最低なオトコ
くずき
最低なオトコ
冷たい風を吸い込むと、鼻の奥が痛む。
どれだけ手をすり合わせようと、小さく足踏みをしようと、寒さはしのげない。
校門で待ち合わせと言われ、すでに三十分が過ぎた。ナオは待てど暮らせど姿を現さない。もう、あと五分で講義が始まるというのに。
もれた息は白く染まる。
どうして、ナオのことを素直に待っているのだろう。別に、放っておけばいい。暖かい教室で、ただ教師の話を聞いて、終わりでいい。ナオに期待し続けることは無謀であったと、納得するのにちょうどいい頃合いなのだ。絶対、そうなんだ。
握る携帯の画面に光をともす。
連絡はない。
周りを見ても、ナオの姿は見当たらない。
一度、校門の中へ足を踏み入れるが、ナオの普段見せない、はにかんだ笑顔が思い出され、後ろ髪を引かれる。
「ちょっとさ、伝えたいことがあるんだ。明日二講目からだよね? 俺も二講からだからさ、校門で待ってて」
昨日の帰り際、唐突に、ナオはそう言った。
「はあ? なんで今じゃないの」
「今は無理。心の準備が……」
と、大げさに心臓を両手で抑え、眉間にしわをよせる。
「いつも何も考えてなさそうなのに」
聞こえないように言ったつもりだったが、「うわ、ひどっ」と、体をぶつけてくる。
触れ合った肩の部分に熱がこもり、それだけで心臓はひどく暴れる。
これはただの友達の戯れだとは知りつつ、あくまで仕返しとして、体をぶつけ返す。
ナオは痛くないはずなのに、ぶつけた腕をさすった。
「ねえ、痛いしさあ、話、聞いてた?」
「聞いた、聞いた。ちゃんと待っててあげるから」
「絶対だよ」
そういって、はにかんだ顔。少し赤らんだほほ。
その顔が昔から大好き。
心の準備がいるような伝えたいことって、そういうことなのだろうか。期待してもいいのだろうか。
昨日、まともに眠れず、そのうえ、さらに待たされた。
放っておけばいい。
何度も、何度も、放っておけばいいんだと、頭の中で繰り返すが、思わず足を止める。
ナオに期待するのはもう、終わりにした方がいい。
高校のときもそうだった。期待は、ことごとく裏切られた。
けれど、もしかしたら、今日は違うかもしれない。
そう思ってしまうと、振り返ってしまう。足は校門へ戻っていく。
寒い上に、来る確証はない。待つだけ無駄だが、そんなこと、わかりきっている。
いつだって待たされて、裏切られて、それでも、ナオを好きな自分に呆れて。
もう一度、連絡が来ていないかを確認したが、ナオからは来ていない。友達から「今日は休み?」と、連絡が入っていただけ。「そう、あとでプリント見せて」と返信して、ポケットに手を入れた。
事故にあっていないかと無意識に心配していた自分に、苦笑する。
嫌いになれたら一番楽なのに。
放課後の教室。高校最後の期末テストで赤点を出してしまったために、居残りを強制され、好きでもない英単語を繰り返し書かされる。
先生が席を立ったタイミングで、一緒に居残りをしていた、目の前の席のナオは振り返った。
「ね、聞いて、聞いて」
何かうれしいことでもあったのか、にこにこ笑顔だった。
「どうしたの」
「今日、新作のゲームが出たんだよ。ちょっと、一緒に買いに行かない?」
なんで私なんだ。
その言葉は飲み込む。
どうせ、期待通りの返事は返ってこないし、私が断らないことを知っているから誘ってくるのだろう。
わざとらしく、ため息をついてみせる。
「いいけど、いい加減、制服ちゃんと着てよ。先生に私のほうから注意してくれって言われるし」
そもそも、なぜ私に頼むのか、いつも疑問だった。
ナオは自分の制服を眺める。パーカーの上に、制服のジャッケトを羽織った、ラフな格好。指定のシャツを身に着けているのは夏の間だけだった。
ナオは不満そうな声を上げた。
「寒いんだから、仕方ないって」
「寒いのはわかるけど、もう、めんどくさいから、ちゃんと制服を着て」
「お前ら仲いいよなあ」
ふいに聞こえた声に振り替えると、ともに居残りを強制された長野くんが鉛筆を転がしていた。
