天使の生まれ変わり

レミューリア

天使のような悪魔の囁き



 ノックをし入室すると春風に吹かれた流れるような金髪の少女が振り向いた。彼女は病室の窓を開け、今にも飛び降りようとしていた様子だった。

 慌てて彼女は窓を閉め、何事もなかったのようにはにかむ。まるでヒマワリのように爛漫な笑顔。

 煌びやかな金髪と相まって今が晴れのように錯覚すらさせる。



「アン、貴女脱走しようとしてたわね」


 脱走という穏やかではない言葉のチョイスは正しい。

 彼女はこの病室から一歩も出てはならないからだ。



「違うのセンセイ、飛べるかなーと思って確かめようとしたのよ。嫌いにならないでーっ」


「安心して元から嫌いだから。飛べるわけないでしょ」


「飛べるかもしれないでしょー?羽があるんだから!って嫌い!?」



 どこまで本気かわからないまま、眼前の少女は大胆に告白しながら手慣れた様子で入院着を脱ぎ捨てていく。

 凹凸の少ない未成熟な少女の白い肌がむき出しになる。


「何を勝手に脱いでいるの?はしたない娘ね」


「どうせ検診するのでしょう?センセイの手間を省いただけですよーだ!」

 

 彼女のどや顔にため息をつきながら私は無言で検診を始める。


「センセイ?」


 彼女の白い背中を撫でる。

 一回り以上年下である彼女の若々しく思わず舌を這わせたくなるすべすべとした肌。煌びやかな金髪ブロンドの長髪をかき分けると肩の裏側に遂に生えた白い生毛の小さな翼が生えていた。

 歪で小さくはあるが、それはまるで創作上に現れるあれを想起させる。


「やん。くすぐったい。本当に天使みたいで見惚れちゃった?」


 ぺろと舌を出して得意げに笑う少女。アン。

 私は彼女が苦手だ。

 どうして貴女はこんな病気にかかって、親に売られてこんな病棟に閉じ込められていても尚そんな風に笑っていられるのか。


「逆。憎たらしくて睨んでいたの。大嫌いよ。だいっっっきらい」


「えーセンセイ、ツンデレー!」


「違う」


 秘密裏の研究病棟。

 そこは研究の為、社会にはとても口外できないモルモットを飼うためのお部屋。

 彼女は今現在世界60億の人口の中で1人か2人くらいしかいない稀な奇病の持ち主。

 生えるはずのない翼が背中に生え始めている11歳の少女アン。

 彼女は『天使病』だった。

 

 そして私はそんな彼女の担当医になったかわいそうな29歳の女医ドロテア。

 彼女を殺す為に担当医になった女。



 天使病。

 なんでもそれは、背中から腫瘍が生まれそれはやがて骨や神経が通いはじめ発見される頃には切除は難しくなるほどに育ち神経が通うらしい。

 育った翼はみるみる大きくなりまるでお伽話の天使のようにまるで猛禽類が持つような翼、それも純白の翼になるらしかった。

 らしい、というのもそもそも天使病の症例が少なすぎるからだ。

 100年で世界で数人程度の発生率。原因不明。感染せず。全く同じように生活していたはずの姉妹の片方だけが発症したというケースもある。

 これでは周囲の人間は何を気を付けていいかはわからない。

 勿論、治癒する方法も不明。

 

