5F 持たざる者の一日目

 どちゃり、と河の水を存分に飲み込み喉をうるおした学ランを広げて水辺の岩場に寝転がる。


 生きている事にまず感謝だ。ただ全身がバキバキに痛いけれども。何故に異世界に来て早速こんな目に合うの?


 夢も希望も水没した。


 サンタクロースみたいな髭をたずさえた神様が居なければ、『ようこそ』と歓迎してくれる聖女様も居ない。


 Q、この胸のドキドキは?

 A、ただの生命の危機ですぞ。


 優しく楽しい異世界は遠い彼方。この世界は危険生物闊歩かっぽするジャラシックパークだよ。


 ステータス画面など存在せず、スキルも能力も探せど探せどこの世界には未実装なようで、ゲームのように運営も居ないので文句も言えない。


 なぜこうなった? 


 落ちるにしても落ちる場所をあの機械仕掛けの神エレベーターは間違えている。そもそも魔法などの概念が存在するのか? それさえ怪しい。


 『スライム』っぽいのが居ただけに期待できなくもないが、手持ちの要素が全く期待できない。それがしはただの一般人でしかなく、今手に収まっているのは『分からない』ばかりだ。


 絶望するにも現実味足りず、喜べばいいのか怒ればいいのかも分からない。


 どんぶらこっこと桃太郎に出てくる桃のように、異世界の説明書や攻略本でも流れて来てくれないかなぁと夢見て身を起こせば、どんぶらこっこ青い髪のギャルが水死体のように河を流れていた……ので、静かに身を倒す。


 おやすみ、それがしはまだ気絶中ですぞ。


「いや、なんかしろし! 見てるだけとかマジありえんてぃッ!」


 じゃあ手を振っておこう。おーい。


「おーいじゃねえから! 手ぇ振ってんなッ!」

「仏説摩訶般若波羅蜜多──」

「まだ死んでねえし! ちょ、マジで! あーし、セーラー服で河はヤバイから手貸してって!」

「いやそれがしも水泳はちょっと……あ、これだぁッ!」

「ちょ、おま⁉︎ ソレガシ‼︎ 石投げんなコレじゃねえぇぇぇぇッ‼︎ 」


 ジャバジャバ水飛沫みずしぶきを撒き散らし、マッハで泳いで来たギャルの飛び蹴りがそれがしの顎を跳ね上げる。


 恐るべき怒りのパウワッ! 計画通り! と、いう事にしておこう。


 「ぐえッ」と蛙が潰れたようなそれがしの声を踏み付けにし、倒れた顔の横にギャルが降り立つ。揺らめくスカートは悪夢の翼のようで、ただ決して中は見えない。


 どういう作りになってんの? そういう魔法?


 異世界よりよっぽど神秘だ。


「早速あーしをチンしようとかどういう頭してんわけ⁉︎ 秒で潰すよ?」

「もう潰されてますぞ……てっきり魔物か何かかと、髪青いし」


 ドンッ‼︎ と、顔を潰すように落とされた足を転がる事でなんとか避ける。


 間一髪、顔が煎餅みたいに潰れるところだった。ため息と共にぐちゃぐちゃとギャルは頭を掻き、濡れたセーラー服を肌に張り付けたまま大の字に寝転がる。


 川のせせらぎの中にスライムの跳ねる音はもう聞こえず、聞こえるのはそれがしとギャルのため息だけ。


 緩い空気が肌を撫で上げ、ため息もすぐにさらってゆく。


「……マジ最悪。アンタみたいな陰キャと二人とか……、教室の隅でいっつも本ばっか読んでるような奴と……。ダサいし、頼りないし、『ソレガシ』だし」

「お互い様ですぞ。お主のようなキラキラ世界の住人と二人とか。教室の真ん中でいっつも騒いでるような猛獣と一緒なんて命がいくつあっても足りませんな」

「もーじゅーッ⁉︎ なにそれうっざ! そんなんだからぼっちなんだよ! 『ソレガシ』だし‼︎」

「すぐ蹴ってくるんだから取扱危険生物ですぞ! だいたいそれがしの一人称は関係ないですな! 癖なんだから仕方ない! それにぼっちじゃないですぞ!」

「ならダチコの名前言ってみ?」


 すぐに致命傷取ろうとする殺し屋根性どうにかならないの? 別に名前を言えるだけが友達の定義じゃありませんし!