「どこがそう見えるの」
わざと、呆れた声を出す。
そう見られることがとてつもなく嬉しい自分を悟られることは、恥ずかしい。
長野くんは、どうでもよさそうに頬杖を突きながら、
「んなの、なんとなくだよ。付き合ってるの?」
そう聞かれて、思わずナオに視線を向けた。自分で否定することが、なぜか辛かったのだ。
視線が交わると、ナオは驚いたように目を見開いて、それから少し顔を赤くして、幼い笑顔を見せた。
「内緒に決まってんじゃん」
その言葉が、予想以上に顔を熱くさせる。
否定されると思っていたために、全く準備ができていなかった。
ごまかすために、咄嗟にシャーペンを握る。
「はあ? うっざいなあ。まあ、佐々木のこと下の名前で呼ぶぐらいだしな」
長野くんはそう言ってから、教室は静まりかえる。
大きな手が、ペンを握る私の手に少し近づいてきたが、結局、何もしないまま、ナオは前を向く。
どういうことだろう。なぜ、否定しなかったのだろう。
ただそれだけのことに一人、舞い上がった。
それから間もなくして、ナオに彼女ができた。
「あ! ヒナ!」
廊下の遠くのほうで、一人、背の高いナオは立っていた。
こちらに手を振って、笑顔を向けてくる。
子供っぽいしぐさ、遠くからでも見つけてくれることに、いやでも心臓は高鳴る。
「どうしたの」
「なんか用事がないと話しかけちゃダメなんですか」
ふてくされたのか、少し肩を落とす。
相変わらず着崩した制服。いくら言ってもなおらないが、先生が私に言ってくることはもうなかった。
「そんなことはないけれど」
「ヒナさ、最近、俺と話してくれなくなっちゃったから」
「彼女との時間を大切にしてほしいからね」
本当は、周りの目を気にし、自分の気持ちから目を背けたくて、会っても話をしなかった。
それに、ナオの彼女の気持ちを考えると、一緒にいる私は邪魔者でしかないだろうから。
ナオは口をとがらせる。
「俺と彼女のことは気にしなくていいから、普通に話そうよ」
「彼女のこともちゃんと、考えなよ」
ナオと仲良くしていたため、私はクラスメイトからナオの浮気相手だと言われている。おそらく、そんな噂は彼女の耳に入っているはずだった。
その証拠に、ナオの彼女から避けられている。
だが、それに気付いていないのか、ナオはふてくされるばかりだ。
「彼女は大事にしてるよ。それよりさ、大学のことなんだけど」
「……大学?」
「ヒナはどこに行くのかなって」
そんなに成績も高くない、近所の大学名を伝えると、あいつは心底嬉しそうな笑顔を見せた。
「やった! いっしょだよ。ああ、よかった。ヒナがいれば安心」
そういって、大げさすぎるほど、体を左右に揺らし、ついには私の手を握ってきた。
おおきく、冷え切った手。
驚きのあまり、思わず体が固まってしまうが、ここは廊下だ。
「ちょっと、手」
「あ、ごめん、つい嬉しくって。じゃ、入学式もいっしょなんだね」
手を離してはくれたが、袖の裾を握られたままだった。
背後から、多くの人に見られているような気がして、いてもたってもいられず、その腕を引いて離した。
友達同士のふれあいには、どうしてもできなかった。
そのときに見せたあいつの切なげな顔。寂しそうに、ゆっくり下された手。その顔も態度も、一つ一つがたまらなくなる。
「大学の受験発表まだなんだからわからないでしょ」
何も気にしていないように、笑顔をつくった。
ナオもまた、笑顔を見せた。
「けど、お互い受かるよ」
そう言って、手を差し出される。
一瞬、どうしようかとも思ったが、これはただの握手だ。
その手を握って、「まあ、またよろしくね」と声をかけると、心底嬉しそうな笑顔を見せるのだった。
教室へ戻ると、女子たちはこちらを一瞥し、互いに顔を突き合わせて何かを話している。
おそらく私のことだった。また、浮気だの、尻軽女だの言われているのだろう。ナオに彼女ができてから、もう二ヶ月間、ずっと変わらないその周りの態度に慣れてしまった。