 遠方に住む家族からの手紙を読みながら私は彼女の病気について思いを馳せていた。

 何が天使だ馬鹿馬鹿しい。


 私は読みかけの手紙を勢いよく机に叩きつけて、煙草に手を伸ばす。

 こんなものは胞子が全くない寄生植物みたいなものだと思った。

 背中に生えてきたのがキノコか翅かというだけである。

 そして主人の栄養を借りて成長して大きくなりやがてはー…死に至る病。


「アン?」


 ふと中庭に目を向けるとまさにその天使病の少女が散歩、もとい無許可の外出をしていた。

 この地域では珍しい金髪ブロンドの長い髪に太陽慣れしていない白い肌。

 まるで深窓のお嬢様みたいに優雅。

 私は慌てて吸い始めたばかりの煙草を灰皿に押し潰して中庭へと駆け出した。

 彼女は私に気付くと、さもよく躾けられた令嬢のようにおしとやかに手を振った。


「あらセンセイ?センセイもお昼はお散歩かしら」


 アン。

 8歳までは普通の村娘をしていたが、ある日突然生えた翼によって秘密の病棟から出られない生活を送る羽目になった悲劇の少女だ。

 余裕綽綽、みたいな表情で笑う彼女の顔を強引に捕まえて私は耳に囁いた。


「自分の病室に帰りなさい。今すぐに。貴女わかっているんでしょうね…!」


 まだ背中の腫瘍は大きくないが天使病は秘匿中の秘匿案件だ。

 その為に彼女の病室には看護師も寄り付かせないしほとんどの世話を私が一人で行っている。

 バレてしまっては大問題だ。



「アン。貴女、誰かに背中は見せてないんでしょうね」


 すると彼女は私の耳元へ背伸びして内緒話をするように小声で言うのだ。


「安心して。私の恥ずかしい所はセンセイにしか見せないからっ♪」


「何が安心よ、馬鹿なこと言ってないで読書でもしていなさい」


 彼女には様々なことが禁止されている。

 年頃の女子だ。当然、反発する。今も口を尖らせている。

 その一環が今日の中庭だったのだろう。


「んーっ」


「拗ねないでちょうだい」


「拗ーねーてーまーせーんっ。これはセンセイからお詫びを待つ渾身のキス待ち顔ですーっ」


「…はぁ」


 今日何度目かわからない、この少女と出会ってから極端に増えたであろうため息をまたついてしまった。

 初めて出会った時から妙に懐かれてしまっている。

 検診すら嫌がるほど嫌われているよりは、好かれている方がまだありがたいはずなのだがこうも懐かれてしまっては困る。

 女医になる際、師である先生に何度も何度も口を酸っぱくして言われてきた言葉がまたも脳裏に浮かぶ。


『患者にはけっして深入りしないこと』


 その教えは例えば患者の体に冷静かつ冷淡にメスを入れる為であったり、

 あるいは望みがない人に接点を持つことほど苦しいことはないからやめておいた方が無難ということ。薄情ではあるものの医者には必須の教えだ。

 そしてこの場合は前者である。

 私は彼女の白魚のような肌にメスを入れる。入れなくてはならない。


「センセイ、センセイ。もっと仲良くしましょうよ〜っ」


 ベタベタと触れてきて、好意をまるで隠さないその姿に私はまたため息をこぼす。


「センセイ、大好きっ~」


「はいはい私は大嫌いよ。医師の言うことを聞かない患者なんてね」


「え〜!?」


 ため息が止まらない。

 





 手紙が届いていた。

 読んでる途中ですぐにくしゃくしゃに丸めて自室の隅に放り込んでしまった。

 とても最後まで読めるような内容とは思えなかったから。

 

 



 唇と唇が、ゆっくりと名残惜しそうに離れた。


『センセイ、好きです』

『センセイ、女同士とか関係ない。付き合って』

『センセイ。キスしたい』

 以前に中庭にぬけだしたように、病院で寝たきり生活というのは10歳そこそこの少女にはそうとう退屈らしかった。

 だからか、彼女は私に告白をし恋愛の真似事を要求した。


『患者にはけっして深入りしないこと』


 先達の教えが脳裏をちくりと掠めたが私は受け入れた。

 殺そうとしている少女の要求を。


 

「センセイ。すっごい煙草臭い」


「人が一服してる時に盛る方が悪い」


「……サイテーっ」


 

 舌を出して悪態をつく少女の顔を捕まえて再び唇を奪い取った。

 舌を絡め取り、口内を蹂躙するようなキス。気持ちよさと酸欠の苦しさでハイになっているアンの心理が手に取るように理解できて、少し嗤った。

 背中に回された彼女の手は上着を弱弱しく引っ張りながら「もう限界だから許して」とか細く訴えてきたが許してやらない。

 誘ってきたのは貴女だし、今の自分はむしゃくしゃしてるから。

 彼女のまだ未発達であるはずの背中の翼がぴくりと動いた気がした。



 未開封の手紙が二通三通と机の上に溜まっていた。

 私はそれを開けたくなかった。

 しかし、捨てる気も無かった。

 部屋の隅を見やると、以前くしゃくしゃにした手紙が視界に映る。

 


 煙草の煙が蔓延する中でスゥスゥと規則正しく寝息を立てる少女。

 すっかり11歳の少女に副流煙の味を教え込んでしまった。医師にあるまじき行いだと軽く自嘲する。

 いやこの前12歳になったらしい。


「寝顔はまだまだガキの癖して背伸びばかりしたがるんだから、もう…」


 そう言って気づかれないように優しく頬にキスをする。

 例えば彼女の背中に生える真白な翼。

 予想よりも早く大きくなっている。梟の翼くらいだろうか。

 アンが寝る時は自然と翼を下敷きにしないよう横に身体を向けて寝るようになった。


「あの子の時はこんなに早くなかったのに…個人差かしら…」


 


