6F 持たざる者の一日目 2

 ダイナマイトでも投げ込んだかのように大きく弾けた河の水面とそこから立ち上る大きな口。


 鳥のくちばしのように細長く、ワニのように鋭い牙を覗かせる巨大な口が水面を突き破っている。


 陽に照らされギラギラ光るウロコを見せつけながら、海上に飛び出たクジラのように身を反らせ水面を叩くと口は河底へと消えた。


 スコールの如く身を叩く水飛沫みずしぶきの中、河上に一瞬掛かった虹色の橋を見上げてそれがしとギャルの腕がペタリと下に落ちる。


 なにあの怪物……。スライムだけでも大分ヤバかったのに、それを超える魔物がほいほい出て来ていいのだろうか?いやよくない。


 急にボス敵みたいなの目の前に置かれても、勇者だったらクレームものだ。幸い薄っすら見えた胸ビレと尾ビレからして水上に上がってくる生物だとは思えないが、あんな怪物の住まう河の中に飛び込んだと思うとゾッとする。


 顔色を髪色に合わせてか青くしたギャルと顔を見合わせ、一時休戦と両手を挙げた。こんな事やってる場合じゃあねえ。


「と、とと、兎に角今は協力安定。そ、それがしもお主もここで死ぬのは御免のはず。あんな人二人一口丸呑みみたいな生き物のご飯になるのは勘弁ですぞ!」

「そ、それな! ってかなにアレ鬼こわ……なんなのよここマジで? 異世界って? バカじゃないの? 意味分かんない」


 ぶつぶつと愚痴るギャルの言葉を背に、服を乾かす為に火を起こす技術など、道具等すらもないので、今はこの場を離れる為に体を動かす。


 冬のように寒い訳でもなく、どちらかと言えば気温は高いので服は気にせずとも放って置けば乾くだろう。


 森の中へと入るのはスライムに会った所為で戸惑われ、河に近付くのも鰐魚わにざかながいるので近寄り難い。


 岩場と森の境目の線を踏むように歩き景色に目を這わすが、どこをどう見ても知っている景色ではない。


 ビルのように佇む巨木の森は、背の高い木々が陽の光を遮っているからか雑草少なく、陽の光だけでなく木々が音さえも吸い込んでいるのかとても静かだ。


 森を駆け抜ける風が森の呼吸音のようにも聞こえ、杉でもひのきでもない大きな葉を揺らしている。


 河は日本では見たこともない程幅広く、絨毯のように広がっていた。ゴロゴロ白い岩の転がる岩場に挟まれた河は澄んでおり、ただ中央はでかい魚が潜んでいるくらいだからか、相当深いようで底も見えない。


 陽の光を返し森の姿を僅かに映す姿は美しくもあるが、一度触れれば飲み込まれてしまうような気がして恐ろしい。


 どこをどう見ても知識にない景色なのだが、澄んだ空気と美しい景色が乱れそうな心をしずめてくれる。


 喉元過ぎれば熱さを忘れると言うように、スライムも鰐魚わにざかなも目にした驚愕きょうがくから少し経てば、夢だったのではないかと思えてしまう。


 非現実の中で感じる現実味の気味悪さに息を細長く吐いていると、「ちょっと」と小走りで横に並んで来たギャルに声を掛けられた。


「迷いなく歩いてるけど大丈夫なわけ? 異世界とかどーでもいいけどさ、知らない場所でしょ? 迷子になるとかマジ勘弁なんだけど」

「迷子もなにももう迷子みたいなものですぞ。ただこうして河下に歩いて行けば少なくとも人里には辿り着けるであろうし」

「なんでそんなの分かるわけ?」

「河は海に続いてるものですぞ。港町でもあればそこに着くだろうし、そうでなくても水は生活の必需品。河辺に村でもあるかもしれませんし」

「ふーん、アンタ学校の成績とか良かったっけ?」

「多分お主よりは」


 そう言えばべっと舌を出されて鼻を鳴らされた。


 生憎一人のおかげで、趣味の時間以外に勉強する時間が少しはあった。誰かと遊ぶ時間がないからとか揚げ足は取らんで宜しい。


 昇降機エレベーターが落ちる時に帆船が海上を走る景色も見えたし、アレがこの世界の景色なら、少なくとも発達した文明はあるはずだ。友好的かは分からないが。


「それに河近くを歩けばそれがし達も飲み水には困らないであろうし、ただ──」

「ただなに?」


 それがし達が飲み水に困らないように、他の生物も飲み水を求めて河に寄って来る可能性がある。


 それが『スライム』なのか、全く別のまだ見た事もない生物なのかは分からない。遭遇すればどうなる事やら。


 ただそれは森の中を歩いても同じ事。


 同じ危険なら、まだ指針となる河が近い方がマシだろう。なのでわざわざ危険感をあおるような事は言わずに、顎を撫ぜて悩むフリをし、ギャルに向けて肩をすくめて見せる。


「この河はどれだけ長いのですかなーと。二、三日歩いても町や村に辿り着けない可能性が微レ存」

「さいっあく! そーなったら恨むから! あーもー早く帰りたい! なんなのあのスライムとか魚とか!」

「さて、魔物なんてゲームとかの知識としては知ってますが、実際に目にするのはそれがしだって初めての事。ただアレらの存在がここが地球ではない証明のようなものですぞ」

「……帰れるよね?」


 一段トーンが落ちたギャルの声に、顔は正面のまま横へと瞳を移す。


 組んだ腕の肘をさすりながら顔をうつむかせるギャルの姿に目をまたたいた。


 粗暴で好き勝手言葉を並べる宇宙生物のような人間でも、不安ではあるのだろう。急に昇降機エレベーターが落ち異世界などと、身構える時間もなかった。


 不安と言えばそれがしもそうではあるが、考えたところで答えは出ないのだから深くは考えない。


 考え過ぎては駄目になる。元の世界でもそうだった。


 なぜ一人? なぜ楽しくもない学校へ行く? 友達ができない訳は?


 そんな事を考えていては何もできなくなってしまう。


 だから考えない。


 できるだけ楽しい事に目を向けて寂しい事は置き去りに。これが生きる上での基本。だから面白くないものが横にあるのは気不味い。


 やかましいのも面倒だが、しおらしいのはそれはそれで面倒だ。


「まあ来れたんだから帰れもするのが当然ですぞ。方法はまだ分かりませんがね。今は景色でも楽しんでは? 滅多に見れる物でもないでしょうしな」

「アンタ意外と図太いね。まーそっかなー。うん、じゃあインスタ用に撮っとこ。スマホ無事でオールオッケー!」


 図太いのはどっちだ。テレビのチャンネル並みの切り替えの速さに呆れるばかり。心のリモコンでも持っているのだろうか?


 隣で写真を撮り出すギャルを横目に少しだけ歩く速度を速める。


 空を見上げた感じ、今はまだ陽が高いからいいが、夜になりでもしたら最悪だ。二、三日河辺を歩く羽目になるかもとは言ったが、実際それはそれがしも嫌だ。


 夜の森などと、元の世界でも好んで踏み入る場所ではない。元の世界でもくまいのししがいるように、この世界にだって猛獣がいる事が考えられる。


 「置いてくなし!」とギャルの声を背に聞きながら、視界の先にチラついた違和感に、ふと足を止めた。


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