こんなことになるなら、あいつを好きになるんじゃなかったと、何度思っただろう。
友達、としては不自然に近いような距離。けれど、あいつにとっては当たり前の距離。
私にしてみれば、その距離間が好きだが、どうしようもなく切なくなる。
女子はそれから、私を無視し続けて、ナオの彼女とは仲良くなることなかった。
そのまま、私たちは同じ大学へ進学したのだった。
体を揺らし、いまだに来ないナオを待ち続けるのも、もういいだろうかと思い始める。
大学に入ると、高校のように、執拗に人間関係について口をはさむ人もいなくなった。ナオは彼女と別れると、また、別の女性と付き合った。
それでも、私たちはずっと変わらず友達だった。私の気持ちは、いつも一方通行だ。
近い距離や、優しい言葉、赤く染めた頬に期待させられて、新たに彼女ができたと知ると、勝手に落胆した。
たちが悪い。
私もあいつを諦めればいいのに、そうはできず、今もおとなしく待っている。
あほらしい。何を期待しているんだろう。
手をすり合わせていると、視界の端にこちらに近づく足が見えた。
その足は私の目の前に止まると、そのまま、手を握られる。
「ずっと待ってたの?」
聞きなれた声、間違いなくナオだった。
顔を上げると、なぜか泣きそうな顔のナオがいて、私の手を温めようとしているのか、手を両手で包まれる。だが、ナオの手もまた、とても冷たかった。
「……女の子待たせるとか最低」
出てきた言葉は、思わずふるえた。
安心したためか、視界がにじんでいく。
「ごめんね」
「ごめんじゃないよ。何もなかった?」
そうきくと、あいつは泣きそうな顔で笑って、「怒っていいよ」という。
「ほんと、最低だよ。すごく怒りたいし」
そして、おそらく多くの女子にそうしているだろう、期待させるような、近い距離にも怒りたい。
自嘲気味にナオは笑う。
「ハルナにも言われた」
ハルナ、とは今のナオの彼女の名前だ。
「彼女にも怒られるって、なにしたの」
「別れてきた」
「え、なんで」
「なんでって、俺、今日、ヒナと大事な話するから。だから、さっき、ハルナに会ってきたんだけど、予想以上に怒られちゃった」
「え? ナオから別れよって、言ったの?」
「そう」と、小さく呟く。
ナオから別れを切り出したなど、初めて聞いた。
ハルナは少し強情なところもあったが、それ以上にやさしく、美人で、お似合いカップルだった。
どうして、別れたりしたんだろう。
大事な話のためって、何を言いたいんだ?
はやなる心臓と、握られた手は、熱がともっていく。
少し困ったように笑って、
「待たせてごめんね」
「それはものすごく怒りたいけれど……」
「ちゃんと、伝えたくて。俺、色々と遠回りしちゃったし、気付くのが遅くすぎたと思うんだけど……」
ナオはその言葉を話しながら、涙を流した。
「こんなに近くにいたのに、俺、ヒナにめっちゃ甘えてさ」
ナオはポツポツ、言葉を落としていく。
「好きなの、今更気づいた」
そう言って、緊張をしているのか、寒いのか、震えている頬。じっと、私を見つめてくる、潤んだ目。
期待を尽く裏切る最低な男だと知っている。それでも、好きでたまらないのだ。
おそらく、私はナオにとって、今までいた彼女のうちの一人にすぎない存在になるのだろう。それでもいい、いいから、ほんの少しの時間だけでも、ナオの一番近くにいたいと、浅ましくも願ってしまう。
うまく出てこない声の代わりに、縦に、首を振った。
ナオは子供のような笑顔を見せて、私を大きな体でおおう。
ナオが好きだと言っていた香水が、どうしてか、鼻の奥を痛くさせる。
私がそばにいたいと思うように、ほんの少しでも、ナオも同じように思っていてほしい。
背中に回された腕に力が込められる。
「俺さ、ヒナとーー」
耳元で、鼻声のナオの声が、震えて届く。
最低なオトコ くずき @kuzuki
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