33F 冒険者の日常 7

 ぶわりっ、とダルちゃんの口から吐き出される赤い紫煙。ギルドの中に薄く広がる紫煙の如く、頼み事を聞く前から煙に巻く気満々である。


 既にそれがしに一度流された瞳はギルドの木と煉瓦レンガで組まれた天井から垂れ下がっている洋燈ランプの一つへと戻されており、その瞳が何を見つめているのかは、きっとダルちゃんにしか分からない。


 そんなダルちゃんの前、受付カウンターの椅子に座り咳払いを一つ。


「あのぉ、ダルちゃんが魔族だってぇ、風の噂で耳にしたんですけどな?」

「どしたのソレガシ、声変だよ?」


 ちっ、ご機嫌を取る為の猫撫で声作戦は失敗かッ。確かにダルちゃん一々そういうの気にしなそうだもんな抜かったわッ。


 もう一度咳払いをして場を整え直そうとすれば、「風邪引いた?」と返ってくる。


 普通にそれがし達の会話聞こえてたでしょこの人。分かってて遊んでるな絶対。


「それでなんですけども、ダルちゃんに一つお願いが」

「あー、なんか喉渇いたね?」

「水でよければ持って来ますぞ」

「あー、肩もるんだよね事務仕事多くて」

「それはいけませんな。それがしが揉みましょうぞ」

「次は足ね」


 この野郎ッ、それがしはダルちゃんの奴隷か? この後頼み事されると分かっているからこそ、ここぞとばかりに顎で使って来やがる。「次は足ね」じゃねえ!だいたい普段仕事してないだろ!受付嬢じゃなくて冒険者ギルドの自宅警備員だろ!


「ソレガシパシリじゃんウケる!」


 ウケてんじゃねえッ! お主の為にやってんだよ! それがしはスマホの充電とか超どうだっていいからね? マジ自重。ギャル氏も手伝えや!


 暖炉の前で笑っているギャル氏をにらみ付ければ、笑顔で手を振ってくれる。


 ニコニコ手を振ってるんじゃない!折れないけどその腕折るぞ心の中でな!


 そしてそんなギャル氏の横で同じく手を振っているジャギン殿。先輩には手を振り返しておこう。ギャル氏は知らん。


 大きく口から零れて行く言葉にはならない不満は誰に拾われる事もなく、落ちた不満を拾うようにダルちゃんの垂らされた足の前に腰を落とす。


 肩揉むならまだしも足揉むのとか初めてだよどう揉めばいいの? てか触っていいのコレ? 後で金払えとか言われない?


「ソレガシさぁ」

「ふ、ふぇい⁉︎ な、なんですかな⁉︎」

「いやそれはこっちの台詞セリフなんだけど……どしたの急に色々やる気になっちゃって、疲れない?」


 口を閉じ、靴から引き抜かれ靴下を脱ぎ、閉じたり開いたりして待ち受けているダルちゃんの足先を掴む。どうすればいいのか分からないので、取り敢えず足裏を親指で強めに撫でておこう。


 確かに、魔物討伐の依頼を終えてから、『塔』の整備以外は既に帰る為の旅に目を向けている。言ってしまえばコレもその一環だ。充電器作成ではなく、機械人形ゴーレムの構造を知る事がだが。


「……そう聞かれると、そこまで疲れませんな」


 疲れるには疲れる。が、疲れるの種類が違う。


 昇降機エレベーターが落ち、街に着くまで彷徨さまよっていた疲労感よりも、魔物討伐や機械人形ゴーレム改造の疲労感の方が、同じこれまでと違う新しい事でも心地良い。


「ならそれがソレガシのやりたい事なんだね」


 ダルちゃんの口からつむがれた若干気怠さの消えた言葉に顔を上げれば、こっちを見るなとばかりに足先を握るそれがしの手を、ダルちゃんの足の指が掴んでくる。


 一瞬見つめたダルちゃんの瞳は暖炉に向けられており、瞳の奥で炎が揺らめいていた。ただ、ダルちゃんの気怠さに包まれているからか、瞳以上にダルちゃんの内で燃え広がるような事はないようであるが。


「ダルちゃんは……気に入ってないんですかな受付嬢」

「そんなことないよ? 椅子に座ってるだけでいい楽な仕事だしね。冒険者がいなければだけど」

「……冒険者が嫌い?」

「うんにゃ、嫌いじゃないよ。どっちかと言えば好きかな。ソレガシとサレンは面白いし、掃除もやってくれるし足も揉んでくれるしね」


 ほとんど雑用としてしか見てねえじゃねえか。ただ、ダルちゃんの言葉に少しの引っ掛かりを覚えて顔を上げた。手の甲をにぎにぎとダルちゃんの足の指が握って来るが、今度は目を逸らさない。


 赤い瞳と見つめ合い、疑問を咀嚼し口を開く。


「……ダルちゃん、ここの冒険者って」

「あたしが受付嬢になってからはソレガシとサレンが初めてだよ」


 探り合う時間が疲れるからか、それがしの頭の中を漂う疑問を掬い上げるようにダルちゃんは言葉を発する。


 異世界であるだけに深く気にする事もなかったが、そもそもそれがしやギャル氏と種族違えどほとんど歳の変わらないダルちゃんが、神々との契約所として以外必要とされていない冒険者ギルドの受付嬢などやっているのか。