「先生の妹様が亡くなられたそうです」


 電話の先の声は無機質にただ事実のみを淡々と告げた。

 やがて冬に来て、私の机の上を埋めつくさんと手紙が山のように積もり積もった頃。

 私は、医者になった理由と、大切な最愛の使を失くした。



 私は世界で初の天使病の治療法を発見した医者になりたくてこの道を選んだ。そのためにアンの担当医になった。

 妹が7歳のころ、18の私は世界を呪った。

 誰よりも敬虔な彼女が、私の愛する妹が致死率100%の奇病にかかるだなんて神は間違いを起こしたと。

 妹の翼は肥大化を続け、痛々しいほどに衰弱し痩せこけていった。

 それと比例して私の医者にならねばという気持ちは強くなり、そしてようやく同じ病の少女の担当医になれたのだ。

 手紙を送りながらメロスを信じた友人のように私の帰りを待つ妹の為ならなんだってできると思えた。

 

 私は雇い主である病院の意思に背いて、彼女を八つ裂きにしてでも天使病の秘密が知ろうと思った。

 それだけで治療法がわかるとは思わなかったが、何でもしてやる。11歳の少女に対してあまりにも残酷な決意を固めた。

 なのに。

 だというのに。

 私はアンの身体にメスを入れることができなかった。


 彼女の肢体はまるであの頃の妹、ドロシーのように見えた。

 白く、細い身体。明るく爛漫でそして私のことを好きだと言ってくれた彼女そのもの。生まれ変わりのようにすら思えた。





 ベッドの上に白い羽が散乱している。

 それはアンに飛び掛かり羽交い締めにした私が狂気のままに彼女の翼から羽を引きちぎったからだ。

 ふと我に返ったとき私はアンの首を絞めていた。

 自己嫌悪にまみれ、かたかたと震える私を穢されたはずの少女が優しく撫でた。


「ねぇセンセイ?初めて会ったときのこと覚えている?」



 覚えている。まるで屍のようだった貴女が命を吹き込まれたかのように色づいて、妹とうり二つの笑顔を見せた時だ。

 私の決意が大きく揺らいだ時だ。


「私はね覚えてるよセンセイ。センセイはね、私のこと辛い病気だねって言ってくれたんだよっ」


 彼女は語りだす。

 何故かモルモットらしく扱わない、何故かこの病の辛さを共感してくれる私に惚れたのだと。


「ダレカの代わりでいいよ」

 あんなに羽をむしりとったのに、まるで尊厳を失わない立派で、美しくも憎らしい純白の翼が広がる。

 私は自らを愚かだと思いながら偽りの天使に泣きついた。

 自分よりも一回りも二回りも小さな少女に私は甘えた。


「あは。センセイってば子供みたあい…」


 すりすりとアンの小さな胸に頬擦りをする。

 アンはただただ私を撫でて甘やかす。

 天使みたいな羽もあってまるで聖母のようだ。

 いや、明らかに年上の女が幼子に甘え泣きつく様子は傍目には異様かもしれない。


 アンは誰にも人として扱ってもらえなくなったから……天使病をバケモノでもモルモットでもなく人として扱う私へと縋りついた。

 私はもうドロシーを見捨てた罪悪感を拭うためにアンへと縋り付くしかなかった。

 2人は愛し合っているようで互いに互いを代替品にしか思っていない。

 愚かだ。

 そうわかっていて尚私達は求め合う。

「アン…お願い私の名前を呼んで」

 あの子のように。

「ドロテア……!好きよ、好き…絶対離さない…死んでも離さない…」


 白い翼が覆う中で、私達は抱擁をする。口づけをする。

 彼女の翼はドロシーの時よりも早く進行し、大きく成長していっている。

 そしてその代償としてアンの細い身体はよりか細く弱り瑞々しさを失っていく。

 彼女の先は短い。恐らく妹の時よりも。私の中に残っていた医者の部分が冷静に冷血にそう告げる。

 もしかしたら明日にも喪われる関係。近い未来にその瞬間が訪れるとわかっているのに。

 より強く抱きしめるのだ。


『患者にはけっして深入りしないこと』


 その教えは例えば患者の体に冷静かつ冷淡にメスを入れる為であったり、

 あるいは望みがない人に接点を持つことほど苦しいことはないからやめておいた方が無難ということ。薄情ではあるものの医者には必須の教えだ。

 この場合は後者。


 これが決して幸せにはなることはない私達の、終わりの始まり。

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