2F 始まり

「うげぇ、『ソレガシ』」


 スマートフォンの画面に目を落としながらちらりと。


 朝日から逃げるように、登校時に使う駅の長い階段を下りるのも気怠く乗り込んだ昇降機エレベーター


 入り口横に突っ立っていた女子高生に、すれ違い様に呟かれる。その一言と、見慣れた通う高校の着崩されたセーラー服。タンザナイトで染めたような、目に鮮やかな青紫色の短いサイドポニーの姿に口端が落ちた。


 梅園うめぞの桜蓮サレン


 所謂いわゆるギャルと呼ばれる生命体であるとクラスで認知されている。


 ギャル。その存在は異星人と大差ない。


 己を派手に着飾り、最先端に敏感で、流行の大海原を航海し、歯に衣着せず、聞き慣れぬ言葉を操る声の大きな高圧的な猟犬。


 あとエロい。


 それがしの様な存在とは対極に位置する生物だ。言ってしまえば光と影、白と黒、アクティブとパッシブ、太陽と月、水と油、天使と悪魔、北極と南極、トゲトゲとトゲナシトゲトゲ。


 とどのつまり、絶対に混じらない世界の住人。淑女しゅくじょとか麗人とかには当てまらない別世界の怪物。


『うげぇ』とか言われたが、こっちの方が『うげぇ』である。


 それがし達の通うとある高校の入学式からやったら目立っていた彼女と違い、それがしは影の住人である日陰者。


 一度足りともマトモに話してすらいないのに、嫌われているようで何よりだ。それがしも好きではないのでおあいこだろう。


 別に勝負している訳でもないが、そう心の中で『引き分け』の札を掲げて昇降機エレベーターの奥の壁に背を付け、他に誰もいない事を確認するかのように一瞬間を置いてから扉がゆっくりと閉まった。


 昇降機エレベーターの中にはそれがしとギャルの二人きり。なんとも居心地が宜しくない。


 同じ学校の同じクラスであり、少しばかりは相手の事を知っているからこそ余計にだ。


 この日本で外国人でもうしないような色に髪を染めている少女は、とんでもない異物である。目の行き場に困り視線を泳がせるが、場所は狭い鉄の箱の中。どうしてもその髪色が視界にチラつき目を向けてしまう。


 スマートフォンを弄るその横顔は美人というよりは可愛らしい。『ギャル』という生物は、よく分からないが他の一般的な女子高生よりも映えて見える。


 持ち得る容姿を磨いているのだから当たり前なのかもしれないが、髪型や化粧など全く気に留めないそれがしからすると、特別見せる相手がいる訳でもなし、その努力の意味がよく分からない。


 ただ目の保養にはなると少しの間見つめていると、視線を気取られたのか、ギャルの目が横に泳ぎ細められると舌を打たれた。


「なに?」

「いや、凄い髪ですなーと」

「あっそ、で? 用もないなら見ないでくれる? きもいんだけど」


 話の終わりとするように、読点を打つが如く舌を打たれ、ため息まで零される大盤振る舞い。


 用もないのに見ていたのはそれがしの落ち度かもしれないが、ならなぜそんな色に髪を染めているのか問い詰めたい。小一時間くらい問い詰めたい。


 毎朝教室ではなく生徒指導室に通い詰めて楽しいのか? 他にも何人か似たようなのがいるし、仲間が居るから怖くないのか知らないが、戦闘民族みたいな勢いで生活指導の先生に喧嘩を売っているとしか思えない。


 「ちょっと動かないんだけど?」と機嫌悪そうに昇降機エレベーターのボタンを連打しだすギャルから逃れようと反対の壁にひっそり身を寄せていると、ブゥゥンという音と共に昇降機エレベーターは静かに動き出した。


 二階から一階に。そして、そのまま階数を現すランプの光が下へと落っこちた。


「は?」


 間の抜けたギャルの声に続く、ぶつりッ! と何かが千切れたような音と浮遊感。意味が分からず目を白黒させている内に、床から足が勝手に離れる。落ちている。そう気付くのに数秒掛かった。


「ちょッ⁉︎ なになになになにッ⁉︎ どうなってんの⁉︎ どうなってんのこれ⁉︎」


 落下によって生まれた無重力の中で、ギャルの叫びが反響する。嫌に響くその声に口端を歪めていると、同じく宙を泳いでいるギャルのバタ足に顎を跳ね上げられた。


「ぶっ⁉︎ 痛いですぞ!」

「うっさいバカ! もうなんなのこれ! なんで落ちてんの! いやぁぁぁああッ‼︎」

「あぁもう!うるさいですな! 暴れないで欲しいですぞ!」

「じゃあアンタどーにかしなさいよ! なんで落ちてるし⁉︎ こんなんで死にたくないし⁉︎」

「無茶言わないで欲しいですぞッ!」


 昇降機エレベーターの施工業者でもないのだから、延々と落っこちる昇降機エレベーターの止め方など知る訳がない。


 だいたい思い返せば、地下街などなく一階の下は地面であった筈だ。そもそもこんな長時間落っこちている事自体意味不明であると目を回している中で、目の前を泳ぐスカートに思わず目を奪われる。


「ぐッ!」


 ひらひら泳ぐ、蝶々のようにひらめくスカートの端。こんな状況でも目で追ってしまう男のサガよ!


 どうせこの世の終わりなら、未だ一度も見たことない、神秘のベールに包まれたその奥の宝物を目に焼き付けようと凝らした目に、一筋の光が差し込んだ。


 硝子ガラスめ込まれた出入り口の鉄扉から見える広大な景色。


 溶岩に包まれた燃える大地。

 氷山聳そびえる白い平野。

 灼熱の太陽輝く砂の大海。

 丸い月が見下ろす黒い森。

 城壁に囲まれた数多の城。

 雲が泳ぎ回る天空都市。

 帆船行き交う宝石のような島々。


 昼夜入り混じりスライドショーのように切り変わる景色に思わず目を奪われ、隣からも叫ぶのをぴたりと止めたギャルの感嘆の吐息が薄っすら聞こえた。


 ドゴン──ッ‼︎


 と、次の瞬間体を襲った衝撃に身を揺らされ振られ、世界が突如暗転する。

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