 それがしが近付くと『ソレガシ』が感染うつるとか言って離れて行く小学生低学年並みの奴など此方からノーセンキュー。


 結果今は一人なだけで中学生時代とか小学生時代とか友達くらい……居たらいいなぁ。


 名前も言えずに唸っていると、ギャルに鼻で笑われる。他人のよく知りもしない学生生活を笑い飛ばすとは人ができているようで結構。そういう事やっちゃうわけ。イキってるわぁ。


「そう言うお主はよっぽどご友人が多いんでしょうな!」

「まーねー! アンタとは違うし? 二十人や三十人、フォロワーならもっといるから! アンタ高校二年にもなって一年間なにしてたわけ?」

「まあそのご友人、今は全くご利用になれませんが」

「う、うるせーしッ‼︎ 普段はアンタよりよっぽど頼りになるから!」

「普段じゃない今そんな話をされましても、自慢乙」

「はぁぁぁぁッ⁉︎ なに喧嘩売ってんの⁉︎ じゃあアンタここに来てからなにしたか言ってみ?」

「はいー? そんなの──」


 ギャルに蹴られた。

 スライムから一撃。

 ギャルに蹴られた。

 ギャルに蹴られた。

 スライムから逃げる。

 ギャルに蹴られた。

 崖から落ちる。

 ギャルに蹴られた。


 ほとんど蹴られてしかいなくね? 役に立つどうこう以前にこうむっている被害がもの凄い。


 それがししつけのなってない犬か? おすわりと言われたら座ればいいと? まさかまさか。


 こんな女王様の近くに居たらいずれ蹴り殺されるのは確実。一人は心細くはあるものの、一人の方がマシかもしれない。


「被害届けはどこに出せば? 罪状は暴行罪で」

「アンタがもっと頼りになればそんな事しないし! アレよ、愛の鞭ってやつ」

「愛が欠片も感じられませんぞ! 普段学校で振る舞うように振る舞われましてもね!」


 パン買って来てー! などと女王のように振る舞う姿を教室の片隅から何度か目にしている。


 人に動かされるのではなく、他人を動かすような存在。


 人が集まればどうしても生まれてしまう階級の上位。


 下位に位置するどころか、お前は別枠というように絶賛村八分状態のそれがしからすれば大変不毛だ。


 普段全く接点がないのに、居るから顎で使うような真似をされたところで、敬礼し平服する面持ちにはなれない。


「誰もが言う通りに動くと思っているなら勘違いはなはだしい。いきなり行けだのなんだの言われても行くわけないですぞ! それがしだって訳分かんないのに!」

「そーだとしてもアンタ頼りなさ過ぎ! いっつもボケーっとして! 心ここにあらずみたいに生きてる奴に言われたくないし! 人の中で生きてないからそーいうこと言えるだけっしょ! あーしは少なくとも努力してるから! 教室の隅に溜まってるゴミみたいなのに偉そうにされてもね!」


 身を起こして角を生やすギャルと対面する。言うだけ言われて黙っていられる程それがしも我慢強くはない。ひたいを打ち付け合う勢いで身を起こし、鼻筋通った高いギャルの鼻に指先を突き付ける。


「あーはいはいはい! 悪うござんした! 所詮しょせん住む世界が違うんですぞ! 陽キャ村の宝石箱の住人はこっち来ないでくださいね! だいたい努力とは? ネイルに? 化粧に? 制服を改造する努力とか今必要ないですから!」

「はい今火点いた! 着火した! ガンギレたから!」


 ギャルに両肩を掴まれ、それがしも両肩を掴み返す。


 ギリギリそれがしの鎖骨から嫌な音が鳴ってるんですが? 握力いくつ? ギャルってこんなにみんな小ちゃいキングコングなの? ってかギャルのセーラー服の肩の布が溶け落ちてたの忘れてた! 凄いすべすべする! これを力任せに掴むのはちょっと……おのれギャルめ! はかりおったな! 肩を掴んだ右手に力が入らんぞ! 


「なにそれヒョッロ! アンタほんとに男? ってかなにその緩んだ顔はッ‼︎ 舐めてんの⁉︎」

「別に超真面目ですけど何か? それがしの体はお主と違って他人を殴る用にはできてないんで!」

「あ、あーしだってできてねーし‼︎」

「嘘だー!」

「嘘じゃねーし!」

「うっそ──」


 だー、と続けようとしていた言葉は、ガチリッ‼︎ と噛み合った硬い音に掻き消された。


 

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