語の数々。浮かべている表情が笑顔なあたり友好的な言葉を口にしているようだがなにを言っているのやら、ギャル氏は愛想良く手を振っている。


「ほらソレガシも手ぇ振って」

「いや、それがし偶像アイドルタイプじゃないんで」

「あぁ、辛気臭そうな顔してんもんね」

「その髪色で言いますか?」

「あ?」


 怖いわー。額に髪色と同じく青筋を浮かべるギャル氏をスルーして聖堂を目指して足を出す。手を振ってくれる住民達に手を挙げ答えるが、なんとも変な気分である。突き刺さる視線。隣を歩くギャル氏は慣れたものであるらしいが、それがしは違う。


 規模こそ違うが、学校で普段から視線にさらされているギャル氏はこんな感じなのか、だとしたらあまり羨ましいとは思えない。変化を楽しみはするが、全てを変えたいとは思わない。


 人気者はそれがしの欲する色ではないらしい。その色は隣にいるし十分だ。


 都市エトの神が座す聖堂は、『塔』を除けば街の中では一番の大きさであろう、白い壁に囲まれたパルテノン神殿のような外観の高層建築物。牙をあしらった意匠が至る所に散りばめられている。低い階段を登れば、入り口でローブを纏った人狼族ワーウルフが出迎えてくれた。


「バウッ、ババウッ、グルルルッ」

「あ、はい」


 ニコニコ笑顔の人狼族ワーウルフに手で促されて中へと踏み入れば、待っているのは蒸気式昇降機エレベーター。踏み込んだところで人狼族ワーウルフの神官がレバーを引き、蒸気の噴く音と共に扉が閉まる。


 元の世界の昇降機エレベーターと違い、降り掛かる居心地の悪い上昇の振動に、ギャル氏は眉をひん曲げた。


「ちょ、ソレガシッ、この振動どうにかしてくんない?」

「設置業者に言ってくれません? それか組合に。それより何故上? 犬神と言うだけに大きな犬なのでしょうし、そもそもこの建物自体飛龍魚ウォランスより大きくないですし」

「よく言うじゃんね、ほら、バカと偉そうな奴は高いところが好きとかなんとか」

「それ偉そうな奴じゃなくて煙ですぞ」

「一緒でしょ一緒」


 いいのかそれで。ただ間違いでもなさそうなのでチラリと横に立つギャル氏を見れば睨まれた。ので、目を逸らす。ギャル氏は馬鹿ではないが高い場所が好きそうだ。何度も落ちているしな、それを言えばそれがしもであるが。


 景色も見えない昇降機エレベーターの中では視線の先に困り、目を泳がせていれば目の前に伸びて来るギャル氏のスマホ。「はいちーず」と顔を寄せて来たギャル氏の掛け声に合わせてシャッター音が響く。


「冒険者になって記念すべき一枚目だし。もう一枚パシャる?」

「……街の景色はよかったんですかな?」

「スマホが復活してから一枚目はコレって決めてたかんね。最初はどーなるかと思ってたけど、あーしら意外と」

「いいコンビですからな」


 ギャル氏が少しの間動きを止め、小さく笑うと肩を小突いてくる。


「元の世界じゃ言わないっしょ?」

「さあ? どうでしょうな?」

「……ソレガシ、あーし最初はさ」

「言わなくていいですぞ。それがしだって同じですからな。だからそれは」


 翻訳の魔法など必要なく、言葉にする必要もない。種族が違くとも、言葉が違くとも、立場が違くとも、分かり合える瞬間がある。分かるはずもないと決めつけるのは、得るものを狭めているだけだ。色眼鏡で見つめ引いた境界線など必要ではない。それが分かっていればいい。


 歯車の重々しい音と共に蒸気が噴き出し、昇降機エレベーターがゆっくりと停止する。一度ギャル氏と顔を見合わせ目配せし、開く扉の先に足を出せば、身に突き刺さる数多の視線。


 サラリーマン、学生、OL、多種多様な服を纏う人々の視線。


 天に輝く太陽の光に目を細め、驚きギャル氏と共に昇降機エレベーターへと振り返れば、『故障中により使用禁止』と紙の貼られた駅舎の昇降機エレベーターの鉄扉。


 備える暇もなく、昇降機エレベーターに乗って一転、異世界から元の世界。


 声が出ない。思考が追い付かない。


 そんなとどこおそれがし達の意識を、激しく何度も震えるギャル氏のスマホが揺り起こした。スマホを覗き込むギャル氏の隣に立って見れば、何十通もの電話やメール。


 一度大きく息を吐き出すと、ギャル氏はスマホをポケットにねじ込み、壁に掛けられている時計を顎で差した。午前八時を示す時計を。


「……とりま、学校行く?」

「この格好でですかな? ……二人揃って怒られるとしましょうか?」

「それな」


 向かう先を揃えて動く足が二人分。きっと学校に着いた時、異世界に行った事よりも、それがしとギャル氏が二人でいた事の方が絶対に信じてもらえない。







 

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