 それも人件費削減の為に大分職員が解雇された中で一人残り、日々惰眠を貪るだけ。眷属として力が弱い訳でもなさそうなのに。


 聞いていいのかいけないのか、小さな迷いが沈黙を呼び込む。


「おたくはさ、自分が握った情熱に見合うものあると思う?」


 そんな沈黙を破るのは、相変わらず先を見越したようなダルちゃんの言葉。


「こっちがどれだけ本気でも、周りがそうとは限らない。自分にとって超絶大事なものだったとしても、他人にとっては価値が違う。今ソレガシがやってる事にはさ、釣り合うモノ、あると思う?」


 暖炉の炎を薄く映したダルちゃんの赤い瞳がそれがしの顔を覗き込む。


 機械人形ゴーレムの改造、スマホの充電器作成。


 釣り合うものがあるかと問われれば、どうであろうか。


 それがしとしてはそこまで重要でもないし、作るなら作るで他にもっと必要な物があると思う。作るにしたって今すぐに作らなければならない物でもない。


 ただ────。


「……釣り合うかどうかは分からないですが、釣り合えるかどうかはそれがし次第でしょうな」


 それがしにとっては便利なだけの光る箱であるが、ギャル氏にとっては違うらしい。電波が繋がる事はないが、異世界に来る時も真っ先に友人に連絡を取ろうとしたように、電波以上の繋がりが詰まった物なのだろう。


 少しの負い目がある以上に、信じてくれる友人の想いには釣り合いたい。


「だからまあ、それがしにとって他人はあまり関係ないのかもしれませんな。完成したところで得られるものは微々たるものかもしれませんが、自分が満足できるかが重要と言うか、釣り合うものを探すよりも、釣り合えるように頑張りたいと言いますか」


 それがしには釣り合うものを求める以上に何もない。それを変えようと決めたからこそ、冒険者として、機械神の眷属として『できない』ではなく『できる』を積み重ねたい。


 それがどれだけ小さな一歩でも、きっとそれが無色のそれがしに色を付けてくれる。居ても居なくても変わらない、誰でもない者から、それがしそれがしになりたい。きっとその方が楽しいから。


「まあその、そんなところでしょうかな?」


 なんでこんな話をしているのやら、ダルちゃんの視線の熱に心を炙り出されたようで気恥ずかしい。


 柔らかなダルちゃんの足の裏にぐっと親指を押し込めば、ダルちゃんはうめく事もなく、大きく息を吸い込んで天井に細長く紫煙を吐き出す。


 天井に沿って薄く広がる赤い紫煙をぼんやり眺め、ダルちゃんは口に咥えていた細い煙管パイプを引き抜き手の中で回しながら、左右に一度頭を振って首の骨を鳴らす。り固まった何かを解すように。


「……ま、変換器の加工ぐらいならやってもいいかな。そんな大変でもないし」

「本当ですかな! いやはや流石ダルちゃん!いざという時は頼りになる!」


 ダルちゃんの足先から手を離し、ぐっと拳を握る。これで問題はなくなった。充電器が完成して使えれば、きっとギャル氏の機嫌も良くなって蹴られる回数がきっと減る。


 そう喜んでいたのも束の間、身を倒してそれがしぼ耳の横に滑り込んで来るダルちゃんの唇。


「貸し一つだよソレガシ」


 外から見えない受付カウンターの下で小声で告げられ、言葉を返すより早くダルちゃんの顔は元の位置に戻っている。


 あれこれ超絶ふっかけられた? 気怠い魔人のダルちゃんのこと、これを盾に何を頼まれるか分かったものではない。


 顔を青くして額を手で抑えるそれがしを余所に、「ダルちぃマジあざまる水産!」とギャル氏がダルちゃんに抱き付いている。


 微笑ましいなそれがし抜きで!交渉虚しく借りを積み上げたらしいそれがしにはハグもなしかい!


 ……されてもそれがしの場合背骨がお亡くなりになる気しかしないが。



 ブゥゥゥゥ────ン。



 そんな一人受付カウンターの下で膝を抱えるそれがしを、壁の棚上に置かれた神との契約の際にも使った大きな水晶玉だけが照らしてくれる。携帯のバイブ音のような聞き慣れないBGMのおまけ付きで。


「……あれ?」


 てかなんで急に震えて光ってんのこの水晶玉。なんか文字まで浮かんで来てるんですけど。『緊急────』。


 そこまで目にしたところで、抱き付いているギャル氏を退かし、立ったダルちゃんの背中に視界が覆われた。

 

 水晶玉に浮かんだ文字を眺めているのか、少しして舌を打ち退いてダルちゃんの先の水晶玉の光も文字も消えており、疑問に塗り潰される思考が、バンッ! とダルちゃんが依頼書が貼ってあるボードを叩く音に思考がリセットされる。


「良かったね冒険者のお二人さん。緊急の仕事さ。それもとびっきり面倒なね。あたし夜逃げしようかな今から」


 不審な言葉を残してボードの前から受付カウンターへと戻るダルちゃんと入れ替わりに、ギャル氏と共に依頼書ボードの前へと足を寄せる。


 緊急で討伐を要するという内容に合わせて、ズラズラズラズラ文字が多いなあ! 細けえしかも!


 ただ、緊急なだけにスライム討伐の時と違い、討伐対象であるらしい魔物の絵が描かれていた。


 鳥のくちばしのように細長く、ワニのように牙を覗かせる巨大な口。


「……これあん時の鰐魚わにざかなじゃね?」

「おい、やめろ馬鹿」


 あれそんなヤバイ奴だったの? なにそれこわい。ハハッ、笑っちゃうくらい勝てる気がしないですぞ。


 


 


 


 

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